寒い。
 体にかかる重みすら頼りない秋用布団に包まりながら冬用羽毛布団の在処に頭をフル回転させる。
 フルとは言っても坂道を登る自転車の車輪程度にしか回転しない頭が長い時間をかけて答えに辿り着こうと頑張っている間にも寒さは体の芯から爪の先まで動きを鈍らせる。俺は冷たいシーツの上で体を縮こませた。
 寒い。
 体が痛い。
 頭の中で痛という漢字がゲシュタルト崩壊を起こす。訳もわからず笑った後に何に心を揺さ振られたのか涙が出てきた。この訳のわからなさ、風邪だ。間違いなく風邪だ。こめかみを流れる涙をシーツにすり付け、寒さに身を縮めた。
 そういや体温計あったかなと痛む頭で考え、冬用羽毛布団共々一人暮らしの狭小アパートには不要だと家に置いてきたことを思い出した。春がきて夏がくれば次は秋で冬なことは12の次に34が来るくらい当たり前のことだろう。10は不要か、要るに決まってるだろうが。バカだバカだと思ってはいたがバカだな俺は。志望大学に現役合格したんだからさほどバカではあるまいと思っていたが自己評価を付けなおさなきゃならんね。
 訳もわからず目頭が熱くなる。
「しんどい…」
 やべえ。口に出すと余計につらくなった。
 ピリピリと痛いんだか乾いてるだけなんだかよくわからんがとにかく不快な喉から声を出すと静かな部屋で上滑りした。途端に一人だと自覚して訳もわからない不安さに体が震える。頼むから誰か助けろ。助けてください。
 普段ならもう気にならなくなってしまっている上階の住人の生活音と、平常よりややいっぱいいっぱいな自分の口呼吸が耳から脳に突き刺さり、自分の呼吸音に気分が悪くなる。




 高校卒業・大学入学と同時に一人暮らしを始めて約半年、今まで風邪なんて一度もかからなかった。家には体温計がないので確かではないがそういや微熱があったようなことはあるにはあるものの、それすら右手家族全員集合してもらわなくてもこと足りる程度の回数でしかない。一晩寝りゃ治ったしな。
 元より俺はあまり風邪を引きやすいタイプではなく、例の『アレは風邪引かない』という都市伝説でからかわれる事は数え切れず、事実俺は自分のアレさを自覚しておいたので風邪には縁がないものだろうと思っており、その気の緩み故にこのような着の身着のまま布団に包まる状態を招いた。
 荒れる一歩手前のむくんだ唇を舐める。シーツにしみ込んだ先程の涙が冷えてこめかみに張り付く。少し頭の位置を動かすと布団の隙間から冷たい空気が首を冷やした。
 寒い。布団がないなら服を着ればいいじゃない。パンに対するお菓子しから、カニに対するカニカマしかり、恋人に対する風俗しかり、世の中はいつの世も代用品であふれかえっているのだ。
 ベッドから体を落とし、床に散らばっている服を拾う。トレーナーオントレーナー、ジャージオンジャージ、靴下オン靴下という甚だ微妙な服装ではあるが誰に見られるでもないので気にしない。しかもトレーナーインジャージである。首にはマフラーを巻いておいた。寒さに震えながら着込み、着込んでから動きづらいことに気が付いたが若干寒さが気にならなくなったのでこのままでいいか。
 我が家唯一の暖房機器、エアコンを付けようとリモコンを探すが見当たらない。間違いなく夏は使ったよな。今年もダラダラと暑かったおかげで9月下旬辺りまでは使っていた気がする。それまではあった。間違いない。
 ならば9月以降に移動したもの。というとラグくらいしかないんだが。捲るがない。片隅に積んだ本の下やテーブルの周辺を布団に包まりつつはいつくばって探すが見つからない。やべえ。頭がくらくらしてきやがった。
 毛足の長いラグに倒れこんだ。
 何も今日風邪ひかなくてもいいのに。
 目を瞑ると目を閉じているのに目眩がした。
 今日は久しぶりに古泉と飲みのつもりで、先週予定の打診があった時から楽しみにしていた。バイトが入っていたがバイト仲間にシフトの交替を頼み込んで頼み込んで頼み込んで昼飯まで奢ってようやく替わってもらえたのに。
 古泉。
 頭で思うと呼吸が苦しくなる。
 訳もわからず涙が出た。訳がわからないには変わりないが、さっきの涙よりは訳が分かる。
 俺は古泉のことが、なんだ、まあ、ずっとアレで。
 アレを口にするともっと苦しくなるからあまり言わないようにしているんだ。指示代名詞は偉大である。察してくれるとありがたいね。
 俺は古泉がずっとずっとアレで。
 ものすごくアレで。
「古泉」
 口に出すと余計に息苦しくなった。なんでって涙が止まらないからだな。ラグに目からあふれ出る液体をしみ込ませる。蛇口が壊れたんじゃないかと想うほどに涙は止まらず、水のトラブル8000円とかいうCMソングが映像と共に頭の中にリフレインを始めた頃にようやく涙腺崩壊を止めることができた。泣き疲れて鼻がつまっている。寝転んだまま手を伸ばしてティッシュを掴む。こういう時ばかりはごろ寝で生活できる怠惰な空間に感謝したい。しかし怠惰な生活が風邪を招いた訳でもあり、生活を改めようと思いつつも健康に戻るとそんな決意は忘れ去られるのがいつものパターンだ。
