エメラルド エルドラド

「ディアン。おーい、ディアン?」
 昼下がりのナルヴィア城下町を、クレイマーは緩やかな足取りで歩く。人を探すための声も、どこかのんびりしていた。出撃も無く、飛び込みの依頼も無く、大体、昼食をとったばかりなのだ。慌てたって急いだって、良いことは何もない。ディアン捜索を頼みにきた人物も、夕方までに見つかれば大丈夫だから、と言っていたことだし。
 と、そんなわけだ。しかし。
「遅いよりは早い方がいいよな、こういうのは」
 クレイマーは、ちょっとした頼みごとを後回しにできる性質でもなかった。
 賑わっているわけでもなく閑散としているわけでもない、そんな大通りの真ん中で立ち止まる。ぐるりと辺りを見渡す。よく知る武器屋の看板が見え、うっかりそちらに足を向けそうになったが、さっき行っただろ、と自分を諌めた。
「……って、言ってもな。うん」
 もしかしたらいるかもしれないし。探し人は斧使いで、普通に考えたら可能性は低いが、ほら剣の魅力ならありえないこともないかもしれないし。実に手前勝手な思考回路は、つまるところ剣を見に行きたい自分への言い訳だ。ちなみに槍と斧の専門店には先程寄ったが、件の人物は見当たらなかった。
 欲求とかそういうのではなく、運命である。今度は素直に足を向け、クレイマーは店の扉を押した。カウンターと店主、の奥に積まれた大量生産された剣、壁に飾られた希少な剣。
 そこには、先客がいた。白い刃が美しい大剣を見上げている、少女が一人。
「……ん」
「あ……」
 クレイマーが気づいたのと同時に、少女も振り向いた。珍しい装束に、紐を編み込んだ艶やかな長い髪。
「フェイ。どうしたんだ、こんなところで」
「クレイマー殿。剣士の私が剣のお店にいるのは、おかしなことではないと思いますが」
「……それもそうだな」
 あっさり納得する。フェイは体ごと振り返り、クレイマーを見上げた。盗賊の少女やリアナの王女ほどではないが、フェイもやはり華奢だ。今のままでは大剣など使えるはずもないが、なぜ見ていたのだろうと、ふと思った。
「クレイマー殿は、お買い物ですか?」
「あー、いや。そういうわけじゃないが……ああ、そうだ。なあ、フェイ。
 ディアン、どこかで見なかったか」
「ディアン殿?」
 特に期待はせず、ほとんど場繋ぎのような形で訊いてみる。早い方がきっといいけれど、急用というわけでもない。この街から出ることは無いだろうから、最悪、端から端まで回ってみれば良いのだ。
 フェイは首をかしげる。そして、
「ディアン殿なら先程、二つ先の角を折れて、路地に入っていくのを見ましたよ」
 こんなときほど探し物はあっさり見つかるものなのだということを、クレイマーは、うんと思い知ったのだった。




 程ほどに賑やかな表と比べて、この細い路地はずいぶんと静かだ。煤けたでこぼこの石畳が、まだまだ奥まで続いている。両側からはうんと緑をつけた枝が伸びており、木洩れ日が落ちて不思議な模様を描いていた。夏は涼しそうだな――年齢相応の素直な感慨を抱きながら、クレイマーは道を行く。
 ディアン。
 クレイマーがシノン公子に初めて出会った時には、既にその指揮下にいた傭兵。
「…………」
 気になるか気にならないかで分けるなら、ひとまずは気になる青年だった。同じ傭兵であることを除いても。否、同じ傭兵であるからこそ、かもしれない。あの戦いぶりには、見事の一言しか出てこない。斧という武器の性質上、攻撃の線は多少荒っぽいが、敵が怯んだ隙を突いてもう一太刀を浴びせるあの技は、教えを乞いたいくらいである。とにかく、敵を倒しにかかる。他の何よりも、それを優先する。
 だから、気になるのだ。
 敵の刃を受けても、引くどころか攻撃に転じる。捨て身で相手の懐に飛び込み、斧を振るう、あの姿。頭から足の先まで、自分のものか返り血なのかわからないほど真っ赤に染めて。
 傭兵とは大体において、何よりも自分の命を守るものだ。死んでも主君の命を守ろうとする騎士とは違う。それなのに。
 死が怖くはないのだろうか。それとも――。
「…………ん……」
 考え込んでいる間に、終点に辿り着いたらしい。少し先に見える景色が、今までのものとは違う。石畳の一本道が終わり、どうやら開けた場所に出るようだ。
 彼は、ここにいるのだろうか。こんな静寂に、一人っきりで。何を考えて。
 一歩、踏み出す。

