二.青年期は終わりを迎え
「私が『死ね』と言ったら、お前は死ぬのか」
「はい、ゴルベーザ様」
「じゃあ、『私を殺せ』と言ったら?」
「…………それは、できません。それだけは」
「……偽善者」
彼の手から、赤い色をした小瓶が滑り落ちた。
「お前はいつも口先ばかりだ」
小瓶を拾い上げ、机の上に置く。彼は机の前の椅子に腰かけて、真っ直ぐに鏡を見つめている。
彼の茶髪を梳かしつけながら、私は「そうかもしれませんね」と言葉を返した。
「伸びましたね」
「ん?」
「髪のことです」
「……ああ」
窺うようにちらりと自分の髪を見てそっと目を伏せる様が、鏡越しに見えた。
髪は肩近くまで伸びている。
「どうでもいい」
「では、切りましょうか?」
「お前の好きにすればいい」
真っ直ぐな長い髪は、彼にとても似合っていた。切るのは勿体ないのではないか、と思った。
「もうしばらく伸ばされてはどうですか?」
返事はない。彼は黙ったまま、小瓶を手に取った。
「……ゴルベーザ様、この薬を飲むのはもう止めにしませんか」
梳かす手を休めず言うと、
「嫌だ」
拗ねたような口調で返される。
「止めたら、お前と交われなくなるだろう」
そう言って振り向いた彼の表情はいつになく妖艶だった。
口移しで、赤い小瓶の中身を与えていく。実に馬鹿馬鹿しい行為だった。
この薬は、“私と交わる為の”薬だ。モンスターと人間が交われば、人間の体に異常が生じる。その異常を最小限に抑えるのが、この薬の役割だった。
本当に、馬鹿馬鹿しい。私と交わる為だけに、こんな薬を飲むだなんて。
「……はや、く…………っ」
薄紫の瞳が、とろりと蕩ける。副作用で、彼の体は火照り、赤く染まっていく。ベッドが軋み、私は彼の首筋に口づけを落とした。
白いシャツの前を開くと、数日前の情事の痕が現れた。乳首の周りにくっきりと浮いたその痕に、ぞろりと舌を這わす。歯形は執拗で、獣じみていた。
「入れ……て、くれ…………」
先走りが垂れ、彼の秘部を濡らしている。足を大きく開いて指を潜り込ませると、ぐちゅり、卑猥な音がした。
「ゆ……指じゃ、なくて……っ」
しこりを探って指を動かすと、頑是ない仕草で首を横に振る。切なげな吐息が、部屋を満たしていく。力の抜けた体にのしかかった。声もなく、彼は震えた。
限界まで拡がった秘部は、軋み、私を受け入れた。
「きつく、ありませんか……?」
睨みつけるようにして、薄紫色の瞳がこちらを仰いだ。
私を支配する瞳だ。
膝裏を押さえて全てを挿入すると、シーツを鷲掴みながら彼は仰け反った。
元来白い胸元が、ピンク色に染まっている。淫靡な光景だった。
私は彼を犯すことに躊躇いを覚えると同時に、彼を犯すことに悦びを覚えている。
こんなことは、早くやめなければならない。彼は人間なのだから。
「どうした……早く動け……」
挑発する仕草で、内壁がぎゅっと締まった。彼がにやりと笑う。唇の端から、唾液が一筋伝った。
「私を、喜ばせてみろ」
私と交わった後、彼は死んだように眠りにつく。
痩せた手首を掴む。それは日に日に細くなっていっているように思われた。
「もっと抱いて」とせがむ彼の言葉を拒否できないのは、私の意志が弱いからだ。
彼を失いたくないと思う傍ら、私は彼を殺したいと思っている。本能が、彼の命を欲しがっていた。
彼は人間だ。私の傍にいるべき者ではない。本来、人の中で生きていかなければいけない存在なのだ。
どんなに彼に尽しても――私がモンスターであることには何も変わりはないのだから。
***
ゴルベーザ様が、目を覚まさない。
私も、そしてゴルベーザ様も、この日が来る事を知っていた。
彼の体は悲鳴をあげ、まともに機能しなくなっていた。度重なる情交の末がこれだった。
やっと目蓋を上げた頃には、既に一週間近くが経過していた。
「……モンスターにも……隈が出来るのか」
目覚めた瞬間、彼はそう言った。震える指先で私の目尻を撫で、
「眠れ。命令だ……それから」
掠れ声で呟いた。
「…………泣くんじゃ、ない」
透明な液体が、彼の手を濡らしている。
「お前が泣くほどの価値が、私にあるとは思えない」
彼は、聞いている方が悲しくなるような声で言った。
彼の髪を手に取って口づけると、「忠誠の証か?」とからかうように微笑む。
その時、私はあることに気がついた。彼の髪を辿り、その根元を見る。
「ゴルベーザ様」
髪の根元が、銀色に変化していた。
「……髪が、銀色になり始めているようです」
「銀色?」
「ええ」
「……銀色……か」
ふと何かを思い出したような顔をしてから、彼はぶるりと首を横に振った。眉を歪め、目を細め、眦に溜まった涙を堪え、唇を噛む。
「銀色は嫌いだ。どこかで見たような、そんな気がして……」
ゴルベーザ様を抱き上げ、背中に腕を回す。頼りない背中。いつの間にこんなにも薄くなってしまったのか。
抱く以外に、彼の心を救う方法を考えなければならない。いや、もっと早くに考えておくべきだったのに、彼の香りと美しい瞳を見る度に私の心は野生の色を濃くし、彼を壊したくなってしまうのだ。
何故なら、彼は人間でモンスターである私とは正反対の生き物だから。
そうか、人間だ。彼の心を理解する人間が、彼の傍にいてくれたなら。
「……ルビカンテ?」
私の顔を覗き込む、薄紫の瞳。
これが最後だと自らに言い聞かせて、小さな唇を塞ぐ。
もう、貴方を抱いたりしません。これからは、貴方の心に寄り添う人間を探し、日々を過ごします。
――けれど本当は、私がその“人間”になりたかった。
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