05. いっそその眼を塞いでしまおうか / 06. 俺しか知らない。



05.いっそその眼を塞いでしまおうか
「ヒューバート…」
まず声が駄目だ。耳元からぞわりと走る震えに、密着した肩を掴んで顔を逸らす。腰を支える兄の手に力がこもるが、構わず逃げようとすると、そのままベッドに押し倒された。
首筋に、襟の上から彼の唇が当たる。直接触られたわけでもないのに、弾力や吐息の熱さを感じて身を捩った。しっかりと絡みついた腕に抱き締められる。苦しい。胸が痛い。
「嫌です」
やめてください、と訴えても兄は聞いてくれなかった。
ベッドに広がった軍服には隠し武器が仕込んである。兄はそれを知っていて、自分が抵抗しないことも承知の上でこんな行為をしているのだ。唇を噛む。もぞもぞと首筋に顔を埋めながら、彼の指が耳に触れた。緩い力で執拗になぞられて、身体に熱が溜まる。
「本当に…。兄さん、お願いですから」
きっと兄は勘違いをしているのだ。
兄が思っているほど、自分は淡白ではない。
幼い頃からずっと、七年の間も、再会してからも、自分は兄のことばかり考えて過ごしてきた。好きや嫌いなどという言葉では片づけられない。胸の辺りが爛れるようだった。気分が悪くて、それでもどうにもできずに兄を思って自身を慰めたこともある。そういう人間なのだ。決して兄が考えるような弟ではない。だから本当に。こんな求め方をされたら止められなくなってしまう。
アスベルは近い将来、ラント領の領主になるのだ。全てに決着がついたら自分はストラタへ戻り、兄があの地を治めていく。
こんなことは続けてはいけない。自分は兄の妨げにしかならない。その事実がひたすらに恐ろしかった。
もしこれが性欲を処理するために身近な自分を選んだのだとすればまだ耐えられる。けれど兄の指は、どこまでも優しかった。
「すみません。もう、許してください」
身動きの取れないまま、できる限り顔を背ける。しばらくすると自分を抱き締め頬を撫でていた手がシーツへと下り、兄の顔が離れた。温かな空気が消え、ほっとすると同時に寂しく思う。くたりと肩の力が抜ける。
ベッドに肘を突いた兄は、無言でこちらを見下ろしていた。沈黙が重い。
「嫌なのか」
「はい」
「なら俺の目を見て言ってくれ」
強い視線を感じ、瞼を伏せる。
(できるわけがない。そんなこと…)
嘘を吐くのは人一倍苦手なのだ。軍に入って多少は虚勢の張り方も覚えたものの、それが兄に対して通用するとは思えない。
このまま諦めてくれることを願うも、一向に上から退いてくれる気配はなかった。
「ヒューバート」
「はい…」
相槌を打ち続けていると、頬に手のひらが添えられた。びくりとしている間に眼鏡を外される。強引に視力を奪われて、急に心細くなった。体温のある方へ自然と顔が動いてしまう。
「にい、さ…」
見上げた先では、兄がこちらを見つめていた。青い目が自分だけを映している。深い色をした虹彩が綺麗だった。何も考えられなくなる。耳が熱い。あ、う、と無意味な呟きが漏れる。
「そんな顔するくせに、何が嫌なんだよ」
微かに苛立ちを含んだ声が落ちる。
「あの」
反射的に手を伸ばす。柔らかな髪を手の甲で持ち上げ、頬を包んだ。親指で目の縁をなぞると、強張っていた表情が僅かに和らぐ。自分が触れたからだ。自惚れではなくそう思う。息が詰まるのが分かった。
だから駄目なのだと言っているのに、どうしても兄の目から視線が剥がせない。
「ヒューバート、早く」
兄に急かされて頭の中が混乱する。
注がれるのは、期待というよりも確信に近いものだった。
「あの、だから」
それきり何も言えずにいると、ゆっくりと兄が近づいてきた。吐息がかかり、ぬる、と唇が湿る。入り込んできた舌を絡ませながら、青い瞳が細められるのを見つめた。そっと指の間に髪を掴む。兄の上擦った声を漏れ聞いて、無意識に顔の角度を変えた。心地よい息苦しさに、背中に縋りつく。
「…諦めろよ。もう分かっただろ」
唇の端から生温いものが垂れていく。
薄く張った涙と近すぎる距離のせいで、兄の顔がよく見えなかった。
「嫌なんです、こんなこと」
「好きなくせに」
「それでも」
言いかけたところで溜息が落ちる。僅かな隙間を縮めて、唇の掠る位置で兄が言った。
「黙ってろ」
乱暴な言葉に思わず目を瞑るが、与えられた口づけは優しかった。恐る恐る瞼を上げると目の前には肌色しか見えない。
兄が瞳を閉じているのを知り、背に巻きつけた腕をきつくした。こうしている限り自分は兄の視線に追求されることもなければ、兄に拙い嘘を聞かせることもない。だからこれはいいのだ。仕方がない。そう幾度も言い訳をしては、ぼやける視界の中ずっと兄のことだけを見つめ続けていた。

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