空は、黒に近い赤色を放っていた。夕日が、がらんどうになった城を照らしている。
 橙色に染まった壁は血と煤に汚れ、まるで壁画のようだと思った。
「――――おい!誰かいないのか!!」
 自らの声が、わあんと不気味に反響した。こんなに静かな城の姿を、今まで一度も見たことがなかった。
「親父っ!!お袋っ!!」
 口にしてから、唾を飲み込んだ。喉がからからだった。思考が働かない。霞みがかってしまう。
 頭を緩く振ってから、洞窟の存在を思い出した。そうだ、皆、あの洞窟に逃げ込んだのかもしれない。
 足にぬめった感触が襲う。こみ上げる吐き気を堪えながら、俺は城を後にした。




「爺……っ」
「若、御無事で……!」
 泣きだしそうに歪んでいた彼の瞳を、俺は一生忘れることができないだろう。
 思わず抱きついた俺の背中を、爺はそうっと撫でた。
 俺達の周りに、人が集まる。怪我を負った兵士、煤だらけになっている女の子。誰かの手当をしていたのだろう、姉ちゃんの服は血に塗れていた。
「若様!」
「若様っ!!」
「若様、私の、私の夫が……」
 皆が口々に俺を呼ぶ。俺は爺から体を離し、一人一人の話を聞きながらゆっくりと頷いた。
 彼らを安心させたかった。涙に濡れた顔を、少しでも晴れやかなものにしたかった。
「爺。親父とお袋はどこだ?」
 俺がそう口にした瞬間、空気が凍りついた。爺の瞳が泳ぎ、彼は吐き出すように呟いた。
「……お二人は……ルビカンテに……」
 言葉は最後まで続かなかったが、俺は全てを悟った。肩が震えを気取られないように願い、口もとに巻いてある布に初めて感謝した。
「その、ルビカンテってやつは、何者なんだ」
 爺の両肩に手を置き、瞳を覗き込む。「火を操るモンスターですじゃ」と彼は言った。

 ルビカンテというモンスターは人によく似た姿かたちをしていて、しかし、その体は大きく、頑丈なのだという。
 そのモンスターは炎を意のままに操って城を襲い、兵士を次々と殺し、そうして最後に俺の親父とお袋を殺した。
 親父が敵わない相手。心臓がどくりと鳴った。

「――唯一つ、おかしな所がありまして」
「おかしな所?」
「ルビカンテは、決して子どもを襲おうとはしなかったのです」




 爺が城から持ち出してきたのだというモンスター研究の本を開き、ぱらぱらとページを捲る。蝋燭に照らされた字が踊り、読み辛くて堪らなかった。
「モンスターの特性、モンスターの特性……っと」

『モンスターは人間に見境なく襲いかかる。生物の体を屠ることに快感を覚える』

 ルビカンテに当てはまらないその特徴に首を傾げながら、読み進める。
 そしてある一つの文に、俺の視線は釘付けになった。

『モンスターは快楽に溺れやすい』

「かい、らく……」
 耳元で、脈が煩く鳴り続けている。





「ちょっと偵察してくる」と兵士達に告げて、俺は洞窟の奥を目指して歩いていた。
 兵士達が一人もいなくなったところで、俺は身につけているマントや口元の布、胸当て、籠手などの防具を全て外した。洞窟の隅にそれらを隠し、何の変哲もない布の服を着てから、後ろに撫でつけてある前髪を下ろした。
 そうして苦無と細い木製の杭を懐に忍ばせた。刀は持っていない。あのモンスターを油断させる為に、刀は持たないと決めた。
 更に、奥へと足を進める。
 しばらく歩いた後、立ち止まり、杭を懐から取り出した。指先が震える。脂汗が額から滲みだす。
 心臓が喚きたて、俺はごくりと喉を鳴らし――――杭を太腿に突き刺した。
「う……ぅ……っ!!」
 最初に痺れが走り、次に痛みがやってきた。もう一度、杭をふりかざす。次は腹に突き刺した。
 声も出ない。視界が涙によって歪み、俺はその場に倒れ込んだ。
 まだだ。まだ、気を失うわけにはいかない。
 杭を地面に転がし、そちらに手のひらを向ける。血に濡れた杭を眺めながら、指先に力を籠めた。
 小さな火柱があがり、杭が消し炭になる。再度火遁を放つと、その消し炭も姿を消した。
 深く刺しすぎたか、と心の中で呟き、いや、でもこれぐらいやらねえとな、と苦笑した。
 血が止まらない。真っ赤なそれは土に混じり、赤茶けた色を地面にへばりつかせていく。
 そうか、俺は失血死するのか。
 失血死。おいおい、ちょっと待て、そりゃ困る。そりゃああんまりにも間抜け過ぎるだろう。一生懸命考えた作戦が、駄目になってしまう。

 俺の考えた作戦は、結構無謀なものだった。
 まず、この洞窟でわざと怪我をして、倒れる。
 それから、ルビカンテがやって来るのを待つ。
『ルビカンテは子どもを襲おうとはしなかった』と爺から聞いた。きっと、弱い者には優しいのだろう。哀しいかな、俺は年相応に見られたことがない。前髪を下ろすと、更に子どもっぽさが増す。ルビカンテは、そんな俺を放っておかないはずだ。
 俺は奴に治療を求め、バブイルの中に運び込まれる。
 それから、それから――――。

「……おい。私の声が聞こえるか?」
 いつの間にか閉じてしまっていた目蓋を、強引に開いた。灰色の大きな手のひらが見える。血の色をしたマントが、視界の端に映った。
 やった。間違いない、これはルビカンテだ。
「……た、たす、けて……たすけ、て……」
「喋るな。今助けてやる」
 太い腕が、俺の体を持ち上げる。温かくて、まるで人間に抱かれているような心持ちになった。
「この出血では、目を開けているのも辛いだろう。目を閉じて、楽にしていろ……」
 目蓋の裏が黒く染まる。
 駄目だ、目を開け。目を開け。念じるのだが、意識は暗くなっていく一方で。
 あろうことか、俺は両親の仇の腕の中で、気を失ってしまったのだった。




