「早く、大きくならないかなあ」
薄紫の瞳を輝かせながら、彼は私の方を見上げた。
彼の手は土で汚れている。その手の先には、小さな木があった。
「ねえ、ルビカンテ。大きくなるには、どれ位の時間がかかるんだろう」
「そうですね……木が大きくなるには、かなりの時間がかかるんですよ。それはもう、何十年も」
この小さな木は、彼が街に下りた際、見知らぬ老婆から貰ったものだった。
彼が『育てたい』と言ったので、人里から離れたこの山に、植えることにしたのだ。
ゴルベーザ様は、木にちらと目を遣った。
「かなりの時間……かあ……」
ふと思う。この木が大きくなり、地面に大きな影を作るようになった頃、私はまだ、この地にいるのだろうか、彼の傍にいるのだろうか、と。
ゴルベーザ様が立ち上がり、こちらに身を寄せてくる。
今夜は冷える。食事は何にしよう、何か温かいものを用意しようか。
小さな手をぎゅっと握ると、彼は「あったかいね」と笑った。
日々は、忙しなく過ぎていく。
少年は青年になり、彼は月を眺めるようになった。
彼を包む闇は濃くなり、彼の胸を支配し、そうして、彼の瞳はあの夜の輝きを失った。
「声が聞こえる」
彼は言った。
「声が、私の心を殺そうとしている」
窓から覗く月を背に、
「死ねば、楽になれるのだろうか」
自嘲を唇に浮かべながら、
「心を殺せば、思い悩まずに済むのだろうか」
ルビカンテ、と。
ゴルベーザ様は、弟を捨てたことを悔やんでいた。“声”に指示され捨ててしまった弟のことを、いつも彼は想っていた。
弟をどこに捨てたのか、ゴルベーザ様は覚えていなかった。迎えに行きたくとも迎えに行けないのだ、そう言って俯いた。
数年前までは、以前植えた木を見て、「弟もこれくらいの背丈になったかな」と微笑むこともあった彼だったが、最近ではそれもなくなっていた。
「……久しぶりに、あの木を見に行きましょうか」
言いつつ、私は彼の手を引いた。一瞬傷ついたような表情をしてから、彼は手を握り返してきた。
木は、葉を揺らしそこに在った。
背丈はゴルベーザ様より少しばかり小さく、子どもの手程の大きさの白い花が、そこここに咲いていた。
ふわり、甘い匂いが漂う。
ゴルベーザ様は、といえば、今にも泣き出しそうな表情でその場に立ち竦んでいた。
「大きくなりましたね」
「……ああ」
雲間から月が顔を出し、彼の横顔を弱々しく照らす。
額を木の葉に預け、彼は涙を零し始めた。
そっとその背を抱き温もりを伝えようとすると、ゴルベーザ様は頬を涙で濡らしたまま、こちらを振り向いた。
濡れた瞳は、あの夜のものと同じだった。
縋るように伸ばされた手を引くと、彼は笑いなきのような表情を浮かべた。
「…………お前がいてくれて、良かった……」
強く抱きしめ、彼の心がこれ以上闇に染まりませんように、傷つくことがありませんように、と祈る。
――――いつまでも、彼の傍にいられますように。
濡れた頬を拭うように、冷たい頬に口づけた。
End