うつろう行方
「ブラッド。ブラッド!」
 バルコニーで白い景色を見下ろしていたブラッドは、自分を呼ぶ声、なにより慣れ親しんだ気配に、何の警戒も無く振り向いた。それと同時に開いた窓から、ひょっこりと顔を覗かせた少女は、ブラッドの姿を認めてにっこり笑う。この冷たさも、この雪も、この白も、なにもかもを抱きしめる微笑みで。
「ああ、よかった。こんなところにいたんですね」
「ローラ。どうかしたのか?」
 何も確かめなくとも、すぐに誰だか解る存在は、ブラッドにとっては一人しかいない。杖を腕に抱えて、少女   ローラは後ろ手に窓を閉めると、当たり前のようにブラッドの隣におさまった。
 ベグニオンの商家に引き取られ、ベグニオン兵として生きてきたブラッド。デインの片隅の教会で、信じるままに神官となったローラ。
 時間の違いそのままの身長差を見上げる視線で埋めながら、ローラは心配そうに言う。
「大丈夫でしたか?」
「は?」
「先程の杖……、スリープの杖と呼ばれるものだったんです。
 それと知らずに魔法をかけてしまったの。ごめんなさい」
「ああ……」
 この寒さの中、ブラッドがここにいたのは、身体に残る眠気を追い出すためだ。
「……別に、気にすることじゃない」
「良いんですか?」
「ああ。……だけど、次は気をつけてくれよ」
 俺は魔法には耐性が無いからと、相変わらずの無愛想でブラッドは言う。それを聞いて。
「そういえばブラッドは、昔から、魔道書の類が苦手でしたね」
 目の前の少女の笑顔が、懐かしい記憶と一瞬、交差する。忘れかけてもなお忘れない風景に思いを馳せながら、ブラッドは静かに溜息を吐いた。吐いた息は白く残り、雪と共に消えていった。

