乱反射。
 きらきらと光って瞳の奥に突き刺さる水面をぼんやりと眺めながら、カインは「おい」と情けない声をあげた。
「どういうつもりだ!」
 さっきよりもいくらか声を張って、カインは問うた。
 森に囲まれた湖のど真ん中。銀に輝く水面の上でたゆたっているのは、一艘の小舟だった。
 小舟の上では男が一人、大欠伸をしながら釣り糸を湖の中に垂らしている。
「どういうつもりって、見りゃあ分かるだろ? 釣りだよ」
 目尻に涙を溜めながら、男――――エッジは気怠げにそう答えた。
 カインがはあと溜息をつく。
 この男はいつだってこうなのだ。いつだって嵐のようで、いつだってにわか雨のようで。突然傍にやってきては、カインの心を掻き乱していく。


***



『次の仕事休みはいつですか?』

 ツキノワがはあはあと息を切らせながらそう尋ねてきたのは、一週間前、午前七時のことだった。寝ぼけ眼のままカインが『休みは一週間後だ』と答えると、『ありがとうございます』と言ってツキノワはそのまま帰って行ってしまった。
 窓から入ってきて窓から帰って行った訪問者は、カインに何の質問もさせてくれなかった。ツキノワの問いの意味も分からぬまま、カインは悶々と一週間を過ごす羽目になったのだった。
 
「よし行こう!」

 一週間後の午前七時、唐突にやって来たエッジはカインにそう言った。
 エッジはカインの手を強引に引き、まだ眠っているカインの体を、半ば無理矢理ベッドから引き摺り出した。
 そうしてチョコボに乗せられて来たのは、森の中にある小さな、しかし恐ろしいほどに澄んでいる綺麗な湖だった。バロンの外れにあるこの湖の存在を、カインは全く知らなかった。
 カインの驚いた顔を見て、エッジはいたずらっ子のような顔をして笑った。子どもみたいだ、とカインは思った。いや、子どもよりももっとたちが悪い笑みなのかもしれない。子どもの色を残しているその笑みの中には確かに年上特有の色も混じっていて、それが更にカインの心を混乱させ、これでもかというほど感情を掻き乱すのだった。
 何か板のようなものを持って、エッジは湖に近づいた。がちゃがちゃと何かやっていたかと思うと、板は小さな船になった。組み立て式の小船だった。
 エッジはカインに向かってにかっと笑うと、釣り竿を取り出し、ぷかりと浮いた小舟に乗り込んだのだった。
「おい」
 思わずカインは声をかけた。声は情けなくひしゃげていた。
「どういうつもりだ!」
 さっきよりもいくらか声を張って、カインは問うた。
 エッジが大欠伸をする。釣り糸が湖に波紋をつくった。
「どういうつもりって、見りゃあ分かるだろ? 釣りだよ」
「……見れば、分かる」
「だろ?」
「俺が訊きたいのは、何故俺がここにいるのかってことだ」
「そりゃあ俺がここに連れてきたからだろ」
「…………そうだな」
「うん」
「おい、そうじゃなくて! 俺が訊きたいのは、俺が何故ここに連れてこられたのかってことで」
「休みだから」
「……は……?」
「おめぇの休みだからだよ」
「……話が読めない」
「セオドアに聞いたんだけどさ。おめぇ、休みの日でも結局仕事してるんだって?」
 カインは首を傾げた。
「休みなのに、赤い翼に顔を出す。出したら出したで何だかんだ言いながら部下の面倒を見ている。これが仕事じゃないってんなら何が仕事なんだ?」
 カインは首を傾げたまま固まった。言われるまで全く気づかなかった。そうなると、カインは全く休んでいないということになる。
「……でさ、その話を聞いて、俺はおめぇを連れだそうと思ったってわけだ。バロンを離れちまえば、赤い翼に顔を出すこともできないだろ?」



