星を抱きしめて
 街の路地裏には、駐屯兵の見回りも届かない程に奥詰まった場所がある。石の塀と、家族を無くし廃れた家屋の壁との隙間を今日の寝床と決めた少年達は、どこからか拾ってきた薄汚い一枚の毛布に、武器を抱き締めたまま揃って包っていた。寄せ合う肩、暗い静寂。そして、切り取られた空に瞬くのは、白い光の小さな星。
「……レオナルド。だいじょうぶか?」
「うん……。大丈夫。……エディは? 寒くない?」
「うん。平気」
 おまえがいっしょだもんな、と笑うエディに、レオナルドは曖昧に微笑み返す。砂と埃で痛んだ毛布は、傷に障って不衛生では無いかと一度は主張したけれど、夜の空気で身体を冷やすよりはずっと良いと逆に主張され、結局はそれに従った。子供体温に温められている現状を思えば、エディの意見は正しかったと言えるのだろう。知るべきことはたくさんあるんだ、と、レオナルドは一人、溜息を吐いた。
 石が背中に当たる冷たい感触も、野宿も、毛布を分け合うことも。こんなふうに他人とくっつくことだって慣れてはいないけれど、変な不快感は感じない。
 代わりに何か、落ち着かない心を胸に抱えて、レオナルドは視線を空へと上げた。たくさんのものを失う前と何も変わらない夜が、街を見下ろしている。
「…………」
「なあ。レオナルド」
「? なに?」
 声に呼ばれると共に、こつん、と肩に頭を乗せられる感覚があった。返事をしながらそちらに顔を向けると、見上げてくる灰色の瞳と目が合った。
「もうちょっと、くっついてもいい?」
「え……。……うん、大丈夫……だけど……」
 思いがけない問いに、レオナルドは首を傾げる。これ以上、どうやってくっつくと言うのだろうか。それ以前に、どうしてそんなことを言うのだろう。
「……やっぱり、寒いの?」
「んー……。うん。ちょっとだけ」
 不自然な間があったけれど、レオナルドは特に疑問に思わなかった。それどころか、風邪でもひいているのではないかと心配になったらしく、夜に紛れた瞳が揺れる。
 いいよ、と言ったレオナルドに、エディは嬉しそうに笑ってみせた。そして。
「…………っ、」
 エディはレオナルドに腕を伸ばした。右手は肩をあたためて、左腕は背中をやわらかに撫でて。それは、くっつくというよりは。
    抱きしめられて、いる?
「エ、エディ……?」
「ん?」
「その……、……、」
 呼び止められる代わりに腕を掴まれたり、肩を引かれたり。触れられることと言えばそれくらいがせいぜいであるレオナルドは、こんなふうに正面から抱きしめられるという経験が無かった。まだうんと幼い頃、歳の離れた兄の腕で抱き上げられた、微かな記憶を除いて、ではあったが。
 レオナルドが弓を抱いたままだから、ぴったりくっついているとは言えない。けれど確かに、先程よりずっと暖かい。
 何か言おうと思ったけれど、じんわりと渡る体温に思考がとけたのか、レオナルドは何も言わなかった。そもそも、二人の少年は少年なのだから、意識することなんか無い。
「……寒く……なくなった?」
「おう。すっげぇ、あったかい」
 おずおずと訊いてみると、嬉しそうな声が返ってきて、レオナルドは安心したように息を吐いた。安心した、という自覚に気づいて、胸の辺りが僅かに痛んだ。

 街に辿り着く少し前、逃亡の果てに、レオナルドはひとりきりの不安を初めて覚えた。当たり前のように手元にあったものが、端から剥がれて無くなっていく感覚。少年は、その時覚えた気持ちの明確な名前を知らなかった。今まで、持ったことが無かったから。知る必要なんか、無かったのだ。
 泣くことを忘れさせた闇の中、手を差し出したものがいた。
 その手を取らなければ。その手が、差し出されていなければ。きっと、帰ってくることは無かった。路地裏の入り組んだつくりも、繋いだ手の温もりも、寄せ合う肩の暖かさとか、無くしたものの脆さと儚さ。夜空の星があかるいことも、きっと。
 今、隣に、まるで子犬のようにじゃれついている、この少年がいなければ。
 こんな胸の痛みも、それがやがて無くなる未来も、知らないままだった。
「……エディ」
「ん?」
「その……。……助けてくれて、ありがとう」
「なんだよ、いきなり。おまえがそう思ってくれんのは、嬉しいけどさ。
 ……こっちこそ、ありがとな?」
「……? 何で、エディが、ありがとう、なんて……」
 純粋に疑問で首をかしげた夜色の瞳を、エディがじっと見つめて、悲しく笑う。
 レオナルドを抱きしめるために、石壁に立て掛けられた剣が視界に入って、レオナルドは何か、ささやかな勘違いをしたまま、納得してしまったらしいが。

 理由はまったく違う、けれど同じ名前の胸の痛み。
 それをエディが持っていたこと、それがやがて無くなる未来を、その淋しさを、レオナルドはまだ知らなかった。

 ろくなあかりも無い路地裏には、星の脆弱な光が灯されていた。
 少年達の孤独を抱きしめて、夜は未だ名を持たない暁を待ちながら、眠りについた。

-END-

(07,05,22)
「白銀色〜」の明るいバージョン……と言うか。

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