ノイズ

 戒めを解かれた少年は、不規則に歪んだ白いシーツの波に倒れた。肩に掛け布を引き体を丸く縮こめて、虚ろな目で浅い呼吸を繰り返す。できるだけ早く平静に戻るようにと、それだけを願って。ひどく脈打つ鼓動も、不快なほどじっとりと汗ばんだ肌も、体の奥に吐き出された熱と、浅ましく疼いている自分自身も、なにもかも。
 ぼんやりとした視界の端で、なにかが揺らめく。燭台だ。今すぐにでも意識を手放してしまいたいのに、蝋燭の臭いが、炎の明るさが、いやと言うほど少年を照らし邪魔をする。その時ふと目の前が滲んで、少年はやっと、涙を拭うのを忘れていたことに気づいた。
「ふん。相変わらず可愛げの無い」
 頭の上から声が降る。同時に肩に触れられて、少年は思わず目を見開いた。それは少年の手首をそれぞれ両手で寝台に縫い止め、覆い被さり、あっという間に少年の自由を奪ってしまう。
 顔を近づけられると、長い銀色の髪が頬に落ちてきた。少年にとっては、その銀は武器の色だ。なにか身勝手な言葉を掲げながら、暴力でなにもかもを傷つけるもの。
「なぜ、抵抗しない」
「…………」
「……経験が無いことと、知る知らぬでは、話が別だろう。
 自分が何をされているか、わからぬわけではないだろう?」
「……私は、陛下のものです」
 呼吸を抑え、思考を止め、今の自分が保てるだけの冷静さで、少年は口を開く。掴まれた手首に、力を込められた。擦り傷が痛んだが、眉ひとつ動かさなかった。
「…………」
「その私が、なぜ、陛下のご意向に逆らう必要があるのでしょう」
「……いつもそれだな。本当に、お前は可愛げが無い」
「……っ……!」
 がり、と何か嫌な音が響く。手の甲に爪を立てられたのだ。ぬるりとした感触で、傷口が開き血が流れたのだとわかったが、少年は歯を食い縛って耐える。必要以上の声を、けっして聞かせないために。
 気だるい体を抱かれ、肩口にも痕を残される。首筋、鎖骨と獣のように噛みつかれ、更なる痛みと、痛みとはべつの確かな熱に襲われる。少年は自分の体が心底疎ましかった。いっそ、なにもかも、感じられなければ楽なのに。
「……あ……」
「己を壊すものが、怖くはないのか。……憎くはないのか?」
 節くれ立った手が、背中をゆっくりと這う。いつもこれだ。少年を抱いているのは少年の持ち主であり、自分はただの持ち物である。人間の関係ではない。所有者と所有物。それだけだ。
 ただそれだけの関係に、恐怖や憎悪が入り込む余地など、ありはしない。
 唇を開き、少年は、淡々と繰り返す。
「私は、陛下のものですから」
「……。……ああ。そうだな」
 耳朶をざらりと舐められ、肩が震える。両脚が捕らえられた時点で、少年は再び、自分自身の心以外の、なにもかもを放棄した。シーツを強く握りしめると、開いた傷口から血が流れる感触が、やけにはっきりと少年の神経を伝った。こんなに血塗れのものを、いつもどう言い訳しているのだろう――余所事を考えていられたのはそこまでで、後はもう、苦痛と快楽が綯い交ぜになったなにかを、受け入れることしか許されなかった。

 初めて呼ばれたあの日から、数えるのを諦めたくらいには同じ夜をやり過ごした。何も言わず、何もせず、されるがままになっていれば、自然と夜明けは訪れる。朝方にこっそり館へ帰る道順も、傷ついた肌を隠す方法も、やり場のない熱の収め方も、もうなんでも覚えてしまった。
 唯一わからないことと言えば、今、まさに自分を抱いている、その人のことだけだ。なぜこんなことをするのか、なぜあんなことを訊くのか――しかし少年は、そのことに興味を持たなかった。
 それが、ただひとつ少年に残された、抵抗の手段だったからだ。
 体の生理的な反応以外、差し出すものなど何もない。何も感じはしないのだと。
 少年は全身で暴力を受け入れながら、全霊でそれ以外を拒否していた。
「あ……、あ、ぁ……っ」
「……。……だから俺は、貴様が気に喰わん」
 強引に体を暴かれる痛みに、喉の奥から引きつった声が漏れる。確かに自分のものなのに、耳から入るとすべて雑音のように思えた。ぼんやりとした頭が起こす、幸せな錯覚に安堵した。
 これでいい。
 これで、気が済むのなら。守りたいものを、守れるのならば。
 夜は必ず明ける。傷はいつか癒える。
 だから、なにも。

「リース」

 何か聞こえたような気がした。めまいがするほど耳障りな、知らない何か。知らないままでいられれば、なにもないものと同じだから。
 閉じられた瞳の端から、とても無機質に、ぽたりと雫が落ちた。


リースの秘密

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