篝火
 ノイスは野営に於ける火の番というものが好きだった。薪が爆ぜる音がどこか心地良いことも理由の一つだが、何よりも、決まった時間までは確実に本が読めるから、というのが大きい。静まり返った世界の片隅で、こんな日課が変わらなかったことを奇妙だと感じながら、ノイスはふと聞こえた石を踏む足音に、本へと落としていた視線を己の横へと滑らせた。
 そこいたのは数刻前に休んだはずの、意外な人物だった。紺青の瞳を見開いて、確かめるようにその名を呼んでみる。
「……アイク将軍?」
「あんたは……ノイス、だったよな。デイン軍の」
「ああ。確かにそうだが……俺に何か?」
 会話の流れでうっかり聞き入れ体勢を取って数秒後、ノイスは迂闊だったと頭の片隅で呟いた。あまり気にしなくても良いとわかっていながら、ノイスは出来るだけアイクには近づかないようにしていたのだ。同じ隊に振り分けられたのだから、いずれ訪れるのだとも、わかっていたけれど。
 そんなことを考えていた原因は、一つだけ。ノクス城の防衛戦で、アイクに致命傷を負わせ、戦線から離脱させたのは、他ならない、ノイスだったからだ。
 あの時はお互い敵同士だったし、ましてやアイクは敵将だった。後悔など一つも無いが、所属を同じくしてしまった現在は、少々居た堪れなくても仕方無い。
「あんただったろう。あの時、ノクス城で、俺を倒したのは」
 そらきた。
「だから……今度一回くらい、手合わせが出来んかと思って」
「……。……何、だって?」
 アイクが声に乗せて告げたのは、思いも寄らない要求だった。思わず聞き返してしまう程に。対する青年は何をそんなに驚くんだとでも言いたげに、ただ首を傾げるだけで。
「強い奴と戦いたいだけだ。今は無理だろうが、そのうち……」
「……。……光栄だ、と言いたいんだが……。
 よしてくれ。お前さんと渡り合える気がしないもんでな」
「……? 謙遜なんかいらんだろう。現にあんたは、あの時、」
 俺を倒したんだから  と。遠い言葉を聞きながらノイスは手元の本を閉じ、瞼もほんの一瞬、閉じた。すぐに開いた瞳は傍にある炎の揺らめきを映して、その色合いを僅かに変える。
 アイクが地面に胡坐を掻いて落ち着いたタイミングを見計らって、ノイスは彼にようやく言葉を返した。
「……あの時は、特別だ。あんな状況でも無きゃあ……、」
「土壇場の底力、とかいう言葉もあった気がするがな。
 発揮できるだけの力があることは、別に誇っても良いんじゃないか?」
 大真面目な顔でアイクは言ったが、ノイスはただ困ったように笑うだけだった。
 火は呼吸をするようにぱちぱちと音をたてながら、二人の身体を照らしている。
「アイク将軍。……覚えはあるか?
 あの時、俺が行く前、お前さんと斬り結んでいた、茶色い髪の剣士がいただろう」
「ん、ああ……赤い服の、あの子供か? 金髪の弓兵と一緒にいた……」
「ああ、そいつだ。それから、その弓使いの方もそうだな。それと……」
 ティバーン隊に揃って振り分けられた二人と、その後にメグの存在を挙げてから、ノイスの指がアイクの後ろを示す。その先には少女が会して眠る天幕が、その入り口の側には、武器を手にしたまま座り込んで眠っている槍闘士の姿がある。
「……ブラッド、だったか」
「よく覚えてるな。後は、あの天幕で休んでいるローラと……ミカヤに、サザ。
 この辺りが、お互い以前から付き合いがある……というか、まあ……」
「……。まさか、全員あんたの子供………………なわけないか」
「当たり前だ。……あんなでかい子供がいるように見える程老けてるのか、俺は?」
 仲間だ、ときっぱり言い切ったノイスは、頭痛でもしたのか軽く額を押さえて溜息を吐いた。見た目の全く似ていない七人を、ノイスと血の繋がった子供と一瞬でも考えたアイクはそれはそれで問題があるのだが、とりあえずそこには突っ込まない。
 すまん、と一言アイクが素直に謝ったので、ノイスも深く言及しないことにした。気を取り直して、こう告げる。
「あの時は、敵同士だったからな。あいつらを、殺す気だっただろう」
「……。まあ、お互い様だがな」
「ああ、お互い様だ。……戦争だからな、だからこれは、俺の勝手だ」
