髑髏ちゃん登場直後に書いたものです
髑髏の方がツナより背が高かったり、ほっぺチューしてたりしますが、
先走りの産物です






扉を開けると、そこは無間地獄だった。

瞬時に扉を閉め、綱吉は自問する。
今見たのは何だ。
ドアノブを握ったままのてのひらが、じっとりと汗ばむ。てのひらだけではない。額にも、首筋にも、生温かい汗が吹き出す。目の前にあるのは自分の部屋の扉のはずなのに、扉の向こう側からの圧迫感に押し潰されそうになる。
ただの見間違であって欲しい。毎日の修行とバトルで疲れているが故に見えた幻影だと信じたい。
けれど、思考や感情にはお構いなしに、容赦なく襲ってくるこの悪寒。覚えたくなんかなかったのに覚えてしまったこの感覚。知っている。間違いなく自分は、この悪寒の原因を知っている。
それでも、まだ綱吉とそれの間は、扉で遮られている。頼りない薄い板一枚ではあるが、まだ見なかったフリができる。そう、このまま逃げてしまえば……。
「部屋の前で何やってんだ、ツナ」
「あっさり開けるなよ!!」
綱吉が逃げ出す前に、無情にも扉は開いてしまった。開けたのは、多分味方のはずのリボーンである。『味方』という言葉に、『多分』とか『のはず』と付けなくてはならない家庭教師ってどうなんだ。常日頃から感じている不満だが、今回は改めて問い正したい、と綱吉は怒っていた。味方というならどうして、何故、あんな危険物を自分の部屋に上げているのか!
「お邪魔してます、ボンゴレ」
綱吉の部屋の真ん中で、S級指定の危険物は、正座をしたまま頭を下げた。
「なんでお前がオレの部屋にいるんだよ、六道骸!」
「嫌だなぁ、僕のことは気軽に髑髏ちゃんって呼んで下さいって言ったじゃないですか」
「どこの撲殺天使だよ!!」
「髑髏はオレが入れたんだぞ」
「はぁ!? なんでそんなこと……」
「いいからさっさと入れ」
ジャキン、と重い音を立てて銃を向けられては、従う以外道はない。せめてリビングにいる母親やチビたちを巻き込まないよう、後ろ手に扉を閉め、綱吉は魔窟と化した己の部屋に足を踏み入れた。
眼帯が多少奇妙なものの、見てくれだけは美少女と言ってもいい危険物が、ローテーブルの前に膝を揃えて正座している。ものすごい違和感だ。例えるならば、動物園の檻の中にサメがいて、ビチビチ跳ねているような違和感だ。しかも、爪楊枝一本でそれに立ち向かえと言われている状況だ。
「あの、骸、何しに……」
「髑髏ちゃん」
少女の皮を被った悪魔が、にっこりと笑う。
「その……」
「髑髏ちゃん」
「…………ど……髑髏、は、何をしに来たのですか……」
ちゃん付けをしないのが、綱吉のせめてもの抵抗だった。抵抗というか、ギリギリのラインだった。いくらなんでも無理なものは無理である。
「いきなり呼び捨てだなんて……ボンゴレは強引ですね。でもそんなところも素敵です」
少女(仮)は、ポッと頬を染めて身をくねらせた。
「いや、骸の頃から呼び捨てだから!」
「今日お伺いしたのはですね、先日の報酬を頂こうと思いまして」
「なんでオレの周りの人間って人の話を聞かない奴ばっかりかなぁ!?」
「部下の苦労をねぎらうのも、ボスの重要な仕事の一つだぞ」
「話を聞かない奴の筆頭はお前なんだけどな!」
「ボンゴレ……いくら貴方がこの場で唯一のツッコミだからって、まだ本題も聞かない内からいちいち突っ込んでいたら、身が持ちませんよ?」
「だったらボケるなよ!!」
この場っていうか、大体どの場でもツッコミはオレ一人なんだけどな!
