感情に支配され、私は彼に敗北した。

「……なん……で……っ」
 絶句している彼の顔は、とても綺麗なものに見えた。
「何で……避けなかった!?」
 刀が、私の胸を貫いている。よろめき、私は壁に背を預ける。
 避けたくなかったのだと言ったら、彼はどうするのだろう。

 初めて出会った時、彼は怒りに震えていた。その瞳には炎が宿っていて、私はそれを忘れることができなかった。
 人が心の中に持っている炎はとても美しいのだと、その時初めて気がついた。
 そして私は、その炎の中で死にたいと思ってしまった。
 ――燃え盛る、彼の炎の中で。

 座り込んで俯いた私の胸にある刀。これを引き抜けば、一気に血が溢れ出すだろう。
 刀に手をかける。
「……や、やめ……」
 彼は首を横に振る。
 私はお前の両親の仇だ。何故、そんな顔をする。可笑しくて、私は微笑んだ。
 お前は、私を殺す為に何度も私のもとへやってきたではないか。
 お前の願いが、今叶うんだぞ。
「ルビカンテ、やめろっ」
 悲痛な叫びに、胸が震えた。
 駆け寄ってきて、私の顔を覗き込む。翡翠の瞳が潤んで揺れていた。
 美しい瞳だ。もしかしたら私も昔は、こんな美しい瞳をしていたのかもしれない。
 不思議と、痛みはなかった。それとももう、痛みを感じることもできなくなっているのか。
 彼は、どうしたら良いのか分からない、といった表情で、刀にかけられている私の手に触れてくる。それは小さく震え、彼の緊張と動揺を私に伝えてきた。
「……お前が、抜くか?抜けば、私は死ぬぞ……」
 ぶんぶんと首を横に振り、彼は叫ぶ。
「馬鹿野郎!……んな勝ち方で、俺が喜ぶとでも思ったのかよ!それとも、嫌がらせか……っ!?」
 今度は、私が首を横に振る番だった。
「……お前を喜ばせようと思ったわけでも、困らせようと思ったわけでも……ない……。私自身が、こうしたかっただけなのだ……」
 言葉と共に、咽た。口から、血が溢れる。
 刀から手を離し、彼に刀を握らせ、その上から私は彼の手ごと刀を握った。彼の顔が蒼白になり、私は笑う。
 ずる、だとか、ごり、だとか、酷く嫌な音がした。骨を掠めたようだったが、構わず、一気に引き抜いた。
 血が噴出す。彼が尻餅をつき、その端正な顔が少しだけ赤に染まった。
 意識が遠退きそうになる。だが、まだ駄目だ。彼の顔をこの目に焼きつけておきたい。
「…………感情とは、恐ろしいもの、だ……な……っ」
「……ルビ、カンテ……?」
 彼は、血に濡れてしまった口元の布を下げ、
「俺は確かに、おめぇを殺したいと思ってた。……でも、こんなのは違う……」
 刀を捨て、呻くように口にする。
 感覚の無くなっていく指先で、彼の頬に触れる。親指がずるずると血のあとを残したが、彼は避けようとしなかった。
 力に満ち満ちた彼の表情も好きだったが、こうやって途方に暮れている顔も好きだ、と思う。
 きっと、目まぐるしく変わる彼の表情に、私は惹かれていったのだろう。そして、どんな表情をしていても変わらぬ瞳の炎の強さに、とどめをさされてしまったのだ。
 感情など、枯れ果ててしまったものと思っていたのに。私を動かすものは、ゴルベーザ様の命令だけだ――そう信じていたのに。
 どんな悪行を働いても、この心はぴくりとも動かなかったのに。
「……覚えて、おけ……、エブラーナの王子よ……。感情とは、人を強くも、弱くも……する……ものなのだと……」
 柔らかな髪を持つ、小さく丸い頭を引き寄せる。
 驚いた、翡翠の瞳。
 温かい薄い唇が、最後の感触だった。




 End


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