中心へ



ルルーシュはスキンシップが好きだ。
『仲のいい兄弟』ということを考慮しても明らかに異常なそれは、恐らく目の見えない妹が影響しているのだろう。髪、肩、指先、頬。慈しむような彼の手つきは、とても温かい。
(邪魔だなあ)
妹にとっては心強いものであったのかもしれないが、自分は目も見えるし、ナイフも握る。べたべたと纏わりつかれるのは好きではない。何より重い。
ちらりと横目に黒い旋毛を見下ろす。ソファで隣に座るのはいつものこととして、こちらの身体に寄りかかってくるのはどうなのだろう。
じっと見ていると、不意にルルーシュが上向いた。
「何だ?」
顔に広がっている笑みを隠そうともしない。思わず溜息を吐きそうになって、喉元で堪える。
「何でもないよ」
そうして彼手製のプリンを口に運ぶ。ほろ苦いカラメルと柔らかな甘さが舌に広がり、少し落ち着いた。
人の心情など知りもせずに、ルルーシュはやたらと機嫌よさそうにしている。苛立ったが、この兄弟の関係を維持するためにも、彼の感情は重要な条件なのだと思い返す。機嫌がいいのはよいことだ。自分に言い聞かせ、ついでに何がその原因になったのか探っておくことにした。
「兄さんは何かあったの」
自然に見えるように、さりげなく問い返す。すると、ルルーシュの顔がぱっと華やいだ。なんだ聞いてほしかったのか、と直感で思う。
ルルーシュは嬉しそうに唇を緩ませた。
「お前の数学の担任が、お前のこと褒めてたよ。ロロは飲み込みが早いって」
彼の言う担任とは、機情の人間のことだ。
「そう」
おかしくて笑うと、彼は益々嬉しそうにして髪を撫でてきた。
(馬鹿だなあ)
そんな些細な嫌味を返すことしかできない機情も、でたらめを信じ込むだけの彼も。他人の感情は本当に不可解なものだった。
「兄さんはどうしてそんなに嬉しそうなの。先生が言ったのは僕のことなのに」
「弟が褒められたんだから当たり前だろう」
「…ふうん」
よく分からない。もし自分が彼の立場だったらと考えてみたが、実感することはできなかった。彼が賞賛されたところでそれはあくまで彼に対してのもので、自分が心を動かすことはない。
ただ、彼の反応が兄弟として普通のものなのだとしたら、任務を遂行するために理解しておく必要がある。
ルルーシュの言葉を反芻する。弟が褒められたんだから。
肉親へ向けられる評価は、自分への評価と同等の意味を持つのだろうか。分からない。いくら血が繋がっているとはいえ、結局は赤の他人ではないか。肉親が肉親を殺す。ルルーシュだって実の兄を殺した。その手で妹に触れ、今こうして自分にも触れている。
(――お前は俺の自慢の弟だよ)
白々しい。けれど甘やかな声音は、柔らかく重みを帯びていた。いっそ狂気すら感じる。
この男は弟のためなら、また一年前と同じことを繰り返すのだろう。
ふと見ると、ルルーシュが微かに表情を曇らせていた。どうやら思考に沈んでいたせいで、笑みが崩れてしまっていたらしい。
「僕も」
勘だけで咄嗟に口を開いた。
「僕も兄さんが褒められてると嬉しいよ。兄さんは料理も上手いし、綺麗だし、頭もいいし」
ルルーシュの言葉を鸚鵡返しして、思いついた長所を挙げる。ルルーシュは顔に笑みを浮かべたが、どこか悲しそうだった。髪をいじっていた手を下ろし、それ以上何も言わないので、仕方なくまたプリンを一口食べる。
(…はあ、おいしい)
これくらい彼も単純だったら任務がやりやすいのに、とぼんやり考える。もぐもぐと食べ続けていると、ルルーシュが指の背で目元に触れてきた。
「美味いか?」
「うん、おいしい」
こくりと頷く。知らず声に熱がこもってしまっていたことに、彼が噴き出してから気がついた。肩を揺らして笑いを噛み殺す彼に、流石に少し恥ずかしくなる。
「そんなに笑わなくたって…」
「ごめん」
そう言いながら、まだ唇の端が歪んでいる。兄さん、と怒ったふりをすると、彼はようやく態度を落ち着けた。深呼吸をして、たまらないといった様子でこちらに引っついてくる。
「可愛いな、ロロは」
「兄さん…」
「お前が喜んでくれるのが一番嬉しいよ」
何の躊躇いもなくそんなことを言うルルーシュに、ぐっと喉が詰まる。
本当にこの男は弟を基準にして生きているのだ。絡みつく空気に奥歯を噛み締める。何をするにもロロ、ロロ、と自分を呼び、頭を撫で、微笑む。自分だけに向けられる表情や言葉。服越しの体温がじわりと染みる。本当に邪魔だ。寄りかかるルルーシュの重さが耐え難かった。
できることなら跳ね除けたい。余計なものなどいらない。そうでなければ共倒れだ。
肩にさらさらとかかる黒髪を見つめ、眉を寄せる。それから肺に溜まった息を吐き出し、ほんの少しだけルルーシュの方へと体重を移動させるのだった。

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