近くで見つめれば見つめるほど、胸の奥に、得体の知れない何かが降り積もっていく。
「…………エッジ」
呼ぶ声が、彼の耳に届くことはない。
薄紫色のカーテンが、風をはらんで揺れていた。ぶわりと布が膨らむその度、月明かりが彼の安らかな寝顔を優しく照らした。
彼に倒され炎のマフラーを手渡した後、私という存在は土に還るはずだった。それなのに、私は何故か彼の傍にいる。
触れることも、彼の体にできた傷を回復してやることもできない。彼があの老眼鏡をかけなければ、彼の目に留まることもない。
無意味な存在だ、と思った。
私は何の為にこの場所に留まっているのだろう。
「エッジ」
届かないのに、何度も口にしたくなる。その響きがいとおしい。呼ぶだけで、胸に炎にも似た塊が生まれて異形の心臓をじわりと焦がすのだ。
いとおしさは、この胸に生まれる感情は、一体どこから来るのだろう。
指先を伸ばし、瞼の上にある傷を撫でた。
感触を確かめることはできない。それでも撫でずにはいられなかった。いつついた傷なのだろう。視力に影響はないのだろうか。
――――ああ、私はこの傷をつけた者に嫉妬しているのか。
エッジを傷つけたくないと考えながら、エッジの体に傷をつけるのは私一人で十分だとも考えている。身勝手で馬鹿馬鹿しい想いを抱えながら、私は彼の傍を離れられずにいる。
いとおしいのに、壊してしまいたくなる。この手で触れたい、抱きしめたいと思う気持ちと、首を絞めてその命を奪って自分だけのものにしてしまいたいという気持ちがせめぎ合う。
私の中にある、人間の部分と魔物の部分。
それぞれがそれぞれのかたちで、エッジのことを欲しがっている。
「…………ん……」
エッジが身動ぎし、背を丸める。私に背を向ける形となった。
喉が渇いたのか、ゆっくりと起き上がってベッドサイドを探る。
だが予想に反してエッジが手にしたのは、水差しではなく老眼鏡だった。頭をぼりぼりとかいて大きなあくびを一つしてから、老眼鏡をかける。
「……やっぱり」
ちらとこちらを振り返り、エッジは破顔してみせた。
寝ぼけ眼のせいなのか、それともくったりと下りた髪の毛のせいなのか、エッジはいつもよりずっと若く見えた。
「……起こしてしまったか。いや、しかし老眼鏡をかけていない時のお前に私の姿は見えぬはず――――」
「何となくだけど、気配を感じたんだよ。おめぇが俺を見てるような気がした」
「……そうか」
「昔っからなんだけど、おめぇの視線ってあちいんだよな。炎みたいに……灼けつくみたいに突き刺さるんだ」
それはきっと、私が彼を灼いてしまいたいと思っているからに違いなかった。
「今も、そういう目をしてる。獲物を狩るケモノみてえな目だ」
獣。
ぞくり、背に何かが走った。
彼の鎖骨に視線を遣ってしまう。はだけた浴衣の胸元と、それから、寝起きで潤んだ瞳にも。
思わずさっと目を逸らす。
「ルビカンテ……?」
胸の奥に、得体の知れない何かが降り積もっていく。
名を呼ばれる度、彼の視線が私を捕える度、彼が笑う度、ただ降り積もって、意味もなく降り積もって、行く宛もなく降り積もって、胸が苦しくなっていく。
End