その街には涼やかな空気が立ち込め、空には水に溶かしたような蒼が広がっている。路地裏では、まだ名の無い義賊が隠れ家の中で、ひっそりと朝を迎えていた。
古い木のテーブルに並んでいるのは、質素ながらもそれなりにちゃんとした朝の食事だった。それを囲んでいるのは少女と青年、歳の離れた男性が一人と、つい先日この場所に来たばかりの少年が二人。
和やかな雰囲気で談笑しつつ、温かなスープを口にしたミカヤはふと、驚いたように目を見開いた。
「あ……。これ、おいしい……」
「ああ、ほら。やっぱりな。良かったじゃないか、レオナルド」
無意識的に呟かれた言葉に対しておよそ見当外れな答えを返したのは、ミカヤと向かい合わせの位置にいるノイスだった。隣に座っているエディ、の更に隣にいるレオナルドに向かってノイスが唇の端を上げてみると、彼はどこか慌てたように、かつ照れたように顔を俯かせてしまう。
目の前で交わされた二つのしぐさに、ミカヤはこくん、と首を傾げて尋ねた。
「もしかして、これ、レオナルドが?」
「あ……、そ、その、……違……わない、けど……」
「今まで、料理をしたことが一度も無いって言うんだ」
茶色い頭の少年と金色の髪の少年に、出会って三日目。人懐こいエディに比べ、レオナルドはやや人見知りをする性質らしい。
途切れ途切れの説明さえ、あまり上手く出来ていないレオナルドに、ノイスが軽いフォローを入れる。
「出来るに越したことは無いし、そのうち必要にもなるだろうからな。
だから、好きなようにやってみろ、って言って、それだけ作らせてみたんだが……」
真っ白な初心者に適当にやれ、なんてどういう神経してるんだ、とは言わない。
「
手つきの方はともかく、味の方は中々でな。俺も驚いたよ」
「……だけど、ノイス……、にも、手伝ってもらった、から……」
「だけど、あなたが作ったんでしょう? すごいわ。すごくおいしい」
あまりにも真っ直ぐに言われ、レオナルドはいよいよ恥ずかしそうに顔を逸らしてしまった。いかにも微笑ましい、と言わんばかりの視線の中、エディもまた、子供みたいな素直さで彼を褒めている。
「それにしても、初めてで、こんなに上手にできるなんて……」
頬に手を当て、しみじみと皿の中の半透明を見下ろして、ミカヤは。
「きっと、レオナルドは、いいお嫁さんになれるでしょうね」
がっしゃん。
「………………………………」
「サザ? どうしたんだ。行儀が悪いぞ」
四人の会話に口を挟むこと無く、ミカヤの隣、エディの向かい側の席で黙々と食事を続けていたサザが、何の前触れも無くスプーンを取り落とした。
咎めるノイスに何も言わず、びしっと固まっているサザの様子をどう捉えたのか、表情を曇らせたレオナルドが、おずおずとサザに声をかける。
「あ、あの。……ご、ごめんなさい……。おいしく……無かった?」
「…………いや。そうじゃない。……料理の方は、何の問題も無い」
「当たり前だろ? だって、こんなにおいしいんだからさ」
かろうじて問いかけを否定したサザは、それでも視線を向けようとはしなかったが、レオナルドはとりあえず安心したようだった。エディの笑顔にありがとう、と彼が返せば、ノイスが、仲が良いんだなと笑う。そうねと同意するミカヤも合わせて、食卓は一気に和んだ。
そんな中。スプーンを落としたサザだけが、ふるふると肩を震わせている。そして、
「…………いや。他につっこむところがあるだろう!?」
がたん!と椅子から立ち上がらんばかりの勢いでサザは言ったが、四人はきょとん、と瞳をまるくするだけだった。
「え? ……あの、やっぱり、何か……?」
「何も問題は無いと思うがな。おまえがそう言ったんだろう、サザ」
「違う! 料理のことじゃなくって……!」
スプーンの柄が潰れるのではと心配になる程強く、サザは手を握り締めている。痛そうな痕がつきそうだ。
「もしかして、あっちじゃないかしら? エディとレオナルドは仲が良い、って……」
「あ、そっちか。そうだよな、おれとレオは仲が良いってか、親友だし!」
「違う!! そっちでもない!! だからっ……!!」
とうとう椅子から立ち上がったサザは、隣のミカヤを見下ろして言った。何で皆わからないんだ、と言いたげに。
「
レオナルドが、嫁って、違うだろ!?」
「え、なにが?」
しかし、サザの決死のツッコミは、エディに一刀両断された。
エディは灰色の瞳をまんまるに見開いて、不思議そうに首を傾げて、キッパリと一言。
「だってレオナルドは、デインが平和になったら、おれのお嫁さんになるんだし」
未だ少し肌寒い朝。エディの突然の発言に、サザの思考が止まる。
椅子から立ち上がった姿勢のまま、再び石と化したサザを尻目に、三人は何の問題も無く、和やかなやり取りを続けていた。
「ああ、やっぱりそうなのか。そうなんじゃないかと思ってはいたが……」
「おう! 約束したんだ、ずーっといっしょだって!」
「まあ、そうなの。それなら早く、デインを平和にしなくちゃね」
「ちょっ……、ちょっと、待って、エディ……!」
早くも再起不能か、と思われたサザの味方は、意外なところから現れた。
他でも無いレオナルドが、慌てながらエディを止めに掛かったのだ。頬がかすかに赤く染まっているように見えるが、そんなのはこの際どうでもいい。
「レオナルド! お前、わかってくれたのか……!」
