飴色模様の日
 今日は灰色空の下、朝から穏やかな雨が降り続いていた。予定されていた様々なことが天候を理由に中止となり、ならば今日は折角なので一日ゆっくり休むと良い、ということで落ち着いた。故郷の街の復興作業は全く苦にはならないが、それでも休暇は嬉しいものだ。雨の恩恵に人々は、思い想いの一日を堪能する。
 そんな中、レオナルドはこの日を、四角い窓のある小さな部屋で過ごしていた。左手には端がほつれた服、右手には銀色の針、そして傍らには白い糸。要するに、今まで後回しにしていた繕いをやってしまおう、と、つまりはそういうことらしい。
「……」
 しかしレオナルドの手は先程から、まったくと言って良い程動いていなかった。やりたくないわけではない。怠けているわけでもない。彼には今、自分のやりたいことを出来ない理由があった。
「……」
「レオ。終わった?」
 レオナルドの心の内など知らず、その『理由』が悪びれもせずに後ろから彼の顔を覗き込む。気づかれない程の小さな溜息を吐きながら、レオナルドは視線だけをそちらへ向けた。顔ごと向けられないことにも、理由もあった。
「……エディ。お願いだから、放して……」
「終わったのか!?」
「いや、まだ、終わってないけど……」
 満面の笑みで尋ねてきた『理由』  エディはレオナルドのそんな答えを聞くと、目に見えて落胆した様子で、なんだ、と呟いた。ものすごく残念がりながら、レオナルドを抱く腕に力を込める。
 寝台に腰掛けて針を手にするレオナルド。寝台に乗り上がって、その彼を後ろから抱きしめているエディ。
 繕いが進まない理由も、顔ごと向けられない理由も、すべてはこの体勢ゆえだ。
 身体に回される腕をぽん、と軽く叩きながら、レオナルドはもう一度言ってみる。
「エディ……放して?」
「……。どうしても?」
「どうしても。……放してくれないと、終わらないから」
 ね、と一押しすると、エディはようやくレオナルドを手放した。何だかすごく悪いことをした気分になってしまったが、とにかく今日は、この繕いをやってしまいたいのだ。前から気にしていたものだから。
 さあ、再開しよう  と、軽く意気込んだのも束の間。
「…………。……エディ」
「ん?」
 返ってきたのは、純粋な疑問の声。レオナルドは先程より、もっと深い溜息を吐く。
 抱きしめることを諦めたのも束の間、エディの手は今度は、レオナルドの黄金色(きんいろ)の髪を弄び始めたのだ。物理的に繕いは出来るけれど、気になってしょうがない。
「おまえさ。髪、伸びたよな」
 出来ればそれもやめて欲しくて困ったように振り向いたレオナルドは、唐突に言われたそんなことに、思わず夜色の目をまるく見開いた。
 針を左手に持ち替え空いた右手で、レオナルドは自分の髪にそっと触れてみる。
「……そう? ……そうでもないと思うけど……」
「ん、そっか。そうだよな、まえはもっと長かったし」
「それは言わない約束。……それはともかく、エディ……」
 レオナルドはそのまま、やめて、と言おうとしたが、言いかけた言葉は途中で掻き消えた。エディは興味の全てを注いで、指に髪を絡めて遊んでいる。何がそんなに楽しいのかはわからないけれど、その姿があんまりにも子供じみていたので、咎める気が失せてしまったのだ。
 気になるけれど、気にしないことにして、レオナルドはようやく針を右手に戻し、やりたいことを再開した。一つ、二つ、三つ。丁寧な縫い目が四つめに差し掛かった、
   その時。
「! ……え、なに……っ」
 ふいに身体を後ろに引かれる感覚に、思わず驚きの声をあげた。咄嗟に腕を支えることも叶わず、体勢は崩れ、レオナルドはエディの腕の中に収まってしまう。
 呆然としていると、頬の横に髪が下りてきて、なぜか結い紐を解かれたことがわかった。エディに対しては特に底の深いレオナルドの忍耐にも、流石に限界が訪れる。
 抱きしめたり、髪を引いたり、どうして彼は先程から自分の邪魔をするのだろう。
 エディが何を考えているのかわからず、レオナルドは声を荒げる。彼の性格からして相当珍しい、それなりの怒気が含まれた様子で。
「エディ! いい加減に、やめて……っ」
「……あのさ、おまえ、さっきから……」
 だがそれを止めたエディの声は、それ以上の不機嫌が含まれていた。不機嫌というよりは、子どもが理不尽に拗ねたような調子だったのだが、そんなささいな違いには、レオナルドも、そしてエディ本人も気づかない。
「はなせとか、やめろとか。……おまえ、嫌なの?」
「え……、な、なにが?」
「雨の日くらい、おとなしく休めばいいのに。ってか……」
 首の後ろに唇を押し当てられ、レオナルドはびくっ、と身体を震わせる。肩に回された腕に力が込められて慌てたが、抵抗はおろか身動きだって少しも取れはしなかった。
 穏やかに降る銀色のしずく。まとわりつくような温い不快感によく似た、エディの不機嫌は止まらない。
「……いっしょにいるのに、何でそっちばっか気にするんだよ?」
「……っ!? な、……エディ、待っ……!」
「いやだ」
 髪の中に埋められた顔、首の薄い皮膚をたどる唇。不自然なところに触れる手に、レオナルドは息を詰める。頭の中で何度も、エディの言葉を繰り返しながら。
 『一緒にいるのに、どうしてそちらばかり気にするのか』?
 『放せとか、止めろとか、嫌なのか』?
 感覚を襲うたくさんのことに、思考はすぐに答えに辿り着いてはくれなかった。浮かされ始めた意識に捕まりそうになりながら、ひとつだけ推測が見えてくる。
 まさか、……まさかとは、思うけれど。
「エディ……っ」
 もしかして彼は、構って欲しかったのだろうか。他でも無い、自分に。それだけのために、自分を抱きしめてみたり、髪を引いてみたり、こんな暴挙に出てみたり?
 推測が出来たところで、理解や納得は、彼には出来なかったのだけれど。
「……。また何か、違うこと考えてるだろ」
「あ……っ」
 耳に絡んだ吐息に残りの思考能力をさらわれて、それ以上は何も考えられなくなった。ただ、おそらく間違ってはいないだろう、エディは単純だから、と。
 無理矢理答えを弾き出したから、後はもう何をされるのか、レオナルドには大体のことが予測出来てしまった。寝台の下に落とした針を、後でちゃんと探せますようにと、それだけを願っておいた。

 窓の外の雨は一向に止む気配が無く、心地良い音をたてながら降り続ける。
 エディの機嫌に陽が差すまで。雨が止むのは、まだ、遠い。

-END-

(07,04,22)
エディの名を借りた別人じゃないのか、これ……。

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