触らないでください



隣に誰かの温もりがあるというのは、ひどく気持ちの悪いものだった。
ロロにとって全ての他人は、暗殺の対象であるかそうでないかのどちらかに分類される。対象であれば速やかに殺し、そうでなければ関係を持たない。人に触れるという経験が、ロロには決定的に欠けていた。
それがまさかこんな形で任務に影響するとは、どうして考えることがあっただろう。
ロロは横向きに小さく丸まりながら、必死で溜息を抑えていた。顔の前で両手を緩く組み、少しでもルルーシュの視線から逃れようと試みる。
向かいで穏やかな顔をする彼は、何をするでもなくただロロを見つめていた。
じわじわと、まるで侵食するかのように注がれるそれが嫌で堪らない。気持ち悪い、と繰り返し思った。これが兄弟というものなのだろうか。だとすれば、ロロには到底この男との生活に耐えていく自信がなかった。
夕食後、たまには一緒に寝ようか、とルルーシュが笑ったとき、ロロは反射的に頷いていた。
ロロの任務はルルーシュの弟として、間近から彼を観察することだ。彼、具体的には彼にインプットされた設定に逆らって、不信感を与えてはいけない。もし記憶の綻びから彼に眠るゼロが目覚めれば、ロロは彼を処分しなければならなくなる。そうなれば魔女を誘き寄せる手段の一つが失われ、ロロは失態の責任を取らされることになるだろう。
組織にとってロロは便利な道具に過ぎない。不要になれば捨てられる。他に行くあてなどないのだから、そのときはそれで構わないと思ってはいるものの、だからといって自ら死期を近づける気もなかった。
ロロはちらりとルルーシュを見上げる。弟の視線を受け、ふかふかの枕に黒髪を散らせた彼が嬉しそうに首を傾けた。
何だ、と目で語りかけてくる彼に、ロロは可愛らしく頬を膨らませる。この場合は恥ずかしがって拗ねた子どもの顔で正解だろうか。頭の隅で計算しながらたどたどしく口を開く。
「あの、兄さん。そんなに見られてると気になって眠れないんだけど」
言った瞬間、ルルーシュが噴出した。ごめんごめんと笑う意味が分からなくて思わず顔を顰めかけたが、その前に彼の手がロロへ伸ばされた。
「からかって悪かったな」
どうやら冗談のつもりで半分意図的に視線を送っていたらしい。くしゃりと頭を撫でると、優しい手つきで前髪をかき上げ額にキスを落とす。細い指が離れていくのを、ロロはぼんやりと見つめた。
ルルーシュの指は嫌いではない。いつも冷えていてあまり温度がないし、何より形が整って美しかった。この綺麗な指がゼロとして人を殺したのだ。そう思ったら妙な感動すら湧いてくる。
「一緒に寝ようなんて久しぶりだよね。どうしたの?」
「嫌か?」
「ううん」
それからふと思いついて、嬉しいよと付け加えた。
ルルーシュの思考心理を把握するまでは、とりあえずマニュアルを再現していればいい。面倒なのはこれからだ。早く間違いと正解を見極めなければならない。いつまでも『ブラックリベリオンによる精神的ショック』を言い訳に使っていたのでは、過保護な彼に病院へ連れ込まれかねなかった。
つらつらとそんなことを考えていたから、ルルーシュの行動に咄嗟に反応できなかった。
「兄さん?」
眼前に彼の鎖骨がある。何だこれは。
「兄さん、どうしたの」
首に彼の腕が巻きついている。身動きが取れない。ロロは混乱してルルーシュを見上げたが、密着しているせいで顎のラインしか見えなかった。
仕方なく、両手で弱々しく、反抗の意味を持たない程度に胸を押し返してみる。これで駄目だったらどうしようと絶望的な気持ちになったが、幸いにもルルーシュは僅かに身体を離してくれた。
ロロは心底ほっとする。イレギュラーには慣れているが、それにはギアスを乱用できるという条件付での話だ。こうした長期の潜入で、しかも大雑把なシナリオしか用意されていないとなれば、日常の全てが不安要素だった。ルルーシュの行動は常にロロの理解を飛び越える。
ルルーシュがそのままの体勢で頭を枕に埋めた。指先で癖のある毛先を遊ぶようにして何度も撫でる。途中であやすように目元近くの頬を掠めてきたから、ロロは表情を笑みに変えた。
「今日の兄さん、変だよ」
そうかな、と言ってルルーシュはロロの頭を引き寄せた。抱き込まれて、髪にキスされて、ロロは嫌な音で跳ねる心臓を無視して彼の首に額を預けた。
「学校で何かあった?」
機情からの通信で、彼が普段通りの一日を送ったことは分かっている。だがもしかしたら周りには分からない何かがあったのかもしれない。
心配そうに聞こえるロロの声に、ルルーシュはくつくつと肩を揺らした。
「違うよ」
触れている箇所からダイレクトに震えが伝わってきて、ロロはびくりとした。あ、と声になりきらない音が漏れる。身体がぐにゃぐにゃとうねる感覚に襲われ、息が詰まった。
(駄目だ。気持ち悪い)
今すぐ彼から離れたくてどうしようもなくなったが、ここで距離を取るのはあまりに不自然だった。
ルルーシュを拒絶してはいけない。受け入れなければならない。彼の望む弟を捧げなければならない。これは任務なのだ。任務はミスなく遂行しなければならない。
ぐるぐると巡る思考に吐き気を覚える。鼻先にあるルルーシュの身体から彼の匂いがした。自分以外の他人が、今自分に触れている。その事実が猛烈な勢いでロロの脳を刺激した。
堪らず目を閉じる。ぎゅうと眉を寄せ、指を握り締める。最早演技どころではなかった。
ルルーシュの手のひらが後頭部を滑り、項の辺りで止まる。ふ、と甘い空気が下りてきてロロの背筋を震わせた。ルルーシュの唇が動く気配する。息を吸う音がする。
「お前と一緒にいられて幸せだな、って思ったんだよ」
取り乱さないようにするので精一杯だったロロには、その言葉の欠片も理解することができなかった。

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