『欠陥品』だと言われた。まだ幼いロロには理解できない言葉だったが、研究員の表情から、何となく悪いことを言われているのだということは分かった。
ロロは重い器具の外された胸を触ってみる。
ギアスを使った途端、息が止まって全身に強烈な痛みが走った。欠陥品。自分のようなもののことを欠陥品というのだ。
「折角使えそうなギアスが発現したと思ったのに…」
「メンテナンスが面倒だな」
「長く生かしておいてもこちらのリスクが増えるだけだ。さっさと使い倒して処分を…」
「いや、しかしそれはV.V.様が…」
子どもの足には高すぎるベッドからのろのろと下り、ロロは部屋を後にする。
廊下を擦れ違う人間が蔑むような視線を向けてくるが、何の感慨も湧かなかった。機械をいじって偉そうにしている大人達より、自分の方が力を持っているという意識がそうさせたのかもしれない。大人に逆らうことは許されないが、実際にやろうとしてできないことはないのだ。勿論、処分という名の報復は受ける。それでも気に入らない人間の一人や二人、ギアスを使えば殺せるのだ。簡単に。
「ロロ」
突然呼び止められて振り返る。
「何ですか」
白衣の胸の名札には見覚えがない。面倒だと思いながら見上げると、男は不機嫌そうな顔で吐き捨てた。
「V.V.様がお呼びだ」
「ふふ、ロロは可愛いね」
V.V.は笑う。しゃがみ込んで自分を見上げてくる男に、ロロは無表情を返した。
大人達は皆ロロを見下すのに、何故か彼だけはロロを『欠陥品』と呼ばなかった。艶やかに微笑んで可愛い可愛いと繰り返す。ロロにしてみれば、自分のような汚い子どもよりV.V.の方が余程綺麗だと思った。彼の陶器のような頬や、緩やかに弧を描く唇は単純に美しい。任務先で見た絵画や彫刻にそっくりだ。
神を描いたという芸術品。この閉ざされた世界で、事実彼は神のような存在だった。
ロロを虐げる大人達だって、決して彼には逆らえない。彼が不快に思った人間は次の日には忽然と姿を消している。そんな彼に特別扱いをされている事実も、ロロの心に微かな平穏を与えていた。
ロロはその場に棒立ちになってV.V.を見つめる。ロロがV.V.に対して言葉を発することは滅多になかった。他愛ない会話の仕方など知らないし、何か聞かれれば答えるけれど彼がロロに質問をすることはない。ただロロを眺めて、どことなく満足げに頷くだけだ。
V.V.の、自分とよく似た薄紫の瞳が細められる。
「僕は君の顔は好きだよ。その目も、髪も」
そう言って彼はロロの長い髪を眺める。ふわふわとした薄い色の髪は、V.V.の意思で腰につくほど伸ばされていた。何故こんなことをするのか、理由は知らないし、聞く必要もない。彼がそうしろと言うのなら従うまでのことだ。
「…本当に可愛い」
ただ、奇妙な関係だとは思う。
彼はよく自分と同じような、ゴミ同然に道端に転がる子どもを拾ってくるが、その中でも度々彼に呼び出されるのは自分だけだった。好かれているらしいことは分かる。けれど、だからと言って彼が自分のために何かをしてくれることはなかった。
ペットのようなものだろうかとも思ったが、それにしたってペットの方が手間隙かけて育ててもらっているに違いない。ならば人形かぬいぐるみか。
いやに楽しげな彼を前に、ロロはぼんやりとそんなことを考えていた。
V.V.はロロの様子など気にもせず緩やかに微笑んでいる。本当に作りもののようだ。自分が人形なら、彼は彼という、そういう生きものなのだろう。この地下や外の世界に溢れている人間とは違う。一人だけ取り残されている。
(どこに?)
そんなことは分からない。そもそも彼が取り残されていると感じるのも、自分の主観でしかない。成長しない身体なのだとは、聞いたことがあるけれど。
自分の足元に座り込むV.V.は大きく見ても十二、三くらいの年齢にしか見えない。外見の数倍は生きている、自分の嫌いな大人であるはずの彼を見ても何とも思わないのはそのせいだろう。自分と同じ子どもの姿をしているから。危害を加えないから。自分を拾ってくれたから。
別に、だから好きというわけでもないが、嫌いというわけでもなかった。少なくとも彼に手を引かれなければ自分は野垂れ死んでいただろうから、その点では感謝していた。それだけだった。こうしてよく分からない好意を向けられても、自分は黙って受け入れることしかできない。
ロロはじっとV.V.の顔の筋肉を観察する。
突然何故そんなことをしようと思ったのかは分からない。後で思えば、親の姿を真似る子どもの心境だったのかもしれない。
「どうかした?」
不思議そうに首を傾げるV.V.に向かって、ロロは今見た彼の表情をそっくり自分の顔にのせてみた。
V.V.が息をのみ、珍しく目を見開く。
ロロは頬の肉が引きつるのを感じた。上手く真似てみたつもりでも、普段動かさない筋肉を使うのは難しい。つられて目元までくしゃりと垂れてしまう。V.V.はいつも涼やかな瞳を保っているのに。
頑張ってそのまま維持していたが、やがて限界が来てロロは大きく息を吐く。元の無表情に戻ると、筋肉を解すように両側の頬に手のひらを当てた。ふにふにと手に力を入れる。
笑うのも意外と疲れるものだなと考えていると、顔に影がかかった。見るとV.V.がいつの間にか立ち上がっている。いくら子どもの外見をしていても、彼の身長は自分と比べるとかなり高い。ロロは首を逸らせて見上げる。
V.V.は感情の読めない顔で立ち尽くしていた。唇には、恐らく無表情と同じ類のものと思われる微笑がのっている。
「ねえ、ロロ」
何ですか、と聞き返す前に続きが降ってくる。
「『兄さん』って言ってくれるかい?」
「にいさん?」
言葉の意味が分からないロロは、聞こえた通りに発音する。
ぼうっとした声が静寂に吸い込まれた後、V.V.はくすくすと笑みをこぼした。肩を竦め、子どものように笑った。何がそんなに悲しいのだろうとロロは思ったが、口には出さなかった。
V.V.は自身の長い白髪を鬱陶しげに払い、ロロの薄茶色の髪に手を伸ばす。伸ばせと言ったのは彼なのに、そういえば触れられるのは初めてだった。ふわりとした癖毛を、白く幼い指が絡める。冷たそうな指だ。ちゃんと肉や骨はこの中に入っているのだろうか。彫刻のようにぽっかりとした空洞があるのではないだろうか。
「髪を切ろうか、ロロ」
ロロは瞬く。囁いたV.V.の声には今まで感じなかった熱がこもっていて、ロロは自然と頬を緩めていた。
何だか少しだけ安心した。
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