 鼻をかむと頭がくらくらした。厚着のおかげか体がカッカッする。呼吸が薄いせいで意識が朦朧としてきた。
 頭の片隅でベッドに戻った方がいいよなとは思いつつもシーツの冷たさを思い出すとそれだけで震えが走る。毛足の長いラグは体をやさしく包み込み、眠りの誘惑を投げ掛けた。体は怠い、節々は痛い、ラグは優しい、体はぽかぽか。これで誘惑に勝てる奴がいたら仙人のごときの自制心の持ち主だろうよ。




 チャイムの音で目が覚める。
 玄関口で来訪者が自分の訪問を主張するチャイムが鳴っている。時計を見ると最後に見たときから30分程度しか経過していない。
 再びチャイムが鳴る。
 うるせえな。営業ノルマの大変さは理解してやらんでもないが新聞は間に合ってる。シカトだシカト。
 また鳴る。
 うるさい。さっさと帰ってくれ。
 しかし寝る前よりずっと楽になった気がするな。薄くではあるが鼻呼吸ができないこともない。無論口呼吸の方が楽だが。
 また鳴る。
 だんだんイライラしてきたぞ。無視して眠ろうとラグの上で目を閉じると今度は携帯が鳴った。イライラしながら机の上で着メロとバイブでガーガーとけたたましく着信を告げる携帯を掴む。着信名を見てぎょっとした。
『古泉一樹』
 なんでだよ。無視してしまおうかと思いつつも欲望に素直な指は通話ボタンを押した。
『もしもし、古泉です』
 知ってる。
『あなた今どちらにいらっしゃいますか?』
 古泉は卒業してもなお敬語を使いつづけ、デフォルト顔は笑顔のままだったが、それでも高校生の頃よりはくだけた口調で話すようになったし、笑顔以外の顔のバリエーションも増えた。笑顔と敬語は一種の癖のようなものですね。と苦笑して言っていたのはいつだっただろうかね。立派な悪癖だ。
「家」
 一言だけ声を出す。はあはあと変質者のような荒い息が恥ずかしい。古泉の下着は何色かについては多大な興味があるが生憎と無理矢理聞き出すことに性的興奮を覚える趣味はない。本当だ。
『それなら開けてください』
 言い終わるやいなやというか、台詞の途中、らの辺りで安アパートに相応しい薄い扉が控えめに叩かれる音がした。
 嘘だろ。
 聴覚がおかしくなっている耳には古泉の聞いていますかとの問い掛けと扉がノックされる音がワンワンと響く。あと変質者じみた俺の呼吸音もな。それにプラスしてベルの音もし始めた。
 う、あ。
 喉から絞りだしたようなうなり声が出た。
 うるさいよ。やめてくれ。近所迷惑だし何より俺に迷惑だ。
 身じろぎをすると体に寒気が走る。ちきしょう。健康体に戻ったら覚えてろよ古泉。ふらふらする体を引きずりさほど広くない室内を横断、狭いキッチンを通り過ぎ、扉の前に立つ。布団にくるまりながら扉の鍵に手を伸ばした。
 携帯片手に古泉が立っている。驚いたその顔すらかっこいいよ。ああもうかっこいいよ。顔だけって訳じゃないが俺はこの端正な顔が
 あぶねえ。言っちまうところだった。まあ、例の指示代名詞大活躍の単語な訳で、悔しいがその顔を見るとたまらない気持ちでいっぱいになった。
 たまらない。
 こんな処理に困るような気持ちになるなんて思いもしなかった。体中の鳥肌が立ちまくっていて、それは風邪による寒気故にかもしれないがもしかしたらおぞましい程の俺の気持ち故にかもしれない。意味が分からないくらい、声にならないくらいの感情でいっぱいになった。その感情の名前はわからない。俺はこの気持ちをどの名前で呼べばいいのか、むしろどういうカテゴリーで分類すればいいのか分からない。快かもしれないが不快でもある。
 わからん。
 投げ出した。
 うるさいよおまえと声だけは平常通りなのでもしかしたら何事もなく帰ってくれるんじゃないかと期待してたが、予想外に呼気多めになってしまったし、古泉の手に家の近所のスーパーの買い物袋がぶらさがっている時点で、電車で乗り換えを2回、さらにバスで20分離れたアパートに住んでいる古泉がよもや買い出しのためにのみ何の特色もなく、いいところといえばたまに卵が安いことぐらいの平凡スーパーを利用するはずもなく、見舞いだとわかってはいたがわざわざ見舞ってもらう理由が理解できない。
「ひどい格好ですね」
 うるさい。
 いまさらながら自分のいけていない服装に気が付き布団を殊更しっかりと身に巻き付けた。人が来るなんて思ってなかった。
「そうではなくて」
 何かに気が付いた素振りをした古泉が、上がれなんて言ってないのに玄関にズカズカと踏み込み扉を閉める。
 レポートの提出やらバイトやらでバタバタしていたおかげで靴はちらかし放題、地域の廃品回収のためにとまとめておいた週刊誌や雑誌の束が狭い玄関をなおさら狭くしている。
 いつもはもっときちんとしてるんだぜ。言い訳にもならない言い訳をしたい程度には俺は古泉からの評価を気にしている。
「風邪をひいているんでしょう?」
 それなら苦しくない服を着るべきです。そう主張しながら失礼しますと付け加え、古泉は靴を脱いで狭いキッチンを抜け、部屋に入る。ズカズカながらも靴がきちんと揃えてある辺り、忌々しいくらいの如才のなさだ。完璧だ。最悪だ。非の打ち所がなくていちいち魅力がありすぎて最悪だ。