「…………」

 そこはちょっとした広場になっていた。この場所を取り囲む深い緑、白い小さな花をつけた、背の低い植物。横倒しになった木桶が、剥き出しの地面に転がっている。中央に、おそらくはもう使われていないのであろう、古い井戸があった。
 彼は、そこにいた。
 井戸に腰掛けて――隣、足元、膝の上に、たくさんの野良猫を連れて。――やわらかな目つきでそれらを見守って。微笑んで。

「……は……?」
「…………ん?」
 しまった。気づいたときには既に遅く、探し回っていたはずの人物が、クレイマーに視線を向けていた。
 いつも通りの不機嫌そうな顔だ。何を言えばいいのか。何も考えつかず、それでもなんとか口を開く。
「……ディアン?」
 そうでなければ誰だと言うのか。戦場で見る姿とは、似ても似つかなかった、先程の、ほんの一瞬。幻か白昼夢でも見たと言うのか。あんまり驚いて、クレイマーはまだ混乱していた。どうして、こんなに、落ち着かないのだろう。
「ああ」
 実にそれらしい、ごく短い返事が耳に届く。風にそよぐ緑、野良猫の鳴き声。
「……こんなところで会うのは、奇遇だな」
 立ち尽くしたままのクレイマーをどう思ったのか、それとも単に気まぐれなのか、ディアンはそんなことを言った。心ここにあらず、形だけの低音のみが、響く。
「…………」
 その時なぜかクレイマーは、どうしても、偶然だと答えたかった。
 しかし、少年の潔癖さが、それを許しはしない。
「お前を探してたんだ、ディアン。公子がお前を探してたから」
「公子が? ……ああ」
 彼らが公子とだけ呼ぶのは、一人だけだ。彼らの雇い主、シノンの公子。それだけでディアンは納得したらしく、簡単に頷いてみせた。大して気にも留めていなかった、リースがディアンを探していた理由が、どうしてだかとても気になった。
「そうか、わかった。面倒をかけた……、……お前たち」
 ディアンの声が優しく呼びかける。聞き間違いでも何でもなかった。たくさんの野良猫が、ディアンの体の傍を離れてどこかへ散って行く。魔法みたいだ、と思いながら、クレイマーはその様子を眺めていた。
「……知り合いなのか?」
「今日が初対面だ」
 我ながら馬鹿なことを訊いたと思ったが、ずいぶんと気の利いた答えが返ってきた。
 ディアンは井戸を下り、立て掛けていた斧を手に取ると、路地への入り口、つまりクレイマーのいる方へと歩きながら、訊ねた。頭半分ほど背が高く、自然とクレイマーは見上げる形になる。
「公子は館にいるのか?」
「ん。ああ。あの後どこにも出かけてなければ。
 昼飯くらい食いに行ってるかもしれないけど」
「そうか」
 すれ違いざま、瞳の色を覗いた。あざやかな、翠。
「ありがとう」
 ありがとう。
 そう言ってディアンは、小さな子どもにするように、クレイマーの頭にぽんと手を乗せた。
 一瞬だった。手はすぐに離れて、ディアンの背中も遠ざかる。
「…………!」
 気づいて振り返ったときには、その人はもう、白い路地の向こうへ消えていた。

 ――静かだ。なにもない。緑と、どこからか聞こえてくる野良猫の鳴き声、木洩れ日。それから、自分。
「……なん、だ、これ」
 前髪を手でおさえたのは、顔が赤い自覚があったからだ。なぜだろう。どうしてこんなに落ち着かないのだろう。そういえば、しばらく髪を切っていない、そろそろどうにかしないと。関係の無い思いつきに揺れながら、それでも何度も脳裏によみがえる。横顔、髪を撫でた不器用な手つき。足音、声、思い出さなければ消えてしまいそうな微笑み。
「……何……」
 ああ、そうだきっとこれは。さっき武器屋を訪れたというのに、剣を見ずに出てきてしまったからだ。なんでもよかった。理由がほしい。今、自分が、いつも通りではない理由が、クレイマーには必要だった。
 わからない、気づかない。こんなことははじめてだから。
「…………」
 腰に提げた剣が、留め具にぶつかり音をたてた。柄を一撫で。
 なんとなく落ち着いたような、それだけではない、幸せに似たふしぎな気分に気づかないふりをして、クレイマーはその場を後にした。路地に二つ、足音が響く。


ここからまるで進展が無さそう

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