祝福降る未来へ
「レオナルドさん!」
「?」
 女神の裁きを耐えた者達が三つの部隊に分けられた際、ミカヤ隊には、彼女がデイン解放を目的に戦っていた頃、その周囲にいた者が多く振り分けられた。進撃を開始して数日、人の気配の無い町を通り過ぎた後、今日はこの辺りで休みましょう、というミカヤの言葉のままに天幕を張り終えれば、見上げた空には既に茜が満ちていた。隊は確実に女神の塔へ近づいているけれど、辿り着くには、まだ、遠い。
 隊が今日の休息に選んだのは、近くにささやかな川が流れる美しい場所だった。弓を下ろし服の留め金を緩め、夕陽をはじいて流れる川面を眺めていたレオナルドは、自分を呼ぶ声に振り向く。見れば小さな姿が、腕にライブの杖と、そして何故か花束を抱えて、こちらに向かい走っていて。
「ローラ?」
「ああ、良かった。探していたんですよ」
 こちらからも歩いて向かい、出会ったところで、ローラはにこやかに笑いながら彼を見上げた。レオナルドの視線は彼女に落とされた後、その腕の中に抱えられたものに向かう。杖は護身用として、花の方は何だろう。しかも、野で摘んだものではなく、店頭で手に入るような切花だ。
 首を傾げているレオナルドに、どういうわけか、ローラは腕の中の花を差し出した。
「はい、どうぞ。これをあなたに、と思って」
「え? ……僕?」
 勢いに負けうっかり受け取ってしまった後で、レオナルドは夜色の目を大きく見開く。はい、と返事をするローラは、なにぶん不慣れなもので歪な形の花束なのですがと続けたが、正直今はどうでもいい。不思議そうな顔のレオナルドに対して、ローラはやはりにこやかに笑いながら。
「エディさんの、花嫁さんになったのでしょう?   おめでとうございます!」
 さらりと、そんなことを言ってのけた。それがさも、決まったことであるような口ぶりで。
 真面目一辺倒のレオナルドが、台詞の意味を理解し、飲み込むには。
 当然、相当な時間を要するわけなのだが。


  ノイス! ノイスっ!」
 軽い放心状態から復活したレオナルドは、天幕の方へ戻るなり、彼にしては珍しく声を荒げて人を探し始めた。幸運なことに目的の人物はすぐに見つかり、彼は足早にノイスの元へ直行する。
 ブラッドと共に談笑していたらしい様子のノイスはレオナルドを視界の端に入れると、いつものようにやや人を喰ったような笑みを浮かべた。意地の悪いことを考えているわけではなく、単にこれが彼の地である。
「どうした? レオナルド。珍しいな、おまえがそんなに慌て……」
「エディに! エディに何か言われなかった!?」
 ノイスの言葉は待たず、レオナルドはいきなり切り出した。何かって、もちろん、花嫁がどうこうということである。先程のローラの言葉は、レオナルドには破壊力抜群だった。そのローラはゆっくり後を追ってきたらしい、たった今この場へ到着し、ブラッドに和やかな声をかけていた。ついでに言えばレオナルドが貰った花は、きちんと彼の腕の中に収まっている。律儀なことに。
 花嫁。男の自分が。しかも、エディの。一体何がどうなってそんな内容に変わりローラの耳に届いたのか、レオナルドにはさっぱりわからない。そこでノイスである。博識から転じたのか、人の観察が好きなのかどうかは知らないが、ノイスは隊内の人間関係や噂にやたら詳しい。きっとここが、気を配れるところに繋がっているのだろうが、とりあえずそれも今はどうでもいい。本当はそういう情報収集的なことなら盗賊であるサザに聞くべきなのだろうが、彼はミカヤ以外のことはどうでもいいから当てにならない。
「エディに? ……ああ、もしかして、あれか?」
 顎に手をやって、ノイスは事も無げに言う。レオナルドが恐れていたことを。
「なんか、エディとおまえが婚約したとかどうとか。良かったじゃないか。
 ああ、そういえば、まだ言ってなかったな。おめでとう、お二人さん」

