懺悔室
「まあ、サザさん。こんなところにいたんですか」
「……ローラ」
 野営の地から少し離れた森の中。横倒しになった木の幹に腰掛けたサザは、自分を呼ぶ声で顔を上げた。見れば目の前でローラがいつものように、杖を抱えてにこにこと笑っている。
 ミカヤさんが捜しておられましたよ、という伝言は、常ならばすぐにでも実行に移るだろう内容であるというのに、サザはなぜか動かない。どころか額を押さえて溜息を吐いて、再び俯いてしまう始末だ。
「お疲れですね。どうかしましたか?」
「……ローラ。お前、神官だったよな?」
「え?」
 視線だけを上げて尋ねたサザに、ローラはとりあえず頷くことで答える。どうかしたのかと訊く間でもなく、最近のサザは、どこかおかしい。
 きょとんとしているローラには構わず、サザはもう一度溜息を吐いて。
「話を聞いてほしいんだが……。時間はあるか?」
「話ですか? ええ。わたしで良ければ、いくらでもお聞きしますよ」
 胸の前で手を組んでにっこりと笑うローラ。助かる、と安堵するサザ。
 ひどく疲れた顔で、サザはぽつりぽつりと話し出した。

 思い詰めた様子のサザの話とは、要約すればエディに纏わることであった。
 曰く。エディはある日、自分の元へやって来ると、一方的な世間話をして、さっさと帰っていったのだという。
「世間話ですか? それは、どのような……?」
「……その日は、レオナルドと買出しに行ったんだそうだ。
 その時は、会計をしてもらう間でもなく暗算で金額を弾き出したレオナルドを、すごいと褒め称えてた」
「まあ。それはすごい」
「……。練習すれば、誰でも出来ると思うけどな……」
 よく考えれば、サザの目の前にいるローラも、教会で育てられた孤児である。同じ孤児でも盗みを生業としていたサザには必要な技術(?)であったが、彼女には必要が無かったのだろう。だが、更によく考えれば、エディはどちらかと言えば自分寄りの境遇では無かろうか。
 単に頭の出来の問題なのだろうかと失礼なことを考えたが、そんなことは置いておく。
「で、だ。その日はそれで終わったんだが……あいつは次の日もやって来た」
「また世間話をしに来たのですか?」
「ああ。その日は、レオナルドと鍛錬の時間が同じになったとかいう話で……。
 また弓の腕前が上がってたんだ、すごいんだ! なんて言っていた」
「それは喜ばしいことですね」
「……まあな」
 だがレオナルドのあの性格は、戦争には全く向いていない。時折垣間見える脆さを思い出し、それが大切な姉の背中に重なり、サザはちょっぴり落ち込んだ。
 しかし本題はそこではない。五秒で立ち直ったサザは、ローラに話を続ける。
「あいつは、その次の日も来た。
 その日は確か、レオナルドが、街で軟派に遭った話だった。男に」
「サザさん。ナンパ、とはなんですか?」
「……。基本的には、異性が異性を遊びに誘うこと……か」
「まあ、一緒に遊んでくれるんですか? すばらしい心がけです」
 ローラの頭の中ではどうやら、教会の小さな子ども達の面倒を見るボランティアな青年達、という図が展開されているらしい。
「……悪かった。語弊があるな。正しくは、遊びの為に交際を求めること、だ」
「……まあ……。世間には、そんな方が? 嘆かわしい」
「……。とにかく、だ。その時エディは、初めのうちは怒ってた。
 だけどそのうち、レオナルドはかわいいから困る、とかいう話に……」
 何か嫌なことを思い出したのだろうか、サザは頭を抱えて軽く首を振った。大丈夫です、元気を出して下さい、というローラの全く状況を読めていない励ましには、流石のサザにも持ち直そうという気力が起きず。
「……そう、あれがまずかった。確かに綺麗な顔をしている、と答えたから……。
 そもそも、あんな答えを俺が返さなければ……」
「サザさん、落ち着いて下さい。
 それで……エディが世間話をしに来ることが、一体どういう……?」
「………………」
 サザは心底げんなりとした顔で、ちら、とローラを見る。言う間でも無く、今までの話には全て、エディがレオナルドの話をしに来た、という共通点があるのである。
 そして。
「……あいつはそれから、毎日俺のところに来る。
 俺のところに来て、毎日レオナルドの話をするんだ……」
「毎日……毎日とは?」
「本当に、毎日、だ。俺があいつらと出会って……その次の日から、毎日だ……。
 毎日、レオナルドがどうしたとか、何があったとか……。
 本当に、そんなことばかり……。しかも、日に日に長くなっていくんだ……!」
 ちなみに現在、彼らの目的地はベグニオンである。女神の裁きを止め、世界から命を取り返すために、光かがやく塔へ行かねばならない。

