“離れてから分かる”だなんて、あまりに滑稽だと思った。
『そういうものだ。人とは、愚かな生き物だからな』
 寂しげに、フースーヤは笑った。
 私は愚かだ。
 だから、もし今度会える日が来たとしたら、その時は、二度とあの白い手を離さないでおこうと誓った。
 そう、まだ、彼がまだ私を想っていてくれるのなら。



「……馬鹿げているな」
 洗脳で彼の体を支配しておきながら、都合の良いことばかりを考え続けている。彼はきっと、私を恨んでいるだろう。そんな分かりきっている事実から、目を背けたくなる。
 そう。彼は、私に操られていただけなのだ。
 起き上がって辺りを見回すと、皆ぐっすりと眠っていた。疲労が蓄積しているのだろう。寝顔にも、疲れが透けて見えている。
 私の隣で眠っていたセオドアが「ううん」と小さく呟いて身動ぎした。
「…………ゴルベーザ……さん……?」
 深い青が、睫毛の間から覗く。セシルと同じ色をした瞳が、ぼんやりとこちらを見つめていた。
「すまぬ、起こしてしまったな」
「いえ……嫌な夢を見て、それで」
「そうか」
 成程、セオドアの額にはうっすらと汗が滲んでいた。手を伸ばして額をぐいと拭うと、細い体がびくりと震える。
 やわらかな髪に指を通すと、「あ、あの」と彼は焦った声を口にして、暫くの間目をぎゅっと瞑っていた。
「嫌な夢を見た後は、誰かにこうして触れてもらうのが一番だ」
 小さく頷き、セオドアはにっこりと笑った。
「ゴルベーザさんも、嫌な夢を見ることがあるんですか?」
「ああ。……以前は、昔の夢をよく見た」
 夜毎訪れる『嫌な夢』は、幼い頃のものばかりだった。
 助けることが出来なかった父、目の前で死んでいった母、私に捨てられて大きな声で泣いていた弟、ゼムスの暗い手と暗い声。それらがぐちゃぐちゃに混ざり合って、息もできなくなってしまう。そんな夢だ。

『ゴルベーザ様』

 夢の底に沈んでしまいそうな夜、彼は決まって私の名を呼んでくれた。ベッドの傍に立ち、切ない声で私の名を何度も何度も呼んでくれた。

『ゴルベーザ様』

 彼は、私を現実に繋ぎ止めるたった一つの存在だった。
 目を覚ますと傍にいて、泣きそうな顔をして微笑んでいた。私の額をそっと撫でて、整えるかのように髪を何度も梳いた。
 そうしているうちにいつの間にかあの夢は見なくなり、彼のお陰なのだと気づいた時、彼は既に傍に存在しなかった。
 月の民達と眠る――――眠ろうとしたその瞬間、気づいたのだ。
 私は、彼に特別な感情を抱いている。

「ゴルベーザさんの傍にも、大切な人がいるんですね」
 セオドアが、私の手を握って言った。唇には笑みが浮いていた。
「……僕が見た『嫌な夢』は、父さんがいなくなってしまう夢でした。僕は父さんと僕を比べられることが嫌で、だから、父さんなんて嫌いだと思っていた時もありました。でも、僕は僕なんだって分かって……父さんに教えてほしいことがいっぱいある、そう思った直後に父さんは目を開けなくなって……怖くて怖くて、父さんが目を覚ました今でも、時々夢を見てしまうんです」
 ちらとセシルの寝顔を見て、
「僕、なくしそうになって初めて気づいたんです。父さんと母さんは、とても大切な人なんだって。大事だから、大切だから、手を離しちゃいけないって」
 どくん、と心臓がはねた。
 セオドアの手はまだ小さく熱くて、子どもの色を残している。
「ゴルベーザさんの頭を撫でてくれた人は、きっと、とても優しい方なんですね」
「……ああ、優しすぎる位かもしれんな。優しすぎるせいで、私の術に落ちて――――それでも、優しさは失わなかった。そういう男だ」
「そ、それってもしかして」
 セオドアの視線が泳ぎ、一人の人物を見つめて止まった。
 金色の長い髪。
 そうだ、と私が頷くと、セオドアは驚いた顔をして「あの……」今度は慌てた顔をした。
「……カインさん、起きてるんでしょう。耳まで真っ赤ですよ」
「え?」
「おい、セ、セオドアお前……!」
 瞬間、掠れた声をあげながら起き上がった彼と目が合って、今度は私が耳まで真っ赤にする番だった。



 End




Story

ゴルカイ