* * * *

 現場の連中から、酒の席に誘われた。自分で言うのもなんだが、おれのような、超人の上に得体の知れない外国人にも、ここの監督は結構よくしてくれる。これはおれの外面がいいせいもあるだろうが、それより、ここの現場自体、若いやつらに『得体の知れない、怪しい外国人』が多いからだろう。

 天候が崩れそうで早上がりした現場を引き上げる。その後、汚くて狭い、だが結構うまい焼肉屋に行き、勧められるまま結構呑んだ。

 いくらふつうの人間に比べて体力が桁違いだからといっても無尽蔵なわけじゃない。おれも適度に酔って、アパートに向かってふらふら歩く。結構な道程の上、人通りはなく、街路灯は少ない。大型トラックが法定速度など無視してびゅんびゅん走っていく。

 周りに建物がないから、このぼろいアパートも、夜目には闇に浮かんで見えた。近づいて見上げると、しかしおれたちの部屋には灯りがついていなかった。年下の同居人の顔を思い浮かべる。出かけたんだろうか? 確かにこの辺りにはなにもないが、いくらなんでも寝るには早い。

 鍵を開けて、黙って部屋に入り込む。いつも開けっ放しのふすまの向こうに、電気もつけずに真っ暗の中、音まで消したテレビを見ているジェイドがいた。布団のなかでうつ伏せになって、画面のなかの水着のねえちゃんを口半開きでぼんやり見てる。ちょっとだけアホみたいだ。

「よう、むっつりスケベ。オナニーの邪魔したか」
「お帰りスカー。――うわ、酒くさい」

 ジェイドはもぞもぞ起き上がって電気をつけた。明るさに慣れないのか、眉間を皺めておれを見る。

「電気ぐらいつけてくれればいいのに」
「お兄さんの気遣いだ。ひと声かけてやったんだからありがたく思えよ」
「――なんか勘違いしてないか」
「おまえこそ李下に冠を正さずって知ってるか?」
「知らない」

 他愛もない応酬を続けるうちに、ジェイドの目に生気が戻ってくる。ぼーっとしてたのも口半開きだったのも、ただ眠たかっただけのようだ。

「することもないし、スカーも遅いし、テレビつけてたら眠くなってきたから、寝ようかどうしようかと思ってて――」

 そこまで言いかけて、ジェイドは急に険しい顔でおれのTシャツに鼻をつけた。

「うわ、なにこれ。気持ち悪い」
「あー、わかるか? いい匂いしねえ?」
「鼻マヒしてるよ、スカー。自分で嗅いでみろよ」

 おれはTシャツを脱いで嗅いでみた。――たしかに、これはちょっと強烈かもしれない。焼肉屋の煙でいぶされた脂のにおいに混じって、アルデハイドの人工的な花の香り。それぞれ別に嗅げば『いいにおい』なのだろうが、いまは完全な悪臭の元でしかない。

「――どこ行ってたの?」
「んー、監督たちと『三条園』で焼肉食って、その後もう一軒呑み行った」
「ふうん」

 ジェイドが『もう一軒』のほうを気にしているのはよく分かった。うっとうしいような、でもそれを喜んでる自分がいる。最近、すっかり弱くなってしまった気がする。かつての殺伐とした生活に戻ろうとは思わないが、夜道にアパートの明かりを見つけたときとか、真っ暗な部屋のなかでこいつの姿を見つけたときとか、じわりと胃が充血するようなこの感情を、おれはもてあましていた。

「さっさと風呂入ってこいよ。香害だよ、これじゃ」

 ぷいと背中を向けるジェイドを捕まえて、背後から無理やり抱きしめた。頭半分ちいさいジェイドの頭は生乾きで放っておいたのか、やわらかい癖毛が変なふうにはねて後頭部が潰れている。ジェイドはなかば本気で抵抗した。

