09.おそろいの
ふと気づくと、隣を歩いていはずのソフィがいなくなっていた。
ソフィ、と声を上げながら辺りを見渡す。慣れた港とはいえ人は多い。ひょっとして迷子になってしまったのだろうかと少し波を逆流すると、熱心に露店の商品を覗き込んでいる彼女の姿があった。
「どうしたんだ、ソフィ」
彼女が花以外に興味を示すなんて珍しい。そう思って近寄ると、そこには色とりどりの宝石が並んでいた。
「気になるのか?」
「うん」
綺麗、と唇が呟く。
「そうか、ソフィも女の子だもんな」
普段そんな素振りはなくても、やはりこういう鮮やかできらきらしたものが好きなのだろう。
何だか嬉しくなって上着から財布を取り出す。
「一つ買ってやろうか?大きいのは無理だけど、小さいのなら俺の小遣いでも何とか…。どれがいいんだ?」
「これ」
指差した宝石を確認し、店主に目線を向ける。
「すみません、お願いします」
「はい毎度あり」
代金を渡して、彼女の手のひらにそっとつまんだ宝石を乗せる。粒ほどの大きさのそれは、水を固めたような明るい色をしていた。確かに綺麗だと内心で頷く。
ソフィは相当その宝石が気に入ったようで、両手を椀の形にしたまましまおうとしない。じっと宝石を見つめたまま歩く彼女を人にぶつからないように誘導し、仲間の後を追いかける。
そうして宿屋に着く手前で、早足で道を引き返してくるヒューバートとかち合った。
彼はほっと頬を緩めた後、またすぐに唇を引き結んでこちらへ近づいてくる。
「全く、兄さんもソフィも何をやっているんですか!黙っていなくならないでください」
「ごめん。ちょっと露店で買い物してたんだ」
眉を寄せる彼に、ソフィが宝石の乗った手を差し出す。
「アスベルに買ってもらったの」
「えっ、兄さんがこれをソフィに…?」
ヒューバートが奇妙な表情でこちらを見上げる。
「何だよ」
「いえ、別に…」
眼鏡をいじる彼を余所に、ソフィが手を傾けて宝石を太陽に反射させる。
黒いグローブの上で小さな粒が転がる。
「落とさないように気をつけろよ」
うん、と頷きながら、彼女は顔を上げる様子もなかった。昔は年上のお姉さんでしかなかったのに、こうして見ると小さな子どものようで微笑ましい。
「そんなに気に入ったのか」
「だってアスベルとヒューバートの目の色と、同じだから」
え、と兄弟揃って間の抜けた声を上げる。
にこりと笑うソフィに、二人で顔を見合わせ思わず互いの瞳を凝視してしまった。
眼鏡の向こうにある弟の瞳は、確かに鏡で見る自分の瞳と同じ色をしている。そのことを今更のように思い出して、顔が緩んだ。かあっとヒューバートの頬が染まる。
「ち、違いますソフィ!兄さんの目はぼくほど明るくないですし、色だって兄さんの方が微妙に…」
そこまで言いかけて、ハッとしたように口を噤む。何を口走っているのか気づいてしまったのだろう。彼は恐る恐るこちらを見上げ、自分と目が合うなり泣き出す寸前の表情で眉を寄せた。また頬が赤くなる。
ソフィだけがきょとんとして、違うの、と首を傾げていた。
「ヒューバートが言ったんだよ?昔花の名前を教えてもらっていたときに、この花ヒューバートの目の色だねって言ったら…」
「うわあああああ!」
突然の大声に道行く人々が振り返るが、本人はそれどころではないらしい。あわあわと手を振ってソフィを遮ると、一歩二歩とあとずさった。地面に視線を落としたまま拳を握る。
「さ、先に宿に戻ってます!」
ぐるっと踵を返し走り去る。軍服の帯が揺れながら遠ざかっていくのを見送り、ソフィが目線を上げた。
「どうしてヒューバートは怒ったの?」
「さあ」
「アスベルは嬉しそうだね」
「そうか?」
肩を竦めて彼女の頭を撫でる。ついでに一つ訂正した。
「あれは怒ってるんじゃなくて恥ずかしがってるだけなんだ」
「ヒューバートが恥ずかしいと、アスベルは嬉しいの?」
「それとはちょっと違う気がするけど…。まあ、そうだな」
「ふうん…」
よく分かっていなそうな顔で頷いて、再び手の中の宝石に興味を移す。
ソフィにつられて青いそれを見ていると、急にふつふつと笑みが込み上げてきた。口元に手をやり、先程の彼を思い出す。
顔を真っ赤にして慌てる弟に、普段の威圧的な態度は微塵もなかった。本当に可愛くて仕方がない。もっとあんな姿を見てみたい。
(そうだ、今度同じ色の宝石でも買ってプレゼントしてやろうかな)
ふふ、と頬を綻ばせて彼の驚く顔を想像する。
「アスベル、行こう」
「ああ」
だがとりあえずは、今頃宿屋の個室で頭を抱えているだろう弟を慰めるのが先だろう。
少し遅れてソフィの後を行くと、彼女はこちらの気持ちが伝染したのか、やっぱりアスベル嬉しそう、と目元を緩めてはにかんだ。
10.僕の物になって下さい。
弟の手がふわりと頭を撫でている。指先を髪に絡め、何度も何度も繰り返される動作はとても優しい。いつかその表情を見てみたいと思っているのに、自分は実行できずに狸寝入りを続けている。
七年ぶりに再会した弟との溝は、そう簡単に埋まるものではなかった。
最近になってようやく笑った顔も見せてくれるようになったが、それも極稀なことだ。大抵はむっつりと黙り込んで目も合わせようともしないし、合わせたとしても辛辣な口調で自分を責め立てるばかりだった。
ただ、自分はそれでも構わないと思っていた。彼がどれだけ自分のことを憎もうと、自分にとって大切な弟であることに変わりはない。
それなのに、この状況は何なのだろうか。
柔らかな手つきと穏やかな息遣いを感じ、思わず震えそうになった瞼から力を抜く。
こんなふうに弟が自分に触れてくることがあるなんて、考えてもみなかった。だから嬉しいよりも困惑が先にくる。彼の指の辿った箇所がじわじわと熱くなるようだった。自分を起こさないように気遣ってか、ほとんど髪にしか触れていないにもかかわらずだ。意識すると、ふる、と呼吸が乱れる。
それに気づいた弟がはっと手を引いたが、自分が目を開けないのを確認するとまた怖々と指を這わせた。兄さん、と掠れた声が呟くのを聞く。その声音に胸が疼いた。
今すぐ起き上がって弟を抱き締めたい衝動に駆られる。けれど動けないのは、心のどこかで分かっているからなのだろう。
「…にいさん」
弟がそんな声で自分を呼ぶ理由。それを知ったら彼も自分も、きっと二度と後戻りはできなくなってしまうのだ。
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