耳鳴りがするほど、静かだ。
独りとはこういうものだったなと思い出し、私は少し笑った。
ずっと独りで生きてきて独りには慣れていたはずなのに、今独りであることに、酷い違和感を覚えてしまう。
魔導船を操縦するためのクリスタルにそっと触れながら、窓の外を見た。
ひたすら続く、星の煌めき、真の闇。故郷の月を目指すのだけれど、その道のりは果てしない。
来る時は、月のクリスタルと魔導船のクリスタルを共鳴させ、魔導船を動かした。フースーヤの力があったからこそ、私は青き星に行くことができたのだ。
割れてしまった月のクリスタルは、魔導船のクリスタルには殆ど反応しない。微かに残った月のクリスタルの声を辿り、私は月を目指していた。
ただ一つ不幸中の幸いだったのは、魔導船内にあるカプセルの存在だった。このカプセルは月のものと全く同じ作りになっていて、眠ることで、私は歳をとらずにすんだ。
月は無事なのだろうか。フースーヤは?
焦りは募るけれど、焦ったところでどうしようもない。クリスタルで進行方向を調整してから、私はカプセルへ向かった。
カプセルで眠れば、空腹も感じない。体の汚れもなくなり、歳もとらない。
ただ、夢を見るだけの毎日だった。
幸せな夢、辛い夢、悲しい、嬉しい、楽しい夢。
その中でも一番よく見るのは彼の夢なのだ、と言ったら、彼はどんな顔をするのだろう。
もう見ることすらかなわない、彼の顔を思い浮かべた。
困ったような表情を浮かべるのだろうか。
それとも、少しだけ笑うのだろうか。
カプセルに横たわり、目を閉じる。
暗闇の世界が、目の前に広がった。
「ゴルベーザ」
やわらかな声に、目蓋を開いた。
「起きろ、ゴルベーザ。もう朝だぞ」
金髪が、朝日で乱反射していた。爽やかな風が、頬をくすぐる。
「……カイン」
頭を引き寄せ、強く抱きしめた。焼きたてのパンの香りに、胸が締つけられる。同時に香る、甘い、甘い、彼独特の香り。髪に顔を埋めていると、切なさが胸に満ちた。
「……一体どうしたんだ。嫌な夢でも見たのか?」
子どもをあやすかのような手つきで、カインは私の頭を撫でた。
「もう、朝食の時間だぞ。さっさと食べて、外出しよう。今日は、一緒に飛竜に乗る約束だろう?」
体を離し、彼はテーブルに向かって歩き出す。風に微かに揺れる、白いシャツ。腰に巻かれた濃紺のエプロンを外し、彼は笑った。
「ほら、早く」
眩しい笑顔だった。
私が求め、焦がれ、結局手に入れることのできなかった笑顔だった。
起き上がり腕を伸ばして、もう一度、彼の体を引き寄せる。こちらに倒れ込んできた彼は、抵抗しない。
「……ほら、折角温めたスープが冷めるぞ」
蕩けた瞳で、彼は私の唇に口づけを落とす。
甘い罠に絡め取られ、私は朝食を放棄した。
伸ばされた指先に口づけて、シャツをたくし上げる。外気に触れた肌は震え、愛おしくて、そこにも口づけた。エプロンを握りしめている手のひらを開かせる。ぱさり、エプロンは床に落下した。
「……駄目、だ……ゴルベーザ……」
初心な反応を示すカインに煽られながら、首元に齧りつく。仰け反った首に、痕を残した。
「あ……っ!」
余すところなく撫で上げたい。そこここに口づけて、彼の全てを知りたい。
「こん、な……明るい時間に……っ」
上擦った声で言いながら、カインは、首を横に振った。
舌で、乳首に触れる。硬くなっているその場所を愛撫しながら、下衣の中に手を滑り込ませた。
そこはもう既に勃ち上がり始めていて、彼が快楽を覚えているということを、私に知らせてくる。
ゆるゆると扱きながら、乳首への愛撫を続けた。
「ひ、あぁ……っああ……ん……っ」
ぴちゃぴちゃという濡れた音に混じって、もう一つ、濡れた音が響き始める。カインはといえば、頬を上気させて、小さな喘ぎ声をあげ続けていた。
親指で先端を撫で、先走りの液を塗りつけるようにして愛撫を施していく。
「……服、脱がないと……、汚れ、る……っ」
「……出そうか?」
私の声は、欲望に掠れていた。下衣を下ろし、彼のペニスに唇を近づける。とろとろと蜜を零していて、今にも達してしまいそうだった。