 ふわりとした温かい何かが、俺の中に流れ込んでくるのを感じた。優しくて懐かしい何かだった。
 親父か、お袋か。俺の傍にいるのは誰なんだろう。
 ――いや、違う。あの二人じゃない。だって、二人はもう死んでしまったじゃないか。
 埋葬し、花を供え、そうして心に決めたんだ。二人の仇をとろう、と。
 絶え間なく流れ来る温かさに、胸が苦しくなってくる。眦が熱くなり、涙が溢れていくのを感じた。
「……親父…………お袋…………」
 ゆっくりと目を開く。沈鬱な表情をした男の顔が、視界に飛び込んできた。
「息は、できるか?」
 そう話しかけられ、大きく息を吸い込んだ。太腿の痛みが少し残っているだけで、腹の傷は何ともなくなっていた。
 ベッドに寝かされていることに気づき、モンスターもベッドで寝るのか、と思った。
「……俺」
 涙を拭い、男――ルビカンテの方を見る。さっきまであった悲痛な表情は消え、男は無表情になっていた。
 これが、親父とお袋を、エブラーナを滅ぼしたモンスターか。頭にかあっと血が上ったが、殺気を悟られてはいけないと思い、必死で心を宥めた。
「酷い出血と熱だった。あと少し手当てが遅れていたら、死んでいただろう」
 服が汗でびっしょりと濡れているのを感じる。
 もう少しで死んでしまうところだった。迫真の演技もここまできたら馬鹿だな、と心の中で自嘲した。
 そうして、熱が下がったばかりのぼやけた頭をぶるりと振った瞬間、体が宙に浮き上がった。
「わ、わっ!」
 ルビカンテに抱き上げられたことを知り、慌てて飛び降りる。太腿に鋭い痛みが走り、俺は呻き声をあげながら蹲ってしまった。
「風呂に入れてやろうと思っただけなんだが……」
「じ、自分で入れる!一人で行けるっ!!」
 モンスターとは思えない世話焼き加減に、俺の頭は混乱し始める。太腿の痛みが酷くなり、塞がっていた傷が開いたのが分かった。
「いっ……てぇ……」
「大人しく言うことをきけ」
「は……裸を見られんのが嫌なんだよっ!」
 言えば、ルビカンテは破顔する。
「血塗れになっていたから、お前が着ていた服は捨てたぞ。破れていたし、襤褸布同然だったからな」
「それが、どうした」
 よくよく体を見てみれば、確かに今身に着けている服には見覚えがない。この服はどう見ても、遠い異国のものだった。
「つまり、既に私はお前の裸を見ている。だから、気にすることはない」
「なっ……!」
 素早い動作で抱き上げられる。ローブに血が滲み始め、仕方なくルビカンテの肩に掴まった。




「何だ、これ……」
「何って、風呂だ」
 ぴかぴかと銀色に光る床と天井。壁からは細長い何かがにょっきりと生えていて、その隣には青くて丸いボタンがあった。
「……ああそうか。お前達の風呂とは違うのだな」
 言いつつ、俺を床に座らせ、服を脱がせようとする。自分でできる、と言ってローブを脱ぎ捨てると、ルビカンテは再度、俺を抱き上げた。
「ここに座っていろ」
 細長い何かの下に座らされる。得体の知れないその物体に、脈が早くなった。ピッ、という音が鳴り、
「ぎゃっ!!」
 頭上から湯が降ってきた。湯は細長い何かから出ているらしかった。
「すっげえカラクリだな……っぶ、あ、げほ……っ」
 鼻の奥がつんとする。
「上を見る奴があるか。……ほら、汗を流せ」
 しばらくしてから、湯の雨が止んだ。今度は、真っ白な布が降ってくる。それで体を包まれて、また抱き上げられた。
 もういい。反論するのも面倒だ。こんなところで体力と気力を使うわけにはいかない。
 ベッドの上に下ろされて、体と頭をがしがしと拭かれる。足の傷の部分を拭こうとしたルビカンテが、ふとその手を止めた。
「……この傷は、自分でつけたものだろう?」
 俺の心臓が大きく跳ねた。
 静かな声だった。まるで氷のようだった。
「……そ、それは」
 傷を布で隠しながら俯くと、ルビカンテは意味ありげに笑った。
「自分でつけた傷は、治りが遅い。何故なら、念がこもっているからだ」
「……ねん?」
「念。つまり、想いだ。……この傷には、どんな想いがこめられているんだ……?」
 自分でつけた傷には念がこもるなどという知識は、俺にはなかった。
 傷に被せた布を剥ぎ、戸惑っている俺を尻目に、傷に回復魔法を注ぎ込む。温かい何かが、俺の中に流れ込んできた。
 俺の想いは、唯一つだ。ルビカンテを倒し、両親の仇を討つ、それだけだ。足の傷は、両親への誓いだった。
 この男を、殺すんだ。そうだ、その為には、作戦通りにする必要がある。
「やはり、治らないな。相当強い念がこもっているらしい」
 手がぶるぶると震える。心臓が鳴る。
 怖かった。人に似たこのモンスターを殺すことに、恐怖を感じているのかもしれない。それでも、ここまで来て今さら戻ることなど考えられなかった。
 唇を薄く開き、両手でルビカンテの頬を包む。目蓋を閉じて、口づけた。