「ぶふぅッ!」
 ノイスの言葉に盛大に吹き出したのは、その場を傍観していたブラッドだった。飲んでいたお茶が気管に入ったらしい、ごほごほとむせ返る背を、まあ、どうしたのブラッド、などと言いながらローラが撫でてやっている。
「どうしたブラッド。茶で窒息死なんて、笑えないぞ」
「い、いや……。……その、そうじゃなくて……」
 しっかりしていてもまだ子供だと言わんばかりに微笑ましい瞳のノイスに、ブラッドは懸命に弁解しようとする。しようとするが、どうやら何と言えばいいのかわからないらしく、すぐ言葉に詰まってしまった。当事者のレオナルドはといえば、何か言うとかそういう問題ですら無いらしく、ただ呆然と立ち尽くしている。そんな二人とは正反対の様子で、今度はローラが声を上げた。
「まあ、まだ婚約だったんですか。わたしったら、早とちりして」
「ああ、もしかしてその花は、ローラ、おまえが?」
「ええ。このようなご時勢に、おめでたい報せでしたから」
「そうか。まあ、構わんだろう。こいつに限って、婚約解消なんてことは無いだろうし」
「……。……なあ、ローラ……」
 恐る恐る、ブラッドは話の弾むローラに声をかける。常識人の彼は、出来るだけ関わりたくないというオーラを滲ませているが、常識人だからこそ、聞かずにはいられないらしい。
「色々、言いたいことはあるんだが……」
「はい、なんでしょう」
「……その花……どうしたんだ?」
 びしっと凍ったままのレオナルドの腕の中。答えるように花がかさりと音をたてる。
「まあ、何を言っているの、ブラッドったら。
 贈るための花なのよ。お花屋さんで手に入れたに決まっているでしょう?」
「……いや、だから。今、花屋、とか言われても……」
 現在世界は、女神アスタルテの裁きにより、人が石に変えられ動かない仕様となっている。
「ええ、ですから、代金はきちんと置いてきました。
 わたしは神に仕える身ですもの、窃盗なんてはたらきませんよ」
「…………。」
 ああ、そういえば今日は確か、町を一つ通り過ぎてきたんだったか。ということはそこに花屋があって、ローラはそれを見つけて、花を贈ろうと思い立って。今はきっと花が少し減っていて、減った分の花は現在地レオナルドの腕の中、そしてカウンターにはその分のお金が……。
「……そうか。……うん……、」
「ブラッド?」
「……いや。なんでもない……」
 つっこみどころが満載だったが、ブラッドはあえて言葉を呑み込んだ。これ以上は関わらない方がいい。絶対に。他にもいろいろ、言いたいことはあるのだけれども。
「……そうじゃなくて! 違う、だから……!」
 ようやく我に返ったらしいレオナルドが、焦りまくった様子でノイスに詰め寄っていた。襟首でも引っ掴まんばかりの勢いだが、背の高さと本人の性格の関係で出来そうに無い。
 ブラッドはどうやら知らなかったようだが、ローラに引き続きノイスまでこんなことを言っている。本当に一大事だ。少なくともレオナルドにとっては。
「ノイス! 誰がそんなこと……」
「そんなこと?」
「……そ、その、……ぼ、僕が、エディ、の……。……花、……。」
 改めて口にしてみれば、軽く新手のイジメだ。
「……っ、とにかく、誰に聞いたの? それ!」
「うん? 誰、って……」
 レオナルドの過ぎる程に真剣な表情に疑問を抱いた顔で、ノイスは答える。
 その瞬間。
「エディ本人が言ってたんだがな。でも、それがどうし……」
「あ。レオナルド!」
「!!」
 背中に飛んできた声に、レオナルドは勢い良く振り向いた。ある意味、話の中心だとも言って良いであろうその人は、茜を帯びて常より明るい茶色の髪を揺らせながら、全開の笑顔でレオナルドに向かい走ってくる。やけに上等な剣を腰に提げて。
「こんなとこにいたのか。探したんだぜ!」
「うわ、ちょっと、エディ……!」
 その人  エディは飛びつく勢いでレオナルドを抱きしめた後、ひとしきり髪のやわらかな感触を楽しんでから、ようやく周りに目を向けた。普段通りのノイスに和やかな空気を絶やさないローラ、そしてどこか諦めた感じの顔をしたブラッド。
 レオナルドを腕の中に抱きしめたまま、エディはまるっきり子供みたいに笑う。
「なんだ。ノイス達もいっしょだったのか」
「ああ、いいけどな、エディ。花が潰れるぞ」
「はな?」
「……っエディ、放せってば……!」
 エディを引き剥がしたレオナルドは、きっと灰色の瞳を睨みつける。白い頬を赤く染め、夜を思わせる色を佩いた瞳を潤ませながら。そんな状態ではまったく迫力は無く、むしろエディが喜ぶだけなのだが、そこはそれ。引き剥がされながらも手はしっかりレオナルドの腕を掴んだまま、エディはようやく花の存在に気づいた。
「レオ、どうしたんだ? それ」
「あ……。そうだ、エディ!!」
 抱きしめられたことでずらされていた意識が花の主張で戻され、レオナルドは今度こそエディに詰め寄った。彼がいきなりこの場に現れたのですっかり忘れるところだったが、ノイスによれば、妙な噂の発生源は、どうやらエディ本人だということらしい。
 至近距離まで顔を近づけられ、思わず一歩退いたエディ。そんな動作に引くことは無く、レオナルドは、彼にしては落ち着きの無い様子で言い募る。
「何か言ったんだろ、ノイスとか、ローラに!」
「え? 何が?」
「その……っ。……だ、だから……」
 どうしてもここで詰まってしまうようだが、おそらくこれが普通の反応だろうと思われる。が、ここではぐらかされたら終わりだ。もしもこの噂が、もっと広範囲に知れ渡ったら。噂に背びれや尾ひれがついて、捻じ曲がった事実が真実と信じられるようになってしまったら。もっともレオナルドは、一時でも隊内の噂になれるほど自分が目立つ存在だとは思ってはいないが、世の中には万が一という言葉がある。同じように、念の為という言葉も。
 精一杯の誇りに最大限の譲歩を見せて、ものすごく不本意そうに、レオナルドは呟いた。エディの耳でやっと拾えるか、というくらいの小さな声で。
「……僕、が……。……エディの、……お嫁さん、とか、そういう……」
「ああ。だって、おまえがそう言ったんじゃないか」
 …………。
「……言ってない!」
「言ったよ! ほら、あの時……、」
 腰に提げた剣に手を置いて、エディは示す。レオナルドは、その剣のつくりには見覚えがあった。世界がこんなに静かになる前。滅びを待っていたデインを、それでも守りたかった戦い。あの状況でたった一人だけ、当たり前のように未来を見ていた彼に贈った剣だ。
 でも、それがどうしたというのだろうか。
「おまえ、言っただろ。おれのこと、家族、って」
「…………。」
 何もそんなに慌てなくても、とでも言いたげに、エディは笑ってレオナルドの頬に触れる。手を払うことは忘れて、レオナルドはぼんやりと考える。家族。確かに言った。親友だ、と言われたから。親友だし、もっと大切な、家族同様の存在でもある、って。
 まさか。
 ……まさかとは思うが。
「『レオナルドが嫁に来てくれるんだ』、なんて言い出した時は驚いたがな。
 まあおまえはしっかりしているし、妻になるには向いてるだろう」
「……ノイスさん。あの。それ以前の問題が……」
「そうですね、ブラッド。まずは一日も早く、この戦いを終わらせなければ」
 ローラがいつものようにボケているが、そんなものはこの際放っておく。
「家族って、つまり、おれと夫婦になるってことだろ?」
「……な、違……!」
 あまりにもあんまりな言い分に、レオナルドは軽く目眩を覚えた。触れられたところから、頬が熱を帯びるのが自分でもわかる。
「? 違うのか?」
「それだったら、ミカヤとサザが結婚して、その養子になる方がよっぽど自然だよ!」
 その発想もどうかと思うが。
「そうかなあ。おれとおまえなら、結婚の方が早いと思うけどな……」
「……っ、だから……!」
 あああ、だから、どうして彼はそんな結論に至ったのだろうか。この状況で、この年齢で、今でさえ誰もつっこまないが、二人は男同士である。
 きっとエディは、単に嬉しかったのだろう。過ぎるくらいに正直だから、その辺にいたノイスやローラに喋ったのだろう。もしかしたらミカヤ辺りにも喋ったかもしれない。そう考えると穴を掘って埋まりたい気分になってくる。だけど、どうして誰もエディに教えなかったのだろう。「男同士で結婚は出来ない(多分)」、と。
「レオナルド」
「……っ」
 腰を引き寄せられ、額が重なるくらいの距離で直視されて、レオナルドは思わず言葉を失った。強張った腕の中で花が重なり、祝福のような音をたてる。嬉しそうに笑うエディは、そのまま線の細い身体を抱きしめると、耳元に優しくささやいた。
「ずっといっしょだって、言っただろ?」
「……う……。」
 それは、……この場合どんな意味で捉えられてしまうのか、はたしてわかっているのだろうか。
 いずれにせよ。
「……。……エディ……なら、僕……。」
「おう! じゃあ、何の問題も無いな!」
 エディに死ぬほど甘いレオナルドは、面倒になったのか観念したのか知らないが、頬を染めたまま小さく頷いた。恥じらいを知られたくないのか、顔を隠すようにうつむくレオナルドの髪を撫でながら、額に軽いキスを落とすその光景は、実のところ相当うっとうしいのだが、残念ながらこの場には、この二人につっこみを入れられるほどのつわものがいなかった。