「やめろよ、スカー。放せよ」
「夜なのにうるせぇぞ」
「おまえのせいだろ、馬鹿っ」

 おれはジェイドの首に腕を回し、はんぶん本気で締めた。太い腕が頚動脈を圧迫する。おれたちが狭いアパートの中で本気で暴れたら、部屋が半壊しかねない。それが分かってるから、この場はここまでだ。ジェイドが悔しそうにおれの腿に爪を立てた。肉に食い込んでくる痛みにおれは笑った。

「あんま暴れんなよ。……今日はさ、肉食った後にキレイなお姉さんのいる店に連れてってもらったんだ。まあ、そこで、呑んだ。そっからは、言わなくてもいいだろ?」
「……色情魔」
「なに想像してんだ? ガキの癖に。それとも、」

 ジェラシーか? 口に出しかけて、やめる。男同士で嫉妬だのなんだの、寒すぎる。おれは腕をゆるめて首を解放してやると、ジェイドの頭に顎を乗せた。

「スカーってほんと信じられないな。いきなり変なことばっか言うし、うっとうしいし」
「言ってろバーカ」

 つむじを舌先でくすぐってやりながら、パジャマ代わりのスウェットの上からやつのアレを握る。

「変なところ舐めるのやめろよ……」
「勃ってねえじゃん。テレビのいいとこでおれが帰ってきて萎えちまったか?」
「……死ねよ、大バカ野郎」

 本気で癇癪を起こしかけてるのを察して、おれはジェイドを解放した。やつはすごい勢いで一歩飛びすさると、腰を下げた低い姿勢でおれをねめつけた。――おいおい、本気でやりあうつもりかよ。

「――風呂、入ってくるわ。悪ぃけど俺の布団も敷いといてくれ」

 なにがそんなに癇に障ったのか、と思う反面、それを小気味よく思ってるおれがいた。得体の知れないもやもやした感情を抱くよりも、こいつに子どもっぽい癇気を向けられてるほうがよほど気分がよかった。

* * * *

 頭をバスタオルでかき混ぜながら風呂場を出ると、ふすまの向こうはすでに蛍光灯が消され、黄色のちいさな電球が、ぼんやりと室内を照らしていた。向かって右側の布団がこんもりと山になっている。

 手探りでTシャツにバミューダショーツを穿き、隣の布団に潜りこむ。せまい六畳間に超人のおれたちがくつろいで眠れるような布団を二枚敷くと、もう部屋に足の踏み場はない。季節はずれの扇風機を無理やり枕元において、風を送って髪を乾かす。

「――なあ、スカー」
「ん、なんだ」

 こちらに背を向けて布団に丸まっていたジェイドが、ぼそりとつぶやいた。

「スカーってさ、女の人にも犯してくれって言うのか」

 あまりにもしょうもないことだったから、髪を乾かす手が止まってしまった。

「バカか? おまえ」
「そう?」

 ジェイドはくるりと寝返りをうってこちらを向くと、布団から半分顔を出した。歳の割には大人びた顔立ちだと思うが、言ってることは小学生以下だ。

「おれだって男だから穴があったら入りてぇよ」
「じゃあ、おれに対してもそう思ってたりとか」
「やらせてくれんの?」
「……絶対にイヤだ」

 アホらしい会話の応酬に疲れて、おれは扇風機を無理やりふすまの向こうに押しやり、布団のなかにもぐりこむ。そういえば、こいつと最初に寝たのっていつだったっけか。きっかけなんて覚えてないが、おれが下になったのは、こいつがそのとき当然のように乗っかってきたからだった。

 ゲルマン特有の鋭い顔立ちに、まだ幼さを残しているジェイドがそんなことをするとは思わなくて、はじめは面白がって、言うなりに受身に回った。ジェイドのそれは上手いわけではなかったが、手つきが妙に慣れていて、男を相手にセックスをしたことが一度ならずもあるのだということが分かった。

 そのころはまだ、こいつにこんなことを教えたのは誰なんだとか、笑ってやり過ごすことができた。いまは、どうなんだろう?

