真摯な赤い瞳を、煩わしく思うことがある。
少年特有の真っ直ぐな視線が、瞼の奥にこびりつく。ゴーグルの奥に潜んでいても、その光が衰えることはない。
***
ピッチの外から試合を見てみろと告げれば、鬼道は何の躊躇いもなく私の後を追ってきた。
「――――総帥」
口元に笑みを浮かべ、少年は笑う。おおよそ子どもらしからぬその笑みは、出会った頃とは少し違っていた。
初めて出会った時の彼は、無邪気にサッカーボールを追いかけていた。身を翻し他の子ども達とは明らかに違う動き、速さで、前を見据えて走っていた。あの頃の鬼道は子どもそのもので、サッカーボールと妹だけを抱きしめて生きていた。
鬼道を見つけた瞬間の私の目は、宝物を見つけたかのように輝いていたことだろう。事実、鬼道を超える子どもには未だ出会えていない。
昨日のことのように思い出されるのに、あれはもう何年も前のことなのだ。
「総帥? ……どうされたんです、総帥」
「……ん? ああ、何でもない」
そう言って目の前で行われている試合に私が視線を戻すと、鬼道は瞼を瞬かせ、後を追うように試合に視線を戻した。
以前手渡したゴーグルは、役に立っているようだ。
「……深い場所をより深く……でしたね」
ゴーグルを撫でボールを目で追う彼の思考には、『勝利』の二文字がこびりついていることだろう。
敗北は醜い。鬼道には、そう教え込んであった。
お前は私の復讐のために生きていれば良い。素直に私に従う存在であれば、それで構わない。
ボールを見つめる少年を見下ろしながら、私は笑った。
食い入るように試合の流れを眺めている鬼道に「お前もそろそろ行くといい」と声を掛ける。振り向いたその頭に何気なく手を置くと、鬼道は耳まで真っ赤になった。
「あ……」
鬼道がこんな表情を見せることは珍しい。出会った頃の姿をまた思い出してしまう。
鬼道家に行くことが決まったあの日。幼かった鬼道は「春奈と離れたくない」と言いながらも、妹に涙を見せるようなことはしなかった。妹の前では、強い兄で在り続けた。チームの中でもそうだ。他の人間に、弱味を見せるようなことはしない。
「総帥。…………総帥に、お願いがあります」
緊張した面持ちだった。
「何だ。言ってみろ」
「……ここで言うことは出来ません。後でそちらに伺います。……申し訳、ありません」
数時間後、練習を終えて私の部屋にやって来た鬼道の顔は、あまりにも無表情だった。
感情を読まれぬように動揺を悟られぬようにと、必死で何かを押し殺しているのが分かる。
こちらに向かって歩みを進める鬼道の姿を、椅子に腰掛け、ただ眺めた。
「言ってみろ」
鬼道の歩みが、止まった。
「時間を無駄にするな」
静かに俯き、拳を握り締めている。急かしてもどうにもならなさそうだ。腕時計に視線を落として「この時間までに話し出さなければ退室させるか」と決めた瞬間、鬼道は口を開いた。
「……総帥。俺は、おかしくなってしまったのかもしれません」
「どういう意味だ」
「俺は、おかしいんです」
「どういう意味だと訊いている」
ぶる、と首を横に振り、鬼道は「総帥のことを思うと、俺は――――」口篭った。
「私の……?」
照明が暗いせいで、鬼道の表情が分からない。椅子から立ち上がり近づくと、彼が息を飲むのが分かった。頑なに下を向いている顎を掴む。妙に熱くて、もしかしたら熱でもあるのではないかと思った。
「鬼道、お前熱が」
無理矢理上げさせた顔は、真っ赤だった。
「……総……帥……」
ゴーグルの奥を覗き込む。赤い瞳が揺れていた。
額に触れる。熱はないようだ。
「私のことを思うと……何だ?」
「そ、総帥のことを思うと、練習に集中することが出来なくなるのです」
胸の辺りをきつく押さえ、
「胸が痛くなって、貴方のこと以外、何も考えられなくなる」
サッカーのことだけを教え込んできた。サッカーと私以外のことを考えるな、私に従えと常に言い聞かせてきた。まさか、それが仇になるなんて思ってもみなかった。
時折何かに蹴躓きながら、それでも、鬼道は前に進んできた。壁にぶつかっても自分で解決してきた彼が、初めて自分で解決できなかったもの。
「鬼道」
「……はい」
鬼道は、恋心と尊敬とを勘違いしているのだろう。では、その勘違いを無くしてやらねばならない。彼は、完璧でなければならないのだから。
恋心などまやかしだ。お前の人生には、不要なものだ。そう教えてやらなければならない。
椅子に座り、手を伸ばした。
「膝に座れ」
驚きを隠そうともせず、「え」と呟いたきり、鬼道は動こうとしない。
「早く来い」
びく、と肩を震わせてから、ようやっと私の足に手をかけた。よじ登り、視線を泳がせながらその場に腰掛ける。ぎくしゃくした動きが可笑しくて堪らない。
