八、
 
 戦が始まって、曹真も曹休もいなくなってしまってからというもの、ずっと郭亦は曹休の言葉を反芻していた。どのように受け取って良いか、分からなかったのだ。
 彼がこちらに好意を寄せてくれていたのは何となく分かってはいた。曹休の事は嫌いではなかったが、何故か曹真と同じようには馴染めなかった。だから彼の好意に正直に応える事もできず、むしろ避けるような態度しかとってこれなかった。
 自分も、曹休のように自分の想いを正直に伝えれば良いのかも知れない。けれど、そんな勇気は少しもなかった。自分と曹休とは違う。彼は真っ当な人間だが、自分は汚い人間だ。相容れない。
 
「今回の戦の報告、ご覧になりました?」
 
 そろそろ曹真達の軍が凱旋するとの報告を受けた頃になって、楊脩が気を利かせたように報告書を持ってきた。
 
「何か……?」
 
 悪い事ではないだろう、とは何となく分かっていた。楊脩がしたり顔をしていたからだ。
 
「読んで御覧なさいな」
 
 楊脩がさっさといなくなってしまってから、郭亦は報告書を開いた。内容は諸将の武功についてで、曹真は特に良く働き多くの手柄を立てたようだ。
 この情報をいち早く掴んで持ってきたというので、楊脩は得意げな顔をしていたのだろう。先ほどの楊脩を思い出して少しばかり笑みを漏らす。
 また少し目線をずらすと、曹休の事が書かれていた。彼は何か小さな失敗を幾つか犯してしまったらしく、戦功も芳しくなかった。出かける前の彼の言葉をまた思い出し、あの事が少なからず絡んでいるのだろうかと思ってしまう。けれども郭亦はそれも忘れてしまう事にした。
 彼がどう思っていようとも、自分がそれに答えなくてはならない義務はない筈だ。自分には自分の想いがある。
 
 
 軍がようやく凱旋を果たし、曹真達が帰って来たと聞いてすぐに郭亦も出迎えに行った。
 皆疲れているだろうから、ただ労いの言葉をかけて来ようと思ったのだ。
 凱旋したばかりの兵がたくさんいる中で、遠くに曹真らしい人影を見つけた。馬の毛色も曹真のものに似ている。
 
「曹――」
 
 皆がいる場所だったので字で呼ぶのは控えようと思ってそう呼びかけたが、近付いた所で彼が曹真ではないと気が付いた。
 
「伯益」
 
 振り向いたのは、曹休だった。背格好が似ていて馬まで似ていたので、間違えても無理はない。
 
「あ、あの…………お疲れ、様でした……」
 
 今曹休と顔を合わせるのは気まずかったが、何も言わずに去ってしまう事も出来ない。口篭るようにそう言った。
 
「……ありがとう」
 
 酷く疲れた様子だった。例の失敗の事も気に病んでいるのだろう。
 
「伯益は、もう仕事は終わった?」
「え、まあ、大体は……」
「そうか。俺、もうこのまま帰ろうと思うんだけど……一緒に帰るか」
 
 馬に乗せてやる、という申し出だった。郭亦が馬を繰るのをいつも面倒がるのを知っての事だろう。
 
「大丈夫です、お気遣いなく……もうちょっとやる事が残っているので」
 
 曹休と二人きりになりたくない。気まずくなるのが目に見えていたからだ。
 
「じゃあ、僕はこれで――」
 
 会話はほどほどに、また郭亦は曹真を探し始めた。
 
「曹真殿!」
 
 次は曹真に間違いなかった。振り向いた彼に駆け寄ると、顔色を伺った。曹休ほど疲れた様子はなく、笑顔も消えてはいなかった。
 
「お疲れ、子丹」
「ああ、ありがとう」
「大手柄だったそうじゃないか」
「皆のお陰だ」
 
 自分の手柄でも皆のお陰だと言うのが曹真らしいと思った。
 
「伯益はもう仕事は終わったのか」
「ああ、大体終わってる」
「そうか。俺もうこのまますぐに自宅に戻ろうと思うんだ。ゆっくりしたいし。
 一緒に帰るか?」
 
 曹休と同じ申し出だった。けれども相手が曹真だというだけで嬉しくて、郭亦は頷いてしまったのだった。
 馬の背に揺られながら、この想いが通じようが通じまいが、このままでも構わないとふと思った。辛くないといえば嘘になる。けれども、汚れた自分を彼に知られてしまうよりは、ずっと良い。この想いはそっと秘めたままにしておこうと郭亦は決めた。
 
     *     *     *
 
 翌日、曹真達は休暇の為に出仕していなかったが、郭亦は通常通り出仕して仕事をしていた。
 昨日は結局送り届けてもらっただけで、一日を終えた。睡眠は充分に取れたので、今日は体調が良かった。いつもよりてきぱきと仕事をこなし、そろそろ昼の休憩を取ろうかと廊下に出た所で、郭亦はふと足を止めた。
 
「文烈、どうして――」
 
 曹真と同じく、曹休も今日は休暇を取って自宅で休んでいる筈だった。
 
「伯益……ちょっと、話があるんだ。来てくれないか」
 
 何か様子がおかしい。戦の失敗を気に病んでいるのかと思ったが、それとはまた別の悲壮感が感じられた。
 静かな場所に行きたいというので、使っていない執務室まで来ると、曹休は戸を閉めた。
 
「話って……何ですか」
「伯益……昨日は子丹と一緒に?」
「それは…………」
 
 曹休の申し出を断り、曹真の申し出を受けた。曹休に知れたら気まずいとは思っていた事だ。
 
「良いんだ、別に……そんな事は」
 
 そう言ったが、曹休の中では、裏切られたような思いが渦を巻いていた。あの日、共に帰れたなら、戦の失敗で傷ついた心境が少しでも癒されると思っていたのだ。ただ、自分勝手な都合だとは分かっていたが。
 
