丁寧にアイロンをかけたシャツを、ロロがせっせと畳んでいく。
繊細そうに見えて実は乱雑な彼が、ちゃんと自分の教えた通りにしていることに満足し、ルルーシュはアイロンの電源を切った。洗濯物の山の中から、ずるずると一枚のシーツを引っ張り出す。
「ロロ」
薄い背中に呼びかけると、きょとんと愛らしい顔が振り向いた。白いシャツ姿のためか普段よりも顔色が明るく見える。制服の黒もすっきりとしていてそれはそれで可愛いが、やはり白の方が幼くて好きだった。彼の色素の薄さは、昼下がりの光が差し込むと蕩けるように甘くなる。
ルルーシュは緩んだ頬もそのままに、胸の高さまでシーツを掲げて見せた。
「畳むのを手伝ってくれないか?」
「うん、いいよ」
こくりと頷いて近寄ってくる。
雛のような素直さにまただらしなく頬が緩む。加えてこれから自分が仕掛けようとしている悪戯を思うと、自然と笑みが浮かんできた。
「あれ?でもそれって…」
途中でシーツにアイロンがかけられていないことに気がついたのか、ロロは訝しげに首を傾げる。
だがそれより早く、ルルーシュが両手を広げた。バッと勢いよくシーツが舞う。
「うわあ」
ロロの焦ったような悲鳴がシーツの中に埋もれる。
ルルーシュはくすくす笑いながら、すっぽりとロロを覆った布の端を持ち、下へ引いた。座って軽く体重をかけると、丸く出っ張った頭が崩れ落ちる。
「何?何?」
もぞもぞとシーツに包まれた身体が動く。窮屈そうにもがく様子にちょっと可哀想になって、ルルーシュはロロの後頭部の辺りを掴んでシーツをずらす。ロロの手が中から布を押し上げるようにして、間もなく赤い顔が現れた。急に空気を塞がれて苦しかったのか、ぷは、と息を吸う。
眼前で見せられたその表情と仕草に、つい『可愛い』以外の感情を抱きそうになってしまう。しかしはっきりと自覚する前にロロの非難の視線が向けられた。
「もう。何?兄さん」
ぶすっと頬を膨らませたロロは、少し怒っているようだった。大きな目がじっとりとルルーシュを見上げる。怖い。
ルルーシュは反射的に両手を上げた。
「悪い。ロロがあまりにも真剣に洗濯物を畳んでるから」
「だから?」
「寂しかった」
はあ、と語尾上がりにロロの唇が薄く開く。ぽかんと見つめてくる瞳は丸い。ルルーシュはロロに触れたくなる手を抑えて、言葉を補った。
「お前が自分の手元にばかり夢中になって、振り向きもしないから」
寂しかったんだよ、と続ける。ロロはやはり呆然としたままだったが、やがて小さく噴出した。
「何それ」
肩を揺らす。次第にそれは大きくなり、驚くルルーシュの前で最後には声を立てて笑い始めた。
「変なの。だって僕、洗濯物畳んでただけなのに」
口元に手を添えて、心底おかしいといった様子でロロは目を細める。
ルルーシュは瞬いて彼を見下ろす。何故かは分からないが、何か異様なものを見る心地だった。久々に見れた弟の笑顔は嬉しいはずなのに、と思いかけて、眉を寄せた。
『久々に』とはどういう意味だ。
ロロはいつでも笑っている。時折作り笑いを見せることもあるが、ルルーシュが頭を撫でれば恥ずかしそうに唇を緩めるし、キスをすれば困ったように眉尻を下げる。その表情に嘘はないはずだ。兄の自分が分からないわけがない。
それなら何だと、ルルーシュはまじまじとロロを見つめる。
格好を崩して、だらしなく腕を床に突く。そんな彼の姿はルルーシュの違和感を増幅させた。そして思い当たる。
そもそも弟は、こんな笑い方をする子だったろうか。
小さい頃のロロは活発だったが病気がちで、特に体調を崩しやすくなってからは、道端に咲く花のような可憐で素朴な微笑みを浮かべるようになっていた。決してこんな、男の子らしい、がさつな笑い方は。
「兄さん?」
びくりとして我に返ると、ロロが真っ直ぐにこちらを見上げていた。その顔に既に笑みはない。心配そうな、何かを探るような瞳が揺れる。つい今まで腹を抱えていたのに、一瞬で表情を変えている不自然さにルルーシュは気づかなかった。
じりと僅かに身体を引き、ああ、と呟く。何でもないよと続けようとしたとき、ロロが自身の肩を掴んだ。意図の分からない動作に首を傾げるが、答えはすぐに返ってきた。
ばさ、と空気を含んだシーツがロロの腕と一緒に降ってくる。
「何…」
目を見開いて声を上げようとすると、ロロが至近距離で顔を上げた。ルルーシュの腰までシーツを回したせいで、抱き締めるような体勢になっていた。当然互いの顔も触れ合いそうに近い。
ルルーシュの足の間に座り込んだ彼は、桃色の影の中で微笑んだ。
「仕返し」
形のいい唇が緩く弧を描く。
思わず見蕩れていると、ロロはするりとルルーシュの耳に唇を寄せた。乾いた頬が重なる。
「ごめんね、兄さん」
囁かれた言葉に反応する間もなく、彼はシーツの中から出て行った。取り残されたルルーシュは無言で目の前の布を眺める。
(「次からちゃんと気をつけるから…」)
ロロが離れていく瞬間、微かな声が聞こえた気がした。ルルーシュに話しかけたのでもなく、独り言でもない。自分自身を戒めるような声音に、ルルーシュは心臓が跳ねるのを感じた。
「ロロ!」
頭から被せられたシーツを払い除け、叫ぶように弟を呼ぶ。
ロロは驚いたらしく目をぱちぱちさせたが、ルルーシュが自分の仕返しに怒ったものと思ったらしい。