 冷たい手摺りを握り締めながら、ふたつの瞳が景色を追う。遠い灰色空と、とめどなく降り続ける白い結晶。幼い頃から見慣れた、終わりの無いそれは、まるで現状を表しているかのようだ。
 深くを訊けなくて、けれど深くを考えるしか無くて。景色を追っていた一対の瞳は、いつしか世界を追っている。そしてその視線は自然、隣の少女へ向けられる。
 うんと幼い頃、いちばん古い記憶の中から、ローラは隣にいる。昔は妹のように思っていた彼女に、それ以外の何かを抱いていることに、それ以外の何かが「何」なのかに、ブラッドはとっくに気づいていた。
「……ローラ、大丈夫か?」
「え?」
 思いが言葉になり、そして言葉は、自覚の無いまま声となって届いた。しまった、と思ったのも束の間、ローラはこくんと首を傾げる。
「わたしは、魔法をかけられてはいませんよ」
「そうじゃなくて」
 そうくるだろうと思ったから、しまった、とも思ったのだが。
「……その……。……わかってるだろう、俺達がやっているのは、戦争だ。
 もしかしたら、戦争とも呼べないかもしれない」
「はい。知ってます」
「ああ。だけど……、当たり前だがお前は軍人じゃないし、戦いの訓練を受けてきたわけでもない」
「はい。そうですね」
 胸の前で両手を組むのは、ローラの癖のようなものだ。祈りによく似たそれを見ながら、ブラッドは途切れ途切れの不器用な言葉を紡ぐ。喋るのはまったく得意では無く、だけど言いたいことがあるから。
 ブラッドは、そこで一つ息を吐いた。そして。
「……やめても、いいんだぞ」
「…………」
「お前の、杖を使う力には、助かってる。これからも必要になるんだろう。
 ……好きな奴もそうはいないだろうが、戦いは、嫌いだっただろ? だから……」
「……レオナルドは」
「は?」
 ローラの突拍子も無い発言に、ブラッドは思わず今までの話を止め、聞き返した。目の前の少女は、今、何と言ったのだ。何の意図があって、そんなことを。
 いきなり話の腰を折られ、わけのわからないまま首を傾げるブラッド。とめどなく降り続ける雪を見上げて、ローラは続ける。
「そうですね、リバン河でラグズ連合軍と戦った頃からでしょうか。
 レオナルドはあの頃から、今まで以上に難しいことを考えているようです。相当無理をしているみたい。そんな顔をしています」
「…………」
「だけどレオナルドは、エディがいるから大丈夫。
    もっとも、エディがいるからこそ、苦しんでいるところもあるようだけれど……」
「……ローラ?」
 ますます訝しげに呼んでみれば、ローラはこちらに視線を向けた。白い法衣に雪が積もって、だけど確かに笑っていた。
「みなさん、思うところが、いろいろとあるみたい。この戦いに。
    ブラッドも、そうなんでしょう?」
「…………」
「ねえ、ブラッド」
 杖を片腕に、空いた手はバルコニーの手摺りにそっと置いて、ローラはブラッドを覗き込む。彼女の後ろで、雪が消えて積もっていくのを見た。
「わたしが暁の団のみなさんについて来たのは、
 みなさんがわたしを助けてくださったからです」
「…………」
「みなさんが、危険を省みず、わたしのお願いを叶えてくださったから。
 だからわたしも、みなさんの力になりたかった」
 覚えている。そう言っていた。ローラがあったからこそ。ブラッドは祖国のため戦うことを   なにより彼女を守ることを、決意することが出来たのだから。
「ねえ、ブラッド。
 わたしは今でも、みなさんの力になりたいと思ってます。
 その思いは……、まったく変わらない。だから……」
 一連の戦いに大義が無いことくらい、とうに気づいていた。はじめから、おかしいと思っていた。だけどそれを口には出せず、仮に口に出したとしていても、戦いは続いてゆく。とめどなく降り続ける、この雪の白さ。
 思うところが、いろいろとある。この戦いに。いろいろ、なんて、言う間でも無く。ただ、この場所に、彼女がいたから。
 今、目の前に、少女はいる。ローラは、一切の曇りの無い眼差しで、ブラッドを見つめる。この冷たさも、この雪も、この白も。なにもかもを抱きしめる微笑みで。
「わたしは、戦います」
「…………」
「本当は、戦い以外の方法で、解決してほしかった。
 だけど、戦いは始まりました。戦い以外に、方法が無いのであれば   ……、
 わたしに、迷いはありません」
 ただ、この場所に、ローラがいたから。それが一番の、ブラッドの気がかりだった。理不尽な状況にはいくらだって慣れていたけれど、彼女がこんなに傍にいるから不安になった。河を渡るラグズ兵を撃退するのも、クリミアの兵を焼くことも、究極を言えば無意味な殺戮だ。ブラッドは、心優しい少女の小さな手を、そんなものでよごしたくは無かったのだ。
「わたしは、戦います」
 だが彼女にとって、戦いは無意味では無かった。
「だから、わたしは、大丈夫   
「……そうか」
 ローラは、その見た目や声の印象に反して、ずっと強く、はっきりとしている。それを知っていてなお重たかった心が彼女の言葉で軽くなるのを感じ、ブラッドは小さな溜息を吐いた。
 この場所に、彼女がいたから。この場所にいることで、彼女に迷いがあったら。ブラッドは、それが一番不安だった。迷いがあるままの戦いに、良いことなど一つも無い。だからこそ、戦線から遠ざけたかったのだけれど。
 結局、迷いがあったのは自分の方だ。   ブラッドは気づかれない程の短い時間で瞳を閉じて、変化に富まない表情に、僅かに笑みを浮かべてみせる。
「なら、いい」
「はい。……心配してくださったんですね。ありがとうございます」
「いや……。……それは、俺の方こそ……」
 ブラッドも、そうなんでしょう? 彼女は、そんなことを言っていた。初めから、見透かされていたのだ。そんなところでばかり、相変わらずローラは鋭い。
 迷いは断ち切れた。残っている心配事は、あと一つだけだ。
 こんなことを言ってみても、本当のところは、どうせ伝わらないのだろうが。
「……ローラ。俺から離れるなよ。
 お前のことは、俺が守ってやる。だから」
 ブラッドはローラにやわらかな眼差しを下ろして、そう言った。
 対するローラは、きょとんとすることもなく、驚くこともなく。それが当たり前であるかのように、笑う。
「はい。ありがとう、ブラッド。
 わたしも、あなたの怪我なら、なんでも治してみせます」
「…………。……ああ」
 やっぱり、伝わってはいないようだ。期待もしていなかったけれども。
 わかりにくいがこっそり落胆するブラッドの隣で、ローラは相変わらずにこにこと、嬉しそうに笑っている。
「……何、そんなに笑ってるんだ?」
「え? いいえ……。ブラッドは、やっぱり、とても優しいと思って。
 ……昔からずっと、あなたが守ってくれたから。
 守ると言ってくれるから……安心して戦えるのかもしれません」
 あなたとの出会いを感謝しなくては   そう言って唐突に祈り始めたローラに、ブラッドは目をまるくした。よもや、こんな返事を聞こうとは思ってもみなくて。
「…………」
 ローラの今の言葉を、言葉通りに取るのならば。ローラも、怖いと思うことがあるのだろうか。戦うこと以外に方法の無い現実、終わりの見えない繰り返し。冷たい腕や、いつまでも降り止まない、雪の白さ。そしてそれを、ほんの少しでも、自分が   
「……ローラ」
「? はい。何でしょう、ブラッド」
 死とは、女神様の思し召しであると、遠い記憶の中、育った教会の司祭は言っていた。ならば自分はきっと、この戦いの中では死なないだろうと、ブラッドはなぜか、今、はっきりとそう思えた。変わらない誓いと、うつろいゆく祈り。運命という言葉はあまり好きでは無いが、ほんの少しだけ。今だけは、信じてみたくなった。
 救えないなら、誰も救えなくて構わない。
 だけど。
「そろそろ、中に戻ろう。……寒いだろう?」
 ローラの頭に積もった雪を、幼いころのように払ってやる。誰か一人を守れるくらいには、大きく、あたたかくなった手で。
 ありがとう、といつもの調子で言ったローラが、目の前で穏やかに微笑んだ。

-END-

(07,10,12)
相思相愛なのか片恋なのか、いまいちわかりにくいところが萌え。

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