Yesterday Knight Noble Blood



はあ、と大きく息を吐き出したアスベルが椅子の背凭れに身を預ける。
いつも不敵な彼でも緊張することがあるのかと思うと、少しおかしかった。解れた前髪を直そうと手を伸ばす。
「お疲れ様です、ラント卿」
くすくすと肩を揺らすと、アスベルは眉を八の字にしてやめてくれと言った。
「緊張で死ぬかと思ったんだぞ」
「その割にはちゃんと受け答えできていたじゃありませんか」
床に膝を突き、頭を垂れるアスベルの姿は同性から見ても凛々しかった。純粋に賞賛したのに、彼は歯切れ悪く目を逸らす。
「まあ、それは…。ずっと頭の中で練習してたからな」
伏せられた青い瞳に、ちくりと胸が痛んだ。
「…そうですか」
指先で触れた前髪は、ぱりぱりと硬い感触をしていた。大礼服に合わせてセットするのに、薬品で固めたのだろう。変な位置で額に垂れる一房を摘んで上へ撫でつけるが、またすぐに落ちてきてしまう。物足りなさを埋めるように何度も繰り返していると、彼がもぞもぞと口を開いた。
「笑わないんだな」
「何故ですか」
分からないふりで聞き返す自分に、アスベルは緩々と首を振った。目を細めて髪をいじる。
これがもし再会した直後だったならくだらないと笑い飛ばしていたかもしれないが、今は違う。兄が夢にかけていた思いも、それがどれだけ本気だったかも分かっているつもりだ。
髪に指を通し、素直な気持ちで微笑む。
「格好良かったですよ」
ぎゅう、ときつく腰にアスベルの腕が絡んだ。軽く引き寄せられて、その場で数歩たたらを踏む。ぴったりと密着した腹から彼の声が響いた。
「なあ、お前は褒めてくれないのか」
「え?」
「いいこいいこって」
「ばっ、何言ってるんですか」
拗ねるというよりは寂しそうな声音に、内心焦る。
アスベルが言っているのは、彼が称号を授かって自分たちのところへ戻ってきたときのことだ。今回の計らいを、『いいこいいこって褒めるご褒美みたいなもの』と解釈したパスカルが、その言葉通りに彼の頭を撫で回したのだ。そうなれば面白がったマリクが後に続き、ソフィが真似をして、シェリアが顔を真っ赤にしながらも彼の前へ歩み出る。残された自分にも当然同じことを要求されたが、断固として拒否したのだ。あんな人前で見世物になるなんて冗談ではない。
頬が熱くなるのを感じながら後ろへ下がろうとすると、アスベルがじっと見上げてくる。真っ直ぐな視線を受けて、ぐ、と顔を歪めた。ずるい。そんな目で見られたら逆らえないと知っていてやっているのではないだろうか。
生憎ここには自分達二人しかない。にやにやと見物してくる仲間の姿はないのだ。
爆発しそうになる羞恥を押し殺し、薄く深呼吸をする。期待に僅かに輝いた彼の瞳を睨み返した。そして意を決して、浮かせていた手を髪に下ろす。
「い、いいこいいこ…」
やっぱりやらなければよかった、と後悔に頭を抱えたのも束の間、ふわりと花が咲くように笑うアスベルに胸が高鳴る。どうやったらこれほど嬉しそうにできるのか、教えてほしいくらいだ。
「ヒューバート」
柔らかに呼ばれるままに、腰を屈める。雰囲気に流されてはいけないと分かっているのに、ついアスベルの唇を求めてしまう。緊張していたというのは本当らしく、重なった皮膚はかさかさとしていた。潤すように舐めると、兄の舌が出てきてくすぐられる。吐息を漏らし、唇ごと食んで口づけを深くする。
兄からは普段とは違う香水の匂いがした。花と果実を混ぜたような、それでいて落ち着いた香りに夢中になる。
腰を彷徨っていたアスベルの手が、するりと軍服の裾を割って忍び込んでくる。意図せず突き出す形になった臀部をさわさわと弄り回すのに文句を言おうとしたが、ここで反応すればまた可愛いだの何だのと笑われるのが落ちだ。それは癪なので、極力そちらは無視しながら兄の髪や耳を指先で辿る。気持ちよさそうに兄が喉を鳴らすのがたまらない。
