体が動かなかった。視界は真っ暗で、指先一つ動かせない。
「………っ」
言葉を紡ぐこともできない。喉は音を出さず、掠れた空気を吐き出すだけだ。
どうして、こんなことに。
記憶を手繰り寄せる。昨晩は、カイナッツォに抱かれながら眠りについたはずだった。
そうだ。今思えば、昨晩の彼は少し様子が変だった。いつもは暇さえあれば繋がっていたがる癖に、昨日はそうではなかった。私の体を抱きしめて、ずっと、首筋に顔を埋めていた。
――――嫌な予感がする。何ともいえない悪寒が、私の背筋を這い上った。
『なあ、何なら、このまま二人一緒に死ぬか。繋がったまま死ねば、魂も一緒にいられるかもしれないし』
下腹部に熱が凝り、甘い誘惑の声が、頭の中に響いてきた。途端、
「……スカルミリョーネ!!」
男の声が、私の思考を遮った。ルビカンテの声だった。
「スカルミリョーネ、お前、何をして……」
視界が開ける。飛び込んできた電光が眩しくて堪らなくて、私は喉を鳴らした。ぱさり、床に黒色をした布が落ち、目隠しされていたことを知った。
「……目隠しに、ホールドか。カイナッツォの仕業だな」
床に転がっていた私をそっと座らせると、ルビカンテは神妙な面持ちになって俯いた。「その様子なら、ホールドの効果は直に切れるだろう。それより、」私の肩を支え、背をぽんぽんと叩き、小さく息を吸った。
「カイナッツォが死んだ」
言い聞かせるように、
「肉体は灰になっていて、再生は不可能だ。バロン城で……セシル達に敗北したんだ」
目の前が真っ暗になった。瞳の光が弱くなったことに気付いたのだろう、ルビカンテは私の頭を抱き寄せ、宥めるように緩く撫でた。
「カイナッツォは、お前には何も言わずにバロン城に行ったのか……何を思って、目隠しとホールドを施していったんだろうな」
『体だけじゃ駄目なんだ。お前の心が知りたい。俺はお前の心の傍にいたいんだよ!』
真っ直ぐで淀みのない、あの言葉を思い出した。違うんだ、と思った。
確かに、体だけでは意味がない。それは確かだ。けれど、心が傍に在るだけでは駄目なのだ。
体だけでは、心が凍りついてしまう。心だけでは、温もりが恋しくなってしまう。
なあ、カイナッツォ。私を殺すのではなかったのか。死ねない私を、お前が殺してくれるのではなかったか。どうして、何も言わずに逝ってしまったんだ。
「……カイナ、ッ……ツォ……ッ……」
「スカルミリョーネ」
ホールドの効力は切れかけていた。
カイナッツォは、何故、私に目隠しをし、ホールドをかけていったのだろう。ルビカンテのマントに縋りつきながら私は、昨夜、彼と交わした最後の言葉を思い出そうと必死になった。
昨夜。
床に直接敷いてあるシーツの上に寝転がっていた私を抱き上げて、彼は笑っていた。大きな口の中にある牙が光っていて、(ああ、喰われたいな)と私は無意識のうちに思っていた。思っていたことが口から出ていたらしい。彼は目を細めてから、くかか、と声をあげた。
「俺も、お前を喰っちまいたいと思ってる」
ローブの襟ぐりを引っ張り、露わになった場所にぞろりと舌を這わせ、
「けど、喰っちまったらそこで終わりだからな。だから、思うだけだ。喰わねえよ」
噛みつかれたそこに熱が集まった。
「……なあ。『永遠の命』ってやつは、どうやったら手に入る」
「え?」
「お前はどうやって、アンデッドになった」
わけの分からないことを訊くやつだな、と思った。
「俺も、アンデッドになりたい。お前と同じものになりたい」
私は首を横に振った。自分がアンデッドになった経過を、覚えていなかった。それに、カイナッツォにアンデッドになって欲しいとも思わなかった。彼に私と同じような思いをさせるのは御免だった。
彼の鋭い爪が、私の背に食い込んだ。
「……冗談だ……本気にするなよ」
彼の低い声と懐かしい海の匂いが心地よくて、私はゆっくりと目を閉じた。
「お前みたいな腐った体になりたいだなんて、思うはずが、ないだろう……」
酷い侮辱の中に含まれている、甘い言葉の欠片を受け止める。徐々に意識が遠ざかり、私は波の中に身を委ねた。ひんやりとした彼の胸元は、本物の海のようだった。
「……本当に、お前は…………弱っちくて、馬鹿で、どうしようもない奴だな……」
それが、最後だった。
「――――私は、馬鹿だ。大馬鹿者だ」
彼は言っていたじゃないか。彼なりの言葉で、精一杯の想いをぶつけてきていたじゃないか。あれは冗談などではなく、本心から発せられた言葉だったのに。
彼の言葉を、もっと真剣に聞いてやればよかった。彼を引き留めたかった。傍にいて欲しかった。引き止められることを恐れて、彼は私を拘束して行ったのだろう。
「スカルミリョーネ」
ルビカンテは、懐から掌に収まるほどの大きさの袋を取り出すと、それを私に握らせた。彼の表情は固かった。
「ごく少量だが、カイナッツォのいた場所にあった灰をここに入れてきた。お前の好きにするといい」
袋の口を縛っている紐を解き、中を覗き込む。藍鼠の灰が、彼と同じ色をした灰が、袋の中で沈黙していた。
言葉が出なかった。何も言うことができず、強く瞼を閉じると、目の周りに痺れが走った。袋を胸元に抱いて突っ伏し、大声をあげた。それは人間の言葉でもなければ、モンスターの言葉でもなかった。わけの分からない悲鳴を漏らしながら暴れ回ろうとした私を、ルビカンテは羽交い絞めすることで制した。
「スカルミリョーネ!!」
「……カ……、カイナッツォ…………ッ!」
「スカルミリョーネ……お前……」
見開かれたルビカンテの目を見つめる私の手元から、袋が滑り落ちる。床にさらさらと零れ落ちた灰の上に、雫が数滴、ぽたぽたと滴った。
「涙、が……」
塩っ辛い雫が、私の頬と床とを濡らしていく。
その液体からは、懐かしい海の匂いがした。
End