 怪我による失血で意識を失っている間、ずっとレオナルドが傍にいてくれた、とか。
 狙撃手用の軍服を着ていたが、とても似合っていた、とか。
 思いがけず裁縫が上手いことや、慣れているはずなのにどこか不器用な包帯の巻き方。睫毛の長さや優しい思いやりや、手触りの良い髪、やわらかい抱き心地。自分を見つめる時の瞳の夜の深さとか、大好きな笑顔の愛らしさ。
 毎日毎日、エディは話しに来る。どういうわけか、サザのところに。

 詰まるところ、サザは。毎日毎日、繰り返し繰り返し、長々と、延々と。
       エディにノロケを聞かされていた、というわけだ。

「あらあら。本当にあの二人は仲がよろしいんですね。微笑ましい」
「……初めはそう思ってたんだがな……だけど、何で毎日なんだ……」
「そんなに褒めるところがあるなんて、すごいですね?」
「……っ、それも別に構わない、だけど、何で、何で俺なんだっ!!」
 ごもっともである。
「あいつらが仲が良いのは、要するに平和だってことだ。
 つらいこともたくさんあったのに……あいつらはいつも仲が良かった。
 それは良いことなんだ。わかってる……わかってるはいるが……!!」
 自分の膝の上でぎりぎりと拳を握り締めて、サザはなんとか絞り出したような声で呻く。
 サザの言う通りなのだ。エディとレオナルドは仲が良く、皆、それを微笑ましく思っている。喧嘩や仲違いをされると、周りの皆の方が心配になってしまうほどに。もっとも二人は仲直りが早いので、そんな心配のし過ぎは杞憂にすぎないのだけれど。
 大儀の無い戦い、荒む国。その中にあってもまったく変わらない二人のいる風景は、確かに平穏の証だった。
 だが、しかし。
「そんなもの、毎日聞かされてみろ……! 一体俺に何の恨みがあるんだ!!
 いやあいつのことだからどうせ何も考えてはいないんだろうが、でも……!」
「サザさん、大丈夫ですか? お願いだから、落ち着いて……。
 要するにサザさんは、毎日エディの話を聞くのが苦痛なんですね?」
 そんなものを聞かされれば、誰でもそう思いたくなるような気がしなくもないが、どうやらローラには伝わらなかったようだ。
「でしたら、わたしに良い考えが   
 ひどく落胆した様子で頭を抱えるサザに、ローラはにこにこと笑いながら言う。
 その時。
「おーーーい、サーーーザーーーーーー!! こんなところにいたー!」
「!!!!」
 森に響き渡る声。びし、と凍りつくサザ。ローラの声を遮って、枯れた草や落ち葉を掻き分けて、その足音は近づいてくる。
 裾の長い真っ赤な上着、腰に提げているのは上等な剣。
 今日も今日とて、と言うべきか   わざわざ探していたのだろうか、そこには、サザを悩ませている原因が、明るく笑って立っていた。
「………………」
「まあ、エディ。こんばんは、いいお月さまですね」
「あれ、ローラ。何してるんだ? こんなところで。ブラッドが心配してたぞ。
    あ! それよりもさあ、サザ……、」
 名前を呼ばれて、サザはいよいよ顔を引き攣らせたが、エディはそんなことは気にしなかった。月明かりに照らされて、雪がちらちらと光っている。
「今日はさ、レオナルドが、料理当番の一人だったんだ。じゃがいもと鶏肉でスープ作ってたんだけど、それがまたおいしくってさ! サナキさまも褒めてたし、なんだっけ、リアーネ姫? も飲みたがってたらしいし、鴉王はよくわかんねえけど、口に合わないってことはなさそうだった。すっげえよな、皇帝とか、ラグズにまで評判が良かったなんて! で、ノイスも、料理は完全にマスターしちまったな、とか言ってさ。さすがおれのレオだよな!」