 私の頬に触れている手が、微かに震えていた。
 彼の意図が見えず、顎をつまんで顔を離すと、真剣な瞳とかち合った。
「何のつもりだ」
 自殺志願者が自棄を起こしたのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだった。自殺志願者にしては、彼の瞳の光はあまりにも強かった。
 彼は答えずに、もう一度口づけようとする。黙って受け入れると、今度は舌が滑り込んできた。
「…………ん……」
 マントを掴むその手は、やはり震えている。
 拙い動き、というほどではなかったが、緊張しているのだろう。どこかぎこちなさの残る口づけだった。
「もう一度聞く。何のつもりだ」
 唇を離し問う。彼の瞳は潤んでいた。
 彼は、あのことを知っているんだろうか。モンスターに口づけるだなんて、正気の沙汰ではない。
「お、俺を……」
 十代の子どもだと思って手当てを施したのだが、こうして見ると、彼は二十代にも見える。
 力強い眼差しと、念のこもった傷跡。何とも不思議な青年だ、と思った。
「何だ?」
『俺を』と言ったきり口ごもった彼に焦れて訊く。
 私の胸元に顔を埋め、蚊の鳴くような声で彼は言った。
「俺を……抱いてくれ、ルビカンテ」
 思いもよらなかった言葉が、彼の口から放たれる。
 上ずった声だった。私の唾液が、彼の体を微かに狂わせていた。まあ、唾液くらいならどうということはないだろう。顎を掬い上げ、緑の瞳をじっと見つめた。
「冗談も程々にしろ」
「……冗談なんかじゃねえよ」
「では、何のつもりで」
「お前に、礼をしたいと思っただけだ」
 その傷ついた体で、か。
 彼は視線を泳がせながら、「慣れてるから、気にせず抱け」と言った。
 思わず噴き出しそうになる。どう見ても、慣れている風ではなかった。
 からかってやりたいという思いが、むくむくと膨れ上がる。彼がどういうつもりかは知らないが、少し怖がらせてやれば、馬鹿な考えもなくなるだろう。
 手首を掴んで押し倒すと、ぎしり、とベッドが悲鳴をあげた。
 首筋に口づけ、鎖骨にも口づける。それから乳首を舐めると、彼の体が強張った。もう片方を爪先で刺激する。今度は小さな声が漏れ出て、彼の頬に朱が走った。
「さっさと……突っ込めばいいだろ」
「死にたいのか?」
「何だよそれ」
 色気も何もない問答に、愉快な気持ちがこみ上げてくる。私の体格を見て気がつかないのか。悪戯をする子どものような心持ちで、彼の唇に人差し指をつきつけた。
「……なっ、何だよっ」
「舐めるんだ」
「何馬鹿なこと言ってんだっ」
「いいから」
 彼は眉根を寄せ、逡巡し、唇を噛みしめる。表情豊かなその様に、釘付けになった。
「分かったよ……舐めりゃあいいんだろ」
 先端を猫のように舐め、銜え込む。先程口づけた時と同じで、ぎこちない動きだった。
 指先が、濡れて光った。
「……これでいいか?」
「ああ」
 片足を折り曲げ、彼の唾液で濡れた指を、銀色の恥毛よりも更に奥まった場所に押しあてた。
「ひ…………っ!」
「力を抜け」
 縋るような瞳が、こちらを見上げる。
 構わず先端を潜り込ませると、彼の腰がずり上がった。
「抱けと言ったのはお前だろう」
 狭い内壁が、更にきつく締めつけてくる。彼はどんな顔をしているのだろうと覗きこめば、潤んだ瞳で私を睨みつけていた。息は荒く、頬は蒸気している。それに呼応するように、彼の中も熱くなっていった。
「……熱いだろう」
「……頭が、ぐらぐら、する……」
「視界は?」
「ぐにゃぐにゃだ…………あ、あっ!」
 更に深く挿し込むと、白い腰が跳ねた。今まで無反応だった彼のものが、緩く勃ち上がる。「な、なんで」と彼は涙声で呟いた。
「口づけなどするからだ」
「指……いやだ……」
「モンスターの体液には催淫作用がある。勿論、唾液にもな。知らなかったのか?」
「そ……そんなの、知らねえよ……!」
 逃げようとする腰を捕え、二、三度抜き挿しする。抜き挿しする度に声もなくびくびくと震える彼の痴態に、煽られそうになった。
「慣れている、と言ったな」
「う、あ……、あぁっ」
 白い肌が、微かに赤く染まっていく。虚ろな瞳がこちらを見た。彼の雄に手を伸ばして緩く扱くと、先走りが私の指を汚した。
「ここを使ったことは?」
 貫いている指を拡げるように回しながら訊く。
 ひゅっ、と彼の喉が鳴った。
 男を抱いたことがない私でも分かる。この様子で、慣れている筈がない。先端を強く愛撫すると、彼の背が仰け反った。
「あ、ああぁ…………っ!」
 彼の放った白濁が、彼自身の腹に、首に、顔に散る。荒い息のまま、彼はぶるりと首を振った。
 放ったばかりにも関わらず屹立し続けている自らの雄を見て、「こりゃ、やべえ……死んじまう」と彼は呟く。その言い方があまりにも面白かったので、私は思わず大笑いしてしまった。
 指を引き抜き、顔の白濁を拭ってやる。緑の瞳が微かに震え、
「な、何がそんなに、面白れえ、んだ……よ……」
 言ったきり、彼は気を失ってしまった。
「……しまった。からかいすぎたか」
 何だか申し訳ない気分のまま、抱き上げ、再度シャワーの元に向かった。




 彼は寝相が悪かった。
 書類に目を通したりそれらを整理する間に、彼の上掛けを何度もかけ直さねばならなかった。
 その上、負傷している足は出血が酷く血が滲むので、包帯を換える必要もあった。
 彼は呑気な顔をして眠っている。出会った時に見せていた顔とは全く違う表情に、何か良い夢でも見ているのか、と思った。
 戦い以外で人間と触れ合うのは久しぶりだ。普段あまり覚えることのない種類の感情が胸に込み上げてきて、苦笑する。それは罪悪感だった。
 この少年――いや、青年と言うべきだろうか――は、平民ではない。彼の着ていた服は、単なる布の服ではなく、とても高級なものだった。
 そして、彼の懐に入っていた武器。あの苦無とかいう武器はエブラーナ特有のものと聞く。だとすれば、彼はエブラーナの者なのだ。
 少し長い銀の前髪をかき上げ、長い睫毛を見る。目蓋の下で眼球が動いていて、夢を見ているということが分かった。

『……親父…………お袋…………』

 両親を呼ぶ彼の声は、悲しくて苦しくて、切なかった。
 エブラーナを落としたのは私だ。彼の両親は死んでいるとしたら、彼の哀しみの原因を作ったのは、私なのだ。
 罪悪感を覚えるなど、らしくない。そんな感情はとうの昔に捨ててきた筈なのに、何を今更悩むことがあるのだろう。
『俺を抱いてくれ』と彼は言った。男に慣れていないくせに、まるで男娼をやっているから大丈夫というような口調でそう言った。怯えているくせに、緑の瞳はやたら真剣だった。
 私に抱かれて何の利点があるのか、そこのところは分からなかった。
 銀の眉が下がり、薄めの唇が震える。
「…………ころしてやる……」
 吐き出された文句は、酷く物騒だった。
「殺してやる……っ」
「……おい」
「人殺し!!」
 瞬間、右手が振り上げられた。殴りかかってきたそれを手のひらで受け止めると、書類が至る所に散乱し、乾いた音をたてた。
 まだ唾液の効力が残っているのか、彼は錯乱していた。まさかここまできつい症状が出るとは思わなかった。
 暴れる背に腕を回し、強く抱きしめた。
「ひと、殺し……」
 銀の後ろ頭を抱き、胸元に押し付ける。銀糸の間からちらりと覗いた瞳は、光を失っていた。
「……ルビカンテ…………殺してやる……絶対……許さねえ……っ」
 そうして私は、彼があの場所に倒れていた意味を知った。