邪魔な眼鏡を奪われ、そのときアスベルの口の端から唾液が伝っているのが目に入った。両頬に手をかけたまま舌で拭う。
「ヒューバート、座って」
その囁きに、どこへ、と視線で問い返す。アスベルは熱っぽい瞳で、自身の腿の上にこちらの腰を引き寄せる。
「に、兄さん」
慌てて抵抗しようと身じろぐ。これでは自分がアスベルに甘えているかのようだ。けれど、彼の有無を言わさない視線に諦めて、渋々身体を跨ぐ。当たり前だが人の膝に座るなどということは、ラントを離れてから一度もない。触れ合った肉の感触が落ち着かず、置き場のない手を彼の腕へ回してもぞもぞと座りやすい位置を探す。
そうしていると、何故かアスベルが眉を寄せ溜息を吐いた。
「あまり誘わないでくれるか」
「は?え、ちょっと」
彼の顔が胸に擦りつけられる。厚手の軍服を開き、インナー越しにやわやわと唇を押し当てられる。ぶわ、と耳まで赤くなるのが分かった。大した刺激などないはずなのに、兄にそんなことをされていると思っただけで涙が浮かびそうになる。
「やめ、嫌です、兄さん」
肩を掴んで引き剥がそうとすると、意外にもあっさりとアスベルの顔が離れた。腕で身を庇い、はあ、と肩で息をする。
本音を言えば、アスベルとこういった行為をすること自体は、嫌いではない。だが、彼のじゃれるような愛撫は別だ。快楽を引き出すのとは違う、ただ単に触れるだけのそれは、こちらに理性が残っている分死ぬほど恥ずかしかった。どう反応していいのか分からない。
自分としては、早々に何も考えられない状況にしてもらった方がやりやすいのだ。その方が後でいくらでも言い訳がきくし、彼に責任転嫁できる。兄さんが無茶をするから、あんなふうに乱れてしまったのだと。そうやって小さな自分のプライドを保っているのだ。
(だから…)
こういうのは、本当に困る。
アスベルは自分に抱きついた格好のまま、むっつりと恨めしそうな表情をしていた。直感で失敗したと思ったが、一度振り払ってしまったものは取り繕えない。口を噤んで見つめ合う。
やがて、アスベルがぽつりと言った。
「脱げ」
「…い、嫌ですよ。どうしてぼくが」
「ご褒美」
ぶつぶつと唇を尖らせる。異様に口数のないその姿が、彼が臍を曲げてしまったことを表していた。ああ、と心の中で自分の失態を嘆く。
自分は彼のご褒美になった覚えはないし、そもそも称号を与えられておいてご褒美も何もないだろう。そうは思っても、兄の我侭を断れば後で余計に酷い目に遭う。それが幼い頃からの兄と自分の関係だった。
これ見よがしに溜息を吐き、軍服の襟に指をかける。上着を落とし、インナーを下ろしている間も、彼の両手はこちらの身体を這い続けていた。
「お前、何度見ても腰細いよなあ」
「兄さんと大して変わらないでしょう」
「色が白いから細く見えるのかな」
「普通逆じゃないですか?」
「なら、やっぱり細いんだ」
腰骨の辺りまで肌を出したところで膝から下りようとすると、アスベルの手に止められた。
「もういい」
また先程と同じように彼の顔が近づいてくる。今度は服がないからか、べろりと遠慮なしに舐められた。そのまま口に含まれ、舌で転がされる。ぬるぬるとした生温かい感触に、背筋が震えた。腰を支えていた片手が素肌を撫で回す。
「ん…」
ぞわ、とした感覚を誤魔化すようにアスベルの肩へ指を食い込ませ、顔を俯ける。
眼下にある彼の髪は、普段とは違いきっちりと纏められている。そのおかげで普段は見えない彼の表情が丸見えだった。きゅうと閉じられた瞼に睫、赤く染まった頬。思わず目を奪われる。
ぼんやりとそうしていると、不意に青い瞳が現れて慌てて目を瞑った。しかし彼にはばれていたようで、ヒューバート、と呼ばれて恐る恐る瞼を上げる。
アスベルは浮かされたように微笑み、やんわりと頬を撫でてきた。熱い。指先に触れられたところが発熱でもしたかのようだ。