躊躇わず、口に含む。
「ひ…………っ!」
カインの体が強張った。口腔に、粘った液体が流れ込んでくる。全てを吸い出して飲み込むと、信じられないという表情をしたカインと目が合った。荒い息を吐きながら、彼は四肢を投げ出している。
これで終わりにしようと思うのに、彼の体に手を伸ばすことをやめられない。
垂れた先走りを掬い取り、秘部に塗りつけた。
「ゴルベーザ……ッ」
指を挿入すると、きつく締めつけてくる。ゆっくりと入れていくと、彼の『良い所』が見つかった。指先で撫でているだけなのに、彼の体は驚くほど良い反応をみせる。
拡げるように抜き差しを繰り返し、彼の負担が少しでも軽くなるようにと、丁寧に愛撫を施した。
カインが、微笑む。まるで、何もかもを赦すかのように。
「も、う……いい。早く……」
情欲に濡れた、切なげな響きを持つ声だった。
愛おしくて堪らなくて、けれどこれは夢なのだと思うと、どうしようもない気持ちに襲われる。
美しい彼の瞳。
彼を操っていた時と、何も変わらない。どんなに綺麗に煌めいていても、これは偽物の光なのだ。
もう、決して手に入らない光。
それとも、手に入らないからこそ、美しいのか。
「……ゴルベーザ……?」
座り、カインを膝に乗せた。先端を濡れた場所に押し当てると、彼は自ら腰を落とし、私のものを飲み込み始めた。
首に巻きつけられた手の肌の熱さを感じながら、ピンク色のリボンを解く。
日の光を浴びながら金糸が舞い、彼の肩に影を落とした。
肩で息をしながら、カインが目蓋を閉じた。口づけ、舌を絡め取り、突き上げる。悲鳴は口づけに奪い取られ、外に漏れることはなかった。
突き上げる度に、とろとろと蜜を零す彼のペニスは私の腹にその蜜を垂らす。
唇を解放すると、私の背に爪を立てながら、彼は身も世もなくよがり声をあげ始めた。
絡みついてくる内壁は、私のものをきつく締めつけてくる。
「ひ、ああぁ、あっ、あ……っ」
「……良い声だな」
「んん、ん……っ! ば、馬鹿、あっ、あぁ!」
びくりと震え、カインは逐情した。
呼吸が落ち着くまで待ってやろうと思うのに、浅ましく腰を揺らしてしまう。首を横に振り、カインは「待ってくれ」と呟いた。
「……あたま、が……おかしくなる……っ」
唾液が、唇の端を伝う。
その言葉が私の心を煽るとも知らずに、彼は上擦った声で口にするのだ。
ゆっくりと、腰を動かす。彼のペニスが再度立ち上がり始めたのを見て、弛緩した体をベッドに押し倒した。
「ん……っ!!」
途端、突然深くなった挿入に、彼は喘いだ。
滑らかな太腿を撫で、膝裏を持ち、圧し掛かる。
シーツを鷲掴む指先は白く、半開きの唇は淫らだ。額に浮いた汗で、髪が薄っすらと濡れていた。
彼の中を深く抉る。唇と舌を食み、首筋に喰らいつく。
「……中で出しても、良いか……?」
彼の何もかもに煽られて、こちらももう、限界だった。
カインは頷き、
「俺、も……もう……、いく……っ」
聞こえるか聞こえないかというくらいの小さな声で言い、腰を微かに揺すった。
彼の腰を抱え、激しく動く。
「ひぁあっ、ああ……っんんっ、あっ」
ベッドの悲鳴と彼の悲鳴とが重なり、下腹部が重くなっていく。浅く、深く、抽迭を繰り返し、最後を目指した。
腹に、熱い飛沫を感じる。
同時に、彼の中に欲望を流し込んでいた。
腹を立てているらしい。
どすどす、と音をたてながら、彼は飛竜の元へ向かう。後を追いながら、形の良い尻に誘われ、私は彼の尻を撫でた。
「ひっ!!」
硬直した彼の反応が面白くてもう一度繰り返そうとすると、ぺちん、と手の甲を叩かれた。
「……大体お前は……っ! 朝から……するし、尻は撫でるし! 少しは自重したらどうなんだ!」
言いながら振り向いた彼の顔は、真っ赤だった。
「俺は、朝から出かけるって約束を、楽しみにしてたんだぞ!」
口にしてから、言葉の恥ずかしさに気づいたのだろう。「うわっ」と呟き、彼は私に背を向けた。
「……そんなに、楽しみにしていたのか」
「していない」
「首筋まで真っ赤だぞ」
「な……っ」
