心恋

 硬い金属音が青天を抜けて響く。剣を受けた盾を持つ手に痺れが走り、アーサーは思わず顔を顰めた。相変わらずの馬鹿力だ   ねめつけた先の青年の口元は、こちらの内心とは裏腹に、楽しそうにつりあがっていた。
 しまった、と思う。
 青年が剣を力ずくで振り下ろす。盾の重量も手伝い、右腕はその軌道に持っていかれてしまう。不自由に、無防備に晒された手首を、青年の剣は正確に突いた。訓練用の剣だ、刃は潰されている。しかし痛みは相当なものだった。盾を落としてしまう程に。
「くっ……!」
 振るった左腕の槍は、先端が僅かに頬を掠めるのみで役目を終えた。
 脇腹を殴打され、音をたて背中から倒れ込む。起き上がろうとしたところに突きつけられた、剣先。顔を上げる。良い天気だ。逆光ではっきりとは見えないが、この青空と日差しによく似合う、眩いばかりの笑顔でいることはわかった。
「俺の勝ちだな!」
「……ああ。良い訓練になったよ。ありがとう、クレイマー」
 屈託のない喜びの言葉に、アーサーは肩を竦めて苦笑した。

   ***

「それにしても、騎士っていうのは器用なんだな」
 唐突に寄越された言葉に、アーサーは鶏を口に運ぼうとしていた手を止めた。顔を上げ、目だけで問い返すと、それに気づいたクレイマーは、実に感心した様子で答える。
「隊長に、エルバートさんに、おまえも、それからルヴィもそうだろ。
 みんな、剣も槍も使えるもんな」
「俺のは、練習中だよ。だからさっき、つきあってもらったんじゃないか」
「もう使えてるように見えるけどな。俺には絶対、真似できないと思って」
 剣一筋   二重の意味で   のクレイマーがいうと、妙な説得力があった。さっさと食事に戻ろうとした青年に、アーサーは一言。
「お前も、ためしに一度使ってみたらいいじゃないか」
「それはない」
 だろうなあ。
 予想通りの答えに笑うと、怪訝そうな視線を向けられた。悪い、と軽く謝罪を入れる。
「ところで、クレイマー」
「ん?」
 アーサーはまだ熱いポトフの器を手前へ寄せながら、今度はクレイマーを見ずに言った。あちらもまた、こちらを見ている気配はない。少し早い昼食を一緒にとることにしたのは、その場の流れだったわけではないのだ。
「訓練につきあう代わりに、という話だったよな。
    聞いてほしいこと、って、何だ?」
「……………………」
 空白。息を詰めた間合いを挟み、かしゃん、と目立つ音が耳に届く。目を上げると、クレイマーが肉の皿にフォークをのせたまま固まっていた。先程の音は、取り落としそうになったのをぎりぎり拾おうとして、でも失敗した音か。やけに冷静にそう分析しながら、アーサーは首を傾げた。
「どうした?」
「……いや。……なあ、俺も楽しかったし、あの話はなかったことに」
「駄目だ、そういう約束だっただろ。俺の気が済まない」
 これだから生真面目は、という悪口なんだか何なんだかが聞こえたような気がしたが、よく言われることなので無視を決めた。何かあったのだ、これは。見るからに様子がおかしい。あのクレイマーに悩みなんて、ちょっと信じられないが   悪気は無い、しかし思いっきり失礼なことを考えながら、アーサーはもう一押しする。
「何かあったなら、なおさら気になる。心配だ」
「……」
 顔を背けたり、視線を泳がせたり、クレイマーは何度かそんなことを繰り返した。スプーンを握り締めたまま、アーサーはじっと待つ。
 気にも留めていなかった食堂の喧騒がだんだん耳につきはじめたころ、クレイマーはようやく口を開いた。
「……。笑うなよ?」
「は? ああ、もちろん」
「……実は」
 深い深い溜息。
「気になるやつが、いて」
「剣か」
「違ぇよ!」
 真面目に応えたつもりだったのだが、どうも向こうはそう感じられなかったようだ。
 クレイマーは立ち上がりそうになったのをなんとか堪えた姿勢で、アーサーを思いきり睨みつける。
「おまえ、俺を何だと思ってるんだ!」
「言っておくが、俺じゃなくても同じ返事だったと思うぞ。
 なにせ、剣が恋人のクレイマー、だからな」
 一体誰が触れ回ったのか知らないが、青年と宝剣との間にあった出来事は、一から十まですべてが確かな事実として、すっかり騎士団内に浸透していた。
