「……よし、もう一回言ってみろ。耳の穴をかっぽじってちゃあんと聞いてやるからよ」
 しかめっ面をし自覚しながら、俺はじとっとした眼差しをルビカンテに向けて呟いた。
「…………あんた、今なんて言ったの?」
 椅子に腰掛け脚を組み、綺麗に手入れされている爪を撫で、バルバリシアは言った。
「……ルビカンテ、お前まさか」
 控えめに、小さな声で呟いたのはスカルミリョーネだ。
 自分は、何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。そんな表情をしてルビカンテは頷き、もう一度口を開いた。
「人間に告白したいと思っているのだが、どういう風に想いを伝えれば良いか分からないんだ。お前達の助言が欲しい」


 ルビカンテが人間に惚れた。
 それだけでも大ごとなのに、惚れた相手は王族で、しかも男だった。ルビカンテを除く四天王三人は、頭を抱えて唸った。
「あんたそれ、相手に想いを伝えてどうするつもりなのよ」
 毛先をぐるんぐるんと弄りながら、バルバリシアは溜息をついた。
「モンスターに『好きだ』って言われて、相手は戸惑うんじゃないの? それも突然、あんたみたいな怖ーい顔のモンスターに、よ?」
 ルビカンテは、ぱくぱく、と口を動かした後、しょんぼりと項垂れてしまった。そこまでは考えていなかったらしい。普段は誰よりも物知りという顔をしているくせに、こういったことにはてんで弱いようだ。
 やっぱり、誰にだって弱点はあるものなんだな。そう思い、俺はにやりと笑った。
「王子だってことは分かった。男だってこともな。で、そいつはどんな見た目なんだ。どういう奴なんだ?」
 興味津々、ルビカンテの弱点を見つけたくって堪らない。そんな感情に見まわれながら、俺はルビカンテの顔を覗き込んだ。
「……髪の色は銀色で」
「うん」
「瞳は緑で」
「おう」
「憂いを帯びた表情が可愛くて、見せる笑顔は控えめで、大人しくて、いかにも箱入りって感じで、それから」
「ちょ、ちょっと待て」
「それから、多分病弱で」
「待てって言ってんだろうがっ!」
「……何だ?」
 次々と飛び出してくる言葉の数々に呆れながら、
「お前、その王子と話したこともないんだろ? 何でそんな細かいことが分かるんだよ」
「見れば分かるだろう」
「分かってたまるか、このタコ」
 殴りつけたい! という感情を必死に抑え込みながら、「よくよく考えてみろ。それは全部想像だろうが」静かに静かに呟いた。バルバリシアとスカルミリョーネはうんうんと頷いている。当然だ。
「……想像ではない。本当に、控えめに微笑んでいたんだ。窓から外の風景を見渡して、小さな溜息をついていた。物憂げに空を見上げて、手首だって、これでもかというほど細かった」
 つまりアホみたいに見つめまくっていたんだなと納得し、しかしルビカンテが想像したままの人間では面白くないなと思う。
 そうだ、どうせなら。
「俺が見てきてやるよ、ルビカンテ。王子に近づいて、本当にお前が思ってる通りの人間なのかを確かめてきてやる」


★★★


 忍び込む。そういうことをする時は、虫とか鳥とかそういったものになるのが一番だ。ということで、俺は青い小鳥に化けてエブラーナ城に向かっていた。
 ぱったぱったと必死で飛んでいる最中に、「あんたも馬鹿ねえ。ほんと暇人。……ああ亀だったかしら」などと言いながらついてきたのは、空を自由に飛ぶことができるバルバリシアだった。
「誰が亀だ」
「うわ、オッサン声の小鳥っ!」
「うるさいこの年増」
「なんですって、このハゲ!」
 舌をべえっとやって、
「ハゲ亀!」
 叫んでから、どこかへ行ってしまった。


