エッジは時々、ルビカンテとの戦いを思い出すことがあった。
 世界は平和になり、国の復興も順調に進んでいる。なのに、あの男の存在が、エッジの脳裏にはこびりついていた。
 あの男は、悲しげな顔でエッジを見つめていた。
 獣と成り果てて、エッジを襲ったことを後悔していたからかもしれない。
 憎むべき敵であったはずなのに、エッジはどうしてもあの男を憎みきることができなかった。


「若!」
 爺が、顔に焦りを浮かべながら近づいてくる。それを見たエッジは困ったように微笑み、「見つかっちまったか」と言った。
「どこへ行かれるのです、若!」
「あー……野暮用だよ、野暮用」
「まーた、おなごの尻を……って」
 悪戯っぽい口調で答えたエッジの目を、爺は訝しげな表情でじいっと見つめた。
「ん?」
「……尻を追い掛け回すにしては、ちいとばかり方向が違うのではありませんか?」
 確かに、今エッジが向かっている方向は城外だ。女達が居る給仕室や酒場ではない。
 あー、うー、と言いつつ辛そうに視線を逸らしながら、エッジは、
「……親父とお袋の墓に行くんだ」
と頭を掻いた。
 途端、爺の顔が泣きそうに歪む。
「若……」
「ああもう、そんな顔すんなって!爺にそんな顔をさせたかったわけじゃねえんだからさ」
 じゃあな、と手を振って、エッジは足を進めた。



 親父、と呼びかけても、当たり前のように返事はない。お袋、と呼びかけても同じだ。
 あの日から、彼らは歳を取らない。
 一つの墓石の下に眠った二人に想いを馳せて、エッジはすうっと目を細めた。
「……二人とも、仲良くやってるか?喧嘩とか、してねえよな?」
 声が洞窟の中に木霊する。ひっそりとしたこの洞窟内に彼らを眠らせたのは、他ならぬ、両親の希望だった。
「俺は……俺は、元気でやってるよ。国の皆も元気だ。復興も殆ど終わって、モンスターも減った。とっても、平和だ……」
 忙しいうちは良かった。前だけを見て歩いていくことができた。
 しかし、今は違う。時間の隙間があればあるほど、過去を振り返ろうとしてしまう。懐かしい思い出を手繰り寄せてしまう。
 エッジは小さな花束を墓石の前に置き、俯いた。
「……親父に、もっと色々なことを教えて欲しかったよ。あと、恥ずかしい話だけど、もっと……お袋の声を聞いていたかった」
 ここでしか言うことのできない本音を漏らす。
「色々なことを思い出すよ。初めて手裏剣を投げた日のこと、お袋が作ってくれたお菓子の味、悪戯して叱られた時のこと」
声を震わせながら、
「あと、『国を守るということは、大変なことなんだ』っていう、親父の言葉」
 思い出の中の父の落ち着いた口調が、痛いほど身に沁みる。
「なあ、親父――」

 本当に、俺はこの国を守っていけるのかな。

 自嘲気味に口にした言葉は、洞窟内にある冷たい空気の中に溶け、消えていった。




 一つだけになった月は、静かな光を地上に与え続けている。月の光を浴びているエッジの肩は、微かに震えていた。
 ぎい、とベッドが軋む。重責に押し潰されそうになりながら、エッジは自らの膝を抱いた。
 弱ってしまったこの心を打ち明ける相手などいない。父と母以外に打ち明けることなど、出来る筈がない。
 一番上に立つ者が弱音を吐いてどうする。自分がしっかりしていなければいけないのだから。
 そう言い聞かせていても、時たま心が壊れそうになる時がある。無理をしている胸が、潰れてしまいそうになる時が。
 震える肩を自らの手のひらで包み込むけれど、こんなものでは足りない。
 突然、窓から射し込む月光が凝り固まって、巨大な人の形を作った。
 光はエッジの背後に回り、そっと包み込むように震える肩を抱く。エッジは気付かず、しかし不思議なことに震えは止まった。

『……エッジ、お前ならできる。何故なら、お前は一人ではないからだ。お前には、沢山の国民と部下がついているだろう?だから、心配せずに前を向いて進め』

 お前の父も母も、そして私もお前をずっと見守っているよ、と。
 驚き振り向いた翡翠の瞳に映るのは、淡く射し込む月の光だけで。
「…………ルビカンテ?」
 呼ぶ声は空を切り、切なげな色を残して消えた。



End


Story

ルビエジ