 おれの、って何だ。
「それで、ノイスに褒められた時さ、あいつ、ほっぺた真っ赤にして、だけどそれがかわいくてさ……。しかもそのあと、めちゃくちゃ嬉しそうに笑うんだよ! ちょっと照れてるみたいなカオで! あっ、レオはもちろん怒った顔も拗ねた顔もかわいいし、心配してくれるときの泣きそうな表情なんか、こう、いろいろたまらなくなるんだけど、やっぱり笑った顔がいちばんなんだよな。なあ、サザもそう思うだろ?」
「…………まあ……。泣いてるよりはマシだろうが……」
「おれがレオナルドを泣かせるなんてねーよ! いや、ちょっとは泣かしたこともあるんだけど、あれは同意の上だし」
 どういう意味だ、とつっこみたくなったが、怖かったので聞かずにやめた。
「で、晩メシの後、さっきまで洗い物手伝ってたんだけど、レオ、なんか、妙に引きつったカオしててさ。なんだろう、って思ったんだけど   びっくりした。あいつ、指に切り傷が出来てたんだよ! なんか、じゃがいもの皮むいてた時にナイフで切ったとかどうとか……。そのくらい言ってくれれば、レオナルドのぶんまで洗い物ぜんぶおれがやるのに、何であいつ言ってくれなかったんだろ。無理なんかしなくていいのに」
 それは、たかが切り傷、だからであろう。
「まあ、そういうセキニンカン?が強いとこも、レオナルドのいいとこなんだけど?」
 言うだけ無駄だったようだ。
「しょうがないから手ェ洗わせて指なめてその辺の薬草巻いておいたんだけど、あいつ、指なめたくらいで真っ赤になってさー。いつまでたっても慣れないよなあ、そういうとこもかわいくて好きなんだけど。そういえばはじめていっしょに寝た時も、くっついた方があったかいって言ってんのにしばらくおれに近づこうとしなかったんだよな。いきなり襲いやしないのにさ。まああのころに比べれば、今なんてよっぽどゼイタクなんだけど。傍にいられるしくっついていられるしさわれるし。
 ほんとはキスとかしたかったんだけど周りに人いてレオが嫌がったから、ぎゅーって抱きしめてきた。あいつ、なんであんなにあったかいんだろう。やわらかいし、いいにおいするし。ちょっとカラダが震えてるのもかわいーよなあ…………で、今ここ」
「………………。」
 既につっこみを浮かび上がらせる気力も無いらしい。サザは無言で、しかしそれでもエディに顔だけは向けたまま、それはよかったな、とだけ答えた。思いきり棒読みだった。ちなみにローラは胸の前で手を組んだままの格好で、相変わらず微笑んでいる。
 エディは一息にそれだけを喋ると、満足したらしい、にっこりと笑ってみせた。そして。
「じゃあな、サザ、ローラ!
 あ、サザ! ミカヤが捜してたぜ。早く行ってやれよ」
 本当にミカヤとサザは仲が良いよな、とお前にだけは言われたくない的言葉を残して、エディはさっさと遠くへ走り去った。うきうきと弾む背中を見るに、おそらくは、レオナルドのところへ行くのだろう。
 ぽつん、とサザとローラが残されたこの場は、嵐が過ぎ去った後のように穏やかだ。
 サザは顔面蒼白で、どんよりと暗い雲を背負いながら項垂れている。
「…………終わった…………」
「いつもあんな調子なんですか? エディは毎日、とても元気ですね」
「…………ローラ。感想は本当にそれだけか?」