剣士らしく節が張っているが、細く整っている。兄の指が自分は好きだった。大好きなのにやはりどうしていいか分からなくて、黙り込むことしかできない。兄はそんな自分を見て寂しそうに目を細める。
そうしてこちらへしな垂れかかるようにして、足の間へ手を伸ばしてきた。まだ引っかかったままのインナー越しにさする指と、素肌に触れる彼の服の感触に、びくりと肩が跳ねる。今更ながら、ほぼ服を脱ぎ落とした自分に比べ、兄はスカーフ一枚外していなかった。
何て格好をしているのだと思い、かあっと体温が上がる。せめてこの分厚い上着だけでも退かしてしまおうと、手を滑らす。
「脱がせてくれるのか」
からかうような声音が苛立たしい。
「万が一にも汚すわけにはいかないでしょう!兄さんの服ではないんですから」
勢い任せに口にしてしまってから、はっと我に返った。
こんなことを今わざわざアスベルに告げる必要はなかった。視線をやると、案の定表情を曇らせた彼が困ったように眉尻を下げている。
「そうだな」
「ええ」
すみませんと謝るのもおかしな気がして、無言で上着を床へ下ろす。
アスベルの父に対する罪悪感は、恐らく自分の数百倍は大きなものだろうと思っている。幼い自分がちゃんと父の思いを理解していたら、言葉に従っていたら、家を飛び出したりしなければ、あとほんの少しでも早く故郷へ戻っていたら。その上血を分けた肉親とこんなことをしているなどと父が知ったら、悲しむどころの騒ぎではない。
それは自分も同じ思いだが、兄と比較すれば些細なものだ。両親に捨てられた恨みだけで生きてきた自分にとって、父との関係は七年前のあの日で止まっていた。その恨みがなくなった今、ラントにいた頃と同じ尊敬や思慕の感情がほとんどを占めている。兄との繋がりに後ろめたさはあっても、そこまでの痛みは感じなかった。むしろ、無理やり兄と引き離されてしまったせいでこうなったのでは、とすら考えている。憎悪と愛情は比例していくのだ。膨れ上がった感情は、もう自分では止めようがなかった。仕方ない。代わりに母に対する罪悪感は兄の数百倍はあるだろうが、それは今はどうでもいいことだ。
上半身を晒したアスベルは、未だに暗い表情をしていた。無理もないのかもしれない。
「やめますか?」
あやすように抱き締めながら尋ねると、彼はゆっくりと横に首を振った。そしてこちらの手を取り、自身の下半身へと導く。男としてのそこは確かに膨らみを保っていた。
彼が緩々と唇を歪める。
「もう同じことだよ。だから、いい。ごめん、ヒューバート」
察するに、そのごめんには自分達がこんな関係になってしまったことも含まれているのだろう。
アスベルの、そうやって何でも自分の責任だと思い込むところは嫌いだった。第一、最初に我慢できなくなったのは自分の方だ。そうやってできた綻びが兄にも伝染し、なし崩しに一線を飛び越えてしまった。兄は悪くない。
「兄さんがやめたくなったら、いつでも言ってください」
自分は初めから覚悟はできているのだ。どうせ、そう長くは続かない。
アスベルが否定するように首筋に噛みつく。強く吸われると、現金にも興奮した。跡がついたかもしれない。
下ろしたままだった手でそっとアスベルを撫でる。ん、と鼻に抜ける彼の声が可愛いと思った。上等な生地ごと揉み、大きく開いた隙間から内股を撫で回す。ついでに腰の留め具も外してしまうと、焦れたように彼に膝から下ろされた。
す、と何の躊躇もなく跪いたアスベルに、ロングブーツを脱がされる。白いそれが放り捨てられるのを横目に見、立ち上がった彼と唇を合わせた。後ろ手に支えられるものを探して、テーブルに手を突く。追いかけるようにアスベルの手が重なり、もう片方の手には頭を押さえられた。足の間に入り込んできた太腿に股間を擦られ、くぐもった声を上げる。