 辿りついたのは、エブラーナ城にある一つの窓だ。
 全開になっている窓から顔を出しているのは、拗ねた顔で頬杖をついている一人の男だった。
 頬杖の隣にちょんと降り立ち、その顔を見上げる。
 銀の髪である。緑の瞳である。憂いを帯びていないこともない。顔は確かに整っているが、その顔の下半分は何だかよく分からない布で隠れてしまっている。剥き出しになっている腕は細く、眼差しは遠くを見つめていた。
(もしかして、ルビカンテの言っていたことって、全部正解なのか……)
 つまらない、実につまらない。だが、正解ならば長居は無用だ。
 ああもう帰ろう、帰って寝よう。
 と。再度飛び立とうとした俺の羽根が、何かに遮られて羽ばたくことを止めた。
「――お、綺麗な色の鳥」
 気付けば、男の手のひらに包まれていた。
「見たことねえ種類だな」
 想像していたような口調ではなかったので、俺の思考は停止してしまった。ついでに、体も止まってしまう。力を振り絞って振り向くと、にこにこと笑っている男と目が合った。可憐さの欠片もない、わんぱく小僧みたいな笑顔だった。
「おめぇらはいいよなあ、自由に空を飛べて。俺なんかアレだぞ。夜遊びがばれただけで、一週間軟禁生活なんだぞ」
 え? 今なんて?
「ついでに、何か腹具合が良くなくてよ」
 ああ、うん。
「とにかく暇だから、ぼうっと外を眺めてたってわけ」
 ほう。それはそれは。
「ま、その軟禁生活も明日で終わりなんだけどな」
 それは、何より。
「……あぁ、わりい。おめぇ飛ぼうとしてたんだったな」
 突然、手が離れた。羽ばたく。
「おめぇ、飛ぶの下手だなあ!」
 あはははは、という声が聞こえたので、心の中で舌を出した。


★★★


「というわけで、あいつは深窓の佳人でも何でもないぞ。単にちょっと顔が整っているだけのガキだ」
 ルビカンテは、訝しげな顔をして黙っていた。信じていない、という顔だ。
「信じられない、か?」
「……当たり前だ」
 思い込みっていうのは恐ろしいもんだ。ルビカンテは、頭ががちがちになってしまっているらしい。
 舌打ちして、呪文を唱える。慌てているルビカンテを尻目に、唱え続けた。
「な、何をして――………っ !!」
 どろり、とルビカンテの体が溶け、かたちを変え始めた。
 巨大なモンスターに代わって現れたのは、ふわふわの羽毛を持つ赤い小鳥だった。大成功だ。
 だが、その姿はあまりにも小さく普段と違いすぎた。
「ぶふっ!」
 思わず噴き出してしまう。『小鳥』は、きつい眼差しをこちらに向けた。
「何のつもりだ……!」
「こういうつもりだ」
 呪文を唱え、俺自身も小鳥の姿に化ける。
「行くぞ」
 ルビカンテの体を嘴で突つき、窓の外へと追い立てた。