 モンスターと思えぬほど、ルビカンテは優しかった。
 日に三度運ばれてくる食事は美味しかったし、「暇だろう」と言って与えられた本は見たこともない本ばかりで、本当に面白かった。
 あまりの隙のなさに、俺の決心が揺らぐ。ルビカンテが快楽に弱いとは、到底思えなかった。
 作戦を変えるべきではないのか。他に何か良い方法があるのではないか。
 ぐるぐると色々なことを考えていたら、
「夕飯だ」
 ルビカンテの声が降ってきた。ふわり、いい匂いが漂う。トレイを置く音がした。
「……あ、ありがとよ」
 言い終わるより早く、ベッドを下りてテーブルにつこうとした俺の体を抱き上げ、ルビカンテは笑った。
「少し、肥えたんじゃないか」
「え」
「頬の辺りが、ほら、前より」
「降ろせ降ろせ、子ども扱いすんなっ!」
 顔が熱くて堪らなくて思わず叫ぶと、すとん、と椅子の上に降ろされた。太っただろうか。確かに寝てばかりの生活だから、太ったかもしれない。頬を摘んで悩んでいると、「お前はもう少し肉をつけた方がいい」と言われた。
 自分が痩せ型なのは理解しているが、太ってしまったら身軽に動くことができなくなる。曖昧に首を振り、いただきます、と手を合わせた。
 白いご飯に具沢山の味噌汁、漬物、焼き魚、緑茶。日に日に俺好みになっていく食事に、驚きを隠すことはできなかった。
「なあ、何で俺の好みが分かるんだ?」
「気にするな」
「……まあ、いいけどよ」
 味噌汁の芋を口に運び、咀嚼する。美味いなあと思っていると、突然、太腿を撫でられた。
「ぎゃっ!!」
 わけの分からない叫び声をあげ、箸を放り投げる。それはルビカンテの頬を掠め、びいん、と震えながら遠くの壁に突き刺さった。
 こいつが突然触るから、触ったりするから。心臓がばくばく鳴っている。
 思わず手裏剣を投げる調子で投げてしまった。エブラーナの人間ということがばれてしまったかもしれない。
「……驚かせて悪かったな。怪我の様子はどうだ?」
 けれど、ルビカンテは何も訊いてはこなかった。
「怪我は……何も変わんねえよ。歩けねえし、傷も塞がらねえ」
「……そうか」
 塞がる筈がない。この傷には、俺の想いがこめられているのだから。
 だからといってここでもたもたしている場合ではない。何かこの男を殺す手だてはないものか。
 考えあぐねていると、箸を壁から抜いたルビカンテが一言、「冷めるぞ」と言った。箸を受け取り、先っぽを適当に拭ってから慌ててご飯をかき込む。正面に腰かけているルビカンテは何故か微笑を浮かべていて、それがあまりにも人間臭かったので、思わず訊いてしまった。
「おめぇ、人間みてえだな」
「私が?」
「おう」
 ルビカンテが手を伸ばしてくる。また太腿を触ろうとしているのかと身構えていると、頬を優しく撫でられた。何のことやら分からず呆然としていたら、ルビカンテはその指先を舐めた。
「米粒がついていた」
「こ、この……っ!」
 恥ずかしいことを、何でもないことのようにすんなりやってのける。そうか、人間臭さの正体はこれだ。まるで、子どもを育てていた人間のような仕草――――。
 余程おかしな表情をしていたのだろう。俺の顔を見て、ルビカンテは口を開いた。
「私を、人間みたいだ、と言ったな」
 俺は無言で頷いた。
「私は……元々人間だったんだ。ただの、人間だった」
「うそ、だろ……」
「嘘ではない」
「だって、そんな」
「二十年前のことだ。死にかけていた一人の男をゴルベーザ様が拾い、ルゲイエがモンスターとして蘇らせた。それが私だ」
 ぞくり、と肌が粟立った。思いもよらなかったルビカンテの告白に、言葉を失った。
「意外、か?」
 頷くことしかできない。
 寂しそうに微笑んでいるルビカンテの表情が、俺の胸に鋭く突き刺さった。
「……ゴルベーザ様は、私を拾った頃、まだ子どもだった」
 懐かしむような眼差しで、俺の頭を撫でる。はね除けようとその大きな手を引っ掴んだが、胸が震えて上手くいかなかった。
 仕方なく、俯き加減に味噌汁を飲む。頭の上に置かれた手が気になって仕方がなかった。
「私は、ゴルベーザ様に忠誠を誓っている。あの方は、私の命の恩人だからな」
 汁のなくなった器に残った具を箸で掻き集め、噛んで、飲み込んで――喧しく鳴る心臓のせいで、味がしなくて。
「あの方の命令には、必ず従う」
 がじり、箸先を噛む。
「例え…………例えそれが、この世界を破滅に陥れる行為だとしても」
 手から零れ落ちた器ががしゃんと鳴った。男の手を鷲掴む。捨てるようにして叩き、椅子から立ち上がった。
 ルビカンテを睨みつけた。男は無表情だった。
「命令なら、どんなことでも従うってのか!!」
「……そうだ」
 箸を思いきり投げた。箸は受け止めた男の掌に刺さり、しかし、ルビカンテは表情一つ変えなかった。
「たくさんの人が、死んでるってのに……っ」
 ルビカンテの掌が発火した。箸が燃え、跡形もなくなった。食器を、テーブルの上のもの全てを投げつけてやりたい衝動に駆られた。テーブルの上に乗り、同じ目線の高さで男の目を覗き込んだ。男はぴくりともしなかった。ただ、その掌はゆらゆらと揺れる炎を発していた。
 ずきり、と足の傷が疼いた。
「お前の両親も……死んだのか?寝言で、父と母を呼んでいたぞ」
 視線を逸らさずルビカンテが言った。思わず、頬が熱くなる。うるさい、と言うのが精いっぱいだった。
 この作戦は失敗だ。そんな言葉が、脳裏を過った。
「…………死んじまったよ。みいんな、死んじまった」
 掌に滲む汗、喉は石を詰め込まれたかのように苦しい。言ってはならない、分かっている。なのに、口が勝手に動いてしまう。
 手を伸ばす。男の異形の手に向かって、まるで縋りつくようにしながら。
 大きな手だ。炎を生み出す手だ。その手をじっと見つめる。不意をつかれたのだろう、大きな手が小さく揺れた。
「おめぇが……おめぇが、この手で殺したんだろ……」
 微かに尖った爪先に目を遣る。太い腕に、赤いローブの袖に、首筋に、そして、瞳に。
 太陽の色をした瞳が揺れていた。自嘲の笑みがこみ上げる。笑わずにはいられなかった。
「この目の色に、見覚えはないか?この髪の色に、見覚えはないか?俺の顔と目の色は親父そっくりだ。髪の色はお袋に、そして性格は……二人に」
 目の前がぼやけた。涙が溢れ出す。握りしめている男の手は温かく、堪らない気持ちにさせられた。
 どうして俺は、この男にこんな告白をしてしまったのか。自分でも、よく分からなかった。
 ルビカンテが、空いている方の手を伸ばしてくる。俺の目元を拭ってから、確かめるように頬を撫でた。
「では、お前はエブラーナの……」
 言葉の終わりは、絶句に近かった。