「熱はありますか?」
 部屋の中にいる古泉の問い掛けに、「体温計ないからわからん」と家主の俺が玄関口から答える。おかしいよな。なんで俺が客みたいになってんだ。しかし今身動きとるくらいなら動かないほうが楽だ。視界からの情報がうざったく、荒い息を布団で殺しながら目を閉じる。目を閉じると目眩がする。目を閉じるのも開くのも辛くて薄目でふらふらしていると古泉の手がいきなり顔を包んだ。熱いですねなどといいつつそのまま頬やら耳裏の辺りやら首元に手を移動させつつ顔を撫で回す。神経が過敏になっている状態で他人に触られるとどうなるか。
 こうなる。
 鳥肌が痛いくらいに立ち、撫でられるたびに頭の芯がゾワゾワ震えた。
 やめてくれ。これ以上触られてると気持ちいいんだか悪いんだかわからない例のあの感情で昼飯戻しちまいそうだ。
 ゲロ吐きそうな俺に気が付いたのか古泉はようやく撫で回していた手をひっこめた。
「とにかく横になって下さい」
 そうだな。仮にも見舞いに来たんだったら俺の心乱すだけじゃなくていたわれ。頼むからいたわってくれ。
 布団に包まりながらよろよろとベッドに腰掛ける。
「布団はそれだけですか?」
 俺の中じゃさっき結論出したばかりなんだけどな、その案件。めんどくさいながらも布団を背負ったまま横になり、これだけだともごもご答えた。バカにするならしてくれ。俺はもうどうでもいい。
 頭から被った布団の中で枕と髪の擦れる音が耳障りだ。脳に直接響く音に気分が悪くなり、首と肩に力を込めて頭を枕に無理矢理押しつける。もう指先一本動かしたくない。丸まったまま目を閉じた。
 呼吸音と尚もしつこい髪の擦れる音が煩わしい。目を閉じていると平行感覚が失われ、目の前に広がるライトグレーのような黒のような紫のようなもしくは群青のような緑のような、光のわっかがぐるぐると回転する目の前に意識が朦朧としてきた。このまま寝れそうだ。
 半分意識が遠退きかけたその時、体の上に思わぬ重みがかけられた。と同時に暖まりかけていた布団の中に底冷えする冷気が流れ込み思わず首をすくめる。心地のいい睡魔はどこかへ消え去り今はまた寒さだけが際立っている。
 なんだなんだ。べとっと張りついたように開きにくい目蓋を残り少ない気合いで持ち上げ薄目を開くと古泉がエアコンのリモコンを操作していた。
 聞きたいことはいくつかあるが、というか古泉の行動についてそのすべてを問い質したいがまあそれは一旦置いておこう。俺の気力はエンプティ寸前だ、優先順位順にいくつか解答願う。
 まずは冷気責めをしかけてくるこの羽毛布団について教えてくれ。
「客用布団を拝借しました」
 無断で収納を拝見しましたが、緊急事態につきご容赦願います。
 さわやかに笑いながらそんな感じのことを言っている。こんな時くらい敬語使わずに簡潔に答えてくりゃいいのにおかげでワンワンと耳鳴りのように古泉のながったらしい台詞が頭の中で繰り返されている。
 やめてくれ。その耳障りのいい声は俺の心を騒めかせるんだ。
 客用布団一揃は妹がまた泊まりに行くから置いておけと強く言うため実家に送っていなかったものだ。狭小住宅の圧迫材になっているにも関わらずおいておけと言った妹自身は引っ越しの時に手伝いに来たおふくろにひっついてシャミセン連れで一泊した以降遊びに来たことがない。壁が薄く狭い家で飲み会をすることもほとんどなく、無用の長物と化した客用布団をどうすることもできず、もし誰かがいきなり泊まりに来ても対処できるだろうと置きっぱなしにして存在すらも忘れていたそれだ。誰かが、なんて取り繕うのもばかばかしい。古泉だ。古泉が遊びに来た時に泊まることになっても慌てないように準備してたんだ。多分の下心を含んで。そんな妄想くらいはしてもいいだろ。
「布団の下に落ちていたのでこちらも拝借しましたよ」
 言いながら左手のリモコンを軽く掲げている。
 ききたかった疑問がまた一つ解消したがなんでそんな場所に…。俺は思うんだがそろそろリモコンにも呼び出し機能を付属させるべきじゃないだろうか。そのスイッチを見失うとどうしたらいいかわからんがな。それを呼び出すスイッチが必要だ。そのスイッチをなくさない用のスイッチもいるだろうな。スイッチのスイッチのスイッチと合わせ鏡のような永遠さを感じ、スイッチのスイッチに思いを馳せることのあまりの意味のなさに思考を投げ出した。
 スイッチの名残の残る頭でできるだけ何もなんも考えないように目を閉じると古泉がばたばたとうろついている気配がする。うるさいし気になるが家じゃ寝てても妹やらシャミセンやらがどたばたとうるさくしていたからそのうるささが懐かしくさえある。
 シャミセンは元気にしてるだろうか。家に帰ったらいきなり子猫が生まれてるとか勘弁な。妹もだ!中学生だからって勝手に彼氏作っても兄は認めん。
