ごりごり、と骨を擦る音が鳴る。
男の体を踏んづけながら、ゆっくりと刀を抜いた。
足元には、二人の男の死体が転がっていた。
「……やっと……」
やっと終わった。俺を犯した馬鹿達を、やっと殺すことができた。
そもそも、こんな奴らに襲われること自体がおかしなことだったのだ。調子の悪い時でなければあんなことにはならなかっただろう。
『あんなこと』
思い出しただけで、全身が総毛立つ。
「……ちっ」
男二人に犯された。それだけではなく、馬鹿でかい魔物にまで犯された。中に注がれたものの熱さを思い出し、思わず身震いする。
夜空は曇っていて、月の欠片すら見当たらなかった。
使えなくなっていたはずの火遁の調子は、すこぶるよかった。以前よりも威力が増しているくらいだ。
激しく揺らめく炎を見て、両親や爺は俺を褒めた。成長する直前に調子が悪くなる者もいる、とも言ってくれた。
単なる慰めの言葉だったのかもしれない。だが俺はそれに救われた。あの出来事も、成長途中に起こった些細な事故の一つなのだと思うことにした。
それなのに。
「――――何で」
あの出来事から、今日でちょうど一ヶ月。掌の上で、火が霧散した。
火遁が使えない。
「何でだよ……!」
罪人たちを仕留め、それから、この炎を二度と失ってなるものかと修行に励んできたのに。こんな簡単に消え去ってしまうだなんて。
「くそっ!」
苛々している俺を見て、爺はおろおろと辺りを歩き回っている。
申し訳ない気持ちになって「悪い」と謝った。
「……若……」
爺が悪いわけじゃない。俺の力が足りないせいだ。きっと、もっと努力しなければならないんだろう。
ここにいたら、誰彼かまわず当たり散らしてしまうかもしれない。
不安になって、自室へと歩を進めた。
◆◆◆
その場しのぎの行為だ、ということは分かっていた。
エッジは、私の力を借りて一時的に力を取り戻しただけなのだ。また、近いうちに不調に悩まされるようになるだろう。
失った力を取り戻したと思ったのに、もう一度失ってしまう――――そんな彼の心中を思うと、穏やかな気持ちにはなれそうになかった。
滑らかな肌の感触が、掌から離れない。脳を痺れさせる甘い喘ぎを思い出さぬ日もない。
もう二度と、話すこともないだろう。勿論触れることもない。あの緑色の瞳に射抜かれることもない。
彼のことだから、『犬に噛まれたようなもんだ』と考え、明るく振舞って、私のことなど忘れてしまおうとするだろう。
彼に忘れられてしまう。
考えるだけで、胸が抉られるようだった。
初めて彼を目にしたあの日から、私は彼に惹かれ続けている。
惹かれれば惹かれるほど、頭の中が彼のことでいっぱいになってしまう。
ひと目でも構わない。彼をこの目で見たい。
足が、ひとりでにエブラーナ城を目指そうとする。ひび割れて継ぎ接ぎだらけになってしまった理性は、何の役にも立たなかった。
雲ひとつない夜だった。
彼の部屋の窓は、無防備に開いている。
気配を殺し、窓に近づいた。
部屋の中に、丸まった背中を見つけた。
――――――――エッジ。
呼びかけてしまいそうになり、思わず口を噤んだ。
彼は、細い肩を揺らして泣いていた。彼の周りには微かに焦げた紙が丸め捨てられていて、それが彼の涙の理由を私に教えていた。
彼を泣かせているのは私だ。私が彼をぬか喜びさせてしまったから、彼は今、小さく背を丸めて泣いているのだ。
私は、彼の『力を欲する気持ち』を痛いほど理解していた。
「……エッジ」
弾かれるようにして、エッジはこちらを振り向いた。暗闇の中、緑色の瞳が光る。彼は、細長い得物を手に飛びかかってきた。
「て……っめぇ……何しに来やがった……!」
振り下ろされた刀を避けて、私は部屋の中へ入った。彼の声には気迫も大きさもない。他の者に聞かれることを恐れているようだった。
「……俺を殺しに来たのか?」
私は首を横に振った。
彼の頬には涙の跡が残っていて、ただそれを拭ってやりたい、と思った。
「じゃ、じゃあ何しに来たんだよ……!?」
お前の顔を見たかった。
緑の瞳を眺めたかった。
その二つを口にしたところで、どうせエッジには信じてもらえないだろう。意味の分からないことを言うなと嘘つき扱いされるのがおちだ。
もっと近くで見たくて、エッジに近づいていく。泣いていたせいなのか、彼の頬は僅かに上気していた。切れ長の目と、明るい緑色の瞳。それを、銀色の細い睫毛が縁取っている。
綺麗だ、と思った。
自分自身が人間だった頃には気づかなかったことだった。人間の目は綺麗だ。特に、エッジの目は他の誰のものよりも綺麗で魅力的だった。
この感情がなんと呼ばれるものなのか。分かってはいたけれど、認めるのが恐ろしくて堪らなかった。
「来るな……!」
刀の切っ先がこちらを向く。
