Fall into the end of the World



白い光が翻る。
きらきらと煌くロケットを指でつつき、何度も何度も目の前を往復させる。別に綺麗だとも面白いとも思わなかった。だらりとベッドに寝そべった身体は重く、爪先を折り曲げるのさえ億劫だった。このまま時が止まればいいのに。そう思って一度だけギアスを発動させてみたが、心臓が痛くなるだけで何も変わらなかった。ふらりと眼前に戻ってきたロケットが揺れる。苦しくて、堪らなかった。
のろのろと息を吐き出しながら、携帯を胸に抱き締める。
まるで嫌な夢のようだった。高揚した機情局の空気に触れる度に、現実を思い知らされる。
あと数日だ。予定通りに事が進めば、彼はバベルタワーの賭博場へと出かけていく。自分が送り届けるのだ。兄さんが心配だから、と気弱な弟を演じて、その裏では彼が餌としての役割を果たすのを監視する。
今回の作戦は、機情局にとってかなりリスクの高いものだった。下手をすればゼロを騎士団に奪還されてしまう恐れすらある。そんな機会を提供してやっているのだから、奴らが見過ごすはずがないだろう。魔女は確実に現れる。
魔女さえ捕らえてしまえばこの任務も終わりだ。不要な餌を処分し、自分は嚮団へと返される。
ロロは指の腹でロケットの膨らみを辿る。金色の飾りをなぞり、合わせ目に爪をかけて開くとオルゴールの音が溢れ出した。ぽろぽろと耳の奥を叩くように頼りなく響く。
(兄さん…)
いつから対象ではなく、兄さんと呼ぶようになっていたのだろう。
彼と過ごす時間はあまりに穏やかで、境界線なんて探そうとするだけ無駄だった。ただ一つ言えるのは、あの誕生日の夜に、自分の中で何かが壊れる音がしたということだけだった。
(ロロ、誕生日おめでとう)
真っ白な丸いケーキに、ゆらりと蝋燭の明かりが揺れていた。プレゼントにかけられた赤いリボンも、反応のない自分に困ったように微笑む彼も、何もかもが鮮やかだった。小さな箱の重みを手にして、ぼろりと胸が剥げ落ちる感覚がしたのも、思い出すだけで身震いがした。
だからもう、あの日から自分は駄目になってしまったのだ。
ぱたりとロケットを閉じて目を伏せる。指先でころころと弄っていると、不意に扉の開く音がした。
「こら、ロロ。駄目だろ。まだシーツ引いてないのに」
振り返ると、片腕にたっぷりとした布を抱えたルルーシュがいた。ロロはベッドに転がったまま眉を下げる。
「ごめんなさい」
何も知らない兄は、少し甘えたふうにしょげるだけで簡単に絆される。口元を緩ませながらもわざとらしく額に手を当てるルルーシュを、ロロは微笑んで見つめた。
「勉強はどうしたんだ?」
「疲れちゃった。今は休憩中」
ベッド脇から覗き込まれると、昼の強い光がルルーシュの髪の先を透かした。眩しさに目を細めて、手を伸ばす。指の隙間から見えるルルーシュが、何故か一瞬息をのんだ。
「何?にいさ…」
声をかけるのと同時に、ぶわりとシーツが舞った。
うわ、と驚いて手を引っ込める。一面の桃色の中で、ルルーシュが笑うのが聞こえた。
「勉強をさぼる悪い子には、お仕置きだ」
じゃれるような重みが圧し掛かってくる。シーツ越しの体温に目を見開き、ロロはばたばたと暴れた。何とか距離を開こうと手探りで肩や胸を押し返すが、それが余計にルルーシュを楽しませてしまったらしい。抵抗も虚しく、止まない笑い声と共にぐるりと身体をシーツでくるまれた。
これでは身動きが取れない上に、息を塞がれて苦しい。流石に我慢できなくなって強引に胸元までシーツを剥がすと、見計らっていたかのように紫の瞳に見つめられた。
思わず息が止まる。数センチもないだろう間近で揺らめく虹彩に、かっと頬が熱くなった。ルルーシュの唇が満足げに微笑む。からかわれているのだと知り、ロロは勢いよく顔を逸らした。くしゃくしゃと頭を撫でてくる手が恨めしい。
ルルーシュはベッドに寝転がると、背を向けたロロに腕を伸ばした。
「ロロは温かいし小さいし、抱き枕みたいだな」
ぎゅっと抱きつかれて鼓動が跳ねる。かと思ったら、その手が何食わぬ顔でシャツのボタンを外し始めた。
「ちょっと兄さん何して…やっ、変なところ触らないでってば!」
