花嫁宣言リターンズ
 すべての人が石と化し、世界が静寂に返っても、残されたものはやはり、空腹からは逃れることができないらしい。人とはつくづく逞しく出来ている、と、裁きを逃れた者はしみじみと考える。
 と、いうわけでアイク隊は、現在夕食の真っ最中だった。砦内のテーブルに並ぶ料理には、あきらかに店でしか手に入らないだろう、というようなものも使われているのだが、そこはそれ。お金はその場に置いてくる作戦?である。この隊には振り分けられなかったが、ローラの発案だ。ついでに言えば、了承したのはサナキなので、心配することは何も無い。
 せめて食卓くらいは明るくということで、今この場には、アイク隊のほぼ全員が揃っている。アイクとその傭兵団、鷺王子長男と狼女王、それに付き従う寡黙な狼、そしてエディとレオナルド。
 気分が悪いと休んでいる竜王子と、彼を守る従者の姿が見えない以外は、皆、顔をつき合わせて、ささやかな一時をそれなりに楽しんでいた。暁の団の少年二人に関しては、元敵同士だったり一部個人的な恨みもあったりして、心から打ち解けているとは言えないのだけれど。
 そんな中。珍しく静かに食事をしていたエディが、スープに口をつけた瞬間、ふと呟いた。
「……あれ。レオナルド、これ、おまえが作ったのか?」
「……え……」
「ああ、何だ。やっぱり、よく作っていたんじゃないか」
 味を覚えられているなんて相当だな、と言って微笑んだのは、傭兵団の料理当番を担当しているオスカーだった。
 そういえば、とエディは思い出す。彼と彼の相棒に、夕刻、良ければどちらか夕飯作りを手伝ってくれないかな、と声をかけたのは、この人だったような、と。
「自信が無いなんて言ってたけど、おいしいよ。手際も良かったからね」
「……い、いえ、……あの。……オスカーさん……の方が、ずっと……」
「オスカーは特別だもん。普通の男の子がこれだけ作れるって、すごいよ!」
 レオナルドに目を向けて、ミストが明るく笑う。直後、そりゃあお前に比べればなとうっかり口を滑らせたボーレが肘鉄を喰らっていたが、キルロイ以外誰も気にした様子は無かった。
「エディ。……その、……どうしてわかったの?」
「ん? おまえが作ったからに決まってるだろ?」
 恥ずかしそうに俯きながら尋ねたレオナルドは、返ってきた答えに目を見開いた。ゆっくりと瞬いた後、ふい、と顔を逸らしてしまう。
「レオナルド?」
「……ばか……」
 どうやら嬉しかったようだ。
 微笑ましい二人の空気に和んだ、のかどうかは知らないが、ミストは楽しそうに笑い、彼女の右隣で黙々と食事を続けているその人に話しかけた。
「ね、お兄ちゃん。それ、レオナルドが作ったんだって!」
「……。……そうなのか」
 今までの話はさっぱり聞いていなかったらしい、その人   この隊の将たるアイクは、スープの器を手に取ったまま、それとレオナルドの顔とを交互に見比べた。視線から逃れるように、レオナルドはエディに身体を寄せる。
「……レオナルド、だったか?」
「え……。あ、……は、はい」
 びく、と身体を強張らせてエディの陰に隠れようとするレオナルドは、誰がどう見てもアイクを怖がっているが、とりあえずそこには突っ込まない。
 相変わらず仏頂面のまま、アイクはレオナルドをじっと見つめて、一言。
「これだけ作れるんなら、お前はきっと、いい嫁になるんだろうな。
 どうだ。   この戦いが終わったら、俺のところへ来んか?」

