白銀色
(ぎんいろ)の雪が、音も無く降ってくる。その様子を、レオナルドは黙って見つめていた。見上げた曇り空は眩く、雪はそれよりもっと眩い。雪は降って、降り続けて、彼と彼の仲間達のいるこのノクス城を、すっかり白に染めてしまった。それでも、雪は降っている。降って、降って、降り続けて。
「レオ。レオナルド!」
遠くから大きな声で名前を呼ばれ、レオナルドはゆっくりと顔をそちらに向けた。
城の中から歩いてくる少年は、腰にずいぶん高価な剣を提げている。白い雪の風景の中、真っ赤なコートはよく映えるけれど、そんなものが無くたって、レオナルドにはちゃんと、彼が誰だかわかっていた。
「エディ。……どうしたの?」
「こっちの台詞だよ。どうしたんだ? こんなに寒いのに、外、出たりしてさ。
……うわ、すっげぇ積もってるし。風邪ひくぞ」
エディはレオナルドの隣に辿り着いて早々、ほら、と言いながら、肩を何度も叩いて払った。降り積もった雪が足元に落ちて、白い景色の一部になる。
「ミカヤがさ、そろそろ来る、みたいなこと言ってた。だから、迎えにきたんだ」
「あ……うん。わかった。……ごめん、探した?」
「ああ。けっこう。めずらしいな、いつもは、中にいることが多いのに」
問いと共に、いつもと変わらない笑顔を向けられたレオナルドは、少し困ったように笑う。ああ、とかうん、とか適当な言葉を返しながら、彼の瞳はまた空を見上げた。
倣うように、エディの瞳も眩い空を追いかける。二人の世界を埋め尽くすように、雪は、ただ、降っている。
「今年も、」
「うん」
「すっげぇ、降ってるな。……寒いけど、だいじょうぶか?」
「うん……僕は平気。ありがとう。……エディは、大丈夫?」
言ってみて、レオナルドは、何を訊いているんだろう、と頭の片隅で呟いた。答えがわかっている問いなんか、わざわざ尋ねる必要は無いだろうに。
返ってきたエディの答えは、予想通り、全然平気、と、それだけだった。
ずいぶんと。たくさんのことが、あったように感じる。その言葉に間違いは無く、実際、彼らにはたくさんのことがあった。雪は降って、降って、降り続けて、景色を白く埋めていく。デインという国においては見慣れて当然の風景なのに、レオナルドは、目をはなすことが出来なかった。
「……レオナルド?」
エディの声が聞こえても、曖昧な返事をするだけで、レオナルドは視線を引き下ろさない。白銀色に包まれて、彼は、たくさんのことを思い出す。
一つ前の冬、こうして雪を見ていた時は。自分がどんなふうに変わっているかなんて、想像もしていなかった。
祖国解放が現実になるなんて、この身が軍にあるなんて、そして、こんな戦いの中にいるなんて。考えられるはずもない。こんな現在は知らない。だけど、逃げ出すことも無い。過程はどうあれ、彼は自分の意思でここにいる。自分で決めたことだから。
「……ミカヤが、戦っているから。だから、逃げない、って……」
「ん? ……なんだよ、急に」
「……なんでもない。……雪が、綺麗だな、って、思って……」
「……レオナルド」
腰に佩いた剣の柄に触れながら、困ったように名前を呼ぶエディに、レオナルドもまた、困ったように微笑んだ。
雪は、ただ。真っ白に。降って、降って、降っている。
「レオナルド」
「……、……エディ? ……どうしたの?」
ふいに腕を引かれる感覚に、レオナルドは目を見開いた。そんなことが出来るのは隣に佇むエディだけだ。直後、自分の身体を包んだ熱に、レオナルドは、正面から抱きしめられたのだ、と理解した。
エディは左手を背に、そして右手で髪を撫でながら、肩に口づけるように、顔を埋めた。
「エディ」
「レオナルド。……約束……」