滑り込んできた肌の冷たさにびくりと太腿が強張る。
逃げるように身体を丸めると、首から腰までぴったりと密着された。足の間に膝が割り込んできて足首を絡め取られる。
このまま雪崩れ込んでしまってもおかしくはない体勢なのに、ルルーシュはくすくすと笑みを漏らすばかりだった。耳元に温かい呼気がかかり、恥ずかしいやら何やらで全身がむず痒くなる。首に回された腕から逃げるように後ろを見た。
「ん…もう、怒るよ」
弱々しく腕を掴むと、胸の辺りを彷徨っていた指が離れていった。
ごめんごめん、と髪の先でリップ音がして、ずれたシーツが引き上げられる。子どもにするように抱き締めて揺すられて、それ以上文句を言うこともできなかった。せめてもの抵抗にと不貞腐れる。
「折角洗濯したのに…」
「またアイロンをかけ直せば済むことだ」
「それはそうだけど」
ぴくりと目を眇める。ふわふわと髪に寄せられるルルーシュの唇に意識が集中して仕方がなかった。微かな吐息にも身体が震え、携帯を握る指に力が篭る。耐え切れずにぎゅっと目を瞑ると、慰めるように耳を食まれた。そのまま首や項の生え際を辿る感触に背筋が粟立つ。
ロロは変な反応をしてしまわないようにときつく息を詰めた。だから気がつかなかった。ルルーシュはとうに笑みをなくして、深刻な表情でロロの耳の後ろを見つめていた。
「お前、ここ最近眠れてないだろ」
「え…?」
「隈ができてる」
指の腹でなぞられて、びくりと跳ねる。そのとき初めてルルーシュの視線を感じた。重い沈黙に焦る。けれど拘束されてしまった身体は動かない。混乱する頭で瞬きを繰り返す。
「俺にも言えないことか?」
ふる、と胸の前でロケットが揺れた。
「ロロ」
今振り向いたら、きっと死にそうな顔のルルーシュがいるのだろう。両方の腕で逃げられないように押さえつけて、そんなに心配なら好きなだけ問い詰めたらいいのに、弟を傷つけないために必死で喉の奥に飲み込んでいる。
そんなふうに優しくしてくれなくてもいいのに。いっそもっと強く命令してくれれば、自分も口を滑らせてしまうかもしれないのに。
(全部嘘なんだ。全部、だから)
硬い胸に小さなロケットを押し当てる。痛いくらいに、この中に埋め込んでしまえたらと思いながら、そっと息を吸った。
「…ごめんね」
その瞬間ルルーシュが落胆するのが分かった。けれどすぐに何事もなかったかのような笑みが返ってくる。
「いいんだよ、ロロ。話したくなったらいつでも聞くから」
「うん」
髪を撫でる手に瞼を下ろす。まるで壊れものに触れるような手つきが悲しかった。自分はそんなにか弱い存在ではないのに、彼は信じて疑わない。
振り返れば、ん、と小首を傾げて微笑むルルーシュがいた。綺麗すぎて泣きたくなった。
「ねえ、兄さん」
「何だ」
「僕が眠るまでこのままでいてくれる?」
そろそろと腕に指を伸ばす。シャツを掴むと、きょとんとした瞳が嬉しそうに細められた。
「当たり前だろ」
眉の上に温かな感触が落とされ、二人で笑みを交わして前を向いた。抱き寄せられるままに力を抜いて後ろへ凭れかかる。目を閉じると背中から鼓動の音が伝わってきそうだった。とく、とく、と動いている音がする。生きている音がする。
「…ね、もう一つだけいいかな」
肩を抱いていた手を取り、ゆっくりと指を絡める。
「離さないで」
冷えた手首に唇を押し当て、ロロは祈った。
ルルーシュの指が動いて隙間なく重なり合う。ずっと温度がないから好きだと思っていたのに、微かな熱を持った肌がひどく心地よく感じられた。頬に擦り寄せると滑らかな肌がひたりと吸いつく。
ゆるゆると溜まっていた息を吐き出した。大丈夫だよと囁く声に安堵する。
「離さないでね、お願いだから…」
訪れる眠気に耐え切れず、呟きながら手を握る。
絶対に離さないでいてくれたら、最後のそのときまで自分達は一緒だと思えた。
(こんなのは後にも先にもこれだけだ)
薄れゆく意識でロロは笑う。こんなふうに誰かの存在を感じながら眠れるなんて、この人以外には有り得ない。
温かい腕の中に抱かれながら溢れ出す感情の波にさらわれて、呼吸を止めた。

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