「分かってる、お前が、子丹の方を気に入ってるって事は……
 でも、俺――」
「文烈、ごめん、僕っ……」
 
 曹真が好き。だから曹休の想いには答えられない。
 その簡単な一言で全てが済むと思っていた。
 
「俺、見ていられないんだ伯益……お前が悲しそうにしているのを……。
 子丹には通じないんだ、お前の気持ちが……」
 
 誰もに慕われていて、誰の事も平等に世話を見る曹真は、全ての人間に優しい。だからこそ、一人の人間の特別な感情に気付く事ができない。構ってもいられない。
 その現実には、郭亦も気付いていた。だからこそ、秘めていようと決めたのだ。
 
「俺なら、お前だけを見ていられるのに」
「僕……だけ…………」
 
 自分だけ愛されたいと願った事なら幾らでもある。
 けれども金の上に作られた仮初めの愛情ばかりに慣れてしまった自分は、そんなものを信じられなくなっていた。夢や幻と変らぬものだ。
 
「伯益っ……」
 
 その言葉に気を取られていた隙に、曹休は郭亦を無理矢理に抱き寄せた。
 
「文烈……?!」
「ごめん伯益……俺、もう駄目だ」
 
 俄かに掠れた声で言うと、彼は唇を重ねてきた。
 どう抵抗しようにも、鍛え上げられた体の彼に適う筈もなく、強く抱き締めるその腕に、郭亦は体が軋んで折れてしまいそうな感覚を覚えた。
 朴訥な印象だと思っていた曹休の舌は、歯列や上顎をなぞり確実に郭亦を追い詰めていた。
 嫌な筈なのに、無理矢理されているのに、けれども曹休の熱さに好感を持ち始めている自分がいた。強く求められたいと願う思いがどこかにあったのだろう。曹真は振り向いてくれないかもしれない。けれど曹休は、こんなにも一途に自分だけを見てくれる、と。
 濃厚な接吻を受けながら、その手の愛撫が胸から下腹部に下りていた。身体は既に熱くなり、着物も何時の間にやら肌蹴ている。全てを曹休に晒している状況でも、もう構わないと思えてきていた。
 
「ぁあっ……文、烈……」
 
 慣れ過ぎている身体に、初めてではないと曹休には既に悟られてしまったかも知れない。けれどもそれも構わなかった。
 武骨な指が秘口をまさぐり、抉るように中を掻き回す度に、体が打ち震えるほどの快感を覚えていた。執拗に中の敏感な部分を擦るので、狂おしい感覚に視界が白く霞んでくる。
 
「文烈っ…………」
 
 楽にして欲しいと訴えると、曹真は首筋に接吻を施し、耳元で囁いた。
 
「伯益……」
 
 腰を引き寄せられ、秘口に丸みを帯びた先端が宛がわれる感覚を覚えた。力を込められると、体内への侵食が始まる。
 
「あぁ……」
 
 思っていた以上の質量に体が震えたが、それすらも押さえ込まれて一気に差し込まれた。
 
「うぁっ……!」
 
 それからすぐに激しい攻めが始まった。時折此方を労わるような様子を見せながら、けれども少しも激しさを損なわない。強い腰が休む事なく奥を突き上げた。
 
「伯益、伯益っ……」
「あぁっ……あぁぁっ……!」
 
 意識が飛ぶ。そう思った時、不意に曹真の顔が脳裏に浮かんだ。
 
「や……嫌、だっ……」
 
 幾人もの相手と交わり、そうする事に慣れた身体であったが、曹真の事を想うと、これ以上穢れたくはないという思いが強くなっていた。
 
「嫌だ、止めてっ――……!!」
 
 快楽に意識を奪われたくない。
 けれども心の内のどこかで、この状況を良しとしている自分がいる。もっと強く抵抗できる筈なのに、曹休の胸を押し返そうとする自分の手は弱々しい。
 郭亦の弱い抵抗は単なる羞恥心としか思われなかったのだろう。突き上げが早まった。
 
「あぁっ……!」
 
 体内に迸りを感じながら、郭亦の意識は徐々に遠退いていた。
 
 暫くして、郭亦は執務室の壁に凭れて座る曹休の腕の中で目覚めた。どうやらずっと支えられていたらしい。日は少しばかり傾いていた。
 
「ごめん、伯益…………酷い事、して……」
 
 我に帰って自分のした事を思い返したのか、曹休は酷く後悔した面持ちでいた。きっと郭亦が目覚めるまでどうすれば良いか分からずに悩み続けていたのだろう。
 
「…………」
 
 どう言葉を返したら良いか分からなかった。けれど恨む気持ちもない。
 
「ただ、お前が好きだったんだ……」
 
 取り返しのつかない事をしたと項垂れた曹休の胸に、郭亦は黙って額を預けた。
 
「伯益……」
 
 それを許しと受け取ったのだろう、曹休の表情が僅かにほころんだ。
 寂しい、愛されたいと、知らぬ内に郭亦は胸中の深い所で暗い空虚を広げていた。それを埋めてくれるならば誰でも良いと思っていたわけではない。しかし、曹休を曹真の身代わりにしてしまった事に、気づかない振りをした。そうでもしなければ、もどかしく辛い気持ちを抱き続けねばならなかったからだ。
 痛みに逃げた自分は卑怯者以外の何者でもない。それでも自分は、そうしなければ生きられない弱い人間なのだ――。