 反論を失ったクレイマーを横に見ながら、アーサーは、温かいものは温かいうちに食べるのが礼儀であるという己の信念に従い、マイペースに食事を再開した。じっくりと煮込まれた野菜が、口の中で存在を主張しては溶けていく。一般的な家庭料理だ。食べ慣れた味だが、それだけに安心した。
「剣じゃなければ、何なんだ?」
「人に決まってるだろ」
「……へえ。……人、って」
「……。べつに、最初は、なんてこと、なかったんだ」
 手元でフォークを弄りながら、クレイマーはぽつりぽつりと喋り出す。よそへ向けられた明るい色彩の瞳から、落ち着かない心境が見てとれた。
「傭兵のくせに、ずいぶん無茶な戦い方、するんだなって。
 あいつ、自分のことなんか、どうでもいいみたいな、そういうふうに見えて……、
 馬鹿だな、って思ってた」
「ああ。……まあそうだな」
「だろ? 本当に、それだけで……それでちょっと気になってたんだけど、この間」
 淡々と食べ続けながら、アーサーはちらりとクレイマーの様子を窺う。明朗快活を具現化したような青年の、一言で表せば、複雑そうな表情。しかし、暗く沈んでいるようには見えず、どちらかといえば途方に暮れているように思えた。未知のものへの後ろ向きな好奇心と、動揺、わずかな、恐怖。
 そこまで考えて、アーサーにはなんとなく先が読めた。まさかと思いながら、次の話を待つ。そして、
「そいつ、あんまり笑ったりするやつじゃないんだ。
 でも、この間、その……。……笑ってる、ところを、たまたま、見かけて……」
「……それで、今度は、その笑顔ばかり気になるのか。それどころか、思い出す」
「! そうなんだよ!」
 自分の想像が当たってしまって、アーサーは不覚にも驚いてしまった。
「俺、どこか悪いのか? なんか知ってるなら、教えてほしいんだ」
 クレイマーの、こんな反応にも。
「……。は?」
 思わず手を止め、アーサーは実に訝しげに目の前の青年を見た。聞き間違いを願ったが、クレイマーは至って真剣だ。
「……ええと?」
「今まで、誰かにこんなふうになったことがないんだ。落ち着かない」
「………………」
 冷静に考えるととても恥ずかしい台詞だが、それ以前の問題なので黙っておくことにした。なおもまじまじとクレイマーの顔を見つめながら、アーサーは頑張って頭の中を整理する。
「……なあ、一応訊くが……本当に、わからないのか」
「そうじゃなければ、わざわざ相談なんかしないだろ」
 それもそうだ。
 条件を呑んだのは自分で、追い討ちをかけたのも自分だが、アーサーは居た堪れなくなった。クレイマーの相談は、どう考えてもこちら向きのことではないからだ。
 応え方が悪かった。クレイマーは既に、期待に満ちた眼差しをアーサーに向けている。
「……。……知りたいか?」
「知ってるなら、知りたい」
「……。……それは、その」
 尋ねておいて何だが、やはり気は進まない。今度はアーサーが言い淀む番だった。
 手持ち無沙汰にスプーンの柄を持ち直しながら、思考は現実逃避を始める。これが本当に『そう』であるのなら、『相手』は一体誰だろう――微妙によそごとになっていないのだが、持ち前の生真面目さが、どうしても完全には逃れさせてくれないのであった。
「…………」
 無茶な戦い方をする傭兵、とクレイマーは言った。わざわざ首を捻らなくても、これだけでかなり絞られる。ナルヴィアの傭兵ギルドには、女性はそれほど多くはない。何人か心当たりを頭に浮かべて、可能性を探る。己の身など省みず、感情表現がおおらかでなく、剣一筋の青年が興味を惹きそうなもの。
「おい、アーサー。いい加減教えろよ」
「……ん、ああ。悪い、そうだな……」
 ある一人の少女の名前が浮かんだところで、アーサーは目の前の問題に引き戻された。相手によっては、自然とどうにかなるだろうからわざわざ教えなくても良いだろうと考えていたのだが、思い当たった少女もまた、この手のことには非常に疎いように思えた。
 ということは、気づかせなければいけないのだろう。乗りかかった船である。結果どうなるにしろ、どうせなら何か進歩があってほしいし、いつまでも悩ませるのも、悪い。
「……あのな。それは   
 やっと決断したアーサーが口を開いた、その時。