 この真っ直ぐな瞳が心底恐ろしい。
 罪悪感が湧き上がる。とうの昔に捨て去った筈の感情が、心の奥に蘇り始める。
「――――俺は、エブラーナの王子だ」
 白い夜着の足に、鮮血が滲んでいる。指先は冷えていた。彼は、がちり、と歯を鳴らした。みるみるうちに、出血が酷くなっていくのが分かった。
「王子」
「……エッジ、だ」
「エッジ、早くベッドへ戻れ」
「うるせえ、指図すんな……」
「血が」
「うるせえ」
 幾ら何でも、この傷の状態は異常だった。それほどに、彼は私を憎んでいるということなのか。
 胸が痛み、息をすることすら辛くなる。彼は複雑な表情で視線を落としていた。
 指先に力が無い。座っているのも辛いだろう。
 回復魔法をかけてやる。完治はしないだろうが、今よりはましになると思われた。
 真っ赤な血がテーブルを汚す。それは流れて床まで滴っていたが、魔法をかけた途端、その流れを止めた。
「余計な……こと、しやがって。おめぇは、俺を殺すつもりなんだろ。親父とお袋の次は俺じゃねえのかよ……」
 それは事実だった。ゴルベーザ様には、エブラーナの王子も殺すようにと言い付けられていた。
 彼を殺すのは、簡単だ。片手で殺すこともできそうだった。
 腕を引き、抱き寄せる。エッジが胸元に倒れ込んできた。抵抗する力もないのだろう、彼はただ、喉の奥で笑っただけだった。
 彼の背を抱くと同時に、転がった食器が割れる音がした。血がぴちゃりと鳴った。強く抱きしめると、命の――血の――匂いがした。
「…………んだよ……気持ちわりい、奴だな……」
 殺せない。
 この細い首に、手をかけることなどできない。
「何で、お前の体は……こんなにあったけえんだよ……」
 言いつつ、身動ぎし、こちらを見上げる。歯を見せて、困ったように微笑む。
 ああ、私はこの顔を確かに知っている。エブラーナ王とエブラーナ王妃によく似た、優しくも芯の強そうな面持ちだ。
 弱々しい声が私の心をさらう。子どもの目をした青年に、思考を持っていかれてしまう。
 エッジは目を細め、私の胸に顔を埋めた。
「……俺はわざと怪我をして…………おめぇを、殺そうと……」
「……ああ」
「なのに……っ!」
 きつい眼差しが私を射抜いた。彼が何事かを呟くと、電流雑じりの火柱が部屋のあちこちに上がった。響く破裂音が、辺りにある家具や物を壊していく。
 これはただの魔法ではない、エブラーナに伝わる忍術だ。しかし、何かがおかしい。あまりにも野性的な炎と雷は、暴走状態にあるように思われた。
 腕をすり抜け私の肩を蹴り、彼は高く跳躍した。裸足のつま先から、赤の雫が落ちる。
「エッジ!」
 床に降り立ち、エッジは叫ぶ。
「モンスターは、モンスターらしくしてろ!!優しくすんな!!」
 新たな火柱が立ち上る。その火柱が彼の手を霞めるのが見え、私は彼のもとへ駆け寄った。火柱があったところで、私には何の問題もなかった。
「優しくなんかするから、俺は……!!」
 光が爆ぜると共に、電流が私を襲った。呻きながら彼へと近づく。「優しくすんな」と、彼は再度言った。
 彼の視点は定まっておらず、ふらふらと宙をさ迷っている。魔力を使いすぎている、と思った。このままでは、命を落としかねない。
「力を抜け。深く息を吸うんだ」
 彼は返事をしなかった。
 また火柱が上がり、その時、私は違和感を覚えた。火柱は、決して私を狙ってこない。偶然かもしれない。しかし、偶然にしてはあまりにもできすぎているような気がした。
 彼は首を横に振った。今にも泣き出しそうな表情で、
「おめぇが馬鹿みてえに優しいから……どうすりゃいいのか、分かんなくなるんだよ…………」
 呟き、膝を折った。
 ゆっくりと歩み寄る。屈み、髪に手をのばそうとした。瞬間、電流が、彼の体を覆う。
 これ以上、魔力を使わせてはならない。どうする。殴って気絶させるか。いや、それでは致命傷になりかねない。
 エッジは荒い息を吐き、背を丸め、ひたすら術を放っている。時間がない。命が消えていくのが見える。
 死んでしまう。死なせたくない。
 抱き寄せ、顎を上向かせる。身を捩り逃げを打つ背を強く抱き、彼の唇に自らのそれを重ねた。
「…………っ!」
 炎が、彼の肌を橙色に照らす。揺れる緑の瞳が揺れ、荒い息が漏れる。
 舌を絡めとる。ゆっくりと、目蓋が閉じていく。だらり、エッジの体が力を失った。