「あ、う、うん……。……だって、おかしい……から」
普段、サザはミカヤ以外にはものすごく無愛想だ。そのサザに、とっても友好的な言葉を貰い、レオナルドはやや驚いた様子だった。
夜を宿した視線を隣のエディに向けて、レオナルドはやや声を落として言う。
が。
「……だめだよ、エディ。
デインが平和になるまでに、結婚できる年齢になれるか、わからないじゃないか」
「問題はそこじゃないだろう!!」
反射で入れられたつっこみは、いっそ褒め称えたいくらいに鮮やかだった。
「……あ。そうか……」
「ああ、そうだ」
それに対するレオナルドもまた、とても切り替えが早い。
「そうだよね。
結婚できる年齢になっても、デインが平和になっているとは限らないよね……」
「
ッだから!! 年齢は問題じゃないっ!!」
得意のネガティブ思考に走ったレオナルドに全力で叫びつつ、サザは、もう二度とこいつにはツッコミ能力を期待しない、と固く誓った。
ぜえはあと荒い息を繰り返すサザを見上げながら、四人は揃って首を傾げている。
「なんで? 結婚って、年齢がちゃんときまってるんだろ?」
「うん、たぶん……。法律が変わっていなければ……」
「そうね。確か、サザはもうできたと思う。エディとレオナルドは、もう少し先ね」
「と言っても、後、一、二年だろ? そう心配することじゃない」
「
性別が! 結婚には、性別が決まってるだろうが!!」
ミカヤにエディにノイス、と、これだけ揃って何で一人もつっこみがいないんだ、と絶望しながらも、サザは懸命に主張した。問題は結婚の決まりでは無くお嫁さんというものの性別の方だった気がするが、完全に流されているようだ。
「男同士で結婚は出来ないんだ! まさか、知らないわけじゃないだろう!?」
「うん、知ってる。だけどさ、サザ……」
エディはサザを見上げながら、腕を伸ばして隣のレオナルドを抱きしめた。金色の髪を撫でつけながら、とても嬉しそうに笑ってみせて。
「レオナルド、きれいだし、かわいいし、それにすっげえ優しいんだ。
なんか、レオならだいじょうぶ、って気がしないか?」
「………………………………」
一言一言を真剣に受け止めて、直後、サザは完全に言葉を失ってしまった。そのままテーブルに突っ伏して、彼は顔を青くしながら頭を抱える。
レオナルドを見て、うっかり納得しかけてしまった自分に対して。
「……う……っ。……くそっ、俺は……俺は……ッ!」
「サザ、大丈夫!? し、しっかりして……っ!」
誰のせいだと思っている、とは、大切な姉にはとてもじゃないが言えなかった。
ようはツッコミとしてまだまだ未熟だということなのだが、そんなことはさておき。
「まだ朝飯の途中だったからな、腹が減ってるんじゃないのか」
「そうかもしれない……。食事はちゃんととった方がいいわ。サザ、頑張って?」
「…………」
すでに何か言うどころでは無いらしいサザは、それでも何か言いたげな視線をよこすことだけは忘れず、頭を抱えたまま食卓に戻ることにした。実は今の今までスプーンを握りっぱなしだったために、手のひらにはとっても痛そうな痕が残ってしまっている。
サザが溜息を吐いたのをきっかけに、残りの皆も朝の食事を再開した。僅かな野菜で作られたスープを口にして、確かに味は良いんだ、と思う。
「……ん?」
そこで、はた、とサザはようやく思い出した。そもそも、事の発端は……。
「……ミカヤ……」
「なに? サザ」
「レオナルドの料理を、いいお嫁さんになれる、って褒めるのは、違うんじゃあ……」
ものすごく当たり前のことだが、男は嫁にはなれないのだから、褒めたいのならばもっと別の言い回しがいくらでもあっただろうに。
そんな思いを含めながら訴えると、ミカヤはこくん、と首を傾げる。
「だって、お嫁さんって、やっぱり、料理が上手い方がいいんじゃないかしら」
「いや、だから、そういうことじゃなくて……」
「
あ。そうか、そうだよね。……気づかなくて、ごめんなさい」
硬いパンを口に運びかけたレオナルドは、二人の会話の間にそんな言葉を滑らせた。
期待と諦めを半分ずつにしながら、サザはレオナルドに視線を向ける。
「料理だけじゃ……、いいお嫁さんとは言えないよね」
「……。……ああ、そうだな、うん……」
一体何なんだ、その残念そうな顔は。まさかとは思うが、本当にお嫁さんになる気なのか?一体誰の。いや聞くまでも無いんだけど。というか聞きたくないんだけど。
いろいろ深く考えたくなくて、サザはもう一度、深い深い溜息をついて諦めた。
「大丈夫! おれ、レオならそれだけですっげえ嬉しいからさ!」
「……エディ……」
「ふふ、二人は本当に仲が良いのね。見ているだけで幸せになれそう」
「はは、そうだな。若いうちからそんな相手が見つかって、良かったじゃないか」
料理が上手くなりたいなら、また手伝ってくれればいい、と言ったノイスに対し、レオナルドは嬉しそうに頷いた。その様子を見ながら、サザはまた考えなくていいことまで考えてしまったのだけれど、今は捨て置いて食事に専念することにした。
空には晴天、街には駐屯軍。日々の暮らしは平和なものとは言えないけれど。
大いなる望みとささやかな願いのために、義賊達は、今日も街を駆け抜ける。
-END-
(07,04,22)
料理裁縫洗濯くらいまでならこなせるんじゃなかろうか、という。