 がらがらがたーん。
「………………………………」
「………………………………」
「…………………………は?」
 たっぷりと時間を置いた後、出てきた答えはものすごく間の抜けたものだったのだが、レオナルドは随分マシな方だった。
 まず、半分椅子から落ちかけたのが三人。有り余った元気で食卓を賑やかさを提供していた、ボーレにワユ、ガトリーといった面々だ。次に、食事を口に運びかけた格好でびしっと凍りついたのが、ミストにキルロイ。セネリオに至っては、完全に顔から血の気が失せている。
 一瞬固まったが、すぐに平静を装ったのがシノン。発言を無かったことにして、とりあえず大きな溜息を吐いたのがヨファ。
 全く動じなかったのは、オスカーにティアマト、多少は慣れがあるのだろうニケとラフィエルだった。
 ちなみにエディはセネリオと同じく顔面蒼白で凍りついており、オルグは相変わらず化身しているのでよくわからない。
「……何だ? どうしたんだ」
 皆がおかしいことにようやく気づいたらしいアイクは、怪訝そうな声を周囲に投げかける。
「オスカー。……皆は、どうしたんだ?」
「はは、そうだね。私は、流石アイクだな、と思っているところだよ」
 はぐらかしている辺り、彼もそれなりには引いたのかもしれない。
 訝しげに首をかしげながら、それでも食事を再開したアイクに最初のつっこみを入れたのは、
「……ッお兄ちゃんっっ!!」
 テーブルを割らん勢いで叩き、がたん!と椅子から立ち上がったミストだった。
「……ミスト?」
「お兄ちゃん、……今、今なんて言ったの……!」
 平然とした様子の兄を、何か恐ろしいものを見るような目でつかまえる。視線の意味がわからないらしいアイクは、なおも首をかしげたままだ。
「何がだ? 俺は何か、変なことを言ったか?」
 それはもう、ものすごく。
「わたし、……わたし、信じてたのに! お兄ちゃんの馬鹿……!!」
テーブルの上で握り締めた手を震わせながら、次の瞬間。ミストはアイクをびしっと指差して、一言。
「信じてたのに! お兄ちゃんは   セネリオ一筋だって!!」
「おい待てミスト、それも違う!!」
 あの兄にしてこの妹アリというか、なんというか。論点がズレまくったとっても問題のある発言に応えたのは、隣で椅子に座りなおしていたボーレだ。
 何が違うの、と言わんばかりに目をまるくするミストに、彼は呆れた様子で溜息を吐く。
「他に問題がいろいろあんだろ? こう……。
 結婚するには、ちょっと年齢が足りねえんじゃねえのか、とか」
「うん。それもぜんぜん違うよね」
 冷静に返したのは、この面子の中、最年少の座を競えるであろう、ヨファ。
 あまり子供らしくはない落ち着き払った発言に、体勢を持ち直したワユが、そうだよね、と乗ってくる。
「大将のお嫁さんだったらさ、大将を倒せるくらい強くなきゃいけないんじゃない?」
 何の疑問も無くキッパリと告げる彼女は、お嫁さんというものを何か勘違いしているのかもしれない。
「ワユさん。夫婦に必要なのは、お互いを深く思いやる心だけだと思うけど……」
「そうね、キルロイ。確かにそうなんだけど、今はあんまり関係無いわね」
 アイクの発言についてあまり深くは考えたくないのだろうキルロイの言うことは、世間的には正しいのだが、この場合何の解決にもなっていない。
 フォローを完全に放棄したらしいティアマトは、静かに一言彼に返しただけで、すぐに食事に戻ってしまった。
「シノンさん。さっきから疑問なんっすけど」
「……何だよ。くだらねえ質問だったらぶっ飛ばすぞ?」
 レオナルドの隣でひたすら平静を装っているシノン。その更に隣ではガトリーが、レオナルドに視線を向けながら、何事か言っている。
「わかりづらい顔だとは思ってたんっすけど、その子、女の子なんっすかね?」
「……。……世も末だな……言葉通り……」
 一人で考えてろよ、と冷たくあしらうシノンは、なぜか疲れたような顔で、盛大に溜息を吐いた。レオナルドが聞いていなかったのが、不幸中の幸いと言えば幸いだ。
 アイクのことを完全に放置して、話だけがおかしな方向へと突き進んでいた、その中で。
「……アイク……!」