「耳も」
耳を押さえ、彼は俯く。
「……楽しみに、していたよ。けど、こんなに腰に力が入らないんじゃ、飛竜に乗ることができないだろ……」
しょぼくれた背中を見て、不味いことをしでかしてしまったのだと知る。彼が気に入っている服も結局汚してしまったし、これでは臍を曲げられても文句は言えなかった。
どうすれば良いだろう。
「ごめんな。出かけるって約束してたのに」
飛竜の背を撫でて、カインは切なげに呟いた。
そうだ。カインが乗れないなら、私が乗れば良いのだ。そう簡単にできるとは思えなかったが、やってみるしかないと思い、
「私が手綱を取ろう。それなら、約束は果たせるだろう?」
「無茶だ。簡単に乗れるものじゃない」
「やってみなければ、分からない」
「……全く、お前ってやつは……」
飛竜の頬に自らの頬を擦り寄せて、カインは軽いキスをした。飛竜が小さく鳴き、カインの瞳とよく似た色をした瞳が、私の瞳を射抜く。
カインは目蓋を閉じ、楽しげに微笑んだ。
「『手綱を取っても良い』と言っている。……やってみるか? ゴルベーザ」
私は、飛竜に嫉妬している。我ながら何て子どもっぽいのだろうと苦笑しながら、頷いた。
改めて、竜騎士の凄さを思い知った。
カインが言い聞かせたかいあって飛竜はとても従順だったが、それでも、バランスを取ることはかなり難しかった。
背後から私の体を抱きしめながら、カインは指示を出す。
「そっちじゃない」
「危ない」
と不安げな声で言い、それでも、
「もう止めにしよう」
と言おうとはしなかった。
青い空と、白い雲。眼下に広がるのは、緑の大地だ。
この全てを壊してしまうところだったのだと思うと、とても恐ろしかった。
そういえば、と思い、私はカインに問う。
「買い出しに行くんだろう!?」
風がびゅうびゅうと吹いているので、大声で叫ばなければ、声が届かない。私の背にぴったりと体を密着させながら、
「ああ!」
カインは叫んだ。
どこで買い物をするか。
迷った末、私達はトロイアに行くことにした。
「トロイアの果物は、甘くて瑞々しくて、とても美味しいんだ」
どっさり買い込んだ果物を持ちながら、カインは嬉しそうに笑う。
果物だけでなく、目的の野菜、小麦、調味料を買うことができ、カインは大満足の様子だ。
勿論、その大荷物を抱えているのは、私だった。
前が見えないくらいに大きな荷物を抱えて飛竜に乗ることができるのかとカインに問うと、彼は、しまった、という顔をして、静かに固まった。
「……どうする? 返品するか?」
「それも気が引けるな……あ、そうだ!」
子どものような笑顔で、
「今晩は、ここに泊まろう。泊まって、少しだけ荷物を減らさないか? 確か、トロイアにはキッチンのついた宿があったはずだ」
飛竜をチョコボの森に連れて行ってくると言い残し、彼は走っていってしまう。大荷物を抱えたまま、
「……宿をとっておくか」
カインに従うことに決めた。
買い込んだものの中で一番多かったのは、果物だった。買い過ぎたとぼやくカインが面白くて、私は笑った。
テーブルの上に並べられた食事はどれも美味しく、確かに水が違うのだな、と納得する。
食べ終えたテーブルを片付けて、食器を洗いながら、背中に感じる視線の正体に目を向けた。
椅子に腰掛けたカインが、テーブルに肘を着き、私の様子をじいっと見つめていた。
「……どうした?」
「お前が食器を洗っているところを見ることになるなんて、昔は想像すらしなかった」
「私も、お前が作った料理の後片付けをすることになるなんて、想像したこともなかったな」
昔は、全身に纏いつく闇だけが、自分の全てなのだと思っていた。
平凡な世界。望んだ幸せが、ここにはあった。
カインが息を飲むのが見えた。私の指先から、カップが滑り落ちる。割れて粉々に砕け散り、私は呆然とそれを見遣った。
目覚めることを、恐ろしく思う。目覚めたら、独りきりの世界が待ち受けているのだ。
「ど、どうしたんだ?」
焦りながら、カインがこちらに向かってきた。
屈み、
「……あーあ。粉々だ」
苦笑しながら、こちらを見上げる。