服があまり伸びのよくない素材で作られているせいで、熱が溜まれば溜まるほど苦しくなってしまう。テーブルに腰を挟まれ、上から押しつけるように圧迫されると、痛いのと気持ちいいのとで少し混乱した。本能的に逃れようとして首を左右に振りながら、片手で兄の足を押し戻す。しかし、その程度の抵抗で兄が離れてくれることはない。更に息苦しくなってきて目尻に涙が浮かぶ。
「あっ、あ…」
息継ぎの間に漏れる声質が変わってきているのに気づいたのか、ようやくアスベルが顔を離した。
は、と大きく息を吸い込み、胸を上下させる。眼前の彼が食い入るようにこちらの表情を見つめているのが居た堪れなかった。一体どんなみっともない顔をしているというのか。なるべく考えないようにしつつ、訴える。
「兄さん。下、苦しいです…」
こくりと彼の喉仏が動いたような気がした。足の間に挟まっていた太腿が退かされ、ほっと肩の力を抜く。
そのまま脱がせてくれるのかと思ったら、彼は先に自身のブーツを脱ぎ始めた。重そうなそれを遠くへやり、腰に絡まっていた赤い布を引き抜く。するりと装飾的な下衣が落ち、インナーと下着も彼の手で取り去られた。
足に触れていたので分かってはいたけれど、彼のものが脈打ち立ち上がっているのが嬉しかった。ふふ、とこぼすと、近づいてきた彼に服を下ろされる。締めつけから解放されたのを見て、彼が呟いた。
「つらそうだな」
「自分でやったくせに何を…」
笑みながら返すが、アスベルに握られてすぐに眉が寄った。先端から根元へ撫でられる。上下に扱き続けているうちに、くちゅくちゅと音が立ち始める。兄の指が自身に絡んでいるのを眺めながら、熱い息をこぼした。
「気持ちいいか」
一々確認してくる兄に、知らないうちにこくりと頷く。
「んっ」
途端動きが大胆になり、溶けそうになっていた理性が蘇る。
手を口元へやって息をのむ。彼が戯れに額や頬を啄ばむのさえ、ぞくぞくとした衝動に変わっていた。そんな状態でむき出しの耳を噛まれれば、上がる声は甘さに塗れたものでしかない。
明らかに気をよくした様子の彼に、何度も耳をいじられる。歯を立てたり息を吹きかけたりと好き勝手に楽しんでいるようだが、やられる方とすれば堪ったものではなかった。崩れ落ちそうになる膝を、どうにか片手で支えて踏み止まる。
「も、や…」
蚊の鳴くような声を聞きとめた彼が、手の動きを緩める。そして恐らくは純粋な好意から、そっと自分の耳元で囁いた。
「出してからにするか?それとも、もうする?」
熱を多分に含んだ掠れ声に、情けなくも腰が砕けそうになる。有り得ない。泣きそうになりながらも、とりあえず顔を見られないように片腕を彼の首に回した。こうすればいくら兄でも、今顔を上げたらいけないのだということくらいは理解してくれる。
ただ理由までは気づいてもらえないようで、不思議そうに目を瞬かせているのが分かった。
「ヒューバート?」
「うう…」
小さく唸って、アスベルの肩に顔を埋める。諸々の腹いせにがぶりと噛みつき、たっぷりと気持ちを整理してから震える唇を開いた。
「いま、したいです…」



***



初めはわざと焦らしているのかと思うほど丁寧にしてくるくせに、途中から我慢できなくなってくるのか、段々と仕草が乱暴になる。荒い息が耳元にかかるのも、暑苦しいくらい背中に引っついてくる体温や汗の感触も、内にこもる快感を呼び起こしてやまなかった。
抜き差ししていた指を中で折り曲げられると、ついぎゅうぎゅうと締めつけてしまう。
「…ヒューバート」
「わ、分かってます!」
力を抜けというアスベルの言葉に短く返し、大きく深呼吸をする。
緩んだところにもう一本指を添えられて、汗がテーブルに落ちるのが見えた。ぐじゅ、とローションが垂れ出る感覚に、肌が震える。下半身は既にべとべとだった。平常であれば不快感を煽るはずなのに、兄にそんなふうにされて喜んでいる自分がいる。もっとぐちゃぐちゃにされたい。他のことは全て忘れて、兄だけのことを考えていたい。
