年上の恋人



久々に経験した最悪の目覚めだった。
動けば吐き気、唸れば頭痛。結局どうすることもできず、ガイは再びベッドに倒れ込んだ。
昨晩の行為ですっかり皺くちゃになってしまったシーツはひどく青臭い。反射的に喉元までせり上がってくるものを抑えつけ、細く長く息を吐き出す。そうして薄い呼吸で目を閉じれば、いくらか痛みも治まった。
思えば、昨日は随分と派手にやられてしまった。普段ならある程度は残っている理性も、彼が持ち込んだ酒のせいで綺麗さっぱり消し飛んでしまっていたのだ。見下ろしてくる紅い目はいつになく熱を帯びていて、浮かされていて、言われるままにとんでもない要求を受け入れてしまったような気もする。
おかげで身体中が、まるで鉛の重りでもつけているかのようにだるかった。
もう指の一本だって動かしたくはない。ずるずるとベッドに沈み込むようにして、そこでぼんやり思いつく。もしかして封印術というのはこんな感じだったのだろうか。
ガイは首を曲げ、自分と同じくベッドに突っ伏した男に目をやった。
カーテンの隙間から漏れる強烈な朝日。その光がジェイドの首もとにある赤い痕、歯形らしきものを照らし出していた。
覚えはないがどうやら自分がつけたものらしい。あんな痕を残してしまうほど周りが見えなくなっていたということかと、ガイが己の失態を恥じたのは一瞬のことで、すぐに、どうせ詰襟で隠れるのだからいいかと思い直す。
そんなことよりも問題なのは自分自身のことの方だった。
首の大きく開いたいつもの服では、残された鬱血の痕が丸見えになってしまう。まさか今更、虫刺されですなどと少女のような言い訳をするわけにもいかない。そちらの方が余程恥ずかしい。
ガイのグランコクマでの主な仕事はブウサギの世話であり、それは同時にピオニー陛下の相手をすることでもあった。もしあの男がこれを見つければ、良いネタを手に入れたと嬉々としてからかってくるに違いない。
その最悪の事態を避けるため、ガイは取りあえず自分より遥かに頭の切れるジェイドに何か案を出してもらおうという結論に達した。大体、元はと言えば全てこの男が悪いのだから、責任はきちんと取ってもらわなければ。
ガイはよろよろと手を伸ばし、そう遠くないところで散らばるジェイドの髪を束で掴む。
「ジェイドー起きろよー…朝だぞ…」
そのまま何度か引っ張ってみるが、彼は唸るばかりで顔を上げようともしない。
ガイは頭の中で反響する自身の声にぐったりしながら、まさかこのまま無視するつもりではないだろうな、と苛立ち任せにぐいと強く手を引く。
「痛い、痛い」
するとさすがに耐え切れなかったのか、長い髪が生き物のようにシーツを這い、数秒後ジェイドの紅い目が実に面倒くさそうにガイを捉えた。
「…何ですか」
ほとんど唇の動きだけで言うなり、ジェイドはまた夢の世界へ入ろうとしてしまう。
どうやら相当疲れているらしいが、そんなのは完全に彼の自業自得であるのだからガイが気を遣ってやる理由はどこにもない。
ガイは一度ジェイドの頬を叩くともぞもぞと身体を動かし自身を鬱血を指差した。薄っすら目を開けたジェイドは納得がいったように小さな動作で頷く。
寝起きの頭であってもその回転の速さは人並み以上であるらしい。腹立たしいが、この場合は助かったと言っておくべきだろう。彼は唯一の頼みの綱なのだ。
だがジェイドはたっぷりガイの首もとを見つめた後、しおらしく瞳を伏せた。
「…すみませんでした」
「え?」
ジェイドは小さく息を吐いて視線を戻す。
「その痕のことですよ。…昨晩は私もどうかしていました。酒が入っていたとはいえ、情けない」
「ああ…それは」
珍しく沈んだジェイドの声に、どうかしていたのは自分も同じだしなどと言おうとして、はたと立ち止まる。
いや、何かこれはおかしくないか。ガイはじっと眉間に皺を寄せて考え込む。何かが間違っているような気がする。
まずあのジェイドが素直に頭を下げていることからして異常ではないだろうか。仮に本当に反省しているとして、この男がそれを表に出すか。恐らく出さない。
ならばその上で謝罪するというのは、ひょっとして。
さあっと血の気の引いたガイに、ジェイドは思わず殴りかかりたくなるほどの可愛らしい笑みで答える。
「ええ、どうやっても陛下の目はごまかせないでしょうね。どうぞ気を強く持ってください」
おいちょっと待てよおっさん。つい習性で突っ込みを入れそうになったが、そのあまりの無意味さに気付きガイは大きく息を吐き出した。
「嘘だろ…」
「いいえ、私はいつでも本気です」
「そうじゃなくてだな…」
治まったと思った頭痛がまたぶり返してくる。泣きたくなった。
どうしてここまで来てわざわざ自ら皇帝陛下の玩具になりに行かなければならないというのか。
ガイは熱くなる目頭を押さえ、身体を丸くした。
「安心してください。からかわれるのは私も同じです。ガイ、よかったですね、お揃いですよ」
「よくない、ちっともよくない」
力なく首を左右に振るガイを放って、ジェイドは仰向けに寝転がる。
「駄々をこねないでください、ガイ。私だって悪いと思っているんですから」
ガイはちらりとジェイドの横顔を覗く。遠くを見るような紅い瞳に今になって色気を感じて、無性に悔しくなった。
「本当かよ」
「勿論です」
ジェイドは天井に向かって続ける。
「あなたがあそこまで乗ってくるとは予定外でしたから」
「…やっぱりあんた最悪だ」
できる限りの冷えた声で不満を言ってやったが、ジェイドは全く気にした様子もなく肩を竦める。彼はそのまま腕を支えに立ち上がると、簡単に服を着てついでに床に散乱したガイの服も一纏めにした。
「さて、私はそろそろ宮殿の方に行かなくては。シャワーをお借りしますよ」
いつの間にかジェイドはいつもの調子を取り戻していたらしい。
彼より一回りも若くありながら、ガイはまだまともに動けそうもなかった。
「あんた凄いな…」
「お褒めいただき光栄です。まあ、立場の違いがあるのですから、当然だとは思いますがね」
清々しく揺れる髪に昨夜の名残はない。綺麗だよなあ、と見上げる。
「別にシャワーなんか浴びなくても、ジェイドの旦那は普段どおりっぽいよな」
「はは、何を馬鹿な」
ジェイドはおかしそうに口の端を歪め、ちょっとだけ窓の外を覗いた。
開いたカーテンから差し込む光の眩しさにガイは顔を顰める。肌が焦がされるようで、身じろぎする。それに気付いたジェイドは、振り返ると小さく謝ってカーテンの隙間をなくした。
そして薄暗い部屋を突っ切る途中。
「シャワーから出たら水を持ってきますよ。それまで少し休んでいなさい」
ガイは彼にくしゃりと頭を撫でられ気恥ずかしさに目を瞑る。
平然とこういうことをしてくるこの男から、だから自分は離れられないのだろうかとぽつんと胸の隅で思った。

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