ユニフォームの裾から、手を差し込んだ。
「総帥……っ!?」
逃れようとする体を抱きすくめ、指先を胸元に持っていく。息を詰める鬼道の表情が焦りにも似た色を纏い始め、上目遣いの赤い瞳が、きつく閉じられた瞼の向こう側に隠された。
「総……帥……こんな……」
滑らかな肌だった。細い体躯の中に潜んでいる筋肉の感触を確かめるように脇腹をなぞり、臍の窪みを撫でる。
下着の中に指を滑らせようとすると、鬼道は私の手をぎゅっと握った。
「……こういう、ことは……想い合っている者同士が、することなのではありませんか……?」
上ずって濡れた声だった。胸の中の何かが軋む。
「俺は、俺は総帥のことが……す……好きです。でも、総帥は……」
怯えの中に見えるのは、何もかもを信じきっている甘さを含んだ声だった。そんなもの、お前には必要ない。教えた覚えもない。
机の上に仰向けに寝かせると、何か言いたげに彼の唇が震えた。
「お前は、サッカーのことだけを考えていればいい」
「総帥……」
「……一度だけ相手をしてやる。だから、『好き』などという無駄な感情は捨てろ。お前には不要なものだ」
掴んだ手首は、細い。
下着を下げて足を開かせると、鬼道の顔は絶望に歪んだ。
「こんなのは、嫌です……っ!」
「何故、そんなことを言う? 欲しがっていただろう」
「違います、俺が欲しかったのは……!」
言葉を無視して、ペニスに触れる。恥毛がまばらに生えていて、彼がまだ少年であるということを私に教えていた。
「あ……っ、あぁ……」
声を抑えるためなのだろう、両手を口に当てている。
先走りの液を塗り込むかのように、ペニスを掴んで手を上下させた。
「ん、うぅ……!」
にちゃ、にちゃ、といういやらしい音が耳を撫でていく。
「お前は――――」
耳元に口を寄せる。荒い吐息が聞こえてくる。
「お前は、肉欲と恋とを履き違えているだけだ」
首を横に振る鬼道の瞳が涙に濡れているのが見えた。強弱をつけて扱いてやると、あえかな悲鳴があがった。
赤いマントに白濁が散る。
指の腹で精液を掬い、窄まりに触れた。
「ひっ!」
中は狭く、熱かった。ひくひくとうねり、指を締め付けてくる。喘ぎとも嗚咽ともとれるしゃくりあげるような声が止まらない。抜き挿しを何度も繰り返し、解れるようにと押し拡げる。
明日のことを――練習のことを――考えれば、ここで止めておくべきだろう。腰に負担をかけさせるべきでないということは分かっていた。それなのに、手を止めることが出来ずにいる。
得体の知れない炎が、胸の奥をちりちりと焼いていた。
自らのペニスを取り出し、その場所に押し付ける。
「これ、以上は……駄目です……」
力の抜けた両手を私の胸にあて、
「俺は、総帥への想いを捨てたく、な…………い……っ」
抵抗する腕ごと抱き込んで、ゆっくりと挿入していく。
「いやだ、いやです!!あ、ああ、あぁ……あ、あ……!」
胸元に、濡れた感触が走る。
ゴーグルと頬の隙間から、涙が溢れ出している。
「総……帥……」
ゴーグルを上にずらすと、溜まっていた涙が溢れた。
鬼道の涙を見るのは久しぶりだ。
赤い瞳は、真摯に私だけを見つめている。
ずるずると抜き、串刺しにするかのように埋め込む。靴下と靴を履いたままの足が揺れる。下着は、足首に引っかかっていた。
「ふ……っ、ううぅ、あ……う……っ」
突く度、ペニスから透明な液体がとろとろと流れ出す。
ゴーグルが取れ、机から落ちる。硬い音にびくりと震えた体がしなる。
今日の私はどうかしている。こんな子どもに欲情するだなんて。
「……総、帥……っ!」
背を駆け上る感覚に身を任せ、鬼道の中に何もかもを吐き出した。ずり上がろうとする腰を鷲掴み、固定して、奥の奥に叩きつける。
逃れようと思えば逃れられるはずだ。鬼道の脚力は通常の少年のそれとは違う。なのに、彼は本気の抵抗を見せない。蹴り上げることも出来るだろうに。
最後の一滴を搾り取る動きで、後腔が締まった。ぱっくりと開いたペニスの先端から、白いものが糸を引いて垂れる。
「総帥」と鬼道の唇が動く。「総帥、せめて」。
「せめて……今だけでも――――嘘でもいいんです――――だから――――」
幼い戯言だ。無意味な言葉の羅列だ。
意味のないことだと分かっていながら、鬼道の望む言葉を口にした。
「……鬼道。お前を愛している」
お前を最高の作品に仕上げるためなら、どんなことでも口にしてやろう。嘘に塗れた言葉で、お前の心がサッカーへ向かうことが出来るようになるのなら。
気紛れに落とした口付けは塩辛く、驚きに満ちた真っ直ぐな瞳が、ただただ煩わしかった。
End