「……あ」
 店から出て傘立てを見ると、僕の傘がなかった。
「どうした、吹雪。んなところにつっ立って」
 会計を終えて店を出てきた染岡くんが、呆然としている僕を見て、首を傾げた。
「つっ立ってたら、ぶつかるぞ?」
「僕の傘がないんだ」
「傘が?」
 僕の、青い傘。特別な想い入れがある傘というわけではないのだけれど、盗られたとなると、何ともいえない気持ちになる。
「ああ……どしゃぶりだからな。誰かに盗られちまったんだろ」
 チョコレートが急に食べたくなって、「お前がチョコレートを食べたいとか言うからポテトチップスが食べたくなった」って染岡くんが言って、だから、どしゃぶりの中、二人でこのコンビニに来たんだ。
 コンビニの中にいたのはほんの十分程のことで、こんなにも短い時間の間に盗られてしまうなんて、本当についてない。
「染岡くん……」
 少し高い位置にある彼の顔を見上げる。
 彼はといえば、「腹は立つけど……ま、盗られちまったもんは仕方がねえな」と、黒い傘を開くところだった。
 張りのある音をたてて、傘が開いた。残っていた雨の雫が、ぱっと舞う。染岡くんが、雨の中に一歩踏み出した。雨足は先ほどまでより強く、僕は彼の背中を見つめていた。
「吹雪」
 チョコレートが入った袋を掴んでぼうっと立っている僕の顔を見て、彼はぶっきらぼうに言った。
「入れよ、吹雪」
 パズルが合わさるみたいに視線がかちりと合って、喉の奥が詰まる。彼がぶっきらぼうなのは僕のことを面倒くさいと思っているからじゃないかとか、悪い考えがどんどんこみ上げて止まらなくなる。
 胸がどきどきしてひたすら早鐘を打って、そこに雨音がざあざあと重なって、ただ息が苦しくて。
 僕と相合傘をしたいだなんて、染岡くんは思ってない。僕と相合傘をするなんて、恥ずかしいよね、きっと。
「……ごめん。僕が染岡くんを誘ったりしたから」
「あぁ?何わけ分かんねえこと言ってんだよ」
「だって、染岡くんは僕と、相合傘なんて……っあ」
 手首を掴まれた。
 驚きの声をあげた僕を無視して、染岡くんは小さく呟く。
「さっさと帰るぞ」
 染岡くんの傘は一人用であまり大きくなくて、僕の肩がはみだしそうになってしまう。
 彼の肩は、すでに濡れてしまっていた。
「染岡くん、肩が」
「あー……もういい、元から濡れてたんだよ」
 そんなの、嘘に決まってる。
「あ、あの、ご……ごめ……」
「もういい」
 『ごめんね』を口にしようとした僕の頭を撫でたのは、彼の手のひらだった。彼の耳は真っ赤で、言い表すこともできないくらいの胸の痛みがやってくる。
「も、もっとこっちに来いよ。今度はお前が濡れちまうぞ」
「……う、うん……」
 ねえ、なんでそんなに恥ずかしそうにしてるの、染岡くん。
 なんで、『嫌そう』じゃなくて『恥ずかしそう』なの。
 染岡くん。――――――ねえ、染岡くん。どうして。
「そ、染岡くん。……耳が、真っ赤だよ」
 途端、傘が落ちた。ポテトチップスが入った袋も落ちた。後退りした彼の足が、ポテトチップスを踏んづけた。ぐしゃり、駄目になっちゃった音がした。
 染岡くんの顔は真っ赤だ。わなわなわなわな震えている。僕も、恥ずかしくなってくる。耳が熱くなってくる。恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい。どうして。
 びしょ濡れのまま、僕達はただひたすら立ち尽くす。
 見つめ合ったまま、雨の冷たさも忘れたまま、立ち尽くす。
「染岡くん」
 何か言わないと。何か――――何か、言わないと。
「…………か、帰ったら、チョコレート、半分こしようね。一緒に、食べよう……?」
 染岡くんは更に顔を真っ赤にしてがりがりと頭を掻いて、その場に蹲ってしまった。
 雨の音と心臓の音だけが、ずっとずっと、響き続けている。


End


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