巡る



本当に死んでしまった。泣けもしなかった。
森に降りたときと変わらない、昼の柔らかな日差しがロロを包んでいる。まだ温かな頬から手を離して、小さな身体の下にそっと差し入れる。
操縦席から引き離すように持ち上げると、がん、と落下音がした。思わず跳ね上がって見ると、足元にロロの携帯が転がっている。傷のついた、きらりと光るチャーム。あ、と声が漏れる。心臓が潰れるような気がした。
あんなに大事にしていたのに。俺が自分の手でロロの手のひらに握らせてやったのに。どうして、ロロは死んでいるのに、そのまま持ち上げたら落ちるなどとそんな簡単なことに気づいてやれなかったのだろう。
どうして俺はいつも。
目にじわりと浮いてくるものを振り払うように、ゆっくりとロロを下ろして携帯を拾う。表面についた細かい砂を丁寧に拭ってから、今度は胸ポケットにしまってやった。こうすればもう失くすことはないだろう。ずっとロロのものだよ。囁いて微笑む。
これで少しは安心してくれたらいい。まるで寝顔のように穏やかな表情と、同じ夢を見ていてほしいと願うのは傲慢だろうか。誰よりロロを傷つけた俺が。
それでもロロを笑わせることができるのも、きっと自分しかいないと思っているんだ。はは、どうしようもないな。
柔らかい猫毛を撫でると、ロロが微かに頬を緩めたような気がした。分かっている。気がしただけだ。ロロはもう声を上げて笑うこともないし、兄さんと俺を呼ぶこともない。つい数分前まで話していたのに、二度とないんだ。
ロロの笑顔は覚えていた。拗ねた顔も、戸惑う顔も、怯えた顔も。俺はロロのことばかり見ていた。
俺に入れ込んで決して裏切ることなどないように、少しでも不安そうな素振りを見せればすぐに甘やかしてやった。スキンシップに弱いことはとっくに見抜いていた。手を握って、頭を撫でて、抱き締めて。そうしてやればロロはどんなときでも必ず笑みを浮かべた。ふわふわと、本当に嬉しそうに頬を染めていた。
今になって思う。もしかしたら俺はただ単にロロの笑顔が見たかっただけなのではないかと。ロロを篭絡するという意味で、確かにそれは真実だ。けれど、そうではなくて、俺は。
助けを求めるようにロロを見ても、薄く開くだけの唇は何も答えてはくれない。
兄さんのことなら何でも分かるんだから。そう言って少し自慢げに声を弾ませたお前なら、俺の心の奥に積もる感情も掬い上げてくれたのかもしれない。なあ、ロロ。俺には自分が分からないんだ。結局お前を憎んでいたのか愛していたのか、ただの駒としてしか見ていなかったのか、分からない。何も分からないんだ。
両方の頬を包み込んで、唇の端に口づける。俺に触れられるだけで喜んでいた姿を思い出して、あまりの落差に崩れ落ちた。ロロの身体に頭を寄せて唇を噛み締める。焼け爛れるように胸が痛かった。
それでも俺は知っている。傷はいつか癒えるものだ。
一日、一週間、一年。少しずつこの痛みが消えていくのを、きっと俺は止められない。
駄目な兄さんでごめんな。ロロの顔を見上げて、もう一度だけ抱き締める。そのまま膝の裏に手を回して、ゆっくりと持ち上げた。黒い制服の内側でストラップが揺れて、携帯に当たる音がした。動く度に無機質に鳴り続ける。この指の先ほどの小さなハートのチャームにロロがどんな思いを込めていたのか、俺は欠片も知らない。知ろうともしなかった。
ああそうだ、俺は俺の手の中にロロがいると思い込んでいただけなんだ。攻略できた気になっていた。それだけの話だった。現に羽のように軽いと思っていた身体は、こんなにも俺の両腕にずっしりとした重みを伝えてくるじゃないか。
俺は一体ロロの何を見てきたのだろう。思い知らされる。後悔ばかりだ。
ロロを抱えて森を歩く。重さに腕が痺れてきても絶対に下ろすことはしなかった。弟一人を支える力くらい、俺にもある。
力を望んだのは妹のため。けれど、記憶を失った俺が誰のために力を欲したのか、誰を守りたかったのか。今更のように思い出す。
あれは紛い物の上に成り立った決意だったが、間違いなく俺の本心だった。誰に強制されたわけでもない。俺が、思ったのだ。
なあそうだろう、ロロ。見下ろしたロロの顔色がまた変化してきているのに喉が熱くなった。泣いてはいけない。そんな暇などないのだ。前を見据えて足を踏み出す。ロロにはどこか、静かで綺麗な場所を選んでやりたかった。
もう俺にできることはこれくらいしかない。だから歩き続けた。ロロに似合う、青空の見えるところまで。ああそうだ。だってお前に人殺しのある世界は似合わないだろう?
唇の端が上がる。嘘か本当か、言っている俺にも分からない。でもお前なら見抜いてくれるよな、ロロ。
最後まで甘えてばかりですまない。ほら、見えてきた。
木々の切れ間から抜けるような青空が覗く。数歩進むと、すぐに視界が開けた。どこまでも透明で柔らかで、広い空。風が髪をさらう。汗が冷やされて涼しさを感じる。
ロロを抱えたまま、一緒に持ってきたマントを土に広げた。蜃気楼からかなり離れた、ここなら誰にも見つからないだろう。慎重にロロをマントの上に寝かせる。どっと解放された腕に血が巡る感覚があった。脈を打っている。
どくどくと跳ねる血流を感じながら、不意にロロの手を握った。
冷たい。自分の体温を奪われるような気がして反射的に手を離したくなったが、逆にぎゅうと力を込めた。手のひらに染み込んでくる氷のような温度に身体が震える。俺の手も降り注ぐ日差しも温かいのに、ロロだけが冷えていく。閉じられた瞼は眠っているようにしか見えないのに。
「ロロ…」
喉に声が引っかかる。空いている右手で、ロロの手を握る左手を剥がした。指先がみっともなく震えている。何をしているんだと叱咤して、大きく息をのみ、ロロの両手を胸の上で組み合わせた。指を一本ずつ交互になるように重ねていく。解けることのないように、きつく。
この手が多くの人間の未来を奪ってきたことを、俺は忘れない。俺にはお前を許すことも許さないこともできないから、代わりにお前のことを覚えているよ。いつか痛みも感情もなくなって、お前の存在がただの事実になったとしても。忘れない。
だからもう、苦しむことはないんだ。ゆっくりお休み。ロロ・ランペルージという人間は、確かに俺と共にあった。それは紛れもない真実なのだから。

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