 私の唾液が彼にどのような変化をもたらすのか、分からないわけではなかった。
 ベッドに横たわる彼は、淫夢にうなされているかのように熱い吐息で、頬を染め、肌を汗ばませている。
 彼は目覚めない。出血は止まり、魔法を放つこともなくなったが、目覚めることはなかった。
「……あ………っ……!」
 声と共に、エッジはびくりと腰を揺らした。足が、シーツを蹴り飛ばす。途端、服越しにでも分かるほど屹立したエッジのものが、目に入ってきた。
 荒い息、震える腰。エッジは自らのものに手を伸ばし、あえかな悲鳴をあげる。
「はぁ……あ……っ」
 布越しにペニスを扱いている姿は淫らで、体の奥底にある本能を呼び起されてしまいそうになる。細い首を仰け反らせ、膝を開き、彼は自慰に耽り続ける。
 目が離せない。エッジは小刻みに体を震わせ、甘い喘ぎを漏らす。
 濡れた音に、彼が射精したことを知った。
 喧しく鳴る心臓は、間断なく鳴り続ける。耳に、ドクドクと音が響く。部屋に充満する人間の甘い匂いと性の匂いに、思考を奪い取られてしまいそうになる。
 “着替えさせるだけだ”。言い訳がましい事を考えながら、下着ごと、下衣を引きずり下ろした。白い液体が、下着とペニスの間に糸を引く。ぞくりと背に何かが走った。
 彼のものは、硬く立ち上がったままで力を失っていない。
「エッジ……」
 当然、返事はない。
 他に、何か良い方法があったのではないか。私は何故、彼に口づけたのだろう。
 思っているうちに、彼はまた、自らを慰め始める。
「あ、あぁ……んっ……!」
 何故、彼に口づけたんだ。自問する。ベッドに両手をつくと、ぎしりとベッドが軋んだ。
 こうなることは分かっていただろう。彼が色情狂になって死んだらどうする。考えても考えても、時を戻すことはできない。
 理性を失うことなどあり得ないと思っていた。自分に限って、そんなことはあり得ない、と。
 けれど、今は。
「…………!」
 息を吸う。落ち着け、落ち着けと言い聞かせる。右腕が震える。彼に手を伸ばそうとする。彼を傷つけようとする。
 この獲物を犯したい。本能がそう叫び、理性が首を横に振った。ベッドに腰掛け、左手で右手首を掴む。やめろ、手を出してはならない。
 と、潤んだ緑の瞳が、銀の睫毛の間から覗いた。
「……エッジ」
「おかしく……なっちまう……」
 彼の手は、先走りでべたべたに濡れていた。こちらもおかしくなりそうだ、心の中で返事をする。大きく開かれた足の間に、小さな窄まりが見えた。貫き、注いで、自分のものにしてしまいたいという考えが頭を締めつける。
 内側から壊してしまえたら。あの真っ直ぐな瞳を、自分のものにしてしまえたら。
「放っておけば、治まるだろう。少し我慢しろ」
 激情を抑えつけながら、
「私は、用事を済ましてくる、か……ら……」
 ベッドから下りて彼の前から逃げようとすると、私の手首を掴むことでエッジが引き留める。
「い、いく、な……」
「離せ」
「……腹の中が、変だ……っ」
 ねだるように、上目遣いで私を見上げる。眦が赤い。腹の奥に何かが、と彼は呟き、そうして、自らの窄まりに指を突き立てた。
「……あ……!」
 瞳は本能の色に染まり、理性を残していない。唾液と涙を零しながら、彼は「届かない」と言う。
 当然だ。実際に腹の奥に何かがあるわけではない。体のそこかしこが、快楽を求めて疼いているのだろうから。
「と……届かねえよ……ぉ……っ」
 指を引き抜き、彼は身を起こす。ベッドに腰かけている私の上に跨り、火照った額を私の胸に預けた。
 するり、長い指先が、私のペニスを衣服越しに撫でる。
「でけえ……」
 本当に、これは彼なのだろうか。こちらを見る誘惑を含んだ甘い瞳には、先日、『慣れてるから、気にせず抱け』と言った彼の欠片もない。
 あの時の彼は、指先を震わせていた。口づけ一つで動揺し、視線を泳がせていた。そんな彼をこのような状態にしてしまうほど、モンスターの体液の力は強いのか。
 何故か、胸に哀しみがこみ上げる。“私は人間ではない”。そんな言葉が脳裏を過った。
 悶々と考えている間に、エッジは私の服を剥ぎ、私を押し倒そうと躍起になっていた。彼の望み通りに寝転がってやると、彼は何とも危うい表情で、ふ、と微笑む。
 彼を抱いた後、私は必ず後悔するだろう。分かっているのに、止めることができない。
 突き入れた瞬間、彼はどんな表情をし、どんな声で喘ぐのだろう。
 彼は片手を私の腹に、もう片方の手をペニスに添え、そっと腰を落としていった。
「ん……!あ、あ……っ」
 喘ぎに、濡れた音が混じる。先のほんの一部分が、彼の中に入っていく。
 自分でも恐ろしい大きさのものだと思うそれを、彼はあえかな悲鳴をあげながら、挿入しようとしていた。
「……よせ、エッジ。幾らなんでも無茶だ」
 唾を飲み込み、何とかそれだけ口にする。
 エッジは子どもじみた仕草で首を横に振り、微かな声で言葉を放った。
「……おめぇのが……欲しい……」
 どくり、心臓が激しく脈打った。
 彼は、催淫作用でおかしくなっているだけなのだ。いうことをきかなくなっていく体に、懸命に言い聞かせようとする。
 けれど、そんな努力も虚しく、私の理性は削り取られていった。
「死ぬかもしれんぞ」
 エッジは頷き、目蓋を閉じる。
 彼を仰向けに寝かせ、細い足首を掴んだ。
 彼は、先走りの液で死ぬかもしれない。精液で死ぬかもしれない。快楽に溺れ色情狂になって、ただの人形になってしまうかもしれない。
 私の中の魔物の部分――しかも、一番醜く薄汚れた部分――が、それを求めてやまなかった。
 彼の中に吐き出したい。吐き出して、この綺麗な獲物を自分のものにしてしまいたい。
 足を折り曲げ、渾身の力をこめて圧し掛かった。裂ける感触。エッジの喉から笛の音が響いた。
「……あ、ああ、あああああぁ…………っ!!」
 私の体の下で、がくがくと体を震わせ、眉を顰め、目を細める。理性の見え隠れする瞳は驚愕に歪み、血の匂いがそれを彩った。
 彼の瞳に、ほんの一瞬色が宿る。
 痛覚が戻ってきたのだろう。彼は声もなく暴れ始めた。口をぱくぱくさせながら、シーツを握りしめ、足をばたつかせようとする。
 腰を掴んでこちらの腰にぐっと引き付けると、私の背に痺れが走った。
「……ひ…………っ」
 秘部が、血で濡れていた。
「ぬ……抜いて……く、れ……!」
 その言葉で、彼が正気に戻ったことを知る。
 だが、入れ替わるように私は正気を失っていた。
「痛いか」と問うと、顔面蒼白のまま、彼はこくりと頷いた。
「…………だが、痛みだけではないのだろう?」
 ゆるゆると抽迭を繰り返すと、甘い悲鳴が部屋に響く。
「……動く、んじゃね……え……」
 言葉とは裏腹に、彼の体は素直な反応を見せる。屹立したペニスは蜜を滴らせ、今にも達してしまいそうに見えた。
「あっ!!」
 だが、前を触ってやる気はない。後ろだけで逐情させてやりたい。私はひたすら腰を使った。
「ひぃ、あっ、ああ、あっ!」
 肌が汗ばんでいる。
 突き入れる度に彼のペニスは揺れ、先走りをだらだらと垂らし、彼の腹を汚していた。
「いや、だ、ぁ……っ」
 深く挿し込む瞬間は柔らかく受け入れる癖に、引き抜く瞬間は名残惜しげに絡みついてくる。堪らない気持ちで、私は彼を貪った。
「出すぞ……」
 限界だった。
 私の言葉を聞いて、彼は首を横に振った。
「……中、は……ぁ……っ」
 唾液だけでこうなってしまうのだから、精液を注げば、とんでもないことになるに違いない。彼はそれを恐れているらしかった。
「あ、ああ……!」
 彼も限界らしい。酷くいやらしい顔をして、エッジは達した。白い液体が、びゅくびゅくと彼の顔を汚していく。
 瞬間、彼の中がきつく締まった。
「く……っ」
 目の前が白く瞬き、
「嫌だ……う、あ、あ……!」
 彼の中を汚す。
 放出は止まらない。再度、私は彼を犯し始めた。