 詮もないことをいろいろと考えているとたまらなく家に帰りたくなった。電車でたかだか小一時間の実家に帰るも帰らないも本気で帰ろうと思ったら今からなら電車がまだあるし、いざとなりゃタクシーでだって帰れるんだ。ちきしょう人恋しいにもほどがあるぜ。
 丸くなって布団にくるまりながら目の奥がじんと熱くなる。涙止まらないから次の休みに帰るからって昔のアイドルの曲のようなことを思う。
 そういやこれは失恋の曲だった。そのうち現実になっちまいそうだな。
 俺が指示代名詞大活躍の感情を古泉にぶちまけた時、そうなった時には古泉にこうして気軽に会うこともできなくなる。一緒にいるだけでもいいんだ。別にお前に俺をどうこうしてくれなんて言わないから俺は古泉じゃないとだめなんだ古泉がいい古泉がほしい。頼むから拒否しないでくれごめん頼むから。
 本気で涙が零れる直前に布団越しに背中を揺さぶられた。
「起きていますか?」
 起き上がれそうですか?と重ねてきいてくる古泉に起きてますよ。と返す。お前に振られるの想像して泣きそうになってましたからすぐには起き上がれませんよ。無論これは口には出さなかった。
 きしむ体に鞭を打ち体を起こすと背中を古泉の手が支えた。触れられる瞬間体がビクリと跳ねたが古泉は宥めるように背中を擦る。それやめろ条件反射でゲロはきそうだ。体操座りのひざにずきずきと痛む頭を乗せた。
 なんだメシならいらん今食ったら多分吐く。
「服を脱いで下さい」
 俺の妄想かと思った。
「脱げないならお手伝いしますよ」
 畳み掛けるようにとどめのセリフが耳に届く。
 人間驚いた時には声が出せないもんだな。思い通りにならない口は放って古泉を凝視した。それはごくごく真剣な顔で、こういう顔のこいつが俺をからかってるなんてことはまずない。
 自分の顔が赤くなるのがわかる。熱い表面に反して体感温度は下がるようで指先が固まったように上手く動かない。頭に血が上りすぎてさっきまでの眩暈とは別の種類の眩暈でくらくらしてきた。
 妄想でなら何度も何度も思い描いていたシチュエーションだ。古泉の指で、口で、全身で、性器で。ぐちゃぐちゃのどろどろになって古泉に受け入れられて古泉を受け入れるそういう
 やばい。
 死にそうになっていたのが嘘みたいに、あらぬ場所が元気を持ちそうになっている。ああでもそれでいいのか。見当違いでもなきゃあって悪い場所でもなく、これからすることに関してはこの上なく重要な場所だからな。
 鼻息が荒い。はあはあと息を吐きながら唾を飲み込んだ。
「ぬげ、る」
 声が掠れ放題で、それに多分俺はいま血走った目をしている。
 一秒でも早く。興奮に震える指先をシーツの上でじりじりと進め古泉に手を伸ばす。一緒にいるだけでいいなんてのは嘘だ。
いや、嘘ではない。一緒にいるだけでもいいが、一緒にいたいしいかがわいいことがしたい。ほしい。全部欲しい。
 ベッドの脇に座っている古泉の目の前にまでたどり着いた指先を古泉が優しく握った。
「それならお風呂沸いているので入って下さい」
 風呂!風呂ときたか。ここは一緒に入るかと誘うべきか。ああでも待ってくれどっちが女役になるにしてもいろいろと準備が必要だ。いろいろとだ、風呂も便所も使うような準備を、俺か俺がすればいいのか。昼メシ抜きだから多分すぐに準備できるぞ。
 勝手に使ってすみませんとかなんとか言ってるが知ったこっちゃない。俺かお前かどっちが女でも男でもどっちでもいいさもうなんだっていいから抱きたい。キスしたい。くらくらと眩暈を覚えつつ古泉に体を近づける。焦点が上手く定まらん。目の前がちかちかした。
 ほんとこいついい匂いしやがる。俺汗臭いんだろうな。だから風呂かなるほど風呂は重要だ。体によりかかる俺の背中に古泉が手を回し、背中を撫でる。爆発しそうだ。
「風邪の時は入浴で全身を暖めてそのまま寝るのが一番です」
 汗も流せますしその間にご飯を作っておきますから。
 ね。などと古泉が甘ったるい声で言った時の俺の脱力感。もう……言葉にならんね。
 さっきのパンツの色が知りたいってのと同様に古泉にだけ発揮される変態さがある。そりゃもう変態だ。古泉の生活を知りたいと思ったり、一人暮らしでやたらと淋しい夜古泉のことばかり考えたり会いたくなったりそのまま一人で自分を慰めたりだな。それで済ませられれば上出来で、それだけじゃどうしても足りなくて実際会いに行ったこともある。まさか円満な友人関係を築いてる相手に部屋の前から突然『会いたい』なんて今時昼ドラや韓流ドラマぐらいでしか見かけないようなありえない連絡ができるはずもなく、アパートの外観を見るに止めた。夜中に男のアパートの窓を眺める男。ベッド下の鎌男並のちょっとしたトラウマ化しそうな怖い話である。そうじゃなきゃ怨恨がらみのストーカーだ。
 怨恨ではないがストーカーは否定できんな。なんせ数年に渡って続けている行為だ。
 さすがに一人暮らしを始めたここ半年は夜中に出掛けることは少なくなった。理由はただひとつ、物理的に距離があるからだ。それにも関わらず家を出て途中で我に返り引き返したことは両手で足りないくらいにはある。家が遠くてもこんなだから古泉の家が近所だったらなんて想像するだけでストーカー規制法が適応されている自分が目に浮かぶね。