 魚が跳ねた。
「へへっ、これで五匹目だ!」
 エッジは楽しそうに魚を釣っている。「俺も釣りをしよう」とカインは提案したのだが、「おめぇは休んでろ」とあっという間に却下されてしまった。釣り竿の代わりに手渡されたのはエブラーナの小説で、「これでも読んで待ってろ」と言われた時は「本なんて」と答えたカインだったが、読んでみればこれがなかなか、時間が経つのも忘れて食い入るようにその本に夢中になっていた。
「――――エッジ、この本の主人公はきっとこの後……」
 夢中で読み終えて顔を上げ興奮冷めやらぬまま口を開くと、目の前にエッジが立っていた。
「うわっ!」
 本を持ったままひっくり返ったカインを見て、エッジは大笑いした。エッジは大きな籠を持っていて、籠の中は新鮮な魚でいっぱいだった。
「今から料理をする。いい子で待ってろ」
「な……っ! 子ども扱いされるような年齢じゃない!」
「そうか? 俺にはおめぇがでっかい子どもに見えるんだけど。目の錯覚かなあー」
 言いつつ、鍋やら包丁やらを袋から取り出している。
「錯覚だろう。医者に目を見てもらった方がいい。ローザにエスナをかけてもらうのもいいかもな」
「エスナならおめぇも使えるだろ」
 無言で立ち上がり、カインはエッジの目を真っ直ぐ見据えた。エッジの瞳は明るい緑色だ。綺麗だ。病気であるはずがない。悪ふざけの熱が引かぬまま、カインはエスナを唱えた。指先が微かに光る。
「……おめぇにエスナをかけてもらうのって、初めてかも」
「…………そうか?」
「おう。……あったかくて、ちょっと、なんていうかいいな」
 屈託のない笑みに引っ張られるように、カインも笑う。
「エッジ、俺は―――――」
 途端、バチン、と大きな音が響いた。
(額が痛い……?)
「ぶふっ、カインおめぇ」
 エッジがわなわなと震えている。緑の視線の先には、一匹の魚がいた。地面でびちびちと新鮮に跳ねている。
「ぶ……っ、ふふっ、魚が跳ねておめぇの額にブチ当たったんだよ……!」
「な……!」
 額に手を当てた。血は出ていないようだが、そこは微かに濡れていた。
「よーし、新鮮なうちに料理しちまうか。カイン、おめぇ好き嫌いはあるか?」



 とんとんと器用に包丁を使うエッジの姿が新鮮だった。「爺たちに仕込まれたんだ」と言いながら、迷いなく魚を捌いていく。食べきれなさそうな魚は腐らぬようにと氷遁で作った氷で保冷し、エブラーナから持ってきたという野菜もさっさと切ってしまった。カインは手伝いを申し出ようとしたが、逆に足を引っ張ってしまいそうだと思って結局言い出せないまま、エッジの調理時間は終了した。
 あまり馴染みのないスープと形良く切られ焼かれた魚が、ほかほかと湯気をたてている。「これだけじゃなんだから」と言いながら、エッジは荷物の中から大きなおにぎりを取り出した。
「これも、お前が握ったのか?」
「おう。握って持ってきた」
「エブラーナでか?」
「まさか。エブラーナで握ったら痛んじまうだろう? バロンで握ってきたんだよ。おめぇを起こす直前にな」
「大変だったんじゃないか?」
「いいや」
 はい、と手渡されたおにぎりを受け取り、カインはエッジをまじまじと見た。
「な、なんだよ」
 気まずそうに目を逸らし、エッジはおにぎりにかぶりついた。
「……すまない、ありがとう」
「うぐっ!! うっ」
 米が喉に詰まったらしい。目を白黒させて、エッジは背を丸めた。
「エ、エッジ?」
 げほげほと噎せている背をとんとんと叩いた。その背は微かに汗ばんでいた。
「エッジ……?」
「おっ、おめぇが……らしくないことを言うからっ!」
「……俺だって、礼くらい言うぞ?」
「そりゃあ分かってる! けど……」
 エッジの顔は真っ赤だった。噎せたせいなのか照れたせいなのか、それともその両方なのか。
「と、とにかく! 冷めないうちに食おうぜ!」
「ああ」
 いただきますと声を合わせ、スープを一口飲んだ。
「……おいしい」
「へへっ、だろ?」
 魚もおにぎりも、どれもこれもおいしいものばかりだった。濃い味でも慣れた味でもない。だが、薄めで優しい味がカインの口の中にじわりと残るようだった。
 食べながら、色々な話をした。さっき読んだエブラーナの本の話もした。
「エブラーナの料理は、優しい味がする」
「気に入ってもらえたなら良かった。……あ」
「ん?」
 エッジの手が伸びてくる。何事かとカインが身構えると、頬をすっと撫でられた。
「ご飯粒がついてた」
 ご飯粒を取った指先が、エッジの唇に運ばれる。
「な、な……っ」
「何だ? 何がどうしたんだ?」
 顔を真っ赤にしてうずくまったカインを見て、エッジは不思議そうな顔をしている。心底分からない、という顔だ。
「カイン?! 大丈夫か」
 米が喉に詰まったのか? と必死で背中を擦られる。さっきの行為にいたずら心はなかったらしい。
「エッジ」
「ん? 何だ? 水でも飲むか?」
「……ありがとう、エッジ」
 いたずら心を込めて、カインはエッジに小さく言った。
「うっ」
 また目を白黒させ始めたエッジを見て、カインは満足気にエッジの背を撫でた。


 End


Story

エジカイ