 腹の中が熱い。
 注ぎ込まれた液体は、まるで炎みたいだった。
「……や、やめ……」
 悔しい、情けないと思いつつ口にする。
 このままでは死んでしまう、そんな予感があった。
 既に、何が痛くて何が気持ちいいのかも分からなくなっている。
 唇を噛むとしょっぱくて苦い何かを舐める羽目になり、それは自分の精液だった。
 一旦引き抜かれてほっとしたのも束の間、座っているルビカンテの足を跨がされ、そのまま、叩きつけるように挿入された。
「んん……っ!!」
 驚いたことに、痛みは殆どなかった。代わりに感じたものといえば――――。
 ルビカンテの精液のせいなのだろう。中に出してくれと口走りそうになり、俺は息を詰めた。
 頭の中がぐちゃぐちゃになる。そもそも、どうしてこんなことになったんだろう。
 ルビカンテを殺すために、俺はわざと怪我をし、ここに侵入したはずだった。
 でも、上手くいかなくて、このモンスターの温かさに戦意を奪われて。
 そうだ、それから力と心をうまく制御できなくなって、死にそうになった俺の口を、ルビカンテが塞いだんだ。
 暴走したあの瞬間、体が炎以外のものを放つのを感じた。あれは何だったのか。雷ではなかったか。
 もし、あれが雷の術であるならば。
 快楽に飲み込まれる前に、雷でこの男を殺してやる。
 俺の腰を掴み、その太い指先を少しずらして、服をたくし上げ、ルビカンテは俺の胸元を撫でる。乳首が尖っていることが分かり、息をつめて喘ぎをこらえようとするのに、どうしても抑えられない。
 何度も何度も胸を愛撫され、俺は掠れた喘ぎをあげた。
 まるで、体中が性感帯になってしまったみたいだ。
 びくん、とルビカンテのものが大きくなったような気がして、「出すな」と情けない声を出すと、獣の瞳でルビカンテが嗤った。
 駄目だ、すっかり正気を失ってやがる。思いつつ、このまま犯され続けたら俺も似たような目になってしまうだろうなと、ふと思った。
 抜いて欲しいのに、やめて欲しいはずなのに、俺の体はルビカンテのものを銜え込んで離さない。この太いものが欲しいのだと言わんばかりに、強く締めつけてしまう。
 ルビカンテの体液のせいだということは分かっていても、恥ずかしくて情けなくて、堪らなかった。
 術を使え、雷迅だ、何度も練習しただろう。
 頭の中で繰り返す。意識を保て、目の前の敵を見ろ、と。
「あ、あぁ、あっ!」
 それなのに、ベッドの軋む音に邪魔されて、快楽に自由を奪われて、
「あ…………っ!」
 熱を注ぎ込まれて。
 震えながら下を見れば、ルビカンテの精液は一滴も垂れていない。ルビカンテがものを退けた、そのときの光景を想像するだけで、叫び出したい気分になる。
 中に出されているのが分かる。それら全てを受け止めるほかなかった。
「……ルビカンテ……」
 ルビカンテの胸元に両手をやり、自らの体を支えながら、俺は獣に問いかけた。
 男は静止し、無表情で俺を見上げていた。
「本物のおめぇは、どこにいる……?」
 唇からこぼれ出る言葉は抽象的で、意味不明な色を残している。自分でも、上手く言えているかどうか自信がない。
 それでも、これだけは分かっていた。
 これは、ルビカンテではない。だって、本物のルビカンテは――――。
「ひ……!ああぁ…………っ」
 ゆっくりと引き抜かれる。精液が流れていく。視界の端に、ルビカンテの凶器が映った。
 この男はモンスターなのだ、と改めて思う。

『二十年前のことだ。死にかけていた一人の男をゴルベーザ様が拾い、ルゲイエがモンスターとして蘇らせた。それが私だ』

 モンスターになる前は、どんな人間だったんだろう。
 逃げようとしてベッドから転げ落ち、俺はぶるりと頭を振った。
 床に広がっていく血混じりの白い液体に、血の気が引く。ぞくぞくと寒気が走る体は、確実に、ルビカンテを欲しがっていた。
 やべえ。思わず口にする。時間がなかった。
 手を翳した。男の顔に被るように、手のひらを広げた。
「雷迅!!」
 ルビカンテが怯む。青く瞬く雷が、ルビカンテを襲った。
 雷迅の初成功を喜んでいる暇もなく、俺は扉に向かって駆け出す。凄まじい痛みが、下半身に走ったけれど、そんなものに構ってはいられなかった。
 瞬間。苦無、籠手、その他諸々の武器防具が視界に飛び込んできた。
 何故こんな所にと驚きながら、それらを掠め取る。
 空気の抜けるような音をたてて開いた扉から転がり出た俺は、振り向かずに走り続けた。


 膝をつき、横になり、眠ってしまいたかった。
 体が熱くて、誰かに体の奥まで暴かれたくて、息を飲む。どうにかして洞窟まで戻ってきた頃には、俺は汗びっしょりだった。
 ここまで来れば、とりあえずは大丈夫だろう。
 手元にある武器防具を着ることにし、洞窟の壁に背を預けた。
 全身がどろどろで――特に下半身がどろどろで――どうしようもない。脱いだ服で体を拭いながら、歯を食いしばった。
 痛みが酷い。快楽に飲み込まれてしまいそうで怖かった。
 目の前にある武器防具は、誂えたように俺にぴったりだった。
 もしかして、俺のためにこれらを揃えたのか。下衣に足を通す。何故か笑いが込み上げてきた。
 俺がエブラーナの王子だと知って、エブラーナの人間が使う武器防具を揃えるだなんて、どこまで人間臭くなれば気が済むんだろう。
 突然、装備を整え立ち上がろうとした俺の頭の上に、何者かが影を作った。
 ルビカンテか。
 苦無をぐっと握りしめて顔を上げた視線の先にあったものは、黒い甲冑を纏った男の姿だった。
「……ルビカンテめ、情がわいたか」
 冷たくて低い、そして暗い声だった。
 額に滲む汗を拭い、立ち上がる。男から視線を外さぬようにしながら、苦無を構えた。
「膝が震えているぞ――エブラーナの王子」
 悪寒にも似た、湧き上がるような甘い感覚。蕩けるような波に飲み込まれそうになりながら、
「うるせえ!」
 声を張り上げた。
 こいつは誰なんだろう。ルビカンテの仲間なのか。表情の読めない兜の奥底に、淀んだ何かが凝っているように思える。
 もしかして、この男が。
「てめぇが、ゴルベーザか……?」
 漆黒の兜の奥で、男が笑った。
「……そうだ。そして、ルビカンテにお前の国を襲うように命令したのも、この私だ」
 可笑しくて堪らない、そんな声でゴルベーザは言った。
 睨みつけ、地面を蹴った。
「火遁!!」
 ゴルベーザが、マントで炎を振り払う。その隙をついて接近し、苦無を振り上げ――瞬間、目の前が白く染まる。
 無数の氷の塊が俺を襲い、俺の体は地面に強く叩きつけられていた。