十数年前は、操られて人形に成り果てている彼を抱きしめることしかできなかった。
そして今は、幻を抱きしめることしかできない。
『も、う……どこへも、行くな……っ!』
彼の泣き顔が蘇る。
私は、彼を傷つけるだけの存在でしかなかった。
最後まで泣かせてばかりで、それでも、カインは必死に笑おうとしてくれていた。
彼の書く手紙を読みたいと思う。
またいつか、青き星に辿り着きたい。
それが彼の存在しない遠い未来の世界であったとしても、彼が存在した面影を手繰り寄せたいと、そう思った。
「ゴルベーザ……」
いつの間にか私の顔を覗き込んでいたらしい。彼は、苦しげに呟いた。
「どうしたんだ? 朝から、変だぞ」
「……そうか?」
「変だ」
カップの破片は綺麗に片付けられている。
窓から射し込む月の光はあの頃を思い出させ、悲しくて、私は途方に暮れた。
抱きしめられて、その背に手を回す。肩口に顔を埋め、切なさを押し殺そうとした。
「……泣くな」
カインは、こんなにも近くにいる。
このときが永遠に続くかのような錯覚をしてしまうほど、近くにいる。
それなのに、彼は偽物なのだ。これは、夢の中の光景なのだ。
会いたい。彼に、会いたい。
「泣くなって、言ってるのに……」
私の頭をそっと持ち、青い瞳をこちらに向ける。
啄ばむような、優しい口づけ。
青い瞳は、透きとおるような色をして、私を見つめていた。
***
「……カインさん、カインさんってば!」
ぱちりと目蓋を開くと、膨れっ面をしたセオドアがこちらを覗き込んでいた。
「もう、朝ですよ! 寝坊です、寝坊!」
「……ああ……」
ぼさぼさになった髪を掻きあげながら身を起こし、セオドアの銀の髪を見つめた。
どこかで、似た色をした髪を見つめていたような気がする。どこだろう。
とても幸せな夢を見ていたような、そんな気がする。
セオドアは、きらきらとした眼差しで、
「今日は、手合わせをしてくれるって約束でしたよね?」
窺うように訊いてくる。
「……そうだったな」
「僕、楽しみにしてたんですよ。カインさんは、あんまり手合わせしてくれないから……早く、父さんやカインさんのようになりたいと思ってるのに……」
「お前には、あまり強くなって欲しくないと思っているからな。お前が本気を出したら、きっと、俺はすぐ負けてしまう」
「そんなわけ、ないでしょう」
「俺は本気だぞ」
「褒め殺しはよしてくださいっ」
それなりに本気だったのだが、セオドアは褒め殺しととったらしい。
綺麗に磨かれた鎧と剣を見て、少し笑った。
ぴかぴかに磨き上げるほど、俺との手合わせを楽しみにしていたのか。
これほど楽しみにされているということは、くすぐったく、同時にとても嬉しいことだった。
「すぐに用意するから、部屋の外で待っていてくれ。……すまなかったな」
「い、いいんです……何か、そうやって改まって謝られたら、どうしたらいいのか…………」
セオドアの視線が、机の方へ向かった。日光が降り注ぐ机の上で、便箋が風に揺れていた。
「……ずっと、書いているんですね」
彼とあの約束をしてから、欠かさず書いている手紙。日課となっている手紙の内容は、おそらく、日記と言っても過言ではない。
俺のことだけではなく、セシルのこと、ローザのこと、セオドアのこと、バロンのこと――この星の出来事、俺が見たことの全てを、書き記しておきたかった。
お前と生きたい。そう思っていた、この眩い宝石のような世界の光景を、一粒も零さぬように、俺は毎日筆をとる。
「……っ」
不意に、涙が溢れ出す。「カインさん」と焦った声を出すセオドアを手で制しながら俺は、さっき見た夢の光景を思い出し始めていた。
ゴルベーザ。無事でいて欲しい。
俺のことは、忘れてしまってもかまわない。
俺以外の誰かを愛しても、かまわない。
お前が笑っていてくれるなら、それでいいんだ。
遠い未来、この星に辿り着いて俺の書いた手紙を読んだお前が、少しだけ笑ってくれるなら。
懐かしい夢を見たような瞳で、そっと微笑んでくれるなら。
他にはもう、何もいらない。
End