彼は、ただ私だけを見つめていた。いや、睨みつけているというのが正しいのかもしれない。
真っ直ぐに挑んできた彼の攻撃を避け、細い手首をきつく握った。刀が落下し、地面に転がる。暴れようとする体を抱き上げて、ベッドに横たえた。
「なに、を……っ!?」
すかさず起き上がろうとする体を、手首を縫い止めることで制止する。じたばたと動く足が私の腹を蹴った。
これだけ近づいても、彼の体の中に炎のにおいを見つけることはできなかった。
「忍術について何か困っていることがあるのだろう?」
暴れていた足が止まった。
「なんで知って……」
「お前の体から、炎のにおいが消え失せている」
「炎?」
「……ああ。お前の中にあった炎は、お前の元を去って行ってしまったようだ。このままでは忍術を使うことなどできんだろう」
「そん、な……」
私から顔を背け、エッジは瞳を揺らした。
「せっかく戻ってきたと思ったのに……戻すために、必死で修行して」
力が戻ったのは、修行が効いたからではない。そう、エッジの力が戻ったのは――――。
「あっ!」
首筋に歯を立てた。べろりとそこを舐め、今度は鎖骨を舐めた。
「くそっ、やめろ……っ!」
夜着をはだけさせる。音をたてて吸うと、そこここに赤い痕が残った。
薄い胸に舌を這わせる。
エッジの体がびくりと強張った。
「忍術を使えるようになりたいのだろう? ……それなら、私に抱かれればいい。一時的なしのぎにしかならんかもしれんが」
「い……意味分かんねえよ……っ! 俺がおめぇに……だ、抱かれんのと忍術に何の関係が」
「私の力を『注がれた』せいで、お前の体に炎の力が宿ったのだ……と言ったらどうする?」
「そそ、がれ……っ!?」
どんな表情をしているのだろう、と顔を覗き込む。頬を真っ赤にして、彼は私を睨みつけていた。
「嘘ばっか言ってんじゃねえぞ! ……こ、この変態!」
――――変態、とは。
「変態ではない」と言おうとするのだけれど、よくよく考えてみれば、私がエッジにしたい、しようと思っていることは変態の思考そのもののような気がした。
彼を抱きたい。抱いて、自分だけのものにしたい。
我ながら酷い考えだ、と思った。
「変態か。否定はしない」
「えっ!? 否定しろよ、変なやつ……!」
乱れた言葉でキャンキャンと吠える彼の体は、寒さを感じている者のように微かに震え続けている。エッジは、私の事を恐れているのだ。恐れながらも、必死で抵抗しようとしている。
私は一体何をしているのだろう。彼を怖がらせて泣かせたいわけではないのに。
ゆっくりと身を起こし、乱れた銀の髪を撫でた。ベッドが嫌な音を立てて軋む。
「……すまなかった」
◆◆◆
魔物は「すまなかった」と言って背を向けた。窓の外へ行こうとしている。
俺の体につけられた赤い痕と頭がぐちゃぐちゃになった俺だけが、部屋の中に取り残されようとしていた。
「なん、だよ……」
熱い手の感触が、体から離れない。
あいつに『注がれた』から、俺は炎を扱えるようになった。赤い魔物はそう言った。
力が戻れば、両親や爺をがっかりさせないで済む。苛々することもなくなるだろう。
あいつは魔物だし、俺は男だから体がどうこうなる心配もない。犬に噛まれたとでも思って忘れちまえばいい。
そうだ、利用すればいいんだ。あの魔物を利用して力を取り戻して――――それから、もっともっと修行を重ねればいい。そうすればいつかきっと、あの魔物の力なしで立ち上がれる日がくるようになるはずだ。俺の力だけで炎を操ることができる日がくるに違いない。
「……おい」
大きな後ろ姿に呼びかけようとして戸惑った。俺はこいつの名前を知らない。
「お前の、名前は?」
問うと、魔物は黄色い目をすうっと細めた。ゆっくりとこちらに近づいてくる。ベッドから飛び降りて、俺もやつに近づいた。
「…………ルビカンテだ」
大きな体、真っ赤な腕、長く伸びた爪。どれをとっても異形のそれだ。
俺が、この男に抱かれるなんて。しかも今度は無理矢理ではない。薬もなしで、拘束もなしで、素面だ。
ぞく、と背中が冷たくなった。
「ルビカンテ」
魔物の名前を呼んでみる。魔物はこくりと頷いた。
「……俺を……俺を、抱い……っ! お、俺の中に注いでくれ、ルビカンテ……」
抱いてくれと言うのが気恥ずかしくて注いでくれと言い直したのだが、それはそれでどうしようもなく恥ずかしかった。深い落とし穴にはまってしまったような、そんな気分だ。
「……声が震えているぞ」
「んなこと、言われなくても分かってる」
「後悔しても知らんぞ」
「男に二言はねえ」
「……意地を張っているのか?」
「意地なんかじゃ……っ……!」
強く抱きしめられて、何も言えなくなってしまう。
瞼を閉じると、熱い何かが唇に触れてきた。
End