学校は自宅からぎりぎり通学圏内なのになんのために妹に泣かれ、親に仕送りは雀の涙宣告をされながらもわざわざ家を出たのかっつーと古泉と距離をあけたかったからに他ならない。
 高校出たばかりの俺は、古泉と物理的にも精神的にも近すぎてこれがそういうアレだと勘違いしているのかもしれない。なんて希望を捨てられずにいた。そういうことを思ってる時点で相当アレなことに気が付くべきだろうが、俺は必死だったんだ。ここがノーマルとアブノーマルの瀬戸際だとあがいていた。もがいていた。
 親に頼み込み繁忙期でいい部屋が少ないことを知りながらも、不動産屋に足元を見られつつ古泉の住まいからはかなり遠い土地にアパートを探し、メールや電話なんかも自分からするのを控えた。入学してからは勉強やバイトやサークルだの合コンだの飲み会だの慣れないことばかりの毎日でそれなりに忙しく会ってる時間もなくて、会えなくて。
 結果撃沈である。
 一日千秋、とまではいかないものの古泉に会えない一日が体育祭開会式における校長からの訓示の時間のように感じられる。とまでの立派な変態になりました。
 具体的には夜中に目が覚めて指示代名詞な気持ちで苦しくて泣いちゃうくらいだ。どうだ、気持ち悪いだろう。
 はっきりいってこんなのは自分でもうんざりなんだ。こんな感情に振り回されるのも、古泉が古泉の生活をしていることで傷ついてしまうのも、今みたいにこんな風に浅ましく期待をしてしまうことも。
 古泉に急かされるまま布団から這い出てバスルームの前で熱の篭った着衣を脱いでいく。なんだって俺はこんな厚着をしちまったんだろうね。関節が痛む体を持て余しつつ重ね履きしていた靴下を二枚まとめて脱いだ。
 余談だが前述の通りぎりぎりの状態で決めた俺の住まいは家賃がさほど高額でない。高額ではないのだが風呂トイレはセパレート式の住居である。まあそれもこれも誰かが、古泉が、訪ねてくることを考えた俺のアホくさい妄想と一人暮らしの先輩などの経験談やらを聞いて家探し時の優先項目に風呂トイレ別であることを挙げた結果だ。安価なワンルームアパートによくあることだが風呂はあれど脱衣所までは設置されておらず、台所が脱衣所になっている。まあ大概一人でいるから気にしたこともなかったのだが、今現在のこの状況である。
 見られている。
 すげえ見られている。
 古泉が部屋から気遣わしげに不躾に俺の脱衣の様子を伺っている。そりゃもうジロジロと。恥じらいだとか後ろめたさだとか興奮だとかで頭に血が上った。台所と部屋を隔てるガラス戸もあるにはあるが閉まっていないし閉めたところでその素材がガラスであるがゆえに丸見えだ。
 古泉の視線に堪えながら脱衣していく。玉葱の気分でパーカーと一緒に素肌に着ていたTシャツを脱ぐと身震いした。寒い。体は熱い。無駄にほてっているが横腹や首回りにゾクゾクと悪寒の走る体を持て余す。
 見られている。溜息に熱いものが混じった。
 俺は変態だ。変態にこの状況は厳し過ぎる。見られてるだけで勃つ自信がある。
 上半身裸でもじもじしながらジャージを1枚脱いだ。あとパンツとジャージですっ裸だ。ヘアどころじゃないぞ、モロだモロ。履いてないのよ見せてんのよ状態である。状況は違えどシチュエーションは古泉に命じられて奴に見られながら真っ裸にというなんとも頭の気の毒な俺の妄想をなぞるものだ。古泉はそらが礼儀とでも思ってるのか沈黙を決め込みさっきから何も話し掛けてこない。俺の荒い息遣いとクーラーの稼動音と上の住人の生活音が部屋に響いている。
 正直に言おう。興奮している。やばいな本気で勃起しちまうかもしれん。なんだ、風邪ひいてるからな。疲れたときに勃つのと同じで男の性っつーか、種の保存本能っつーか。そんなことでひとつごまかされてくれないか。
 ぐだぐだ思いながらパンツとジャージをまとめてずりおろした。あーやばい半勃ちかも。予想通りの自分の体に溜息つきつつ古泉に尻を向ける。汚いケツで悪いな。俺とてこんな処理も何もしてない尻見せたくはないのだが、真っ正面から貧相な体の可哀相な有様はもっと見られたくない。今更だけどな。
 古泉は始終無言だった。
 蟹歩きでバスルームに入りようやく一息つく。さすがに風呂に湯が入っているだけあって温かい。古泉の視線から解放された安堵もありほっと溜息が出た。
 いやしかし勘弁してくれ。その気もないのに煽るのはやめてくれ。可哀相な有様の下半身を見ていると情けなさがつのる。古泉。古泉。上手く回らない頭で考えるのはそればかりだ。なんで手に入らないのに手が届く場所にあいつがいるんだ。どうせならどっか行っちまえ。いや、嘘だ。顔見れるだけでいいから傍にいさせてほしい。どっちも本気で思っていることなのにどっちも嘘だ。俺はあいつのことになると自分が全くわからなくなる。こんな風になるのは嫌なのに。
自分がままならないくらい、俺は、古泉が

 シャワーの音に紛れて少し泣いた。






