傷痕に寄せて
 刃に裂かれた皮膚の隙間から溢れ出た血液も、戦いが終わった今ではすっかり固まってしまっていた。赤く染まった砂に汚れた痛々しい傷痕を目の当たりにして、レオナルドは不機嫌そうに溜息を吐く。ぴりぴりとした空気を肌で感じたエディは、困ったように首を竦めたが、それで何が解決するというわけでもなく、結局は何にも成らずに終わってしまうのだった。
 水を含ませた布で跡を拭ってから、レオナルドは傷薬に手を伸ばす。それを絡めた細い指が、左腕の傷口に触れた瞬間、沁みたのだろうか、エディは反射で身体を強張らせた。
「痛っ……!」
「……自業自得。だから、いつも言ってるのに」
 容赦をする気は全く無いらしく、薬は遠慮無く塗り込められていく。小さな子供のように嫌がりながらその様子を横目で見ているエディを軽く睨んで、レオナルドは包帯を手に取った。先程とは反対に、出来るだけ傷痕を刺激しないように優しくそれを巻きつけながら、半ば愚痴のような説教は続く。
「もっと気をつけて、って。ただでさえエディは、装備が薄いんだから」
「おれはいっぱい動くんだから、そっちの方がいいんだって」
「うん、わかってる。でも、だったら、あんな無茶はやめたほうがいい」
「でも、あの兵士、おまえを狙ってたんだぜ?
 あのままだと、レオが、このくらいじゃ済まなかったんだからさ」
「……それは、そうだけど……」
 大真面目な顔でそんなことを言われて、思わず反論に詰まってしまう。レオナルドに向かうはずだった槍は、それに気づいて突っ込んだエディの左腕を傷つけるだけに終わり、倒された。今日の出来事を示した言葉は、確かに真実だったから。
「おまえが大怪我するよりは、ずっとマシだ。だから、いいんだよ」
「……良くはないけど。……はい、終わり」
 包帯を切って縛り、処置が完了したことを告げると、レオナルドはふわりと微笑んだ。エディの無意識を魅了してやまない、そんな顔で。
「そう思ってくれて、ありがとう。……だけど、やっぱり、あんまり無茶はしないで」
「おう。おまえが言うなら、そうする。これ、ありがとな」
 手当ての跡に触れながら笑ったエディが、自らの言動を実現させることは、今までと同じくきっと無いのだろうが。やはり自分が気をつけるべきなのだろうと心のかたすみでひっそりと思いながらも、レオナルドは、約束、と言って立ち上がった。
 薬や包帯を片づけ始めたレオナルドを手伝おうと、エディは続いて立ち上がる。戦場に在るには華奢な手のひらを何気無く目に留めたその時、エディは、ふ、と何かに気づいた。
「レオナルド?」
「え? ……、なに?」
 動くままに名前を口にして、エディはレオナルドの右の手首を掴んで引いた。思いがけず引かれた手を見るびっくり顔には視線を寄越さず、灰色の瞳は細い指先を見つめる。
 薬指の爪が欠けて、ついでにささくれ立っている。
 エディとレオナルドが見つけたのは、そんなささやかな光景だった。
「ああ……。矢を番える時に、どこかに引っ掛けたんじゃないかな」
 それでなくとも、戦闘中に何かをぶつけたとか、他にもいろいろ。手袋は指まで完全に覆っているわけではないので、こんな怪我はよくあるものだろうし、よって気にするものでもないだろう。
 意識した所為だろうか、欠けた爪が僅かに痛んだ気がしたが、レオナルドは大丈夫、と笑って言った。手を取ったまま、エディはまだ指先を見つめている。
「エディ? ……そんなに見なくても、べつに……」
 珍しいものじゃない、と続けようとした、
   その時。
    っ!?」
 不意打ちで触れた熱に、レオナルドは目を見開き、びくん、と肩を震わせた。先にあるのは、知らない間に傷を負っていた指。
 その場所に、どういうわけだか。……エディが、唇を、寄せたから。
「な……っ」
 引きたかった腕は麻痺したように動かず、レオナルドは代わりのように、空いている手で自分の口元を覆う。驚きを隠せない表情で。
「エディ、ちょっと……!」
 唇を寄せられた薬指はそのまま当たり前のように口腔へ導かれ、レオナルドはますます慌てたが、それこそ指先一つ、自分の意思では動かせなかった。静かな部屋の中、絡みつく水音を耳が拾ってしまい、頬は鮮やかに熱を帯びる。重なった手のひらから伝わりそうな程の鼓動が中から胸を圧す感覚に、レオナルドはぎゅっと目を閉じた。
 何するんだ、とか、何考えているんだ、とか。たくさんの抗議が浮かんでは、言葉になる前に消えていく。そんな抗議は現状を踏まえれば、たとえ言えたところでまったく意味は無いのだけれど。いつの間にかエディの腕が腰を抱いていることにも気づかないレオナルドは、声どころか息まで詰めて、彼にとっては半ば拷問のようなそれに耐えている。何かを間違えたように、小さく身体を震わせながら。
「……レオ?」
「……っ、や、痛っ……」
 呼ぶ声から逃げるかわりに、誤魔化すように口にする。本当は痛みなんかどうでもよくなるくらい、違う感覚が神経を支配して離さない。
 絡む舌先はやがて、いとおしむように爪の根元をやわらかく押した。
 ……そんなところで。
「…………っ、」
「! おい、レオナルド?」
 耐え切れなくなったのか、レオナルドは手のひらで頬を隠したまま、ぺたんと床に座り込んだ。鈍感なことに、そこでようやく彼の変化に気づいたらしいエディが慌てた様子で肩に手を回す。
「どうしたんだよ、大丈夫か? そんなに痛かったのか?」
「……違……、何で、こんなこと……!」
 心配そうに顔を覗き込んでくる真っ直ぐな瞳に嘘は無い。が、薬も過ぎれば毒になるというか、何と言うか。ようやく言葉という形を成した抗議に非難めいた色を含ませて睨んでみれば、返ってきた答えはいつもの優しさにあふれていた。それはもう、頭が痛くなるほどに。
「なんか、痛そうだったからさ。舐めたら治るかなと思ったんだけど」
 せっかくきれいな手だから、と続けて手のひらに口づけたエディに、レオナルドは言い返す気力も無いらしい。代わりに大きな溜息を吐いて肩に額を寄せれば、子供みたいな体温が通じて、色々なことがどうでもよくなった。
 エディは未だ気遣いを佩いた瞳で見ながら、咎めるような口調で言う。
「おれのことばっかり言うけど、レオも、気をつけろよ。
 おまえに傷があるの、おれ、嫌だからな」
「……。……うん。そうだね……」
 だけど。
 レオナルドは視線を逸らしつつ、はっきりと告げた。
「……もし、僕が怪我をしても、エディには絶対、手当てして貰わない」
「……ええっ!? 何でだよ!」
「自分の胸に聞いてみれば? ……次もやったら、もう知らない。ばか」
 最後の意地みたいな宣言は、いざその時になれば、どうせ無かったことになってしまうのだろうが。そんな将来のことは一切考えずに、レオナルドは瞳を閉じた。

 それでも、それから数日間、デイン軍では。
 ノイスに手当てを受けているレオナルドと、それを怪訝そうに見ているエディ、という光景が、少なからず見られたという。

-END-

(07,03,21)
そうくるとおもった。

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