★★★


「おめぇ、昨日の鳥だよな? 今日は仲間と一緒に来たのか」
 ルビカンテは、俺の隣でがちがちに固まっていた。当たり前だろう。口調からして、お前の想像してた『王子』とは違いすぎてるもんな。
 王子の指先が、伸びてくる。ヒッ、と小さく息を飲んで、ルビカンテは更に固まった。王子の指が、赤い背を優しく撫でる。
「やわらけえなあ、ふわふわしてる。綺麗な赤色だなー」
 へへ、どうだ。俺が言った通りだろ?
 嫌味のたっぷり篭った視線を投げてやろうとルビカンテの方を見てみるも、ルビカンテは王子の顔を見上げて固まっていて、俺のことなど眼中にないらしかった。
「青い方が、目付きが悪いのな」
 ルビカンテの体を両手で掬い上げ、王子は笑った。余計なお世話だ。
「赤い方が、ちょっと情けない顔してる」
 やばい。吹いちまうところだった。確かに、今のルビカンテは情けない顔をしている。きっと、想像していた『王子』と落差がありすぎて、混乱しているんだろう。
 ルビカンテ、分かっただろ? この王子は、お前が思っていたような、大人しい王子様じゃないんだよ。
 王子の指が、赤い小鳥の頭を撫で、背を撫でる。
 ルビカンテはピィとも啼かず、じいっと王子だけを見ていた。その目に、迷いはない。
(あれ……?)
 ルビカンテの瞳は、きらきらと輝いていた。『嬉しそう』という言葉がぴったりの瞳だ。
(もしかして、こいつ……)
 『こういうのも、なかなかオツなものだ』……とか思ってんじゃねえだろうな。
 思わず、上機嫌でルビカンテの背を撫でている王子に、忠告をしてやりたくなる。
 そいつは、馬鹿でかいモンスターなんだぞ。声なんて、オッサンでしかないんだぞ。可愛くなんてないんだぞ!
「……部屋で飼おうかな」
 王子の言葉に、また噴き出しそうになった。ルビカンテが籠の中の鳥になる姿を想像しただけで、どうにかなってしまいそうだ。
「ああ、でも……やっぱ……」
 ルビカンテを窓の桟に戻し、頭を掻く。「やっぱ、やめとく」と言って、王子は照れくさそうに笑った。
「せっかく広いところで楽しく飛んでるってのに、籠の中に入れたら自由に飛べなくなっちまうもんなあ。それじゃあちょっと可哀想だよな。大人しい性格のやつらならともかく、おめぇらやんちゃそうだし」
 単なるワガママ王子ではないんだな。ちょっと見直した。
 ルビカンテは、名残惜しそうな顔をして王子の顔をひたすら見つめ続けている。
(まさか、飼われるつもりだったんじゃないだろうな)
 なんて馬鹿な野郎だと思いながら、赤い体を突っついた。
(帰るぞ)
 ルビカンテはぶんぶんと首を横に振った。こうなりゃ強行手段だと思い体をぶつけて対抗すると、反対に体当たりをぶちかまされた。ええいとばかりに突つきをお見舞いする。あっという間に喧嘩に発展した。
「おい、おめぇら何してんだよっ!」
 王子が、俺達の体を手で遮ろうとする。
 あ、やばい。そう思ったときには、もう遅かった。
「い、いて……っ!」
 互いを突っつこうと伸ばされた嘴は、王子の手を突ついてしまっていた。
 血が、滲んで伝う。いいにおいだ。一瞬、頭の芯がびりりと痺れた。ああ、駄目だ駄目だ、我慢しろ。城の中なんかで元の姿に戻っちまったら面倒どころじゃ――。
「王子っ!!」
 って。ルビカンテの野郎、元の姿に戻ってるじゃねえか。何て堪え性のないやつなんだ。
 王子は、混乱の表情を顔に貼りつけて座り込んでいる。その手を恭しく持ち上げて回復魔法を唱えているのは、馬鹿ルビカンテだった。いや、そんなの掠り傷だろうが。そんなことやってる場合じゃないぞ。その王子が一言「誰かー!」とか叫んだら、兵士がうぞうぞやってくるんだぞ。面倒くさいったらありゃしねえ。よし、俺だけでも逃げよう。俺だけでも!
 そうっと、そうっと……。
「王子、真剣に聞いて欲しい。私は、お前のことを愛しているんだ」
 そそくさと退却しようとしていた俺は、こけて額をぶつけてしまった。王子は瞬きをぱちぱちと繰り返すばかりで、ちっとも喋ろうとしない。あまりのことに処理能力が追いついていないようだ。
「と、鳥が……モンスターに……っ!?」
「すまぬ。これが本当の姿なのだ」
「お、俺のこと、好きってどういう」
「物陰から、お前のことをずっと見ていた。最初は大人しい王子だと思っていたのだが……近づいてみて、本当のお前を見てもっと好きになった。お前の笑顔が好きだ。……もっと、お前と話がしたいと思っている」
「……最近、どうも視線を感じると思ってたら……殺気じゃねえとは思ってたけど……」
 どれだけ熱い視線を送ってたんだ。
 王子は悲鳴もあげず、上目遣いでルビカンテを見上げていた。お前、絶対わざとやってるだろ。そんな目で見られたら、ルビカンテが鼻血を出しちまうぞ…………って、ああ、本当に出た。
 しゃがんで俯いたルビカンテの鼻から、ぽたぽたと血が溢れ出す。
「え、え、えっ!? 何で鼻血出してんだよ!」
 きょろきょろっと辺りを見回したかと思うと、王子は一枚の布を持ってきた。色や形からして、王子のマントだ。王子はルビカンテの頭を抱き寄せ、躊躇わずその鼻に布を押し付けた。
「洗ったばっかだし、汚くねえから。……大丈夫か?」
「……ああ、すまない……それより、お前は私のことが怖くないのか? 私を殺そうだとか、そういう風に思わないのか」
 実に不思議な光景だった。四天王が、人間に頭を抱かれて鼻血を拭かれている。
「んー? 鼻血を出すマヌケモンスターなんか、俺の敵じゃねえよ。んなことより、先に鼻血を止めろって」
「……と、止めたいと思ってはいるのだが、マントからお前のにおいがして、嗅いでいると余計に鼻血が」
「な……っ!?」
「そんなことより、返事を聞かせてくれないか」
 いや、返事なんて決まりきってるだろ。どう考えてもノーだって。
 王子はルビカンテの鼻に布をあてたまま目を細め、いたずら坊主の顔で言った。
「うーんと、そうだな……この鼻血を止めたら、教えてやるよ」
 楽しそうに弾む声。咲ききった花みたいな笑顔は、まるで子どもだ。『ルビカンテは自分の敵ではない』と判断し、からかっているのだろう。
 ああもう馬鹿馬鹿しい。ルビカンテの悔しがる顔を見ようと思っていたはずなのに、これじゃあまるで――――。
 舌打ちを一つして、青い空に飛び立った。



 End


Story

ルビエジ