小さな手
国境付近の物見台。そう聞かされたときはまさかと思ったものだが、その場所に到着し、見張りの兵士たちの戸惑った顔を見れば、納得するしかなかった。仮にも兵士がそんなに簡単に動揺を表に出してどうする 名と身分を明かし、隊長の使いで来たことを手短に知らせ、物見台の側に建てられた小屋へと向かう。中には部屋が三つ。ここへ入るのは初めてだったが、廊下の突き当たりにある扉の前に兵士が二人控えていたので、目的のものはそこにあるのだとすぐにわかった。 大股で突き進み、挨拶も、ノックもせずに扉を開ける。礼節を欠いているのは充分承知していたが、焦りと怒りが先行した。 「リース様!」 そこには、やわらかな金色の髪の小柄な子どもが一人。 窓の外を眺めていた子どもは、椅子に座った格好のまま優雅な動作で振り返る。夕陽の逆光の中、ブルーグリーンの大きな瞳は、それでもその色彩をあざやかに保っていた。 「……エルバート」 いつも通りの大人しい声で名前を呼ばれ、エルバートはようやく安堵した。 リースはしばらくエルバートの顔を見つめていたが、やがて言葉もなくガラスの向こうに視線を戻してしまった。エルバートもリースを眺めてみる。目立った外傷は無い。やや疲れているような様子はあるが、未だ十にも満たない子どもがこんなところまで一人で来たのなら当然のことである。 しかし、無事だった。それは、とても良いことなのだが。 「…………」 実感が体を満たし焦りが消えると、残った怒りがふつふつと沸いてきた。当の本人は涼しげな顔をしているのが、余計にエルバートの感情を逆撫でする。 幼い公子が、行方不明。 そう聞かされて、皆、そして自分も例に漏れず、一体どれほど心配したことか。事故か、あるいは誘拐か 物見台からの知らせは、こうだった。“公子が一人で、ここまでいらした。連絡は無かったし、お話を聞くに、誰にも何も言わず出てこられたようだ” 事故や誘拐が良かったとは言わない。だが、あまりにも理不尽だ。リースは頭が良い。自分の身の上、自身の行動で起きること、それが誰かに無用の心配や苦労をかけることが、十分にわかるはずなのに。 「リース様、これは一体どういう……」 「……父上は」 抗議に出ようとした瞬間、リースもぽつりと呟いた。子どもの高い声。エルバートは、反射で口を噤む。 「父上は、遠い」 「……は?」 「ここまで、とても遠かった。 父上のおられるところは、どんなに遠いんだろう」 意味を汲めず返答に困っていると、リースはくるりと振り向いた。長い前髪の下、瞳がわずかに揺らいでいるように見えたのは、陽が落ちる前の真っ赤な光のせいだろうか。 リースはしばらく逡巡する素振りを見せたが、ひとつ長く息を吐くと、ゆっくりと胸の内を口にした。 「……今度、叙任式がある、って」 「は?」 「おまえが、騎士になるって……」 言葉は少なかった。しかし、俯かせた横顔が雄弁に物語っていた。 幼い、子どもの顔だった。 ああ、そうか 「……私はあなたの剣となり、盾となるために騎士となるのです」 エルバートはリースの前で跪き、小さな手をそっと握り締めた。剣の柄の感触を覚え始めたばかりの頼りない手のひらだが、確かに忠義を感じている自分に気づく。果たせるのが、はたしてどれくらい後のこととなるのか、到底予想もつかないけれど。 唇を引き締めたままのリースに、エルバートはいたずらっぽく笑ってみせた。 「あなたが大人になっても、ちゃんとお傍におりますから」 「……。それは、」 リースの小さな手が、エルバートの手を握り返す。ふんわりと微笑むと、未だに少女のようだ。そんな顔を見るたびに、年齢のわりに表情が豊かではないことが気になっていた。 「……ぼくが、大人になってみないと、わからないことだ」 「……。現実的にものを見るのは、とても良いことですね」 ばつが悪そうに言うと、リースは今度こそ、声をたてておかしそうに笑った。
リース様の小さいころのことをたくさん知っているといいなあと思います。 |