 真っ赤に染まったシーツを見る。
 点々と残る血痕は、扉の向こうまで続いていた。
 指先にあるのは、滑らかな肌の感触だ。私はエッジの本能を無理矢理に引きずり出し、体を暴いた。

『本物のおめぇは、どこにいる……?』

 惹かれずにはいられない光彩を持つ、緑色の瞳がこちらを見ていた。
 涙で潤んだ切れ長の瞳、朱が刷かれた眦、私の中にある獣を呼び覚ます何かが、彼にはあった。
 彼が逃げ出さなければ、きっと、殺してしまっていただろう。
 ぼんやりとした私の視界に、再度、血痕が飛び込んできた。
 彼は、無事なのだろうか。もしかしたら、またどこかで倒れているかもしれない。
 立ち上がり、血痕を辿り始めた。


 血痕は途中で途切れてしまったが、彼が向かうであろう場所は分かっていた。
 彼は、エブラーナに向かうはずだ。あの状態で、他の場所に向かうことは考えられない。
 バブイルを出て、エブラーナに続く洞窟へと足を踏み入れる。
 途端、刺すような冷気が漂ってきた。
 嫌な予感がする。
「……ち、ちきしょう……!」
 エッジの声が響き、私は声の方へと向かった。
「エッジ!!」
 ゴルベーザ様が、エッジの方に手のひらを翳している。おそらくブリザガをかけられたであろうその身はがたがたと震え、地面に膝をついていた。
「……死ね」
 声と共に放たれた紫の光が、エッジを包み込もうとする。
 私は咄嗟に彼の元へ駆け寄り、冷えた体を抱きしめていた。
 氷が背に降り注いでくるのが分かる。冷気を受けつけない筈のマントも、今回ばかりはダメージを受けざるを得なかった。
 何故ならこのマントはゴルベーザ様が私に下さったもので、この攻撃は、そのゴルベーザ様の攻撃なのだから。
 マントは、ゴルベーザ様に忠実だった。
 背に突き刺さる冷気は私の背を傷つけようと、絶え間なく降り注いでくる。あまりの激痛に呻き声をあげた私の顔を、腕の中に包まれているエッジが見上げていた。
 緑色の瞳が、「どうして」と言っていた。
 何か言いたげに薄く開いた唇が、微かに戦慄いていた。
 ああ、私が用意した服を着たのか、と私は呑気に思った。やはり、彼にはエブラーナの物が一番良く似合う。
 凍えた体を更に強く抱きしめて熱を送ると、寒さに震えていた体が大人しく震えを止めた。
「……何で」
 エッジが呟くと同時に、ゴルベーザ様の攻撃が止んだ。
 体を少し離すと、エッジはうちひしがれた様に俯いていた。顎を掬い上げる。強い調子で振り払われた。
「……こいつに忠誠を誓っているって、おめぇ言ってたじゃねえか!!……世界がどうなろうと、ゴルベーザに従うって!命の恩人だから、って……!」
 私の腕をすり抜け、まるで手負いの獣のような、怯えと怒りと悲しみを綯い交ぜにした何とも言い難い表情をしながら、彼は立ち上がった。
「何で……何で、俺を守ったりした!?」
 すらりとした刀。彼の眼差しと同じきつい光を放つそれが、私の喉元に突きつけられる。突きつけているエッジの足は笑い、今にも倒れてしまいそうだった。
 あの傷が痛むのだろうか。どうせ治らないと思いつつ少しでも楽にしてやりたくて、私は手を翳し、回復魔法を唱える。
 エッジが目を見開く。空いている方の手で傷のある場所を撫で、
「…………傷が」
 首を横に小さく振って呟いた。彼の強い想いによって完治しない筈の傷が塞がっているのだ、と。
 傷がなくなるということは、彼の心情が変化した、ということを意味していた。
 エッジは岩壁に背を預け、唇を噛みしめている。
 背後から、地を這うような声が聞こえてきた。
「ルビカンテ。その王子はお前の手で殺せ」
「ゴルベーザ様……っ!」
 慌てて振り向くが、もうゴルベーザ様の姿はなく。
 ゴルベーザ様は全てを分かっていながら、私にエッジを殺すよう再度命じたのだ。私に、この青年を殺せる筈がない。そのことを知っていながら。
 エッジの方に向き直る。
 刀の切っ先は下ろされることなく私に向けられていて、その先では、胸の奥底を鷲掴む――失われていた感情を呼び起こす――緑色の瞳が、切なげに揺れていた。
「……最初からやり直しだルビカンテ。そうだ、おめぇと俺の間には……何にもなかったんだよ」
 唇の端を上げる、視線を逸らす。全ての仕草が痛々しく見えて、息苦しさを覚えずにはいられない。
 彼が、ただの敵であったなら。単なる“エブラーナの王子”であったなら、こんな気持ちにはならなかったろうに。
「最初から、正々堂々とおめぇに斬りかかっていれば良かった…………おめぇが普通のモンスターなら、こんな気持ちにはならなかったんだろうな……」
 交わる視線の奥底で、ほんの一瞬、想いが交わる。
 小さな体にある、優しく温かな心を、強い眼差しを知らぬまま、細い首を絞めて縊り殺してしまえば良かった。
 手に力を込め、炎を握りしめる。橙色の光を受けて、彼の瞳に橙が混ざった。
 炎のように熱く強く輝く瞳は、決して光を失わず、人の上に立って生きていくことだろう。多くの人に愛されて生きていくに違いない。
「……なあ、ルビカンテ。俺は」
 縋るような声が響く。
 私は微笑み、そうして首を横に振った。彼は言葉を中断し、睫毛を震わせた。
「両親の仇を取るんだろう?エッジ」
 エッジの眦に、うっすらと涙が溜まるのが見える。
 彼はゆっくりと頷き、それが、戦闘開始の合図だった。



 End


Story

ルビエジ