腹の辺りを彷徨っていたもう片方の手が、蛇のように胸へと上がってくる。体液に濡れた指に先をいじられると、新たな熱が生まれて腰が揺れた。硬く芯を持ったそこを捏ねるようにされ、部屋に湿った声が響く。唇を噛んでも殺しきれなくなっていた。頭の中に霞がかかる。
「なあ、ヒューバート」
甘えるようにアスベルの頬が擦り寄ってくる。それ以上言われなくとも、ぐにぐにと中を広げるようにされれば嫌でも分かる。
「…いいですよ。平気です」
頬にキスを落とし、兄の身体が離れていく。背中が少し寒くなって顔を顰めた。振り返ると、兄が自身のものを扱いていた。それくらい自分がやるのに、と思っている間に腰を取られ、入り口に先端が割り込んだ。前を向いて強く口を覆う。いれるぞ、と聞こえた。
「ひあっ…」
手のひらの間から悲鳴が漏れる。
熱く硬いものが捻じ込まれ、目を見開いた。腕からがくりと力が抜ける。テーブルに崩れ落ちた身体に上から押すようにされて、足の付け根がぶつかった。奥まで目一杯広げられる。
「にいさ、にいさん」
「ああ」
後ろからくしゃりと髪を混ぜられる。無理やり身体を捻ろうとすると、アスベルの顔が近づいてきて顎を掴まれた。目を伏せ、必死で舌を伸ばす。どう頑張ってもまともに唇を合わせることもできない体勢に、もどかしさばかりが募っていく。
アスベルはそうは思わないのだろうか。早々と顔を離し、項に噛みついては執拗に舌で舐め上げてくる。
「ふ…」
背を反らしてテーブルに突っ伏す。
もういい。早く終わらせてキスしてほしくて、自分から腰を押しつけた。
う、とアスベルが呻く。
「兄さん、もっと…」
腕の間から後ろを見上げる。涙で滲んでいて表情は分からなかったが、兄が息を詰める音は聞こえた。痛いくらいに腰に指が食い込んだかと思うと、中のものが引き抜かれ、直後同じ場所へ戻される。
「ああっ、にいさ、あ」
「ヒューバート」
「んっ、にいさん」
どんなに途切れても、兄さん兄さんと呼び続けていれば、アスベルは律儀に自分の名前を返してくれる。その声だけが頼りだった。硬いテーブルに頬を擦りつける。
「にいさん…」
姿が見えなくても、兄が自分を呼んでくれる限りは、この快楽を与えているのが兄だと知ることができる。
揺さぶられ、ぞわぞわとした感覚に支配される中、アスベルの体温を求めて手を伸ばす。腰を捕らえている彼の手に指を這わすと、突然腕を引かれ強制的に後ろを向かされた。
痛いと感じるよりも、視界に兄が入ったことの方が大きかった。たった数分見ていなかっただけなのに、兄の顔がひどく久しぶりに感じる。裸眼の上に滲んだ視界では、大まかな色と形程度しか分からなかったが構わない。思わず唇が緩む。
「にい、さ…。んあっ」
背をしならせ、逃げ場を失った格好で追い詰められる。頭の中が白み、全身が震えた。
「だ、だめ、兄さん、あ、やだ」
襲い来る予感に恐れを覚える。だがそれも一瞬のことだった。
「ヒューバート」
「――あ」
びくん、と身体が硬直する。
耳にアスベルの低い声が届いた瞬間、駆け抜けるような衝撃が背筋を通った。
「くっ…」
すぐ耳元でアスベルが歯を食い縛る。自分が引き寄せられたのか、彼が倒れてきたのか分からないが、上半身を抱き込まれ口を手のひらで塞がれた。奥まで密着した下半身が熱くなる。びゅ、と体内に他人の体液が溢れてきて、意思とは無関係に痙攣した。
そのうちに全て収まり、彼が大きな溜息を吐いた頃口を解放される。
「大丈夫か」
横からアスベルが覗き込んでくる。何とか首を縦に振ると、ずるりと中から抜き去られた。支えを失って膝が折れる。彼が慌てて抱えようとしてくれたが間に合わず、床にへたり込んだ。
「おい、本当に大丈夫か。ヒューバート。無理させたか?」
呆然と床を眺める自分に、アスベルが血相を変える。のろのろと視線をやると、目の前に待ち望んだ兄の顔があった。