 揺れる炎の端を見つめながら、ノイスはぼんやりと思い出す。出来るだけ、思い出さないようにしていたことを。
 防衛線を突破されない、単純な手段だった。アイク将軍を討ち取ること。もう後は無く、敗北が決まれば、失うものが無くなってしまう。どうせ失うものならばと、防衛線を放り出し、向かっていったものがいた。悲しい怒りに流されて、エディは一人駆け出した。家族同様の親友から貰ったのだと言っていた、旋風の剣を手に取って。そして彼の後を追いかけた、レオナルドも、また。
 気づいた時には既に遅く、ただメグが泣きそうな顔で二人の背中に何か叫んでいた。後のことは一切考えず、ブラッドが引き止める声も聞かず、ノイスは駆け出して。
 冷たい空気を振るわせる金属音。吹き上がる鮮血。雪に散らばる真っ赤な花。どれ程の想いが駆け巡ったのか、自分達以外の誰かにわかるはずもない。
「……あいつらはあいつらなりに、決意ってもんもあったんだろう。
 ……それでも、子供が死ぬようなことは……出来れば避けたいんでな」
「……。そうだな。それは、わかる気がする」
「俺からしてみりゃあ、お前さんも充分子供だが」
 未来が奈落へ向かうとしても、消えてしまうよりはずっと良い。これから先、嫌という程歩き続ければ、違う可能性は必ず見えてくるものだ。
 子供を守りたい、などと似合わないことを言う気は無いが、最初から性分としてどうしても放ってはおけなかった。ただ、あんなに淋しい景色に抱かれて死なせてしまってはいけないのだ、と。そんなことを思ってしまったから。
「……とまあ、そんなわけだ。だから悪いが、相手は出来ん」
「……。おい、待て。何だか、はぐらかされた気がするんだが」
 それとこれとどういう関係があるんだ、と言い募るアイクにノイスは、誤魔化されてくれないか、と軽く肩を竦めた。どこか楽しそうな瞳にアイクは怪訝そうな視線を送るが、紺青は炎の揺らめきを見守るだけで、青年を映さない。
「俺は戦闘には、それ程興味が無いんだよ。こいつを読んでいる方が楽しいしな。
 あいつらに何かあった時、代わりになれるくらいの力が在れば充分だ」
「……何だ、つまらんな。もったいない……」
 良い相手が見つかったと思ったんだがと残念そうに、それでも手合いは諦めた様子で呟くアイクに、ノイスはもう一度だけ軽く謝罪を述べた。わかりにくいが多少落胆の色が見える顔を微笑ましく眺める瞳が、肩をすり抜け向こう側のブラッドを捉える。
「ブラッドとやったらどうだ? あいつも稽古相手を探していたはずだしな」
「……あいつか。……そうだな、確かに槍相手だと、学ぶことは多いが……」
「いつもは、メグと手合いをしていた覚えがあるぞ」
「チャップの娘か。あの娘は強かった……その稽古相手なのか、なら……」
 言葉に乗せられたアイクの興味は、あっさりと槍闘士の青年へと移った。知らないところで引き合いに出されていると知らず、ブラッドは天幕の入り口を守りながら眠っている。
 心の片隅でひっそりとブラッドに謝ってから、ノイスは笑ってアイクに言った。
「納得したか? だったらもう休んだ方が良い、アイク将軍」
「……俺は、あんたと交代する気で来たんだが?」
「まだ約束の時間じゃないだろう。なに、火の番は慣れてるからな。大丈夫だ」
「そうか。……なら、もう少し休ませてもらう。次は代わるからな」
 アイクはそう答えて立ち上がり、背中を返して元居た天幕へと歩き出した。後ろ姿に軽く手を上げ見送ると、ノイスは惹かれるように、炎へと目を向けた。
 本来賑やかであるはずの真昼でさえ、今では鳥の囀りと木々のざわめきしか聞こえない。変わってしまった世界の中、夜の静寂にともされる火とその音だけが、まだ終焉では無いのだと確信させてくれるから。
 薪の爆ぜる音に耳を傾けながら、ノイスは一息吐いて手の中の本を開いた。並んだ文字のかたちもまた、何一つ変わってはいなかった。

-END-

(07,04,09)
二週目クリアの記念に。ノイスさんが好きなんです。

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