「……こんなところにいたのか」

「!」
「……え?」
 頭の後ろから、声が降ってきた。低く深い、男性のものだ。同時にアーサーが見たものは、驚愕に目を見開いた、クレイマーの顔。視線は自分を通り越し、やはり後ろに向けられている。
 アーサーは一拍置いて振り返った。
 そこにあったのは、幸福の守りとなる石の色にもよく似ている、意外にあざやかな翡翠色の瞳。もともと背の高い人物だが、こちらが座っているためか、不機嫌そうな表情も手伝って、余計に威圧感を放っているように感じた。
「ディアン殿」
「…………」
 呼びかけには、答えなかった。ディアンはアーサーを一瞥すると、すぐにクレイマーへ向き直る。
 なぜかクレイマーは、ひどく緊張した様子だった。そんなもの歯牙にも掛けず、ディアンは彼へ問う。
「忘れたのか?」
「え、なにがだ」
「……お前は今日、リース公子が剣を見に行くのに、付き合うんじゃなかったのか」
「……。……あっ!」
「……。本気で忘れていたらしいな……」
 見せつけるように溜息を吐いたディアンと、クレイマーとを見比べながら、これは何だかまずいことになっているような気がする、とアーサーは思った。確かに忘れていたのだろうが、クレイマーに頼みごとをしたのは、他でもない自分なのだ。
 何か弁明した方が良いのではないかと考えながら、しかしアーサーは、どこか呑気だった。アーサーには、話の内容より、ディアンが他人と喋っているこの光景の方が、よほど興味深かったのだ。
「ディアン、公子に会ったのか?」
「お前がどこにいるか知らないか訊かれただけだがな……」
「そう、なのか。……公子は、今どこに……」
「……“あの彼が剣の店に行く約束を放棄するなんて、何か大事でもあったのだろう”」
 寡黙という表現が実に似合う青年は、あくまでも淡々と、自分のものではない言葉を紡ぐ。対するクレイマーは、ますます居心地が悪そうだ。
「“こちらは急ぎではないから、昼過ぎに行くことにしよう。
  どこかで見かけたら、そう伝えておいてくれないか。
  午後も無理なら、そちらの用事を優先してくれ、とも”   
 ……だそうだ。なにか言うことはあるか?」
「……。……悪かった……」
「それは公子に伝えるべきだな」
 きっぱりととどめを刺し、ディアンはそれで背を向けた。深緑の外套が、ぱさりと音をたてて翻る。
 もう行くのか。確かに用は済ませたのだろうし、世間話をする性質にも思えないが、だからといってはっきりしすぎである。一匹狼だとか、孤高だとか、そんな単語がいくつか過ぎったところで、更に驚くことが起こった。
「……っ、待っ……!」
 テーブルを支えに、クレイマーが勢い良く立ち上がる。そのままアーサーの横を通り抜けて   ディアンの外套の裾を、引っ張って、止めたのだ。
 今度こそ、アーサーは目を丸くした。立ち止まり、振り向くディアンの、無感情な目つき。クレイマーの表情は、こちらからは見えない。
「……なんだ」
「……。……いや……」
 ほとんど呟きのような掠れた答えは、動揺に満ちていた。アーサーには、理由がわからない。おそらくはディアンにも   クレイマー自身にも。
「……その、わざわざ、悪かった。ありがとう」
「……それは、公子に言えと……」
「わかってるよ。だけど、俺を、探したんだろう。だから。
 悪かったな、引き止めて」
 そこまで告げると、クレイマーは外套の裾からそっと手を離した。喧騒の中、それをじっと眺めていたディアンの眼差しが、見てわかるほどに緩む。傷のある指が、クレイマーの額を軽く小突く。
 穏やかとか、微笑ましいとか、彼をそんな種類の言葉で形容出来たのは、少なくともアーサーには、今、この瞬間が初めてだった。
 存外、優しい顔をしているなんて、思うときがくるとは思わなかった。