「どうした、ヒューバー…。んうっ」
両手で彼を捕らえ、押し倒す勢いで唇を合わせる。舌を差し入れ、絡め、手のひらで彼の髪を滅茶苦茶にかき乱す。香料と汗の匂いが散らばる。胸が満たされる。混乱した様子の彼が、それでも頭を撫でてくるのが嬉しかった。
そのまま腕の力を抜いたアスベルの上にのしかかり、思う存分堪能してから顔を離す。
「…もう一回、しませんか」
睫のぶつかりそうな距離で、青い瞳が潤んでいる。
反応がないのが怖くて、ぼそりと嫌ならいいですけど、と付け加えた。そう言えば彼の腕が巻きついてくることなど分かりきっていた。額を首筋に擦りつける。
「今度は前からがいいです」
こんなことを言ったら、単に身体を重ねるのが好きなだけと思われるだろうか。それでも別によかった。そんな理由で兄が自分を軽蔑するはずがないし、自分が自ら兄以外に身体を開くこともない。兄になら、どう取られたところで大した違いはなかった。
顔を起こし、真正面からアスベルを見つめる。目を伏せる。
身体をまさぐりながら何度もキスをしていると、合間にごめんな、と彼が呟いた。無責任でデリカシーのない謝罪に、かっと腹の底が煮える。
兄はきっと何も分かっていない。それなのに容易く人の機微を読んでくるから、やり切れなかった。唇を噛み切ってやろうかと弾力のあるそこへ歯を立てるが、結局薄い皮膚に傷一つつけることができずに口を離した。
「…理由もなく謝らないでくさい」
「何か分からないけど、俺が悪いような気がしたから」
まるで小さい子どもを慰めるように、優しく頬や髪を撫でられる。肌を滑る指に目を瞑ろうとして、やはり耐え切れなくなって床に腕をつき、上半身を起こした。
アスベルが驚いた顔をした後、行き場をなくした手を胸に下ろす。口元は貼りつけたように微笑んでいたが、どう見ても笑ってなどいなかった。
何も兄にそんな顔をさせたいわけではない。兄が嫌なわけでも、怒っているわけでもない。どうして兄の手を素直に受け入れることができないのだろう。昔はあんなに普通にしていられたのに、その普通が今はとても難しい。
気まずい沈黙が流れる。アスベルが視線を逸らし、あ、と喉を震わせるのを聞いた。何かと思って目の先を追うと、微かに赤い跡のついた自分の左腕がある。先程後ろから突かれたときに、彼に掴まれた跡だろう。そっと壊れものに触れるように、彼の手がのせられる。
「別に謝らなくていいですから」
アスベルが口を開きかけたのを見て、先に釘を刺しておく。色が白いせいで目立って見えるだけで、これくらい明日になれば消えている。アスベルもそれは分かっているだろうが、割り切ることができないのだ。彼のそういうところが嫌いで、好きだった。
「騎士になれば…」
兄の手のひらが、ゆるりと跡の上を滑る。
「騎士になれるくらい強くなれれば、守れるんだと思ってた」
どこか遠くを見つめて、そうこぼす。浮かんでいたのは自嘲かもしれない。そんな表情をする兄は経験になかったので、下手に呼びかけることもできなかった。漠然と怖いと思う。ときどき弟の自分にも、兄が何を考えているのか分からなかった。暗く色を変えた瞳は、知らない感情に満ちている。
不意にそれがこちらを向いて、びくりと肩が揺れた。アスベルはいつもの兄の顔になると、腕を伸ばして背中に絡める。
「ごめんな。ヒューバート」
「だから何が」
「んー…」
誤魔化すように笑って、腰を撫でてくる。達した身体にはそれすら刺激になって、吐息が乱れた。続けざまに性器を弄られる。眉を寄せ声を漏らしながら、力の入らなくなってきた腕を折ってアスベルの胸に寄りかかった。とくとくと速めの鼓動に息が上がる。
横になった視界には、脱ぎ散らかされ皺になった大礼服が映っていた。

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