 いろいろと言いたいことがあるらしいサザを見て、ローラはこくんと首を傾げる。ああ、やはり自分は相談相手を間違えたのだと、サザは軽く落ち込んだ。
 そんなサザの肩をぽんと叩き、ローラはいつもと全く変わらぬ様子で進言する。
「サザさんはわたし達より大人ですから、あの元気についていけないんですね?
 だからそんなに疲れた顔をされて   大丈夫。いい考えがあります」
 これは新手のイジメなのだろうか。
 それでもサザは、いい考え、という言葉に、ほんの僅か視線を上げた。
「ブラッドに、半分請け負ってもらいましょう」
「………………。は?」
 そして、ローラのいい考えとは、まったくの予想外であった。
「……何でいきなりブラッド……?」
「ブラッドは、人の話を聞くのが好きみたいなんです。
 だから、一日交代で、エディのお話を聞いてもらいましょう?」
「……あいつが? とてもそんなふうには見えないけどな……」
「あら、だってブラッドは、毎日わたしの話に付き合ってくれますもの。
 とても熱心に聞いてくれるんです」
「……。……いや、それは……」
 それは別に、話を聞くのが好きなのではなく、話をするのがローラであるからなのでは……。
 と、思ったがどうせ言っても伝わらないだろう、ブラッドもつくづく不憫だなと頭の片隅で同情していると、ローラがくるんと背中を向けた。
「ローラ?」
「では、わたし、ブラッドとエディのところに行ってきますね」
「え」
「早い方が良いのでしょう? まかせてください」
「いや、待……」
 だからサザさんは、ミカヤさんのところへ行ってあげてくださいね   それだけを言い残すと、ローラはぱたぱたと身軽に走り去って行った。雪を踏んで、枯れ枝を飛び越え、おそらくはブラッドのところへと。
 一人取り残されたサザは、しばらくは呆然と、ローラが駆けていった方角を見つめていた。
「………………」
 毎日ノロケ話を聞かされるのは、それはもうものすごく苦痛だ。もちろん微笑ましくはあるのだが、それの限度を越えるくらいに。正直これ以上聞きたくは無く、エディの説得に行くのなら出来れば話をすること自体を止めて欲しいと思うのが本音ではあったが、おそらくそれはかなわないだろう。如何にローラと言えど。というか、おそらくローラの所為で。エディの毎日の楽しみを奪うなんてとんでもない、という理由により。というか、何が悲しくて、男同士の恋人のことなど聞かなければならないのだろう。そろそろ認識が麻痺しているが、レオナルドは紛れも無く男である。たぶん。
 毎日の出来事が一日おきになったところで、さして現状は変わらない。結局何も解決はしておらず、むしろ被害を広げる形になりそうである。
 雲の切れ間から顔を覗かせる月が、世界をじっと見下ろしていた。ああ、今夜は満月だったのかと、サザは今日いちばん大きな溜息を吐いて。
「……悪い、ブラッド。わかってくれ。許せ」
 一人よりは二人の方がまだマシだ、なんてちょっぴり非人道的なことを思いながら、サザは姉に憑依した混沌の女神に短すぎる祈りを捧げた。

 そして、数日後。
 ミカヤ隊では、エディをなんとかしてくれと青い顔でノイスに縋るブラッドの姿が見られたという。

-END-

(07,09,04)
全員おかしくてすみません。いつものことか……。

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