バブイルの巨人が激しく揺れている。
ゴルベーザはフースーヤに「先に行っていてくれ」と声をかけてから、カインの体を、すぐ隣に在る部屋に引きずり込んだ。
既に、二人は自由の身だった。
ゴルベーザの意識はゴルベーザのものになり、カインの意識はカインのものになっていた。
「……俺の体は――心は、俺だけのものだ」
掴まれた肩を震わせながら、カインが喘ぐように吐き出す。彼の青い瞳にはゴルベーザが映っている筈で、しかし、それは竜によく似た兜によって隠されていた。
どんな表情をしているのか確かめたくて、ゴルベーザはカインの兜を外し、それを床に置く。一つに束ねられた金糸を眺めながら、愛しい者の体を強く抱いた。
「……ゴルベーザ……ッ……」
カインは『ゴルベーザ様』とは言わなかった。そうだ、今、互いの間にあるのは主従関係などではない。ゴルベーザの胸は強く軋んだ。
金色の髪をそっと撫でる。手袋越しでは物足りないと思い、手袋を外し、もう一度触れた。
「……俺は自由だ。お前のものでもなければ、ゼムスのものでもない。それでも俺は、お前に触れたいと思う。俺は、ずっと……ずっと、」
語尾に重なるようにして、金属音が辺りに響き渡る。投げ捨てられた漆黒の兜は床の上をしばらく転がった後、扉に当たって動かなくなった。
カインの体を壁に押し付けて、ゴルベーザは空色の瞳を覗き込んだ。今にも泣きだしそうな彼の目や、柔らかい髪の感触。何度も口づけた、薄い唇。すぐに色づく耳さえも、近くで見られるのは、触れられるのはこれで最後なのだと思うと、離し難くて堪らなかった。
「私も、自由になった。頭の中に響いていたあの男の声は消えた。だが、お前を想う気持ちは消えない。――私は、お前の傍にいたい」
ぐらり、巨人が傾ぎ、ゴルベーザはカインを守るように胸元に抱き込む。しばらくして揺れが弱くなってから、顎を掬い上げて、唇を優しく啄んだ。
カインは泣いていた。流れた涙は髪と睫毛を濡らし、震える唇は言葉をなくしていた。
瞬間、ゴルベーザは心が重なりあっていることを知った。平行線を辿っていた二人の想いが、今、交わり合っている。そう思った。
「……私は行かねばならない。お前も、行かねばならない。私達には、それぞれなすべきことがある。カイン、子どもではないのだから、お前にも分かっているんだろう?」
緩慢な動きで、カインは横に首を振った。『分からない』のではなく、『分かりたくない』のだろう。
普段冷静な彼が初めて見せた幼過ぎる仕草。ゴルベーザは、その仕草を好ましく思った。
「お願いだ、連れて行ってくれ」と、カインが掠れ声で口にする。悲しい言葉を掻き消す為に、再び唇を重ねた。カインの香りに触れられるのも、これで最後だった。
「お前を待ってくれている人達を、これ以上悲しませてはいけない」
カインの手を引き、部屋を出る。見開かれた瞳を見つめながら、ゴルベーザはカインの体を突き飛ばした。倒れたカインは小さく呻いてから、弾かれるようにしてゴルベーザの方を見上げた。
「…………お前のことを、愛していたよ」
(その青い瞳を、しなやかな足を、太陽のような髪を。そして何よりも、優しくも強い、その心を)
後ずさり、手を翳してブリザガを唱える。現れた氷の塊は廊下に壁を作り、カインとゴルベーザを引き離した。
氷の向こうでカインが何か叫んでいる。しかし氷壁は音を通さず、カインの声がゴルベーザに届くことはなかった。
「お前と共に生きる日々を、夢見ていた」
立ち上がって氷に両手をついたカインを愛おしげに眺めてから、ゴルベーザはそっと微笑んだ。
「カイン、どうか……幸せに」
セシルの居場所と脱出口の位置を、思念波で送り込む。
(別れの言葉を言えない私を、笑ってほしい)
踵を返したゴルベーザの瞳に、カインの姿は映らない。
唇を噛み、揺れる廊下を歩き始めた。
End