 一人、妙に切なげ  というか若干苦しそう  に、彼の名前を呼んだものがある。例の発言から今までずっと、真っ青な顔で黙りこくっていた、セネリオだ。
「セネリオ? ……どうした? 顔色が悪いぞ」
 誰のせいだと思っている、とつっこむ猛者はいなかった。残念なことに。
 今すぐにでも倒れてしまうのではないか、と言いたくなるほどの落ち着かない様子で、セネリオは勢い良く椅子から立ち上がる。視線を一心に、彼の将へと注いで。
「アイク、……アイク、僕は……っ、……とにかく、考え直して下さい!」
「……何をだ?」
「僕は反対です!
 ……貴方の命を奪おうとした者を、貴方の伴侶に迎えるなんて!」
「……………………それはお互いさまだろ」
「……エディ?」
 悲痛、とも言えるセネリオの訴えに、エディは超がつく程の低音域で、ぼそ、と呟いた。レオナルドが思わず不安を覚えてしまうくらい、不機嫌に。
 ちなみにアイクとレオナルドは、冬の戦場で、互いの命を奪い合った仲である。
「とにかく、僕は反対です! 僕は……っ、僕は、あなたのお傍に……っ」
「おい、待て、セネリオ。誰がいつ、お前を手放すなんて言ったんだ」
 確かに誰もそんなことも言っていない。アイク自身ははセネリオの訴えの本当のところなど、半分だって理解はしていなのだろうが。
「俺はお前に、これからも力になって欲しいと思ってる。それじゃあ駄目なのか?」
「……! はい、アイク……!」
「ちょっと、お兄ちゃん、それって二股だよ!? だめだよ、そんなの!!
 レオナルドがかわいそうじゃない!!」
「落ち着け、ミスト! お前一体誰の味方なんだよ!?」
「ボーレに、落ち着け、なんて言われたくないよね……」
 アイクのそれっぽい告白で、嬉しそうに頷いてしまったセネリオ。当事者達の意思を置き去りにしながら、再び右斜め上方向にずれていく会話。さりげなくひどいことを言っている者がいるが、そんなことはさておき。
「……ベオクの国では、いつの間に……同姓婚が許可されたのでしょうか……」
「お前にもわからないのか。……そのようなことは未だに聞いたことが無い。
 後で、ミカヤにでも訊いてみることとしよう。……なあ、オルグよ?」
「…………」
 ラフィエルが至極最もなことを疑問に思っているが、騒ぎ始めた傭兵団の面々には、その問いはどうやら届かなかったようだ。
 ニケに同意を求められたオルグは、先程からぴくりとも動いていない。
 周囲の落ち着かない……一部除く……様子を、流されるまま口も挟めず困ったように、レオナルドは眺めている。常ならばこの辺りでエディが盛大にボケてこの場を和ませてくれるはずなのだが、頼みの彼は隣で、今日はずっと黙っていた。あまりにも彼らしくなくて、レオナルドはそのことにも困ってしまう。
「レオナルド」
「え。……あ、はい、アイクさん。なん……ですか?」
 そんな様子を見かねた、というわけではないだろうが、アイクがレオナルドをじっと見てその名を呼んだ。エディとセネリオが揃って肩を強張らせたが、二人は気づかない。
 空気の読めない朴念仁の、いろいろと問題のある発言は続く。
「それで、どうなんだ」
「はい……?」
「俺のところに来るのか、来んのか。俺はこれでも真面目に訊いているんだが」
「……お兄ちゃん!? 結局どっちが本命なの!?」
「アイク! やっぱり貴方は……!」
「……。……あの、僕は……」
      レオナルド」
 その瞬間。天を震わせるような鋭い呼び声が、レオナルドの言葉を遮って止めた。響いた声に、騒がしい空気が、あっという間に収束して消えていく。
 難しいことをやってみせた声の持ち主は、レオナルドの隣。   エディ、だった。
「エディ?」
 唐突な行動に驚いたらしく、レオナルドは目をまるく見開いてエディを見つめる。周囲にいた、他の者達も。アイクは何気に食事を再開していたが、とりあえず今は置いておく。
「エディ、どうし……」
 こくん、と首をかしげて尋ねたレオナルド。問う声は、途中で掻き消えた。
 引かれる腕。ぶれた視界。温めるように肩を抱きしめる腕。髪を絡めて頭を押さえる手のひら。……血のかよう、やわらかい感覚。

