隠し続けて、殺されてしまった感情は、一体どこへ行くのだろう。
彼女を求めていた俺の心は、死んで灰になってしまった。
さら、さら。指の隙間を、大切な何かがすり抜けていく。
掴まえる術も持たない俺は、ただ、その場に立ち尽くすだけだった。
ローザを愛していた。それは、紛れもない事実だった。セシルを大事に想っていた。それもまた、事実だった。
両方の感情を大切にしようと思うのだけれど、それは無理だった。無理矢理しようとすればするほど、亀裂と歪みが酷くなっていく。
そして一度生み出された亀裂は、二度と元に戻ることはない。
心が砕け散ってしまいそうだ、と思った。
◆◆◆
一面に広がる花畑と、青い空。
鮮やかな風景の中を駆けながら、俺は、探しものをしている。
「……おーい!」
力いっぱい大声で叫ぶのに、二人は見つからない。
「二人とも、どこ行ったんだよっ!」
小さな手足、短い金の髪。低い目線。
幼い頃へと戻ってしまった自らの体を不思議に思うことなく、俺は彼らを探し続ける。
「セシル!ローザ!!」
二人とも、どこへ行ってしまったんだろう。
「俺を……俺を一人にするのか?」
風が吹く。花びらが散る。
赤、青、桃、白――目に染み入るほど鮮やかな色を残して、散っては消えていく。溢れてくるのは、焦燥感だ。
こんなに美しい場所なのに、恐ろしくてたまらない。
ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃ。
匂いたつ花々を踏みつけ、俺は走る。
「セシル……ローザ……ッ!」
走っても走っても、あるのは花と青い空だけだ。
「どうして」
皆で一緒に遊んでいたはずなのに。あんなに楽しかったのに。
どうして、俺は今一人ぼっちなんだろう。
足に力が入らなくなって、花畑にしゃがみこんだ。青い花を手折る。枯れかけた青い花は、茶色く変色しかかっていた。
美しく平和な風景とは不釣合いな、黒く濁った俺の心。
手にした青い花が、とろけて粉になる。そうして灰へと姿を変えていき、
「あ……っ!」
風に紛れて消えてしまった。
見れば、あんなに美しかった花たちは全て、灰に成り果ててしまっている。
がたがたと震えながら、首を横に振った。
一人になんて、なりたくなかった。こんな醜い感情を抱えている自らの心が、分からなかった。誰かに縋りつきたかった。
今までは、セシルとローザが俺を支えてくれていた。
辛いとき、そっと傍にいて微笑んでくれたのは、あの二人だった。
ならば、あの二人に打ち明けられない感情を抱いている場合は、どうすれば良いのだろう。
空を見上げる。
青い空は、月も星も見えない夜空へと変わっていた。
「あ、……ぁ……っ」
この風景は、俺の心だ。俺のこの姿は、望んだ過去の姿だ。
荒んだ心。過去へ戻りたい、と叫ぶ体。
父さんと母さんが生きていた、あの頃へ戻りたい。
セシルとローザと三人で泥だらけになって夕方まで遊び、家に帰る。家の扉を開くと夕飯のいい匂いが漂ってきて、母さんが「お帰りなさい」と笑うんだ。「もうすぐ、お父様も帰られるわよ」と。
灰と成り果てて指の隙間をすり抜けていく、大切な思い出の欠片たち。掻き集めても掻き集めても、暗い心が全てを灰に変えてしまう。
「――――カイン」
顔を上げると、銀の髪を持った誰かが佇んでいた。セシル、と呼ぼうとした俺の唇は、薄紫色の瞳に凍らされてしまう。
「……だれ……?」
銀の髪と、薄紫の瞳。漆黒の鎧に身を包んだ男は、微笑みを浮かべながらこちらを見下ろしていた。
「お前を迎えに来たのだ、カイン」
「俺を?」
涙の滲んだ目元をぐいぐいと拭って、背の高い男を見上げた。
「私は、お前の秘密を知っている」
「……秘密」
抱いてはならない、禁じられた感情。この男が、それを知っている?どうして?
ローザへ向けた想い、セシルへ向けた嫉妬、酷く醜い感情は、胸の奥底に秘めたままのはずなのに。
「どうして、俺の秘密を知っているんだ」
男はただ微笑んでいる。
俺の頬を両手で包み込み、何もかもを見透かした瞳で、ゆっくりと口にした。
「『どうして知っているか』だと……?」
手袋に包まれた冷たい指先から、生温い何かが流れ込んでくる。
怖い。逃げなければ。
そう思うのだけれど、足が竦んで動かない。
「……お前は私と同じだからだ、カイン。お前は、私と共に光の射さぬ道を歩むのだ。永遠にな」
男の手を振り払おうと手を伸ばすと、真っ赤に染まった自らの手が目に飛び込んできた。
怪我?――――ああ、そうだ――――俺は、ミストの村で――――。
ぼやけた視界の向こう側に見えたのは、暗い悦びを映した男の瞳だけだった。
End