「寒い……何だこりゃ……」
 私の体に掴まりながら、カイナッツォは呟いた。
「何って、雪だ」
 子どものようにしがみついてくる男の体を抱きしめながら、私は笑った。
「お前は、雪も知らんのか」

 年に一度、試練の山には雪が降る。
 ちらちらと降る――積もるほどではない――を眺めながら岩陰でぼうっと本を読むのが、年に一度の私の楽しみだった。
 だからカイナッツォにも見せてやろう、と思って彼を連れて来たというのに。
「……か、からだ、が、動かねえぞ……」
 返ってきたのは、予想外の答えだった。
 びゅう、と風が吹く。ローブが捲れそうになり、咄嗟に押さえた。『体が動かない』と言いながら、カイナッツォは中を覗き込もうとしている。「馬鹿か」と吐き捨てるように言ってから、冷えた甲羅を思い切り叩いた。
「いいじゃねえか。減るもんでもねえだろ」
「……減る」
「減らねえよ馬鹿。……それより、体が動かないってのは本当なんだが……」
 確かに、彼の体は小さく震えていた。まるでアレのようだと思い、思った通りのことを口にする。
「そうか、お前は亀だからか。だから、寒さに弱いのか」
「か、亀じゃねえっ!!」
「……冬眠するのだろう?」
「俺はリザードマンだ、亀じゃねえ。ったく、何回言ったら分かるんだ?……冬眠もしない」
 そう言って、カイナッツォはきつく瞼を閉じ、今度は、「やばい」と言った。
「……え?やばいって何が」
 腕の中で、カイナッツォが冷たく固くなっていく。
 血の気が引いた。
「カイナッツォ!!」
 大慌てで、ゾットに戻ったのだった。



 空調の温度を高めに設定し、カイナッツォを布にくるむ。そうしてしばらく迷った後、冷えた体を抱きしめた。
「……すまない。まさかここまで寒さが苦手とは思っていなかったのだ」
 部屋は静まり返っている。カイナッツォは一言も話さない。普段お喋りな彼が黙り込んでいることに居心地の悪さを覚え、
「すまなかった」
 もう一度口にする。
 ただ、自分が好きな景色を彼にも見て欲しい、そう思っただけなのに。
 彼の胸に顔を埋め、瞼を閉じる。不安で堪らなくなって、水掻きのついている手をぎゅうと握った。
 ほんのり、指先が温かくなっている。
「……カイナッツォ!」
 顔を上げると、彼は歯を見せて笑っていた。
「……この、馬鹿」
 刺のない言葉だった。
「謝るんじゃねえよ」
「え?」
「……俺に、見せたかったんだろ?いいんじゃねえか。綺麗だったぞ、雪」
「カ、カイナッツォ……」
「でも何より、雪を見てる時のお前の顔がなかなか良かった。冬眠しちまってもいいから、もう一度見てみたいもんだ」
 ずきずき、と胸が痛む。
 嬉しくて、どうしようもない震えに襲われて何も言えずにいると、
「ま、申し訳ないと思ってるなら、俺の下半身に謝罪の挨拶でもしてく――――ぎゃっ!!」
 とんでもない馬鹿な事を言い出したので、感動はどこかに吹っ飛んでしまった。
 全くもう、殴った握り拳が痛い。




End


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