越える境界
「なあ、レオナルド」
 それは何でも無い、ただ、空が良く澄んだ肌寒い日のことだった。

 戦いが続くことは少年にとってそれ程嬉しいことでは無く、かと言ってつらいことでも無かった。それに関わらないただ一つの喜びは、たった一人の親友が生きていることだろうか。幾度も行われる生死の奪い合いに、それでも二人は勝ってきた。時には逃げ、時には傷つき、だけど彼らはちゃんと隣同士で立っている。
 彼が見える場所に存在しているのが、どうしてこんなにも喜ばしいのだろうと少年は考える。決まっている。彼は親友だからだ。数字で表せてしまうのが悔しい程に深い日々を重ねてきた、少年のたった一人の親友。昔いたはずの顔も知らない両親とやらよりも、ずっと近い位置に、彼はいる。
 けれど少年には仲間がいた。彼も本当は単純に仲間の一人であり、長いつきあいであるということ以外、特別なことは何も無い。けれど他の仲間の誰よりも、彼を失うことが怖いと少年は自覚があった。それは一体、どういうことなのだろうか。

 はっきりとそれがわかったのは、彼を失いかけた時だった。胸から溢れる真っ赤な命。引き換えに消えていく彼の体温。抱えた腕が錆びたにおいに汚れることも厭わず、少年は彼を抱きしめた。真っ白になった頭の中に響く、耳障りな鼓動をかき消すように。
 その後、彼は、銀の髪の少女の奇跡で闇に落ちかかっていた意識を取り戻した。疑うことも忘れていた神様に、彼女の存在を感謝した。引き換えに少女が傷ついたことを、ほんの一時でも忘れてしまったほどに。

 心が震える喜びを、胸の奥が痛む悲しみを、人は誰に教えてもらうのだろう。明確な名前なんか知らなくても、意識は勝手にそれを覚えていく。
 ならばこれは、本能が知っている感情なのだろう。誰にも教えてもらっていないのに、少年は、芽吹いた双葉の名前を知っていた。

「なあ、レオナルド」
「……? どうしたの、エディ」
 未だ色彩の薄い早朝の空の中、金糸が光にきらめいて揺れていた。吐息の白さや掴んだ手首の細さ、瞳に隠された夜の深さに目眩がした。
「あのさ」
 理由や過程は忘れていた。彼をどこにもやりたくなかった。喪失感を覚えたくないから、幸福感で満たされていたい。それには、親友では駄目なのだ。ほんの少し前ならば、少年も、親友という言葉一つで足りたのに。
 それとは違うものでなければならない。少年も彼も同じでなければ。同じように思っているのだと、根拠も無く少年はずっと信じてきた。だから誰が許さなくても、認めなくても、同じ気持ちが欲しかった。
「キス、していい?」
「……え? なに……」
 それは何でも無い、ただ、空が良く澄んだ肌寒い日のことだった。
 ただ、声を縛って、呼吸まで奪って、彼を望んでしまったから。

 絡んだ吐息の熱さに、頭の芯が焼けていく錯覚を思い出しながら。

 彼らはその日、境界線を踏み越えた。

-END-

(07,04,12)
続きません。

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