ループ



がたんがたんと電車が揺れる。 窓から差し込む日はすっかり赤く染まっていた。温い空調にまどろむ心地になりながら、肩に寄りかかる兄さんを見つめる。
電車に乗り込んで数分で、まるで糸が切れるように意識を失ったときには血の気が引いたけれど、単に眠っているだけと分かると逆に安心した。昨日は一日中街を彷徨っていたし、その前は魘されてほとんど眠れていなかったのだ。ゆっくり休んだ方がいい。
すうすうと穏やかな寝息を立てる兄さんに微笑みかけて、窓の外を眺める。
降りる駅はもうすぐだった。高いビルが目まぐるしく流れていく。見覚えのある広告。街並み。ここを通るのはこれで何度目になるだろう。気持ちよさそうに眠る兄さんをどうしても起こすことができなくて、僕達は同じところを行ったり来たりしている。終着駅に着いたら反対のホームへ移動して、いつまでも。
兄さんは怒らなかった。ただ眠そうな目を擦って頭を撫でて、優しい眼差しを向けてくれた。嬉しかった。喋るのが億劫なくらい、今の僕達に言葉は必要なかった。きゅっと重ねた手に力を込めると兄さんの温かみを感じる。弱くて華奢で、加減を間違えたら僕でも簡単に折れてしまいそうだ。記憶のない兄だった頃は、これでも頼もしく見えたのに。
兄さんが無理をしていることは、ずっと前から分かっていた。この人は格好つけなところがあるから、愛しい弟のために完璧な姿を見せ続けようとしていたのだろう。それが彼の存在意義で、そのせいで無理を無理と自覚していないのが厄介なところでもあった。
いつか愛情が彼を滅ぼすのと、存在意義を失うのと、どちらが早いだろう。任務を遂行する僕はぼんやりとそんなことを思っていた。
息を吐き、肩に乗る頭の上にそっと自分の頭を重ねてみる。さらさらとした髪の感触に、理由の分からない綺麗な香りがした。柔らかい。花とも違うし、何だろう。同じシャンプーをつかっているはずなのに、きっと自分はこんないい香りはしない。
ちらと見下ろすと、長い前髪の間から鼻の頭が見えた。もっとよく顔が見たくて頬をすり寄せる。少し前髪がずれて伏せられた瞼や薄い頬が露わになった。相変わらず整った顔立ちだけど、今は青白くやつれていて胸が痛くなった。じりじりと締めつけられるような、焦げるような痛み。ギアスを使ったときに感じる瞬間的な激痛ではなくて。慣れない痛みが苦しくて、何故か目の奥が熱くなった。
昨日一日、気配を消して彼の後をつけてみてはっきり分かった。この人にはナナリー以外いらないのだ。ナナリーの存在がこの人を作る全てで、だからナナリーに拒絶されたこの人の世界はあっという間に崩れてしまった。
どうしてそんなに妹がいいのだろう。血が繋がっているから? ずっと一緒だったから? こんなに傷つけられてまで、どうしてあんな女の子一人に拘るのだろう。
僕なら絶対に、兄さんを傷つけるようなことはしない。何もできないか弱い女の子とは違う。兄さんを守るだけの力もある。兄さんの敵は皆僕が消してあげる。僕は兄さんといられれば。そのためなら何だってしてあげられるんだよ。
目を閉じると、べったりとくっついた半身から兄さんの体温が流れ込んでくる。容赦のない体重のかけ方は少し重かったけれど、僕が兄さんを支えているんだという気がして、ふわふわと笑みが浮かんだ。手を動かして、大好きな指に自分の指を絡ませる。
全部忘れて、僕と学園に帰ろう。あのとき僕の手を取ってくれた、これが兄さんの答え。
だから僕もそれに応えるよ。大丈夫、もう苦しいことなんて何もないから。だからずっと僕と一緒にいてね。
いつの間にか開いていたドアが閉まって、電車が走り出した。流れていく駅の名前に、また兄さんを起こし損ねてしまったと気づく。あーあ、と子どもみたいな感想が漏れて、けれど僕はちっとも焦ったりしなかった。微笑んで兄さんに凭れかかる。
ごめんね、兄さん。でもいいよね? 時間はたっぷりあるんだから。
がたがたと電車が揺れる。温かい体温。何だか眠くなってきて、僕も瞼を下ろした。このまま兄さんが目を覚ますまで、どこまでも行こう。兄さんが目を覚まして、もう起きるんだよロロって言ったら、僕もちゃんと目を開けるから。ね、それまで。

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