久々にジェイドと会って一つ気付いたことがある。それは、自分は思っていたほどジェイドに嫌われてはいなかったということだ。
ルークはぼんやりとベッドに腰かけ物思いに耽る。
第一印象は互いに最悪だった。ルークの方はあからさまな嫌味と人を馬鹿にしきった態度を、ジェイドの方は恐らくわがままな振る舞いと無知を、それぞれ嫌悪していた。
相性などという問題ではなかったように思う。あの嘘臭い笑みを向けられるたびに、腹の底にどろどろしたものが溜まっていく気すらしていたのだ。一時は生理的に受けつけないとまで思った。
それというのも、どうしてもジェイドの底冷えするような瞳が気に入らなかったせいだ。
緩く口角を上げながら、瞳だけが異様な光を持っている。
気味が悪かった。笑えねぇくせに笑ってんじゃねーよと、吐き捨ててやろうと思ったことも何度もある。
ルークは馬鹿にされるのが何より嫌いだ。ジェイドはそれを知っていて、神経を逆撫でしてくる。こうなるともう彼を好こうという心の動きの方が異常に思われてきたのだった。
大きな溜息と共に、ルークは背中からベッドに倒れこんだ。スプリングが錆びた音を立て少しかびた臭いが上がる。何だかシーツまで湿っているような気がして、さすがに宿代が安いだけのことはあるなあと黄ばんだ天井を眺めた。
ふと、そういえば質素倹約がダアトの方針なのだと誰かが話していたのを思い出す。
確かガイだったか。隣のベッドへ目をやるとシーツに沈み込んだ金髪が見えた。穏やかな寝息に自然と口元が綻ぶ。
彼が自分より先に眠っているのは珍しかった。いつもはさり気なく自分が眠るのを見届けてくれているのだが、今日はきっと考え事をしていた自分に気を遣ってくれたのだろう。おかげで部屋は静かで寒々としていた。唯一温かそうなのは奥から聞こえるシャワーの音。もしかしたらジェイドも自分を気遣ってくれているのだろうか、などと思いついて、すぐにその可能性の低さに落ち込んでしまった。ただの偶然だろう。
そのまま途切れた思考を再開させる。
湧水洞で再会したジェイドは驚くほど刺々しかった。目を合わせようとしないどころか、視界に入れることすら拒んでいるようだった。
そこでルークはようやく、出会った頃の腹立たしい対応がジェイドの通常であったのだと知った。気づいてしまえば大したことはない。あの態度は誰にでも同じで、特別ルークが嫌いだからというわけではなかったのだ。
ルークは後悔した。回りくどく向けられていた彼の優しさに、そうして気づくことができなかった。気づこうともしなかった。
込み上げてくる涙を隠すように、寝返りをうってシーツに顔を埋める。喉が熱い。
こんなのは自業自得だというのに、いつまでも一緒にいる義理はないという彼の言葉が胸に突き刺さって、痛い。自分はいつ見捨てられてもおかしくはないのだ。むしろ今、皆といられることの方が奇跡に近かった。
一緒にいたい。
その欲求が浮かんだところでルークは激しい自己嫌悪に襲われた。膝を抱える。それでもスイッチが入ったかのように、震えは止まらなかった。
一体自分は何を考えているのだ。アクゼリュスの、何千人もの命を奪っておきながら、まだ自身のことで頭がいっぱいになっているだなんて。
目の前で瘴気の海に沈んだ子ども。音もなく消えていった指先。
あれを引き起こしたのは誰だ。
誰がアクゼリュスを滅ぼした。
いくつもの指先が、あの子どもの指先が一斉に示す。知ってる。それは。
「何をしているんですか」
ハッと目を見開くと、簡素な服に身を包んだジェイドがルークを見下ろしていた。
逆光で影の差した顔には怒りが滲んでいたが、なぜかルークはそれを怖いとは感じなかった。ただ、いつの間にシャワーから出てきたのだろうと濡れた髪を見て思う。
ジェイドは馬鹿のように固まっているルークに冷めた視線を向けた。
「何を、しているんですか。布団もかけずに横になって」
ルークはそのとき初めて自分の身体の冷たさに気がついた。
「ご、ごめ…」
「いいから起きなさい」
腕を掴まれ、軍人の力で無理やり起こされる。ジェイドはルークが座ったのを確認するとそのまま無言で脈を取り始めた。
沈黙に気まずくなりながらも、他にどうすることもないのでルークは彼の手が添えられた自分の手首を見つめる。泣きそうになって目を瞑った。
温かい指の優しさに、どうしてもっと早く気づけなかったのだろう。たとえそれが彼なりの損得勘定の結果であったとしても、自分には必要なものだったはずなのに。
ルークの中で、アッシュを通して見た記憶と今までに言われた不可解な言葉の数々がよみがえり、混ざり合う。少し悲しくなった。
「異常ありません」
「…そっか、ありがとう」
それ以外に何と言ったらいいのか分からなかった。ルークは俯き、ジェイドはやはり無言だった。
息苦しさを感じ始めた頃、静かにジェイドが立ち上がる。追って見上げると彼は無愛想な顔で腕組みをしていた。
「悩むのは構いません。しかし私達にはイオン様とナタリアの救出という差し迫った目的があるんです。それだけは決して忘れないでください」
「…分かってるよ」
明日は神託の盾本部、敵の懐へ潜入するのだ。悩んでいる暇があるのなら眠った方が遥かにいい。
そんな簡単なことにも考えが及ばなかった自分をルークはまた嫌悪する。そうして完全に項垂れてしまったルークにジェイドはあっさりと一つの選択肢を投げかけた。
「それともあなたはバチカルの屋敷へ戻りますか?」
「そ、それは駄目だ!」
思わず腰を浮かせると、ジェイドは分かっていたかのようにルークの肩を押さえ再びベッドに座らせた。
「ならちゃんと休息はとりなさい」
諭すような声に、それでも不安で声を上げようとする。すると肩を押さえる手に力がこもった。
「安心なさい。私はあなたを戦力に数えていますから」
「ほ、本当か…?」
「嘘をつく利点がありません」
どっと身体の力が抜けた。自分はここにいてもいいのだと、少しだけそう思えたような気がした。
「その代わり、寝不足で倒れたなんてことになったらすぐに置いて行きますからね」
しっかりと頷いたルークが慣れない礼を告げると、紅い瞳が細まる。
「分かったら早く寝なさい」
「あっジェイド」
電気を消しに背を向けていた彼が、足を止めて振り返る。
ルークは戸惑った。衝動的に呼び止めてしまっただけだったので特に言うことがない。散々迷って、結局同じことを繰り返した。
「…ありがとう。それと、おやすみ」
「はいおやすみなさい」
パチリと音がして暗闇が落ちた。
静寂の中で布団に包まりながら、ルークは先程のジェイドの瞳を思い出していた。赤い二つの目。
顔を歪める。そして今度は本当に泣いた。
気味が悪いとあれだけ嫌っていた彼の瞳は、とても柔らかな色をしていた。
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