「ハッピバースデートゥーユー」
「……おい」
「ハッピバースデートゥーユー」
「いやあのだから」
「ハッピバースデーディア――――んぶっ!!」
 掌を目一杯広げて、カインはエッジの顔面を掴んだ。
「とりあえず静かにしろ、説明しろ、これはどういうことだ!」


 試練の山は、もう真っ暗だった。
 いつものように修行していつものようにテントに帰って来たら、テントの中は何だかおかしい雰囲気に包まれていた。
 魔物か、と思ったのだがまるで違う。そのよく知った気配に、カインは溜め息をつかずにはいられなかった。
「おい、エッジお前……何でこんな真っ暗なところに」
 気まぐれなのか同情なのかからかいなのかは分からないが、エッジは時たまカインの元を訪ねて来る。あれやこれやと他愛のない話をしては、土産だと言って保存食を置いて帰っていく。近所まで来たから、と手ぶらで来ることもある。近所というのはどこのことなんだ近所だからと言って試練の山まで来るやつがどこにいるんだと喉元まで出かかるのだけれど、カインはエッジに何も言えずにいた。
 嫌、というわけではないのだ。
 カインに向けられたエッジの緑の眼差しは優しくて、真っ直ぐで、薄闇の欠片すら見当たらない。
 カインは、その瞳が羨ましくもあり、恐ろしくもあった。


「……さあ、説明してくれ」
 顔を鷲掴みにしたまま言うと、エッジは呻きながらカインの手の甲を軽く叩いた。確かに、このままでは何の言葉も発せないだろう。
 ぱっと手を離すと、エッジはぶるぶると首を横に振った。
「ったく、ひでえなあ、顔がヒリヒリするじゃねえか」
 口元の布を下げ、ふうと小さく溜息をつく。
「説明も何も、見ての通りだ。ケーキ! ロウソク! プレゼント! この三つが示す事柄なんて、一つしかないだろ?」
 暗闇の中よくよく目を凝らして見れば、苺ののった大きなケーキに火のついていないロウソクが立てられている。さり気なく数えてみれば、その本数は二十二本だった。エッジの隣にはこれまた大きなプレゼントの箱があって、青いリボンが掛けられているのが分かる。
「誕生日おめでとう、カイン!!」
 目がなくなってしまうんじゃないかと思うほどの勢いで、エッジはにかっと笑った。
 正面から見ているのがつらくなって、カインは視線を逸らす。逸らした瞳を追いかけるようにして、エッジはカインの顔を覗き込んだ。
 カインが、呻くように呟く。
「どうして」
「ん?」
「……どうして、俺の誕生日を……知って……」
「セシルとローザに訊いた」
「……何で、こんな」
「祝いたかったから」
「何で」
「……何でって、俺が祝ってやりたかっただけだ。独りきりの誕生日って、寂しいじゃねえか」
「――――同情か」
「うん、同情だ。ま、それだけじゃねえけどな」
 言って、エッジは人差し指に小さな火を灯した。その指先を、ゆっくりとした調子でロウソクの先端に持っていく。
 一本、二本、三本。四本、五本――――――――二十二本の橙の火が、ケーキの上で揺らめいていた。真っ直ぐな緑色の瞳も、橙色に揺れている。
「ハッピバースデーディアカイン」
 どこか外れた調子で、エッジはさっきの続きを口にした。
 いかにも楽しそうに、嬉しそうに。少年染みた色を纏いながら。
「ハッピバースデートゥーユー」
 堪らなかった。郷愁の念なのか自己憐憫なのか、自分でもよく分からないものがカインの胸を襲った。
 早く火を消せと、エッジは笑っている。
 ケーキに向かって息を吹くと、辺りは元通り、真っ暗になった。
「んー、よし! 灯りをつけるぞ」
 暫くの沈黙の後、ランプがテントの中を照らした。
「よしよし、ケーキを食おう」
 どこまでもエッジのペースだ。巻き込まれっぱなしになっているのが嫌で、カインはエッジの手首をぎゅっと握った。
「……同情など、いらない」
「同情だけじゃないって言ったろ」
「同情以外に何があるというんだ」
「さあなあ」
「……っ! お前……っ」
「そう怒るなって。俺にもよく分かんねえんだよ。……持て余してるっていうか、何ていうか」
「持て余している?」
「おう」
「何を?」
「さあ?」
 言いながら、エッジはケーキを切り分け始めた。いつの間にか用意されていた皿の上に、切ったケーキをのせていく。
 ケーキののった皿と小さなフォークを「はい」と差し出されて、カインは思わず受け取ってしまった。
(……持て余している? ……意味が分からない)
 ふわふわとしたスポンジを口にすれば、カインの口の中で何ともいえない甘い感触が広がった。
(同情だけなら、やめて欲しかった)
「ん? ……カイン、おめぇ、俺が同情だけでここに来たって思ってるのか」
「当然だ。他に何がある?」
「うーんそう言われるとなあ。上手く説明できねえんだよ」
「ほらみろ」
「うーん、そうだな、じゃあイチから説明する。……エブラーナがルビカンテに襲われたとこからだ」
 思わずフォークを噛んでしまった。
「あの日、俺は一人で出かけてたんだ。理由は何てことない、一人になりたいからって、それだけだった。気が済むまで一日ほっつき歩いて、夜になった。城に戻ってきたら――――炎があがってた。遠くから分かるくらい、そりゃあもうとんでもない炎だった。ルビカンテはもう居なくて、何もかもが終わった後だった」
 必死で火を消した、とエッジはいびつに笑う。
 それは、エッジが初めて見せた表情だった。ルビカンテと対峙した時でさえ、エッジはカイン達にこんな表情を見せようとはしなかったのに。
「ようやく火を消し終わった頃に城の中で振り子時計が鳴って……日付が変わったことを知った。それは、俺が二十六歳になったっていう合図でもあった」
 カインは言葉を失った。
「いつもなら、爺がやかましいくらい『おめでとうございますおめでとうございます』って言ってくるのに……親父もお袋も、やたらめったら子ども扱いしてきたりしてさ、民達だって……それなのに、嫌んなるくらい城の中は静かで、暗くて、ああ毎年祝われていたあの誕生日は、当たり前のものじゃなかったんだなって」
 居てもたってもいられなくなり、皿とフォークを置いて、カインはエッジの隣りに座った。
 銀色の頭を抱き寄せ、「エッジ、もういい」と口にする。
「――――おめぇが試練の山に独りで篭るって聞いた時は、おめぇが決めたことだからって思った。だけど、誕生日くらい誰かと過ごしたっていいじゃねえか。……俺のひとりよがりだってことは分かってる。おめぇじゃない、俺が嫌だったんだ。おめぇが独りで誕生日を迎えるところを想像する度、苛々してムカムカして腹が立った。だから」
 だから。
 それきり、言葉は続かなかった。




 End


Story

エジカイ