(アホらしい。やめだ、やめ)

 やっぱり、最近気弱になっている。こいつとすこし長く一緒に居過ぎたのかも知れない。おれはぼんやり点る灯りを消そうと、蛍光灯からぶら下がる長い紐に手を伸ばした。

「――スカー」

 呼ばれて、おれは宙に差し出した腕をつかまれた。ジェイドはその手をそっと下ろすと、もぞもぞとおれの布団のなかに入ってきた。

「スカー、怒ってる?」
「いや、別に」
「そう」

 ジェイドはおれの胸元に鼻をつけてすんすんと嗅いだ。

「まだ、ちょっとにおう。ちゃんと洗えてないんじゃないか」
「知らねえよ。別に、ふつうに洗ったと思うぜ」

 ジェイドの手がおれのTシャツをたくし上げる。やつの手のひらがざらりと胸をなでると、おれはすこし身を竦めた。ジェイドが含み笑いをする。おれの反応に満足するように。

 おれは目をつぶった。ジェイドが唇を合わせてくる。やつの手が、胸筋を、腹筋を、脇腹を、円を描くように撫で回す。性的な興奮より、くすぐったさが勝って、おれはジェイドの唇を舐めながらくすくす笑った。

「あんまり気持ちよくないか? スカー」
「くすぐってえよ……」
「ふうん。――じゃあ、こっちは」

 互いに横抱きになった格好で、ジェイドはじりじりとずり下がっていく。やつの唇の触れる場所が、おとがいをたどって喉元、胸と移る。撫で回す手が、脇腹をたどって、おれの腿に触れた。風呂に入る前に、やつが思い切り爪を立てた場所を。

「あ、っつ……」
「ごめん。これ、痛かっただろ」
「ん、たいしたことねえけど、風呂でちょっとしみたな」

 本当は、ちょっとどころではなかった。風呂場で見たら、ジーンズの上からだったのに、くっきりと爪が皮膚をえぐった跡になっていた。なんせ、超人の力でやったことなのだ。

 ジェイドの指先が、いたわるように傷跡をなでる。力仕事に従事しているその指先はカチカチに硬くて、どっちかというと痛いだけだった。でも、ジェイドはわかってそれをやってる。おれも、それを喜んでる。

「スカーも悪いんだからな。変なことばっかり言うし、絞め落とそうとするし」
「ああ、悪かったよ」
「本当なら、あんなの、外せるんだからな」
「知ってる」

 おれは昔、こいつと闘ってスリーパーホールドで絞め落とそうとしたことがあった。完全に技はかかっていたが、やつはそれを外した。序盤は拮抗していたが、その後の展開はおれがすべてを圧倒した。おれは、ジェイドのすべてを完膚なきまでに叩きのめした。その闘いの最終的な結果は、互いに忘れられることはないだろう。――永久に消えない、負い目をおれに刻んで。

 ジェイドは更にずり下がる。掛け布団を跳ね除けて、うす暗い灯りの元にふたりの体を晒した。おれのバミューダの裾をまくり上げて、腿に食い込んだ爪の痕に舌を這わせた。

「くっ……」
「ああ、結構深い傷になってる。消毒しないと」

 ジェイドは唇を押しつけ、傷跡を吸った。毒を吸い出すように強く、きつく。そこにいたわりはない。まるで新たな痕をつけようとしているように、おれの呻きを無視して吸いあげる。

「もういい……、やめてくれ」
「そう? もう?」

 からかうようにジェイドが言った。衣服の上から股間をなで上げられる。おれはもう、恥ずかしいくらい勃起している。ジェイドが脱がそうとしても、強張ったそれに引っかかってしまうほどに。

