眠れない夜
ごろりと寝台を転がったアルジャンは、諦めて身体を起こした。どうにも寝付けない夜だった。別に何か、心騒ぐことがあったからではない。不意にこんな風に、眠れないことが時々王子にはあった。
そっと寝台を降りる。窓からは、静かな月の光が差し込んでいる。真夜中。城は、一部の見張りの兵を除いて、完全に眠りについている。その景色を、アルジャンは黙って見つめた。
自分の城。まさかそんなものを自分が持つようになるとは、あのときまで夢にも考えたことが無かった。生まれ育ったソルファレナの太陽宮を遠く離れて、このセラス湖の遺跡から浮かび上がった城に起居するようになるとは。
何もかもがあの頃とは全く違う。女だけが受け継いでいくこの国の、王位継承権の無い王子として生まれ、それでも父と母の溢れるほどの愛に抱かれ、幸せに生きてきた。たとえ口さがない一部の貴族がなんと言おうと、自分を大切だと想ってくれる両親と、妹と、叔母の存在が与えてくれる愛に揺らぎはなく、ずっとこのまま幸せな日々は、自分がどこかの国の姫のもとへ婿に行くまで続くと、そう無邪気に信じていた。
「……父上……母上――リムッ」
けれど父母はすでにこの世になく、最愛の妹は遥か太陽宮に閉じ込められて会うことさえ叶わない。そしてこの身は幾多の人々を率い、妹を、この国を取り戻すための戦いを続けている。
普段はひたすらに前だけを見つめて、進むことに迷いはないのに。不意にこうやって、心が折れそうになることがある。双肩に掛かる責任の重み。成し遂げることが本当に可能なのかわからない、今の自分たちの戦い。いつか本当に、全てを奪還することなどできるのだろうか。
先頭に立つ自分が弱気になってはいけない。王族として、自らの感情を律することを幼い頃から学んできたから、そのことは良くわかっている。リーダーの弱気は、軍全体の士気を下げるからだ。
「でも……僕は本当に」
月の光の下、アルジャンは自分の両手を見る。扱いの難しい三烈棍を操る手の平は、ところどころが硬いマメになっている。けれど小さな、その手に碌なものを掬えないような、そんな手だと思った。
アルジャンは、ふるりと身を震わせた。ぎゅっと目を閉じて、震える身体を自ら抱き締める。不安が、胸の奥から押し寄せてくる。このまま、もう二度と妹には会うことができないのではないか。明日にでも、この命は果ててしまうのではないか。何もかも失ったまま、何一つ取り戻せないのではないか。心が弱くなる夜、不安は意地悪くそんな可能性を耳元で囁く。
「――王子」
「ッ」
柔らかな声音に、アルジャンは弾かれたように振り返る。いつのまに入ってきたのか、優しい笑顔をしたカイルがそこにいた。
「眠れないんですかー」
「……」
「辛そうな顔、してますね」
「――別に」
「嘘吐いちゃだめですよ」
滑るように近寄ってきたカイルは、窓際にたたずむ少年の頬にそっと手を伸ばして触れた。びくりと震える身体。大きな瞳が、わずかに揺らぐのをカイルは見逃さなかった。
「いいんですよ、辛いときは泣いて」
「僕は、辛くなんて」
「今は……オレしか聞いていませんから」
「カイル」
ふわりと微笑んで、カイルは自分より一回りは小さい身体を、そっと抱き締め、幼い子供をあやすように背中を撫でた。
「…………怖いんだ」
ようやく素直な言葉が、桜色の唇から零れ落ちる。それをカイルは否定も肯定もせず、黙って聞いている。くぐもったような声が、訥々と感情を吐露するのを、ただ静かに。
「何も取り戻せないまま、このまま終わってしまうんじゃないかって。だって、僕に何ができるの? ぼくは……ぼくは……う、くっ……」
ひくりとしゃくりあげる声。胸元が熱く湿っていく感覚に、カイルは腕の中の少年が涙を零しているのを知る。小さく震えながら、けれど声は抑えながら、しがみ付いて泣きじゃくる細い身体を、強く強く抱き締める。
「忘れないでくださいね。王子はひとりじゃないんです」
「……カイ…ル?」
「不安になるのはわかります。何もかも失ったまま、もう何も取り戻せないんじゃないかって。それはそうですよね、だって誰も未来はわからないんですから。でも」
オレが居ます。オレだけじゃない、リオンちゃんも、サイアリーズ様も、ゲオルグ殿も、みんなみんな、傍にいますから。
言い聞かせるように囁いて、さらに強く抱き締める。こうやって抱き締めてしまえば、本当に細くて小さな身体。まだ成熟には程遠い少年は、精一杯前を向いて頑張っているのだと、そう思うだけで胸が痛くなる。それは彼に課せられた運命。彼だけが背負わなければならないもの。代わってやることはできないけれどせめて。せめてその重みの一部を分かち合いたい。せめてこの腕の中でだけでも安らいでいて欲しい。代わることのできない運命以外の、全ての彼を傷つけるものから守りたい、そうカイルは強く願う。
抱き締めた腕の中で、しゃくりあげていた泣き声がだんだん静まっていく。こんな風に感情を爆発させるときがあってもいいとカイルは思った。まだ彼は、十五歳の少年なのだから。
「……あれ、寝ちゃったんですかー?」
「……」
いつのまにか、静かな寝息が聞こえてきた。泣きじゃくって泣き疲れた少年は、カイルに抱き締められたまま眠りに落ちてしまったらしい。微笑んだカイルは、その身体をいとも簡単に抱き上げる。
寝台にそっと身体を横たえ、頬に掛かる銀糸を指先で払ってやる。その眦に、涙の欠片が残っているのを見つけて、静かに顔を寄せ、唇で吸い取る。しばらくカイルは、滑らかなアルジャンの頬に手を置いたまま、考え込むように佇んでいた。
「……王子。いつだってオレが傍にいますから――」
するりとカイルが王子の横に滑り込むと、ぬくもりを探すように細身の身体が擦り寄ってくる。無意識に甘えるようなその仕草を愛しいと思いながら抱き寄せ、カイルも目を閉じた。
いつか全てを取り戻し、彼が心から幸せに笑うのを見たいと、そう願いながら。
END
post script
カイル+王子な気がしますが……。あれこれ王子だって不安になるときがあると思うのです。そんなときにカイルに縋って泣けばいいよ、というお話(え)
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