と、突っ込んでいたらますます話が続かないので、綱吉は黙った。とりあえず、今の髑髏に綱吉を害そうという気はないようなので、話くらいは聞いてやってもいい。本当に聞くだけなら、だが。
「この間の、霧のリングを賭けた戦いの報酬です。僕は見事貴方のお役に立ったでしょう?」
「う……まぁ、それは……」
髑髏がマーモンに勝って、完全な霧のリングが綱吉のものになったのは事実だし、その戦いにどうしても勝ってもらわなければならなかったのも確かだ。しかし綱吉は、まずこの一連の戦いの出発点そのものが気に入らないわけで、『勝ちました!』と言われて、素直に『ありがとう!』と言う気にはなれないのである。しかも相手はクローム髑髏、もとい六道骸だ。これが、獄寺たちはもちろん、雲雀であったとしても、骸以外の相手にならば、よかった、嬉しい、とは思う。しかし骸である。たとえボンゴレファミリーに命を握られている今でも、勝った代わりに貴方の体を寄越しなさい、とあっさり言いかねない相手なのである。
言葉に詰まった綱吉を見て、髑髏は楽しそうに唇を吊り上げた。長い睫毛に縁取られた零れ落ちそうに大きな瞳であっても、ツヤツヤしていて柔らかそうなプルプルの唇であっても、真っ白で滑らかな絹織物のような頬であっても、邪悪なものを裏側に秘めた笑みは、確かに骸のものだった。
「勝った代わりに、ボンゴレ、貴方の身体を」
予想通りの言葉に、綱吉はごくりと喉を鳴らす。
「なんて、言うと思いました?」
「……は?」
にっこりと笑い、髑髏は立ち上がった。きわどい短さのスカートの裾を直し、立ち尽くしたままの綱吉に向かい合う。骸のときよりは視線の高低差が縮まったが、元々小柄な綱吉は、少女である髑髏にも見下ろされていた。当然、下から見上げられるよりも、上から見下ろされる方が圧力を感じる。ぶっちゃけ怖い。
「怖い家庭教師が見張っているから、今日はやめておきましょう」
「今日はってことは、諦めたわけじゃないのかよ!」
「もちろん。貴方の身体を頂いてボンゴレファミリーを手中に納め、マフィアという醜い生き物を絶滅させることが、僕のライフワークですから」
「マフィアが嫌いなのはオレもだけど、目を輝かせて絶滅とか言うなよ!」
「クフフ、それはまぁ先のお楽しみに取っておくとして、今日は別のものが欲しいんです」
髑髏が右手を上持ちげた。綱吉は体を震わせ、一歩後ずさる。髑髏の手は、白く、細く、頼りない少女の手だ。けれど綱吉にとってそれは、触れただけでも皮膚を裂かれるのではないかという、恐怖の対象である。
その綱吉の反応をどう思ったのか、髑髏は持ち上げた手をまた下ろした。
「……そうですね、僕から触れるのはやめておきましょう」
両手を後ろで組み、少女はにっこりと笑う。
「ちゅーしてください」
何か企んではいそうだが、少なくとも邪悪なものを隠している笑顔ではない。
「……はい?」
だが、綱吉は髑髏の言った言葉の意味が分からなくて、警戒を解くことはしなかった。
ちゅー?
なに? ちゅー……ちゅー……、
「中毒死してください!?」
「なんですかそれは。ボンゴレ、ボケに転職するつもりですか? 僕は、ちゅーして欲しいと言ったんです。イタリア語で言えばbacioです」
「ボケとツッコミは職業じゃないよ! って、え? ばー……?」
「英語で言うと、キスです」
「き……」
きす。
キス。
キスってなんだ。
「て、天ぷらにすると美味しいよね……」
「普段ツッコミばかりの人のボケってイマイチですねぇ」
息を一つつき、髑髏はずいと身を屈めた。至近距離で目が合う。赤くない、六の字が浮かんでもいない、大きな瞳だ。
「僕はボンゴレに、キスして欲しいんです。口付けして欲しいんです。接吻して欲しいんです」
「な……な……」
髑髏がそれこそ本当に唇が触れ合いそうなまでに距離を縮めてくるので、綱吉は身をのけぞらせて後ろに下がった。
「何でそんなこと……」
「そりゃあ、貴方とキスしたいからに決まってます」
髑髏が一歩前に出る。綱吉は一歩後ろに下がる。
「そうじゃなくて、何でオレとキ……そんなことしたいんだよ!」
「さぁ、なんででしょうねぇ……。僕にもよく分かりません」
髑髏が一歩前に出る。綱吉は一歩後ろに下がる。
そこで、背中が何かにぶつかった。自分で閉めたドアだ。部屋と廊下を区切る薄い板。日常と非日常を分かつ強固なる結界。
逃げられない。
「……へ、変態っ! 何考えてんだよお前!」
今や二人の間は、紙一枚と言えるほどに縮まっている。しかし髑髏は決して自分から綱吉に触れることはせず、唇を歪めて笑いながら、追い詰められた子羊の耳元で囁いた。
「いいですねぇ、貴方に変態なんて言われると、ゾクゾクしますよ。もっと言ってください、ボンゴレ」
「ひぃぃ! 本物の変態だー!」
耳の中に吹き込まれる生温かい息に、綱吉は本気ですくみ上がった。髑髏の体から漂う、花のようななんだか甘い香りでも、気色悪さは相殺できない。
「というか、僕は今女の体なので、君に変態と言われる筋合いはないんですけど」
「だってお前、中身は骸じゃん!!」
「僕はもう幾多の人生を生きているんですよ? その中では、女性だったこともありました。そんな僕に、男とか女とか、今更関係ないと思いません?」
「男とか女とかの問題じゃないんだよ! お前だから嫌なんだよ!!」
「そうはっきり言われると傷付きますね……でも、濡れちゃったかも」
「濡れ……?」
何が?