 風呂から手を伸ばし、視線を避けながらどうぞ着てくださいと言わんばかりに用意されていた下着から上着までの一式を複雑な気持ちで身につけて部屋に出ると台所に古泉が立っていた。お前クローゼットの片隅にパンツに包んでひっそり置かれたやこれや独り身の寂しさを紛らわす男として健全だったり不健全だったりするネタやら道具やらそういう余計なもん見ちゃいないだろうな。見られていたとしたら軽く消えてしまえるんだが。俺の心の平穏のために見られていなかったことにしよう。仮に見られていたとしても見たのかなどと聞けるはずがない。
「おかゆを温めていますので布団に入っていてください」
 鍋を火にかけながら半身をこちらに向けて古泉が言う。温まったおかげで心に余裕の生まれた俺は冷蔵庫内の卵の賞味期限が気になるから使用してほしいと希望を告げてベッドに向かう。この余裕、このゆとり。風呂は偉大だ。いや、しかし急かされるままに風呂に入ったが風邪の時の風呂ってのは如何なもんなんだろうな、家ははいらないように言われていたが古泉の家は風呂に入る決まりだったのだろうか。風呂に入る古泉を想像しかけて慌てて打ち消した。バカじゃないのか俺…、元気じゃねえか。軽く落ち込みながら布団に入った。
 狭い部屋のことなのでベッドに潜り込んでもコンロの前に立つ古泉の背中が見える。どこの部屋からかバラエティー番組の笑い声が漏れ聞こえている。
 古泉、古泉一樹。一樹。
 布団を口元に当てて呟いてみた。
 鍋の中に集中しているらしく若干猫背ぎみな背中を見ていると肺と喉の間が苦しくなった。その着痩せする背中に抱き着いてみたら古泉は俺のことをぶん殴って嫌悪感を丸出しに拒否するだろうか。例の指示代名詞のアレよりももっとひどくてどうしようもない感情が苦しい辺りに溜まっている。もしくは風邪で気管支がやられている。できれば後者であってほしいもんだ。
 古泉の背中を見ていられなくて少し熱を持ち始めていた瞼を閉じた。やっかいだ。俺はめちゃめちゃめんどくさい男だ。優しくされるのは嬉しいのに苦しくて、友人だとか仲間だとかそういう関係に傷ついてしまう。よくあるだろ。ドラマなんかで女優が「ねえ、あたしあなたの何?」って。めんどくせえ。うっとおしいとこの上ない。なのに俺はそんなことばかり考えてる。恋人でもないのにずうずうしくて小心者であわよくば、なんて想像したりする気持ち悪さだ。なんて厚かましい。だけど、やっぱり半端に優しくされるのは辛い。
 なあ古泉、お前のその優しさはなんだ。友情か?憐憫か?同情か?
「好意ですよ」
 脳内質問に答えが返って来た。自分の妄想力の限界以上の展開に思わず目を開けると鍋と茶碗を手に古泉が笑っている。
 好意ってなんだ。好意って。
「裏表なくあなたへの好意です」
 ベッド脇にしゃがみ、熱いので気をつけてねと言いながら粥を茶碗に盛る古泉のつむじを見る。
「帰れよ」
 別に言うつもりでもなく、思ってもいない言葉が口から滑り出た。いや、しかし口に出すと帰ってほしいような気になった。言魂ってのは存在するな。こいつがいると余計なことまで言ってしまいそうでしんどい。疲れるんだ、ちっとも休まらない。帰ってほしくないと思い始める前に帰ってほしい。だってすでに帰らせたくない気持ちが芽生えて来た。まだ大丈夫だ希望が懇願に変わる前にさっさと帰ってください帰りやがれ。そばにいてほしくてたまらないときにいつだっていない奴なんかにこんな時にばかりいてもらうと困る。癖になったらどうしてくれるんだ、どうせまたどっかにいっちまうんだろ。俺が望んだからっていつも傍にいてくれる訳じゃないんだろ。この状況に慣れると健康時のデフォルト状態に戻ったときが辛い。
「帰りませんよ」
 看病させてくださいと古泉が言いながら茶碗を渡してきた。
 おかゆだと思っていたそれは雑炊だった。わかってるな古泉よ。ふにゃふにゃとした食感で無味無臭、まさに病人食てな粥より雑炊の方がしっかり味があっていい。俺はしんどいときでも断然雑炊派なのだ。朝食のパンしかおさまっていない若さ溢れる腹に卵の入った雑炊は幼児のヒーローショー並に魅惑的だ。たとえインスタント雑炊の元であろうとも、だ。大丈夫大丈夫、インスタントの味好きだぜ。
 だが、それを受け取ることは古泉との関係がいまのままでいることをも受け止めることだ。と、思ってしまった。なんだろうなこの発想の飛躍は。すべては風邪ゆえの思考展開である。
 今のまま。悪くはない。たまに飲んで近況報告したり昔話したり、こうやって体調が悪いときには看病にきてくれたりな。美しき友情そのものだ。このまま何年も続けてりゃそのうちに俺のどうしょうもない指示代名詞な感情も自然消滅してくれるだろう。仮に消滅せずにずっとくすぶっていようとも何年も続ければ外面を取り繕うことにはことかかなくなるだろうよ。ずっと今の関係を続けていれば特別な関係になることはないが、少なくとも傍にいることは叶う。
 だけど、でも
 いつまでも茶碗を受け取らない俺に古泉が笑いかける。
「僕に恥ずかしいことをさせるつもりですね」