 口に入れられる。裏筋に舌がぴったりと張り付いて、唇が上下する。粘膜の輪でゆるく締められてこすられ、気持ちよかった。でも、おれはもっと違うことを望んでいる。

「な、出ちまうから、もう……」

 ジェイドは止めてくれなかった。代わりに、体の向きを変えて、おれのほうに尻を向ける。おれは奴のスウェットパンツをつかんで、下着ごと引き下ろした。おれの目の前に勃起しかかった肉茎が現れる。ジェイドの尻をつかんで引き寄せると、同じように咥えた。夢中でしゃぶる。

 だんだん口のなかがいっぱいになってくる。喉のほうまで成長した茎が気管を圧迫し、おれはえづいた。思わず、ジェイドのペニスに歯がかすめてしまう。とたんに、ジェイドの手がおれの傷跡をぐっとつかんだ。

「――……!!」

 痛みで一瞬眼がくらむ。すぐに撫でるようなしぐさに変わった。やさしく、傷を逆撫でするように。ジェイドのもう片方の手が、おれの尻を撫で、穴を探る。先走りと唾液でぐちゃぐちゃに濡れた指先が押し入ってくると、おれはもう、もちそうになかった。

 挿れて欲しい――ジェイドのものを必死で咥えたまま、踵でやつの背中を蹴った。ジェイドはおれがどうして欲しいか知ってるくせに、与えてくれない。それならせめて、もっといっぱいにして欲しかった。

 気持ちが通じたかのように、ジェイドの指がもう一本侵入してくる。指が入れられたまま、両手で尻の肉をわしづかみにされた。肛門が広げられるような感覚に、左右の中指をつっこまれたんだと気づく。

 猛烈な圧迫感だった。腹のなかも口のなかも、ジェイドのものでいっぱいだった。互いに咥え合い、しゃぶり合って、だんだん視界がが極彩色に染まっていく。もう、頭のなかは、射精欲だけだ。

 先にジェイドがはじけた。喉の奥に楔を穿つようになんども吐き出される精液を、おれは口のなかに溜めることすらできず、必死に飲み込んだ。喉を通るねばついた感触に気を取られているうち、おれに穿たれた指先がぐりっと腹のなかを抉って、おれも堪えつづけた欲をぶちまけた。

「んんっ……!」

 ジェイドの硬い腿を必死でつかみながら、おれは頭の芯が焼け切れるような快感に身をふるわせた。

* * * *

 すっかり目が慣れたうす暗がりのなかで、おれはもぞもぞと起き上がって、下着とバミューダを穿き直した。ジェイドも伸びきったジャージを穿いている。なんというか、男同士だと盛り上がるのも速いが、快楽が行き過ぎるのも速くて、すごくわびしい光景だ。だからといって、いつまでもべったり絡み合っている気にもなれない。

 布団のなかにもぐりこむと、蛍光灯の紐を引っぱっる。室内をかすかに照らしていた灯りが消えて、互いの姿が闇に沈んだ。

 ペラい毛布をかぶって目をつむる。快感は行き過ぎて、しかし、体の痛みだけが、まだかすかに残っていた。隣の布団から聞こえるジェイドの息づかいはまだ浅く、眠りに落ちてはいないようだった。何度も寝返りをうつ気配する。やがて、遠慮がちに声をかけてきた。

「……スカー」
「ん、なんだ起きてるのか」
「ごめんな」

 ジェイドがぼそりとつぶやいた。

「大丈夫だよ。あんなもん唾つけときゃ直る。おれもおふざけが過ぎたことだし」
「……そうじゃなくてさ」
「じゃなくて?」
「――」

 しばらくジェイドから言葉は返ってこなかった。そのうち、やっぱりいいや、と返事があった。

「妙なやつだな」
「うん。おれもよくわかんないや。スカー、おやすみ」
「ああ、おやすみ」

 それきり会話もなくなって、闇は完全に寝静まった。かすかにジェイドの寝息が聞こえてくる。薄目を開けると、白っぽい金髪が闇に浮いて見えて、また、あの胃がじわりと熱くなるような感情が湧いてくる。目をつむって視界から追い出した。

 おれは、この感情の名前を知らなかった。

『闇に点る』 update 20070303