綱吉が聞き返す前に、髑髏は一歩後ろに下がった。二人の間に、人一人分くらいの隙間ができる。
「貴方がそんなに僕にキスするのが嫌なら、別のものでもいいです」
髑髏は笑ってそう言ったが、綱吉は到底胸を撫で下ろす気にはなれなかった。『別のもの』がキスよりも厄介なものでない保証はどこにもないのだから。
果たして、髑髏は笑顔で言った。
「奪っちゃってください」
両手でスカートを捲り上げて。
「何をだ――――!!!」
全力でツッコミつつ、人体の構造上多少無理があるところまで首を曲げ、顔を逸らす。視界の端に映った、フリルいっぱいの白いものについては、見なかったことにした。
「何をってもちろん」
小首を傾げて説明しようとした髑髏に、
言わなくていいから!!
と、綱吉は突っ込もうとした。が、それは実際に言葉になることはなかった。何故ならその前に、もう一つややこしいものが乱入してきたからである。
「てめぇ、10代目になにしやがる!」
「獄寺くんどこから!?」
「窓です!」
「それは見れば分かるよ!!」
そうじゃなくてどうして窓から、とか、ここ二階なんだけどどうやって窓から、とか、そういうことが聞きたかったのだが、この際、窓から獄寺が入ってきたことは無視することにする。獄寺は、『多分』とか『のはず』がつかない、完全無欠の味方だ。役に立つかどうかは別として。
「獄寺くん助けて! でもできるだけダイナマイトは無しで!」
「できるだけってことは、使わざるを得ない場合は使ってもいいってことですよね、10代目!」
「うわぁこの人最初から使う気満々だよ!」
既に、タバコもダイナマイトもスタンバイOKである。髑髏と至近距離で向き合っているこの状態では、間違いなく巻き込まれてしまうだろう。
「まったく、相変わらず頭の悪い駄犬ですね」
「んだと!?」
「僕も頭の悪い犬は飼ってますが、もう少し可愛げというものがあります。飼い犬の趣味という点では、ボンゴレとは相容れないようですね」
「全てにおいて相容れてないよ!」
「ちょ……10代目、もっと他に否定するところありませんか!?」
「しかし、僕は今日、報酬を貰いに来たのであって、人様の駄犬を躾け直しに来たわけではありません」
髑髏は、真っ直ぐに綱吉の目を見つめた。呑まれてはいけない、と、頭では思うのだが、体が上手く動かない。
「まだこれからチャンスはありますから、今日はまけておきましょう」
蛇に睨まれた蛙のように硬直している綱吉に、見てくれだけは天使のように愛らしい少女が、微笑みかける。
ふわりと香る花の香り。
鼻先をくすぐる柔らかな髪。
そして、頬に触れた柔らかいもの。
「確かに頂きました。それではチャオ、ボンゴレ10代目!」
これ以上ないくらい爽やかな笑顔を浮かべて、髑髏は去っていった。
固まったままの綱吉と獄寺を残して。
窓から。
……いつかの風紀委員長といい、なんで窓から出入りするんだ……。あ、そうか、オレが出口塞いでるからか……? でも出口から出られたら困るよな。あんな変態、母さんに友達だって紹介したくないもんな……。
何故かキスされた本人ではなく獄寺が悲鳴をあげる横で、綱吉は現実逃避していた。リボーンはいつの間にかハンモックの中で寝息を立てている。もちろん、それは予想済みだったので今更突っ込む気にもなれない。
というか、もう全てのボケに対するツッコミを放棄したい。
己のレーゾンデートルにも関わるようなことを考えながら、少年はがっくりとうなだれた。