 何を勘違いしているのかいい笑顔だ。そんなことで簡単に息苦しくなってしまう俺の胸の内も知らないで。どこかいそいそとスプーンに雑炊を掬い、唇を尖らせて息を吹き掛ける。なんかその顔は微妙だ。なんか……いろんな意味でな!言わせるな。俺も唇が動いてしまいそうで下唇の内側を強く噛んだ。変な顔になっちゃいないだろうか。古泉の吹き掛ける息が手を掠め、腰の辺りがむずむずする。
「はい、あーん」
 いい笑顔だ。
 突然のことに、いや薄々分かっちゃいたんだがベタすぎる。そして、時にベタすぎるベタはベタであるが故にとんでもない破壊力を持つ。ベタの語源はbetterなのではないだろうか。ベストではないが考え得る限り他よりは良い。後で調べてみよう。つらつら思いながら半ば無意識に差し出されたスプーンを口に含む。咥内のスプーンはしばらくの後歯に当たりながら不器用に引き抜かれた。
 雑炊の味はわからない。だいぶ煮込みすぎたらしい雑炊は口に含んでいるだけで米がぼろぼろと崩れ、咀嚼もそこそこに飲み込んだ。
 そんな俺を見ながらにっこりと笑った古泉はスプーンを俺の手に渡し、そのまま優しい手つきで汗だか風呂の水だかで張り付いた前髪を掻き分けながら俺の額に手をあてる。首筋に痛いほど鳥肌が立ったのを自覚した。頭の先までぞわっとする。こんな風に触れたり触れられたりそういうのはずっと避けてきていた。多分、俺が持たないだろうと思っていたからだ。指示代名詞な例の感情が顔に出てしまうだろう、と。そんな予感がしていたから。
 やっぱり熱があるかな。古泉のつぶやきが耳を素通りする。
 実際は、まあ予想通りだ。触られれば鳥肌が立つし、妙な期待で頭がいっぱいになる。いま顔が赤いかどうかはわからんが、なんか俺変になってしまいそう。現実感がなくてふわふわしている。
「早く良くなって下さい」
 古泉が優しげな口調で言い、柔らかい笑顔を見せた。一瞬の後、額に乗った掌が目の上に被さる。なんだ。腹が立つくらいにきれいな笑顔をもっとずっと見ていたいような見られなくなって息苦しさもなく安心したような。つうかなにも見えない。
 生暖かい掌に水が広がり目の回りを濡らした。手汗とかいうあまっちょろい水の量ではない。あとからあとから水が溢れ、瞼を上も下もべちゃべちゃに濡らしていく。
 自分でも気がつかなかった。泣いていた。
 古泉は優しい。泣いてる姿を見ないようにしてくれ、泣き顔を見てしまった自分の顔を俺に見せないようにしてくれる。笑顔がドン引きした表情だとか気まずげに逸らされる視線だとかに変わってしまう瞬間なんて見てしまったら泣いてしまいそうだ。いや、今もってして泣いてるんだけどな。優しいが残酷だ。隠すってことはお前今見られたくない顔してるってことだろう?優しい。全く優しい。
 俺はその優しさを素直に受け取れなくて歪んだ気持ちで期待したり失望したりしていて、こんなのは嫌なんだ。それから、優しいだけじゃ嫌なんだ。
「ごめん」
「いいんですよ。早く元気になってください。また飲みにいきましょう」
 今度はあなたの奢りですよ。柔らかい声で古泉が言う。
 奢るよ、奢るさなんだって好きなもん頼め。友達のためにスーパーに寄って布団探して雑炊つくって着替え用意して、さっき薬局の袋があるの見たぜ風邪薬まで買ってきてくれてんだろ?古泉はすべて友情、それのみで動いてくれている。俺はそれをことごとく裏切り続けている。俺のこんなやっかいな気持ちさえなければ俺とこいつは多分親友にだってなれるのに。
 ごめんな、古泉好きなんだ。
 好きなんだ。
 思うともっと涙がでた。目を覆う古泉の手を両手で押さえ付ける。好きなんだ。好きだ、好きだ。
「ごめん…」
 ずっとずっと好きでものすごく大好きで多分これからもずっと好きだ。友達だと思いたいけど好きな人だから友達なんかじゃ足りなくて古泉の特別になりたい。友情なんかいらない。愛情がほしい。




 まあ、なんだ。翌日は健康だ。人間てのは不思議なもんで体が健康になると心も健康になるもんで、昨日のことはううあああもう忘れてえー!ってな話である。マジで忘れてえ……。
 昨夜は泣きつかれてそのまま寝ちまったんだが、帰っててくれてもいいのに起きると当然みたいな顔して古泉が家にいて、起きぬけでぼんやりしてる内に帰りますとかなんとか言いながら出て行ってしまった。俺、始終ベッドの上。お構いもせずってなもんだ。結局後生大事に置いてた客用布団も使ってないしな。なんのための客用布団だ、ここで出ずしていつ出る。慌しく帰る古泉を引き止めることなんかできなくて、いやまあ寝起きで半分も理解できてなかったんだが、ベッドに腰掛けてぼんやり見てると古泉が振り返り柔らかく笑って頭を撫でてくれた――気がする。幸せすぎて現実感がなく、前夜の諸々のせいでまぶたが腫れぼったく鼻が詰まってたこともあり、頭がふわふわしてたから判断に困るがもしかしたらあれは夢かもしれん。
 あれこれそんな訳でまともに口が聞けてない。昨夜の弁解だとかフォローだとか言い訳だとか……もう嫌だ、俺の言い訳を聞く古泉の顔などは想像するだけで目の前真っ暗だ。布団被って寝てしまいたい。うわああ昨夜の俺のばかー!