「ごめん。もうしないよ」
しゅんと肩を落とすロロを、ルルーシュはそれまでの焦燥も忘れて抱き締める。頭を撫でて離れると、ロロはそれも勘違いしたようで、嬉しそうに目元を染めた。
恐らく彼本人は自分の呟きがルルーシュに聞かれているとは思っていないのだろう。だからこそ仕返しというダミーを用意したのだろうし、それならルルーシュが問い詰めたところではぐらかされるに違いなかった。ここは敢えて気づかないふりをしてやった方がいいのだろうか。
表情を変えずに悩むルルーシュに、ロロはことりと首を傾けて微笑んだ。
「そうだ、兄さん。ちょっと変なこと聞くけど、僕ってこの色似合うの?」
ロロは膝の上に広げられたシーツを首まで合わせて見せる。
唐突な問いは話題を逸らすためだろう。そう判断したルルーシュは、ロロの呟きを頭の隅に押しやり、にこりと笑った。
「ああ、似合うよ」
ロロの柔らかな風貌に、淡い桃色はしっくりとはまっている。
ルルーシュの言葉を聞いたロロはシーツを放り出した。ずいと身を乗り出す。
「ねえ、他にはどんな色が似合う?赤とか、青とか」
「そ、そうだな…。あまり強い色は合わないな。水色とか、黄緑、クリーム。レモンイエローもいいんじゃないか?」
次々に似合いそうな色を挙げていくと、ロロはぺたりと床に座った。
遊んだせいですっかり皺くちゃになってしまったシーツを握る。握り潰すと言った方がいいかもしれない。力を入れすぎて白くなった関節を見、ルルーシュは痛々しさに顔を顰めた。手のひらを重ねると、ひゅっとロロは息を吸った。吐き出す中に声が混ざる。
「なら…」
ルルーシュはロロの顔を覗き込んで先を促す。
ロロは迷う素振りを見せたが、おずおずとルルーシュを見上げた。零れ落ちそうな瞳がルルーシュを捉える。
「今度からは水色がいい。ピンクじゃなくて、水色にして」
か細いが意志のこもった強い声だった。ルルーシュは瞠目してロロの肩を掴む。
「どうしたんだ?急に」
今までそんなことなど一度も口にしたことがなかったのに、と言外に滲んでしまったのか、ロロがついと視線を逸らす。
滅多に自己主張をしない弟が何故いきなり駄々を捏ねるのか。我侭を言われるのは嬉しかったが、あまりにも突然で何かあったのではと疑ってしまう。ひょっとして反抗期だろうか。だがそれにしては避けられている様子はないし、と考え始めたところでロロがルルーシュに視線を戻した。子どものように口を尖らせている。
「だって僕、男だよ」
「え?」
「だから、高校生にもなってピンクってどうかな、って思っただけ」
一息に言い放つロロに、肩の力が抜けるのが分かる。なるほど考えれば至極当然な答えだ。
「そう、だよな…」
ほとんど反射的に頷いていた。
「じゃあ次からは水色にするか?」
確認するようにロロを見やると、彼はぱっと明るくなった表情を俯かせた。ありがとう、と頬を緩ませる。むき出しの耳が仄かに色づいているのが分かった。
ルルーシュは不思議な気持ちでロロを見ていた。男だよ、と彼が言ったとき、頭の奥がパチンと白く弾けるような気がした。当たり前のことなのにまるで認識していなかったかのような大きな落差。
確かにロロは男なのだ。もう十六になる。そんな弟に今まで自分はごく普通の感覚でレースやフリルのついた小物を買い与えていたのだ。いくらロロが少女めいた顔立ちで、そこらの女子よりよっぽど家庭的で可愛らしいといっても、これはあんまりではないだろうか。
ロロがまだ本当に小さかった頃は女の子用の服を着せられていたこともあったが、それも遥か昔のことだ。ふわふわと柔らかいだけの身体も今ではすっかり大きくなって、若干頼りないものの男らしく骨張っている。
そう思えば仕草だって男らしくなっていておかしくないのだ。中等部に入って同じ年頃の男子と交友すれば価値観も変わるだろう。それがいいか悪いかは別にして、弟の成長は胸を打つものがあった。
ルルーシュはわしゃわしゃとロロの頭をかき混ぜる。
「水色もきっと似合うぞ。青空の色だ。似合うに決まっている。そうだ、折角だから他のものも桃色から水色に揃え直そうか」
「いいの?」
「ただし、消耗品はちゃんと使い切ってからな」
頬にキスを送ると、子犬のような目がきらきらと輝いた。こんなことで喜んでくれるのなら、もっと甘えてくれればいいのに。実の兄にまで遠慮がちな弟がときどき悲しくなる。
ルルーシュはロロの癖っ毛を撫でつけながら、頭の中で週末の予定を確認する。
「洋服はそろそろサイズも合わなくなってきただろうから、新しいのを買ってもいいな。次の休みは…」
「空いてる」
即答してくるロロに、ふっとルルーシュは笑みを零す。
「決まりだな」
週末、約束通り二人で服を買いに出かけた。
空色のシャツはロロにとてもよく似合っていて、ルルーシュは浮かぶままに言葉を告げる。ロロは嬉しそうに頬を染めて、くるくると後ろを確認する。ちらりと何度も鏡を振り返る姿に、余程気に入ったのだなと微笑ましく思った。
だから今度は違和感には気づかなかった。
ロロは笑う。ただそれは、先日見せた少年らしいくだけた笑みではなく、少女を思わせる柔らかい微笑でしかなかった。
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