エディの声を聞きながら、レオナルドはぼんやりと思い出す。思い出すつもりは無かったけれど、ここ数日、本当は、何度も思い出していた。
降り続ける雪の景色には、たくさんのことが映っていた。あたたかな記憶や、懐かしい毎日。どれもこれも、ここ数年の間に、全て失ってしまっていた。帰る場所も失った。失うようなものなんて、本当はもう、残ってはいないはずだったのだ。
「おれを、置いていくなよ。……ずっと、いっしょだ。絶対に、はなれない」
「…………」
「おれも、おまえも。みんなも。……それで、みんなで、ネヴァサに帰ろう」
この戦いが、終わったら。抱きしめる腕に込められた力が強くなり、レオナルドは一瞬、僅かに肩を強張らせた。
そうだ、失うものなんて、残ってはいないはずだった。あの時、一人残ったレオナルドは、己の死だけが怖かった。他に怖いものなんて無かった。親も、兄も、仲間も、帰る場所も。失うものが、何も無かったのだから。
「好きだ。……大好きだ。レオナルド」
わかっている。きっと。到底知り得ない未来でも、漠然とした予感がある。雪は、ただ、降っている。降って、降って、降り続けて、見えるもの全てを埋めていく。
戦いは、これで終わるだろう。白い景色に、真っ赤な命を咲かせて。
雪は、降り続けるだろう。鮮やかに咲いた花をも埋めて。
わかっている。知っている。
自分たちは、きっと、この白銀色の世界に抱かれて、死んでゆく。
それでも。
「なあ。いいだろ? 今までだって……、だいじょうぶだったんだから」
「……うん」
あの日、あの路地裏で。偶然という名前に導かれて、二人は出会った。たくさんの日々を一緒に過ごした。
失ったはずのたくさんのものが、この手に帰ってきてしまった。苦しかったけれど、だけどとても楽しかった。大切なものが出来たから。失えないものが出来たから。
「おれさ、絶対、おまえをひとりにしないから。だから、おまえも。な?」
「…………うん……、」
生きて、生きて、必ずいっしょに生き延びよう。こんな戦いが終わったら、大好きな街に戻って、いつもの毎日に戻ろう。
残酷だ。こんなのは。
もう絶対に、お互いを失えない。確かに、二人はわかっているのだから。
「……エディ。そろそろ、なんだろ? ……行こう」
「……ん。そうだな……」
レオナルドの言葉をきっかけに、エディの手は素直に離れていった。お互い顔を見合わせて、なんとなく気恥ずかしくて笑ってしまった。
吐き出した息は白く、肩に降り積もった雪も白い。エディの手に引かれるまま、レオナルドは歩き出す。
「……そうだ。この剣……、ほんとに、ありがとな」
「うん。……二人とも無事で、って。約束なんだろ」
ふんわりと微笑むと、エディは一瞬目を見開いて、ゆっくりと瞬いた。どうしたの、と訊いたけれど、何でもない、と返されたから、レオナルドは気にしない。
手をつないだまま、雪に残った足跡を辿りながら、二人は歩く。城の中へと続く扉を開く直前、エディはふと振り返り、その視線を空へと上げた。
倣うように、レオナルドも夜を宿した瞳で空を見上げる。眩い曇り空から、雪が真っ白く降っている。
雪は、降って、降って、降り続けて。一体、いつまで降り続けるのだろう。
「……綺麗だな」
「……うん。そうだね……」
遠く、何かを懐かしむように呟きながら。二人は扉をくぐり、城の中へと戻った。
雪が、降っていた。音も無く、気配も無く、冷たい意識だけを真っ白く持ち続けて。
雪は、降って、降って、降り続けて。
今はただ、彼らのいる世界を、白く埋め尽くすように。
戦いも、意志も、花も、命も、すべてを真っ白に返しながら。
雪は、ただ、降っている。
-END-
(07,05,06)
とりあえず表面だけすくいとってみました。