 朝食、昼食、昼寝を挟みつつひねもす煩悶し続け、夕方になりようやく携帯を手に言い訳メールの文面を書いたり消したりしている。
 昨日はすまん、いやもうすっとぼけてしまおうか、朝飯も出さずに悪かったなまた今度奢るって次の約束とりつけるんならちゃんと謝ってからか。
 ベッドに寝ながら書いたり消したりしてるうちに、だんだん頭がボーッとなってきた。
 もうなんでもよくねえか?古泉の評価なんて関係ないぜ。好きだっつってもいいぜ。明らかに思考回路が混線している。ショート寸前、今すぐ会いたいよてなもんだ。
 会いたいよ。
 携帯電話握りながら枕に顔を埋める。会いたい。会ってしまったら会ってしまったで苦しいが、会わずに思ってるこの気持ちはもうなんだかめんどくさくて辛い。おえ、我ながら少女漫画思考に陥ってて吐き気がするぜ。
 めんどくさい気持ちのままメールは諦め、横になったままうとうとしていると携帯が着信音とともに手の中で震え、現実世界に引き戻された。うっわもう夕方かよ。夕焼けも殆ど沈み薄暗くなってしまった部屋の中で携帯だけが眩しい。
 着信が2件とメールが2件、迷惑メール1件以外は古泉からだった。曰く、起きていたら連絡下さいとのこと。うわーマジで嫌だなんの用だよ、具合聞くだけならメールでいいじゃねえか。うわーマジでマジで嫌だ。このまま無視してやろうかと思っているとまた電話がかかって来た。少し考えて通話ボタンを押す。
「もしもし」
「あ、古泉です。お元気ですか?」
「お元気だよ」
 おかげ様で、ありがとな。恨みがましいことなどはおくびにも出さず礼を言えた自分に安心した。礼ついでに奢るよどうのとあわよくば次の約束を取り付けようと下心満載の俺の声に被せるように古泉が言葉を重ねてくる。
「ところで、今あなたの家の外にいるのですが部屋に入れていただけませんか?」
 玄関の扉がノックされる音に強烈な既視感を感じた。


 なんて現実逃避をしながら訳もわからず古泉を招き入れる。アパート通路の取り替えたばかりの蛍光灯は眩しいほどの灯りで、それに照らされた古泉はムカつくほどかっこいい。なんでこいつはこんなに王子様的キラキラ野郎なんだろうね。一方俺の部屋は依然散らかったままだ王子がこんなボロアパート来ちゃダメだろ。王子じゃねえけど。俺にとっちゃそれくらい場違いな存在だってことに気がついてほしいような、気づかずに隙を見せててほしいような。なんか単調な感想ですまないが要はどっちも思うって話だ。反した気持ちなのにその根っこは同じってなんなんだろうな、深いぜ。いろんな意味で。
 茶でも出そうかと台所を向くと、手を引かれた。手、手っておま、おてて繋いでって、恥ずかしいしなんか慌てるよ俺は。
「こっち来て下さい」
 手を引かれるままにベッドに腰掛けた古泉の隣に腰を下ろす。手は解かれずに古泉の手のひらに収まった、いやはみ出しているが、ままだ。
 顔が赤くなるのがわかる。昨日から急激に増えたスキンシップを通じて学んだ。古泉に触れられて感じるのは期待と絶望だ。心が揺れ動いて非常にしんどい、だが嬉しい。期待して期待して興奮して諦めなくちゃならなくて絶望を感じて、それでも嬉しいのは嬉しいんだ。だから、やめてほしい。
 握られていない左手で古泉の指を外す。右手が解放される前に左手も古泉の手の平に捕まった。
 両手を握られ、体制は向かい合わせで顔も近い。
「やめろよ」
 声が震えたように聞こえていなけりゃ僥倖だそして古泉は耳鼻科へ行け、レベルの頼りない声が出た。顔が見れずに俯く。どうしてこの男はこういう意味のわからない、誰得俺得なことをしちまえるんだろうか。簡単にされてしまうと俺得すぎて無駄な期待で妄想力を働かせすぎて苦しい。
「いじっぱり」
 古泉のやたらとエロい声が耳元で聞こえたかと思うと耳殻に湿ったものが触れる。足元から頭の先に鳥肌が走る。手が解放され、流れる動作で胸元に引き寄せられて古泉の腕に収まった。収まってしまった。手とは違って古泉の腕が肩や背中に回って俺を胸にすっぽり、まではさすがにいかないがきれいに収まっている。体格差なんてそんなにないのに。そこまで考えて抱きしめられている状況を理解できた、理解はできたが訳がわからない。頭に血が上り続けていて目の前がチカチカしている。顔が触れるのはチェックのシャツで、顔にチクチクと繊維が刺さり少し痛い。古泉の匂いと香水の匂いが混ざってもうなんかなんなんだホントなんなのこの人。









ここまで。