「……あ、なあ、ローラさん、ブラッドさん」
「ん? ……ああ、メグ……」
「あの噂、聞いたんよ。あたし、余所者じゃけぇ、よく知らんのじゃけど、
 デインでは、男の人同士でも家庭が持てるもんなの?」
「まあ、メグさん。違いますよ。レオナルドさんは、男装の麗人なんですよ」
「はあ、そうかぁ。デインには、かっこいい女の人がおるんじゃなあ……」
「…………。……いや……。」
 たまたまその場を通りがかったメグに、ローラがすさまじい勘違いを繰り広げているが、やはり止められるものはいなかった。噂に噂がくっついて、更にレオナルドを悩ませそうな予感が芽生えたが、そんなことはさておき。

「まあ、浮かれすぎて怪我をするんじゃないぞ、ぼうず」
「わかってるよ! 大丈夫さ、レオがいるんだから!」
「……まったく、もう。本当に、気をつけてよ、エディ」
 結局レオナルドが抱いていた問題は何も解決しないまま、空には薄闇が掛かり始めていた。火を起こすために離れたエディを見送りながら、レオナルドは手の中の花に視線を落とし、ほころぶように優しく微笑む。

 差し迫る暁を迎えた後の、花の降る未来。
 祝福に謳われた、二人に幸在れ。

-END-

(07,03,12)
やっぱりこのネタはやっておかないと(他に言うことは無いのか)。

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