「驚いた。ディアン殿は、あんなふうに人と喋ったりするんだな」
 ディアンが去った後の食堂で、アーサーは食事を再開しつつ実に興味深そうに言った。のろのろと歩き自分の席に戻ってきたクレイマーに、アーサーは軽い調子で笑いかける。
「あの人と、仲が良いんだな」
「……そう……見えるのか?」
「ん?」
 クレイマーは手のひらで顔を覆い、視線はどこかへやっている。輪をかけて、変だ。
「クレイマー……?」
「…………あいつは」
 首を傾げてそっと覗き込むと、そこには、落ち着かない様子で顔を赤くするクレイマーの姿があった。
 びしっと音をたてんばかりに、アーサーの時間が止まる。
「なんで、ああいう話してるときに、来るんだ……」
「……ええと、クレイマー」
「ん……? なんだよ、アーサー」
「…………。……いや……」
 傭兵。それらしくない、ひどく無茶な戦いっぷり。感情の表現に乏しい性格。   ああなるほど。アーサーは、一人で勝手に、今度こそ納得した。クレイマーがわずらった病のこと、その原因のことまで。
 戦場ではそれほど珍しい話ではないし、線の細い見た目のためなのかどうか、アーサー自身、どちらかと言われれば心を寄せられやすい側だ。
 わかってはいる。仕方のないことだとも思う。しかし、それにしたって、程度というものがある。意外だ。つりあいがとれていない。あんまりだ。なぜよりによって、彼なのだろう。彼がこの手のことに興味を持つ図が、アーサーにはまるで想像できなかった。
「はあ……」
「…………」
 ぼんやりとしたクレイマーの面持ちを、こっそりと見やる。なぜも、なにも、ないのだろう。なぜならクレイマーは、自分の気持ちにつけられるはずの名前を知らないのだ。心が惹かれるまま、自分の思うがまま、彼を見ているだけだ。
 戦時中で、道外れたもので、おまけに相手が彼となれば   あまり良い結末を、望めはしないだろうが。
「……あ! アーサー、さっきの話の続きを、」
「悪い。教える気が無くなった」
「え」
 アーサーは、圧されないようきっぱりと断った。きょとんとするクレイマーに若干の罪悪感を覚えたが、自分の手に余るものを抱え込むような余裕は無かった。
「おい、話が違うだろ! 何でだよ!」
「その気が無くなったと言っているだろう。
 ほら、早く食べないと、公子をまたお待たせすることになるんじゃないか」
「え、あ、ああ……って、話を逸らすな!」
「本当のことだろう! ……自分で気づいた方が良いんだ、きっとな」
 二人の口喧嘩は、そこにあって当然のもののように、さざめきの一部となり消えていく。

 彼の心が、いつか、はたして何を望むのか。
 クレイマーの罵声を浴びながら、アーサーはヴェリアに祈るのだった。


アーサーに聞かせたのは酷だったかもしれないと、今、思いました

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