 突然仕掛けられた、キス。   言葉なんか、出てくるわけもなかった。

「…………   っ!?」
 一拍遅れてレオナルドが抵抗するが、エディの馬鹿力に敵うわけも無い。腕を押し返そうとした手は捕らわれて、離れることを許さない。集中する視線、頬が熱くなっていく自覚に耐えられず、レオナルドはぎゅっと目を瞑った。
「ん……、……ん、んっ……」
 髪に絡めていた指を白い頬にかけ、そのままゆっくりと輪郭をたどる。力の無い抵抗を続けるレオナルドの歯列を割って、エディは温かな口内にするりと舌を滑り込ませた。レオナルドの身体がびく、と強張っても、エディはレオナルドを逃がさない。
 ずいぶんと長い時間が経ったように感じた。
 当事者である二人も、ぽかん、と口を開けて二人を見ている周囲の者も。
 そして、
「…………っ、……はぁ……」
「……だいじょうぶか?」
 文字通りの長い時間の後、レオナルドはようやく解放された。崩れ落ちる前に腰を支えてやりながら、エディはまったく説得力の無い気遣いの言葉をかける。
 エディの腕の中で荒い息を繰り返していたレオナルドは、案の定。潤んだ瞳で、きっ、とエディを睨みつけて。
「…………ッエディ!! ……何、して……っ!!」
「こうでもしなきゃ、あの人が、諦めてくれないだろ」
 抗議は全て聞く前に捩じ伏せて、エディはそのままレオナルドを抱きしめた。抵抗すらも捩じ伏せて、きっぱりと、不機嫌の理由を述べながら。
「……は……?」
「アイク将軍、」
 レオナルドを強く抱きしめて、エディはアイクを真っ直ぐに見る。骨付き肉にかぶりつきながら、アイクはそれを聞いている。
「レオナルドは、おれのお嫁さんになるんだって。約束したんだ」
 大真面目に言い切ったエディの発言に、周囲数名が何も飲んでいないのにむせ返ったが、誰も気にしない。
「だから。
    あんたのところには、ぜったいにやらない」
「ああ、そうなのか。それはめでたいな。そんなことはともかく……」
「………………………………。
 …………………………はい?」
 今、何か。
 とてつもなくやる気の無い返事が聞こえてきたような……。
「何、変な顔をしているんだ。
 レオナルドがそいつの嫁になろうとなるまいと、俺のところへ来ることには関係無いだろう」
「…………。お兄ちゃん!?」
 アイクのとんでもない発言には、ミストが全力で反応した。力任せに兄の肩を揺すりながら、ミストは鬼気迫る形相でアイクに突っかかる。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん、しっかりして! どうしちゃったの!?」
「それはこっちのセリフだ。どうしたんだ、ミスト」
「何、わけのわからないこと言ってるの! まさか知らないの!?」
「何をだ?」
 いくらアイクでもそんなことはないと思うが、アイクならそうとは言い切れない。
「少なくとも、この国では   一人の男の人に、一人のお嫁さん……、
 だからね、二人の男の人の間で、お嫁さんの掛け持ちは出来ないんだよ!」
「そもそも、男じゃあ、お嫁さんになれないけどね」
 ようやくヨファがものすごく今更なことを言ったが、もうどうでもいいだろう。
 アイクはミストの精一杯の思いやりを聞きながら、首を傾げて。
「だから、嫁がどうしたって言うんだ。
 俺は今のところ、別に、誰かを嫁に貰う気は無いんだが?」
 なんだって。
「俺はさっきから、レオナルドに、俺の傭兵団で料理をせんかと訊いているんだ。
 ……何か問題があったのか?」
「………………は………………」
 アイクのそんな発言に、今度こそ周囲の者全員  困り顔で皆を見ているレオナルドを除く  が凍りつく。何を言ったんだろう、この男は。
 要するに、つまり……。
「……何でだ?」
「今日のスープは、そいつが作ったんだろう? ……美味いからな」
「……お前、さっき、レオナルドはいい嫁になるとかどうとか……」
「料理を褒める時は、そう言えばいいんだろう」
 そんなわけがない。
「………………………………」
「それで、レオナルド。どうだ?」
 件のスープを口にして、アイクは何事も無かったかのように尋ねる。否、彼にとっては、本当に何事も無かったのだろう。彼にちょっぴり言葉が足りなかっただけで、そして観客が騒いだだけだ。それだけだ。ほんとうに。たぶん。
 あんぐりと口を開けて、呆然とアイクを見ているボーレとミスト。なるほどー、と一人納得しているワユに、隣で何事か祈り始めたキルロイ。既に平常心を取り戻しているティアマトとオスカー、レオナルドの性別が気になってそれどころではないらしいガトリー、達観した様子で遠い目をしている、ヨファとシノン。
 笑いを堪えているらしいニケと、ニケの様子が気になるラフィエルと、未だにぴくりとも動かないオルグと。意外に似たもの同士なのだろうか、テーブルの上で手を握り締め、握り締めすぎてぶるぶる震えている、セネリオと、エディと。
 真っ直ぐにレオナルドを見て、答えを待っているアイク。
 そして、レオナルドは。
「……ごめんなさい。
 ……僕は、料理は……。……その、エディのために、するって……。
 ……そう、決めてるから……」
「……そうか。それは残念だ。なら、この道中に楽しむこととするか」
 白い頬をほんのりと赤く染めながら、小さな声で答えたレオナルドに。アイクはそれ以上何も言及せず、追及もしようとしなかった。つっこみどころが、ものすごくあるにも関わらず。
 時間は、のんびりほのぼのと過ぎていく。質問者のアイクと、回答者のレオナルドの上でのみ。

 その後、アイク隊の旅の途中で。
 エディが、レオナルドの傍を片時も離れなかったのは、言う間でも無い。

-END-

(07,10,10)
うまく落ちませんでした。申し訳ない。そういう問題でもない。

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